Over 60's yukinokoブログ

実家の片づけ、そして義母を送って、次は自分の生前整理だな

地域行事から見えるご近所事情

2022-10-10 05:46:14 | えとせとら

昨日一昨日と3年ぶりに地域のお祭が開催されました。

もちろんコロナ禍が続いているので、感染対策はそれぞれの組で話し合って対策を取るように、町内の執行部から言い渡されています。

コロナウイルス感染がまだ収束していない状態で、以前からお祭の在り方について会合で意見が出されていたこともあり、今年のお祭は3年前のそれとはかなり違ったものになってしまいました。

どこが変わったかと言うと、これまで各組でそれぞれお獅子が飾られていましたが、まだ感染の心配も残ることから、お祭への参加は各組の判断にゆだねられ、結果として3つの組がお獅子を

飾らない、つまり「宿」を設けないという判断に。

この、各組ごとにお獅子を飾るということ自体が、よその町内ではほぼあり得ないもので、お祭以外のときはその年の組長または翌年の組長宅で預かることになっています。これが大きな

負担になっているんです。うちの組の場合、大きな押し入れ用衣装ケースが計3つと、お獅子を飾る組み立て式ひな壇。

とてもかさばるうえに粗末に出来ない代物なんですから、物質的にも精神的にも大きな負担、というわけです。

おそらく次の常会で何かしら討議されると思いますが、うまく話がまとまってほしいものです。

 

今年のお祭は、ここ数年、と言ってもこの2年はなかったけれど、その中では気候的にも肉体的にも最もラクなお祭だったように感じました。

夏日予想もあった気温もそれほど高くなく湿度も低めで風もあったし、なにより日差しが雲で遮られたことが大きかった。

そして昨日は午後から雨予報だったので、早々と午前中で終了と決定。本当にお昼過ぎには雨も降り出したので早めの中止は幸いで、お昼前に片づけも済ませたので午後はゆっくりできました。

そして何よりラクだったのが、お祭に参加する男性陣へのアルコールのふるまいがなかったこと。金銭的な負担もかなり違って驚きました。

そういうときにはアルコールが出て当然、みたいなものが昔からありますが、アルコールが入るとどうもねぇ・・・飲めない私には理解不能なほど、人格のベルトが緩むと言いますか。

いい歳をして、多くのひとが「すけべじじい」になっちゃうんだもの。つくづく祭というものは、男中心社会の縮図のようだと思えます。

そして祭の中心である男性陣も高齢化が進んでいます。以前はおみこしを担いで賑やかにやっていましたが、もうその元気も体力もありません。世代交代も全く進まず。

相方も以前は参加していましたが、元からそういうのが好きではなくて。そうやっておみこしを担いで賑やかにやり始めたのもうちの子どもたちが小学生の頃くらいなので、それほど

歴史や伝統があるわけでもない。

お祭だけじゃなく、町内会に積極的に携わろうとする人もほぼいません。私も子ども会と保健委員はやりました。保健委員は町内の規則で組から誰かひとり出さなくてはならなくて、

いつかやらなくてはならないのなら少しでも若いときのほうが、と思ったので自ら手を挙げましたけど、積極的にやりたい!というわけではなかった。

ここ最近、うちの町内でも建売住宅が新築されていますが、入居者が決まる前から「町費は払うけど町内会には入らない」ということになっているんだそう。

それって矛盾していると思いません?

町費を払うから市などからのお知らせなどは配ってもらうけど、組長とかごみ当番などはやらない、なんて、あまりにも虫が良すぎる。

新しく入ってくる人ばかりではなく、昔から住んでいる人の中には町内会に入っていない人もいます。町費も納めていないはず。

どちらかと言えば下町で、近所とのつながりは薄くない土地柄でもこんな具合です。どんどん住みづらくなってきた感じがしますね。

幸いうちの組はわりと仲がよいほうですけど、高齢化がものすごいスピードで進んでいます。60代半ばの私でも若いほう、なんだもの。

 

それでも久しぶりのお祭は、コロナ禍で途絶えていたご近所とのコミュニケーションを楽しめた感じがします。町内の訃報など、以前なら回覧板でお知らせが回って式にも参列したもの

でしたが、そういうことが本当になくなりました。そうした情報交換も出来ましたね。

町内会という一番小さなコミュニティでの人と人とのつながりは、残していかなくてはいけないものだと思っています。面倒に思うこともありますが、遠くの親戚よりの例えどおり。

私という独りよがりになりがちな人間も、ご近所さんから学ばせてもらったものがとても多い。周囲の人たちに育てられたことに感謝しきりです。