ここからは河北新報の記事を引用。
◎亡き親や仲間の志継ぐ/矢本浅海漁業研究会=東松島市
「俺たちには海しかない。ここを離れるわけにはいかない」
潮風の中で、若者たちは誓い合った。そこが家族や仲間の命を奪った場所だとしても。
東松島市の大曲浜。宮城県漁協矢本支所のノリ養殖業者の2代目でつくる「矢本浅海(せんかい)漁業研究会」のメンバーが、変わり果てた「仕事場」に集まった。
周囲に散乱する養殖用のいかだや網の残骸を片付ける。遠い陸の上まで何隻もの舟が打ち上げられ、無残な姿をさらしている。
良質なノリの産地で「献上のり」の称号を得た。県内の乾のりを集めて毎年開かれる品評会で、優勝と準優勝ののりだけが皇室に献上される。矢本支所は1月の品評会を含め、6年連続で栄誉に輝いている。
品質への自信と誇りを深め、産地の名をさらに高めようと張り切っていたさなかの大災害。激しい津波で養殖施設は壊滅的な打撃を受け、19人の組合員のうち4人が死亡、2人が行方不明となった。
会長の阿部源史さん(36)も波にのまれ、帰らぬ人となった。養殖技術の研さんを積む活動を引っ張ったリーダーを失い、メンバーは立ちすくんだ。
厳しい現実を前に副会長の相沢太さん(31)がメンバー一人一人に思いを聞いた。養殖業を続けるのか、海を去るのか。
「ここでやめたら中途半端に終わる」。相沢裕太さん(24)はきっぱり答えた。地震の日、津波警報の中で海へ向かった父の最後の姿が忘れられない。「舟のことを心配していた。どんな時も養殖のことを考えていた」
桜井健太さん(30)も父を失った。「父は息子が家業を継ぐことを信じて養殖施設の建て替えを計画していた。その思いに応える」と前を向く。
「俺たちはいつか親に追い付き、追い越そうと頑張ってきた。成長する姿を見せられなかった無念さが逆に奮起させるんだと思う」。相沢太さんは言う。
道のりは険しい。今も水が引かず、復旧作業を阻む。養殖施設の再建には億単位の金が要る。「投資額の少ないワカメの養殖から始めてはどうか」「一定の資金ができたらノリ養殖を協業で再開しよう」。メンバーは再起を懸けて議論を重ねる。
思いがけない出来事があった。がれきの下から、今年の品評会の優勝トロフィーが泥だらけで見つかったのだ。
津田大さん(24)は「頑張れというメッセージだと思う。いつか必ず、献上のりを復活させる」と誓う。
全てを失っても、支え合う仲間がいる。海に生きる不屈の根性と底力が港町に希望の灯をともす。(成田浩二)
自分は矢本の海苔はもちろん宮城県の海苔を中心に販売して生計を立てていました。それだけでなく三陸の海産物も多数販売してご飯を食べていました。
それがあの大津波で沿岸部の海産物施設はほとんど壊滅し、復興は長期化を余儀なくされた。在庫も乏しく、入荷の予定はもちろんめどすら立たず。今後何を売って商売をし生計を立てればいいか悩む。
でも各生産者のこういった「復興への誓い」は勇気付けられます。
何年後かに「新物入りました!」と全国の皆さんへ三陸の食材をお届けできる日を心待ちに、我々販売者も食いしばって生きたいと思います。
各業界の皆様へ。
それぞれいろんな事情で大変だと思いますが、皆で支えあい、不屈の根性で東北を新しい町へと甦らせましょう!