子供の頃聞いたことがあります。
柿を収穫するときは、最後の1、2個は必ず残しておくものだという。
「木守り」と呼ぶのだそうです。「木守り」とよばれる実は鳥や旅人のためとも、
翌年の豊作祈願のためともいわれています。そこからは自然への感謝の思いが
伝わってきます。だから子供の頃はそんな1個だけの赤い柿の実がついている
風景がみられました。
最近は熟した柿がたわわに実ったままになっているのを時々目にする。忙しいのか
高いところが苦手なのか、枝いっぱいの色づいた柿に、どこか今の時代の寂しさを
感じてしまいます。
写真は実家の隣の柿木です。
いっぱい柿がなったまま淋しそうに感じられます。
実家の柿の木はカミさんが、がんばってほとんどもぎ取ってきました。そのすべて
が干し柿になっています。
実家の柿の木です。
私の子供の頃は、柿は貴重な果物でした。本格的に冬になって甘さが一段と増した
干し柿はそれこそ最高のご馳走でした。
ところが、最近は干し柿を作るのが面倒なのか、軒先に皮をむいて干しているのが
少ない気がします。おいしいものがあふれ、食に苦労することのない現代っ子たち
に、柿の甘さは昔の味に映るのかもしれない気がします。
干し柿は冬に食べる、また干しもちは真冬に作り田植え時期に食べるそんな習慣が
崩れてきています。こんな記事かきだすと私もおじさんの中間入りかなと思う今日この頃です。
ここで一句 「柿の味 子供のときは 一番です」 大人の一番(酒)
天気が悪かったので、画像もはっきりしなかった。
柿を収穫するときは、最後の1、2個は必ず残しておくものだという。
「木守り」と呼ぶのだそうです。「木守り」とよばれる実は鳥や旅人のためとも、
翌年の豊作祈願のためともいわれています。そこからは自然への感謝の思いが
伝わってきます。だから子供の頃はそんな1個だけの赤い柿の実がついている
風景がみられました。
最近は熟した柿がたわわに実ったままになっているのを時々目にする。忙しいのか
高いところが苦手なのか、枝いっぱいの色づいた柿に、どこか今の時代の寂しさを
感じてしまいます。
写真は実家の隣の柿木です。
いっぱい柿がなったまま淋しそうに感じられます。
実家の柿の木はカミさんが、がんばってほとんどもぎ取ってきました。そのすべて
が干し柿になっています。
実家の柿の木です。
私の子供の頃は、柿は貴重な果物でした。本格的に冬になって甘さが一段と増した
干し柿はそれこそ最高のご馳走でした。
ところが、最近は干し柿を作るのが面倒なのか、軒先に皮をむいて干しているのが
少ない気がします。おいしいものがあふれ、食に苦労することのない現代っ子たち
に、柿の甘さは昔の味に映るのかもしれない気がします。
干し柿は冬に食べる、また干しもちは真冬に作り田植え時期に食べるそんな習慣が
崩れてきています。こんな記事かきだすと私もおじさんの中間入りかなと思う今日この頃です。
ここで一句 「柿の味 子供のときは 一番です」 大人の一番(酒)
天気が悪かったので、画像もはっきりしなかった。