ばん馬のいる風景-BANEI Photo Gallery -

ばん馬の写真とコラム。2021年夏まではツイートまとめも載せています。

深山峠の馬頭観音と護国神社の殉役軍馬の碑

2024-06-08 17:34:34 | コラム
美瑛では、深山峠の馬頭観音を見に。「深山峠新四国八十八ヶ所霊場」の裏側に、馬頭さんが並んでいた。
八十八ヶ所が豪華で、この中にも一つ馬頭さんはあるのだけどこれじゃないはず…と探してしまった。



旭川に付き、北海道護国神社の馬魂碑を見る。殉役軍馬の碑。建立は昭和9年。戦後ではなかった。
毎年6月5日が慰霊祭らしい。行ったのは1日。


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土の博物館 土の館

2024-06-05 20:37:43 | コラム
上富良野町では「土の館」へ。
入って初めて、スガノ農機の私設博物館だったことを知る。白いプラウ、上富良野が創業の地だったのか…!!
http://www.tsuchinoyakata.jp/

実はある人に「作った会社の紹介ですよ(だから別に行っても…)」と言われたので期待していなかったが、
なぜそう思ったのか逆に聞きたい!! 素晴らしい展示で、今回の旅で1、2番目くらいに感動した…!!
馬具の説明も細かいし、世界のプラウがある!戦時中は満州にプラウを送っていたのか…。
十勝岳の噴火からもこの地に残り、土を研究してきたそう。素晴らしい資料がたくさんありました。
創業者、菅野豊治氏は出自問わず人に優しく、勉強家。次男に馬糞集めをさせて土について考えさせたことなど、菅野氏の人間的魅力にも触れられた。
土の館は北海道遺産にも選定されている。「北海道の馬文化」とつながるものがあるように思う。上富良野で馬が盛んだった理由の一つは、スガノ農機があったからでは、という気もしてくる。


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上富良野町の馬魂碑

2024-06-05 20:25:53 | コラム
上富良野で、前回行けなかった場所を訪れました。

まずは、上富良野町の馬魂碑。前回、思いっきり抜けてて行きそびれたという…
こちらは昭和15年に上富良野村牛馬商組合によって建立されました。
こちらのサイトで詳しく紹介されています。郷土史サイトある市町村感動…
https://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/2809nakamura.htm



山本調教師、父の山本幸一さん(上フ)の出身地、上富良野町。
前回から、「馬の霊園」があるなど上富良野町は馬に力を入れてきた歴史があるようで気になっていた。
昭和18年の上富良野村史に「軍馬の優良馬産地」とあるようで、
育成が盛んで実際に名馬も多く、名馬を見てきた村民はある程度のプライドもあったのかな、と思う。

前回上富良野町を訪れた様子
https://blog.goo.ne.jp/banbaphoto/e/31c562e92d9a17ab542780f397939d7e

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GWの非開催日

2024-05-05 10:08:34 | コラム
5月3日金曜日は走路開放だった。
再検に古馬の練習、このあたりから新馬戦や能検を控えた2歳馬も出てくる。

ゴールデンウィークで人が多い日の金曜日。昨年のことを思い出した。
競馬は土日月だという情報があっても観光客は競馬場に来る。警備員は開催日ほどいない。
レースがないはずなのに馬が出てきたので、馬がいる!と嬉しくなり人は走る。観光客もぞろぞろ。
2歳もいるのにヒヤヒヤ…

言いたいことは身近な担当者に伝えるようにするが、この時はさすがに上に電話した。
他からも声が上がったのだろうし、それから1年、走らないように、という看板や防止柵はできた。
でもまだ、常連ファンが注意している状況(看板があることで注意はしやすくはなった)。
警備員さんも大変だなと思って見ていますが…

どうするのが一番良く、競馬ファンが楽しめるままでいられるのか、ここ最近ずっと考えている。
パイロンを立てて人と馬を離すのは簡単だ。
常連ファンは理由はわかっているし受け入れるけれど、アナウンスなしに突然遠ざけられるのはダメージだし、
そのダメージは競馬自体をファンから遠ざける。それを避けたいが理解されにくい。

私が中央競馬を始めたころは、初心者対応に力を入れ、コアファンへの対応が冷たいと感じることがあった。
そのことは何度か話題にもなったし、主催者もファン出身が増えたこともあって、
今ではかなり対応が進んでいるように見え、さすがだなと思う(ファンの友人にそう伝えると、まだまだだというが)。

自分らを大事にしろと言っているのではなく、既存ファンを大事にしてほしいのはマーケティングにおいて有効だと思うから。
ここ最近コアファンの芽が育ち始めているのをものすごく感じるから、
ちょっと先輩である私たちは、彼ら彼女らを悲しませることがないようにできれば、と思う。

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馬車はどこを走っていた?

2024-03-31 21:06:30 | コラム
先日浦幌町立博物館で「十勝の鉄道の歴史」の展示を見てきた。鉄道の歴史は生活の歴史。それを強く感じた。
「昔の路線図は、鉄道馬車が気になる」と、いつもお世話になっている学芸員さんと(無理矢理)馬の話に。
すると「鉄道は路線が残っているが、バスは鉄道ほど資料が残っていない」という。そういえば。
バスのように、比較的複数の人々を乗せていた馬車があったはずなのだ。
馬鉄は路線図を見て思いをはせられるけど、バスに転換した馬車はどこを走っていた?
「あちこちに馬がいたよ」という風景に、想像力を近づけていきたい。しかし、抜けているものがいくつもある。
まだまだ、お世話になった馬たちの仕事ぶりを感じるにはほど遠い。

しかし次々と話題が出てくる学芸員さん、ほんとすごい…いつも博識ぶりに感動しています、ありがとうございます。地域の宝です。生ける文化財として町で大切にしてほしい…

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