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アサンジ容疑者のパソコンめぐり争奪戦

  • 2019年04月22日 15:35

アサンジ容疑者のパソコンめぐり争奪戦:公開を抑えられたロシア文書に何が - 春名幹男

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 ロンドン警視庁に身柄を拘束されたウィキリークス創設者、ジュリアン・アサンジ容疑者(47)。今後、彼の身柄はどうなるか。それに加えて、ウィキリークスがなお保持する大量の情報と情報源のリスト、米国の「ロシア疑惑」に絡む関係証拠をめぐって、関係各国インテリジェンス機関の「暗闘」が激しくなりそうだ。

 アサンジ容疑者はこれまでロシア関係文書の公開を抑制してきたと伝えられており、これら文書をめぐって、ロシア対米英情報機関の争奪戦が起きる恐れもある。

 当面、最大の焦点はアサンジ容疑者が持っていたコンピューター、ハードディスクおよび関係文書だ。まったく報道はないが、逮捕の際に、英司法機関は在英エクアドル大使館内の彼の居所を家宅捜索し、これら証拠品を押収したのは確実。この逮捕劇で、英国がインテリジェンス面でも優位に立ったとみられる。

 7年間にわたった在英エクアドル大使館でのアサンジ容疑者の籠城の間に何があったのか。例えば2015年7月31日にウィキリークスが発表した「ターゲット東京」と題する一連の文書。第1次安倍政権の際に安倍晋三首相ら35の「トップシークレットのターゲット」を米国家安全保障局(NSA)が盗聴していたことが分かったが、その情報源は今なお明らかにされていない。アサンジ逮捕後の問題を探っていきたい。

当初はロシアもターゲット

 最大の疑問は、アサンジ容疑者が「反露」から「親露」に大きく転換したことだ。

 ウィキリークスは約25万件の外交文書と約48万件のイラクおよびアフガニスタン「戦争記録」文書を公開して名を上げた。

 イラク駐留陸軍のチェルシー・マニング元上等兵(31)=逮捕後、性転換して改名=が国防総省・国務省共用の専用機密通信ネット「秘密インターネット・プロトコル・ルーター・ネットワーク(SIPRNET)」から秘密文書をダウンロードして提供したものだ。彼女は懲役35年の判決を受けたが、バラク・オバマ前大統領の退任直前に同7年の減刑恩赦で出所した。

 当初アサンジ容疑者は「われわれの主要なターゲットは中国、ロシア、中央アジアの抑圧的政権」と指摘、ロシアの秘密取引を公開する計画があることを認めていた。

 しかし、米司法機関がウィキリークスに対する捜査を開始し、ロシア政府が2011年、アサンジ容疑者にビザを発給して雲行きが変わった。

 この間、アサンジ容疑者はスウェーデンでの性犯罪の疑いで2010年に英国で逮捕され、保釈中の2012年にエクアドル大使館に駆け込み、以後7年間にわたって「政治的亡命者」として館内暮らしを続けた。

 ウィキリークスは経済的な圧迫を受け、公開文書掲載サイトの維持にも困ったが、ロシアは2012年、政府報道機関『ロシア・トゥデー(RT)』でアサンジ容疑者をホストにした番組「世界の明日」を放送して支援。

 2013年、NSA元契約職員エドワード・スノーデン被告(35)=スパイ防止法で米司法当局が起訴=がアサンジ容疑者の手助けも得て、香港からロシアに渡航、亡命を認められた。スノーデン被告の希望亡命国はエクアドルだったが、ウィキリークスの法律顧問兼ジャーナリスト、セーラ・ハリソン氏が香港からモスクワまで付き添い、モスクワでの亡命申請は情報機関「連邦保安局(FSB)」に近い弁護士が代行した。

 スノーデン被告はロシア入国直前にパソコン内の関係文書などをすべて消去したといわれる。

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