先日、「親友ってなんだろう?」って話になった。
友達、仲間、親友…いろんな形があるけれど、わたしが「親友だな」と思う時は、話を選ばなくていいなと思うとき。
こんなこと言ったら非難されるかな?
こんなこと言ったら軽蔑されるかな?
こんなこと言ったら嫌われるかな?
って思うとき、私は完全に相手に安心できていない。
私が何を言っても、弱音を吐いても、ブラック満載でも、そのまんまを受け止めてくれる。
その逆も。
人間らしさも、弱い部分も、強い部分も、未熟な部分も全部愛おしいと思えたら本物。
わたしが「こういう人を親友っていうんだ!」と心から思えたのは20歳の時。
他の人から非難ゴーゴーの決断をしたとき「けーこが決めたことならそれが一番」って言ってくれた2人の友だち。
私の決断が間違ってたとして、それで悲しむことになっても、失敗だったとしても、きっとそれもひっくるめて引き受けてくれる(寄り添ってくれる、話を聴いてくれる)覚悟を感じた。
そして、その友だちたちとは今は、年に2回くらいしか会わないけど、会いに来てと言ってもらえたら最優先で会いに行く。
例えば、
夫と子どものいる母親(友だち)が駆け落ちをしたとしたら、
99%非難されるところだと思う。
けど、彼女がその決断をしたということは、相当なことがあったのだろうと思う。
DVに遭っていたのかも。
モラハラで苦しんでいたのかも。
それを誰にも相談できずにいたのかも。
その時に心の支えになってくれた異性の存在があったのかもしれない。
その異性のおかげで命を絶たなくて済んだのかも。
子どものことを考えたらそうとう苦しかっただろう。
話を聴かせてほしいと思う。
そういう時、ほとんどの人は
「人妻なのになにやってるの!」
「子どもがかわいそう」
と言う。
そんなこたーーわかってる。
苦しんで傷ついてるのは当の本人。
そうしなくちゃいけない状況になっただけ。
自分ができることはとにかく話を聴かせてもらうこと。
本人と、子どもによりベターな道を一緒に探ろう、
自分にできる協力をしよう、
行く場所がなくなったら一時的に受け入れる準備をしよう。
恋は盲目って経験は誰にでもある。
もし周りが見えなくなっていたら、その時期が過ぎるまで少し待つことも大事だと思う。
一番苦しめるのは「子どもがかわいそう」って言葉。
他から聴く噂話。
誰もが敵に感じる、人を信用できなくなる。
わたしは、元夫さんと離婚したとき、けーすけと付き合いだしたとき、けーすけと結婚したとき、
その時々に、
「子どもがかわいそう」
「元夫がかわいそう」
って非難されたし、噂もされた。
離れて行った人もいる。
状況を知ろうともしないで、その選択だけで判断して。
わたしのこと、信用してないんだなと思った。
でもその時、丸ごと受け止めてくれた友だち、信用してくれた友だち、一緒に覚悟を決めてくれた友だちもいる。
めちゃくちゃ心強かったし、わたしも彼女のそんな存在になりたいと思った。
これは誰にでもできることじゃなくて、信頼してる相手だからできることだよね。
「親友」はそんなに大勢いなくても、一人か二人でも、十分、生きていく支えになってくれるね。
夫と子どものいる母親(友だち)が駆け落ちをしたとしたら、
99%非難されるところだと思う。
けど、彼女がその決断をしたということは、相当なことがあったのだろうと思う。
DVに遭っていたのかも。
モラハラで苦しんでいたのかも。
それを誰にも相談できずにいたのかも。
その時に心の支えになってくれた異性の存在があったのかもしれない。
その異性のおかげで命を絶たなくて済んだのかも。
子どものことを考えたらそうとう苦しかっただろう。
話を聴かせてほしいと思う。
そういう時、ほとんどの人は
「人妻なのになにやってるの!」
「子どもがかわいそう」
と言う。
そんなこたーーわかってる。
苦しんで傷ついてるのは当の本人。
そうしなくちゃいけない状況になっただけ。
自分ができることはとにかく話を聴かせてもらうこと。
本人と、子どもによりベターな道を一緒に探ろう、
自分にできる協力をしよう、
行く場所がなくなったら一時的に受け入れる準備をしよう。
恋は盲目って経験は誰にでもある。
もし周りが見えなくなっていたら、その時期が過ぎるまで少し待つことも大事だと思う。
一番苦しめるのは「子どもがかわいそう」って言葉。
他から聴く噂話。
誰もが敵に感じる、人を信用できなくなる。
わたしは、元夫さんと離婚したとき、けーすけと付き合いだしたとき、けーすけと結婚したとき、
その時々に、
「子どもがかわいそう」
「元夫がかわいそう」
って非難されたし、噂もされた。
離れて行った人もいる。
状況を知ろうともしないで、その選択だけで判断して。
わたしのこと、信用してないんだなと思った。
でもその時、丸ごと受け止めてくれた友だち、信用してくれた友だち、一緒に覚悟を決めてくれた友だちもいる。
めちゃくちゃ心強かったし、わたしも彼女のそんな存在になりたいと思った。
これは誰にでもできることじゃなくて、信頼してる相手だからできることだよね。
「親友」はそんなに大勢いなくても、一人か二人でも、十分、生きていく支えになってくれるね。
写真は、大好きなふなちゃんとゆかちんと、サトノエキカフェでご飯したとき。
一緒に年齢を重ねたい、ずっと側にいて欲しい大事な人。
この信頼と愛おしさは、死ぬまでずっと変わらないぜ♡