履 歴 稿 紫 影子
香川県編
八幡神社 2の2
また花車は、それが花柳街の人達であったのかも知れないが、三味や太鼓で賑かに囃したてては威勢の良い若衆に綱を曳かせて、町から町を練歩いては、所所で綺麗な舞姿の娘さん達に舞を披露させて居た。
私が母から貰うお祭りの小遣は、10銭の銀貨が1枚ときまって居たのであったが、私はその10践の小遣を此処で5厘、此処では1銭と言うように、菓子や果物を買食いしながら、終日ダンジリや花車のあとを飽かずにつけ歩いた者であった。
香川県と言う所の氏神には、八幡神社が多かったものか、土器川を挾んだ対岸の土器村にも氏神の八幡神社があった。
その土器村の八幡神社へ行く道は、渡場通りから直線に土器川へ出た所に架してあった仮橋を渡って行くのであったが、向岸の堤防の道を右へ50米程行った所から左へ曲って、その路傍が一色の水田地帯と言う所を2粁程直線に行った所の正面に、その八幡神社があった。
そして其処は、土器山と呼んでいた山の麓であった。
この土器村の祭典には、御輿を土器川に投げ込んで、とても荒荒しく取り扱って居た。
そうした乱暴な場面をしばしば見た私が、その光景を一度父に話をしたことがあったのだが、その時の父は、「土器の八幡さまは荒神さまなので、そうしなければならないことになって居るんだ」と教えてくれたのだが、当時の私には、その意味は通じなかった。
香川県一円の祭典では、そのいづれの神社でもきまって獅子舞が、その境内で行われて居た。
そしてその獅子舞は、各部屋ごとに、または各町内ごとに2人の若衆が獅子の頭尾となって、舞の技巧を競うのであった。
それは、私が4年生の秋のことであったが、私は土器川の堤防に生えて居る老松へ登って、その枝に腰を掛けて四辺の景色を見渡すのがとても好きであったので、その日も只一人でその堤防へ出かけて、老松の枝から四辺を見渡して悦に入って居たのであったが、突然土器山の麓からコンコンチキチンと獅子舞の鐘の音が聞えて来た。
「ははぁ、今日は土器の八幡様のお祭か」と気付いたので、私は土器山の麓へじいっと目をやった。
その日は空に雲一つ無いと言う絶好のお祭日和であったが、社頭から川岸までの間に一定の間隔をとって建ててあった幟が、秋の陽に映えて白くはためいて居た。
私はその日まで土器の八幡神社の祭典と言えば、御輿を川の中へ投込むと言った光景以外には嘗て見たことが無かったので、「よし、一つ見てこう」と急いで老松から降りて仮橋の袂へ走った。
仮橋を渡った私は、駆け足で神社へ行ったのだが、祭典とは言っても、純農村のことであったから、子供達が喜ぶ興業物の催しは何一つ無いと言う淋しいお祭風景であった。
併し、村の子供達は、お互に着飾って、獅子舞の周囲や、綿飴や玩具を売って居る、露天店の前に群って、楽しそうに遊んで居た。