12月1日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまがご成年の日を、12月9日には雅子さまが58歳の誕生日を迎えられました。「急がない、急がせない」が令和流のキーワードだと分析するジャーナリスト・友納尚子氏の「『学習院大学進学』決定と『還暦の誕生日』を終えて」(「文藝春秋」2020年4月号)を特別に全文公開します。(全3回の3回目/#1、#2から続く)
(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)
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私生活も大事だと公言
陛下が皇太子時代に直面された、もう1つの大きな問題が「公と私」の兼ね合いだった。
天皇陛下の父である上皇陛下はご在位中にこう述べられていた。
「私にとり、家族は大切でありましたが、昭和天皇をお助けし、国際儀礼上の答礼訪問を含め、国や社会のために尽くすことは最も重要なことと考えてきました」
「私どもは、やはり、私人として過ごす時にも自分たちの立場を完全に離れることはできません」
これが平成流の天皇家だった。これに対していまの陛下は、
「私は、家族というものは、社会の最小の単位であると思います。家族を理解することによって社会を知るということ、これはとても大切なことではないかと思います」
「私は家族を思うことと、それから国や社会に尽くすということ、これは両立することだと思います」(2002年の会見)
というお考えだった。上皇陛下とは対照的に私生活も大事だと公言することには、宮内庁でも厳しい見方があった。
愛子さまと2人でのお食事も
雅子さまが2004年に適応障害を公表されてからも、陛下はご回復を待ち続けられた。陛下お一人での公務は続き、ご体調が優れない雅子さまに代わって、公務の前や後に愛子さまを幼稚園へ送ることやお迎えに行くこともあった。雅子さまにお疲れが残って起きられない時には、愛子さま
と2人でお食事を取ることもあった。それまでは絵本の読み聞かせやお風呂が陛下のご担当だったが、役割が増えたことも事実だった。当時の取材では、陛下の周辺から「愛子さまの元気なお姿から力をもらうこともあるそうですからご心配は無用です」との声も聞かれたが、時折、表情に滲むお疲れのご様子は否めなかった。
その頃、元東宮職の1人はこう語った。
「陛下は、いつか雅子さまのご病気が大きく回復して、お二人揃ってご活動ができることだけを強く願われていました」
主治医ともコミュニケーションをよく取られ、適応障害という雅子さまのご病気の性質を理解された。陛下は主治医の話を聞かれる以外に、精神疾患に関する本を読まれたという。雅子さまには、批判記事が掲載された雑誌の広告は見せないようにして、ライフワークに繋がるような新聞記事だけを選んで切り取り、手渡されていた。