私たち親は、子どもが産まれた時
「この子が、産まれてきてくれただけで、それだけでいい」
って思ったはずなのに、日が経つにつれ、「ぐずだ、のろまだ、だらしない」と欠点ばかりに目がいってしまう。
自分が生まれたのも奇跡、目の前にいる子どもと出会えたのも奇跡。
勉強ができなくたって、運動ができなくたって、子どもが「幸せ!生まれてきて良かった」って思えれば、「人に喜んでもらうことに、喜びを感じられる子」に育ってくれれば、それで十分なのです。
そして、この世に、虐げられていい人、排除されていい人なんて誰もいないはず。
誰もが尊い存在なのです。
仲良しのTAKくんは、守綱寺の若院さん。
素敵な言葉を紹介してもらったので、共有しましょう。
*********************
世の中に尊くない人は一人もいないのです。
世の中にどうなってもいい人は一人もいない。
捨てられていい人は一人もいない。
イラクをアメリカが攻撃するということがありました。
けれども、世界中に、殺されて当然だという人は一人もいないのです。
殺す権利を持つ人もいません。
殺してしまった人も尊い人生を生きているのです。
殺された人も尊い人生を生きていたのです。
尊い人同士なのです。
いじめられていい人は世の中に一人もいません。
誰かをいじめていい人も一人もいません。
差別されるべき人もいなければ、差別して当然だという人もいない。
どの人の、どの人生も皆尊い。他の人と比べて尊いということではなく、あなたのそのままで尊いということです。
(中略)
仏教のお話では、よく「ただ生きているんじゃない、生かされて生きている」
と言われます。
それはその通りですが、私たちはそれと同時に「(誰かを、何かを)生かして生きている」とも思います。
つまり、私はこの世に必要なのです。
存在に意味があるのです。
どのいのちもそうなのだと思います。
親子においても、子は(宿った時から)親に生かされ、親を生かしています。
親は子に生かされ、子を生かしています。
もちろん、親子以外にもあらゆるいのちとの「無量」の関係があります。
私を生かし支えているいのちと、私が支え生かしているいのちと、共に大事に生かし合って生きなければなりません。
私たちのできることには限りがありますが、それぞれの苦手と得意を組み合わせると、不思議とうまくいくものです。
支え合い語り合いながら、共に歩みを進めましょう。
(中略)
「お誕生日おめでとう 生まれてくれてありがとう」。
私の身近な人だけでなく、過去現在のあらゆるいのちから、そして仏さまから、この私に呼びかけられています。
同時に私もあらゆるいのちに向かって呼びかけたい。
私が生きているこの世界は、「おめでとう、ありがとう」と、いのちがお互いに認め合い、尊び合う世界であるのに、私は、そのいのちの呼応に気づかず、「私の知恵」で「私の都合」を満たそうともがいています。
ちょっと立ち止まって、お茶か水でも飲んでひと息ついて、私は「おめでとう、ありがとう」のいのちの世界で生きていたんだと、気づき直してほしい。
そして、あらためて、自分と周りを見回してみましょう。
ちょっとうれしくなってくるかもしれませんよ。
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「この子が、産まれてきてくれただけで、それだけでいい」
って思ったはずなのに、日が経つにつれ、「ぐずだ、のろまだ、だらしない」と欠点ばかりに目がいってしまう。
自分が生まれたのも奇跡、目の前にいる子どもと出会えたのも奇跡。
勉強ができなくたって、運動ができなくたって、子どもが「幸せ!生まれてきて良かった」って思えれば、「人に喜んでもらうことに、喜びを感じられる子」に育ってくれれば、それで十分なのです。
そして、この世に、虐げられていい人、排除されていい人なんて誰もいないはず。
誰もが尊い存在なのです。
仲良しのTAKくんは、守綱寺の若院さん。
素敵な言葉を紹介してもらったので、共有しましょう。
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世の中に尊くない人は一人もいないのです。
世の中にどうなってもいい人は一人もいない。
捨てられていい人は一人もいない。
イラクをアメリカが攻撃するということがありました。
けれども、世界中に、殺されて当然だという人は一人もいないのです。
殺す権利を持つ人もいません。
殺してしまった人も尊い人生を生きているのです。
殺された人も尊い人生を生きていたのです。
尊い人同士なのです。
いじめられていい人は世の中に一人もいません。
誰かをいじめていい人も一人もいません。
差別されるべき人もいなければ、差別して当然だという人もいない。
どの人の、どの人生も皆尊い。他の人と比べて尊いということではなく、あなたのそのままで尊いということです。
(中略)
仏教のお話では、よく「ただ生きているんじゃない、生かされて生きている」
と言われます。
それはその通りですが、私たちはそれと同時に「(誰かを、何かを)生かして生きている」とも思います。
つまり、私はこの世に必要なのです。
存在に意味があるのです。
どのいのちもそうなのだと思います。
親子においても、子は(宿った時から)親に生かされ、親を生かしています。
親は子に生かされ、子を生かしています。
もちろん、親子以外にもあらゆるいのちとの「無量」の関係があります。
私を生かし支えているいのちと、私が支え生かしているいのちと、共に大事に生かし合って生きなければなりません。
私たちのできることには限りがありますが、それぞれの苦手と得意を組み合わせると、不思議とうまくいくものです。
支え合い語り合いながら、共に歩みを進めましょう。
(中略)
「お誕生日おめでとう 生まれてくれてありがとう」。
私の身近な人だけでなく、過去現在のあらゆるいのちから、そして仏さまから、この私に呼びかけられています。
同時に私もあらゆるいのちに向かって呼びかけたい。
私が生きているこの世界は、「おめでとう、ありがとう」と、いのちがお互いに認め合い、尊び合う世界であるのに、私は、そのいのちの呼応に気づかず、「私の知恵」で「私の都合」を満たそうともがいています。
ちょっと立ち止まって、お茶か水でも飲んでひと息ついて、私は「おめでとう、ありがとう」のいのちの世界で生きていたんだと、気づき直してほしい。
そして、あらためて、自分と周りを見回してみましょう。
ちょっとうれしくなってくるかもしれませんよ。
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