- ウィリアム王子がヘンリー王子にメーガン妃との交際について注意したことがきっかけで、2人の王子の間に溝ができ始めたようだ。
- ヘンリー王子夫妻の王室離脱に迫った新刊『Finding Freedom』では、ウィリアム王子がヘンリー王子に「できるだけ時間をかけて、この女の子のことをよく知らないといけない」と言ったという情報源の発言を書いている。
- ヘンリー王子は自分の気持ちがわかっていない兄にムカついたという。
US版『ハーパーズ バザー』のロイヤルエディター、オーミッド・スコビーと王室記者キャロリン・デュランドが共著したヘンリー王子夫妻の王室生活回想記『Finding Freedom』からの抜粋が、『The Times 』紙と『The Sunday Times』紙にシリーズでシェアされている。
最新分では、ヘンリー王子とウィリアム王子の不和の詳細が長々と書かれており、いつから2人の王子の関係が崩壊し始めたのか、共著者が数人の情報源に話を聞いている。
本には、「ヘンリー王子とメーガン妃が交際中、ウィリアム王子はメーガン妃とほんの数回しか会ったことがなかったことから、彼女の意図が正しいものであること(不純な意図を持っていないかどうか)を確かめたかった。『結局この兄弟は、自分たちを利用しようという人たちに囲まれて生きてきた』と、ある情報源は言った」と書かれている。その結果、ウィリアム王子は弟よりはるかに注意深くなったようだ。ウィリアム王子はメーガン妃のことをよく知らなかったため、ヘンリー王子が情欲に目が眩んでいるのではないかと思ったのだという。
また同書は、「王室内には、心配させるようなことをウィリアム王子の耳に囁くスタッフもいたことで、彼は弟に真面目な話をしようと決心した」とも断言している。情報源によると、ウィリアム王子は「急ぐ必要はない。この女の子のことをよく知る必要があるから、できるだけ時間をかけるように」と、ヘンリー王子に言ったという。残念ながら、ウィリアム王子がメーガン妃のことを「この女の子」と呼んだことに、ヘンリー王子は納得がいかなかった。
さらに、「ヘンリー王子はそこにお高くとまったトーンを感じ取り、それは世の中に対するアプローチとして彼が忌み嫌うものだった。王室というバブルの外に出て軍隊で10年のキャリアを積んだ経験から、彼は言葉の訛りや教育、人種、階級、職業によって人を即断で決めつけないことを学んだ」という。このことが、弟という立場から解放されたいというヘンリー王子の願望と相まった。「気遣うことと、上から目線になることは紙一重。兄とは異なる行動をとったからといって、間違いなわけではなかった」と、スコビーとデュランドは書いている。
また、ある情報源は共著者に「ヘンリー王子は怒っていた。兄がそんなことを言うとは、とムカついていた。過剰反応だと思った人もいた。でも、これは2人の人間性を言い当てている。落ち着いていて理性的なウィリアム王子に対して、ヘンリー王子は何でも個人攻撃と受け止めすぎてしまうのを抑えられない」と、明かしている。別の情報源は、「ヘンリー王子はウィリアム王子の発言から本質を見抜いた。彼は偉そうだったんだ」と、述べている。
<picture class=""><source srcset="https://hips.hearstapps.com/hmg-prod.s3.amazonaws.com/images/prince-william-duke-of-cambridge-meghan-markle-and-prince-news-photo-1595762756.jpg?resize=768:*" media="(min-width: 61.25rem)" data-srcset="https://hips.hearstapps.com/hmg-prod.s3.amazonaws.com/images/prince-william-duke-of-cambridge-meghan-markle-and-prince-news-photo-1595762756.jpg?resize=768:*" /><source srcset="https://hips.hearstapps.com/hmg-prod.s3.amazonaws.com/images/prince-william-duke-of-cambridge-meghan-markle-and-prince-news-photo-1595762756.jpg?resize=980:*" media="(min-width: 48rem)" data-srcset="https://hips.hearstapps.com/hmg-prod.s3.amazonaws.com/images/prince-william-duke-of-cambridge-meghan-markle-and-prince-news-photo-1595762756.jpg?resize=980:*" /><source srcset="https://hips.hearstapps.com/hmg-prod.s3.amazonaws.com/images/prince-william-duke-of-cambridge-meghan-markle-and-prince-news-photo-1595762756.jpg?resize=640:*" media="(min-width: 30rem)" data-srcset="https://hips.hearstapps.com/hmg-prod.s3.amazonaws.com/images/prince-william-duke-of-cambridge-meghan-markle-and-prince-news-photo-1595762756.jpg?resize=640:*" />
</picture>
2018年4月25日、アンザック・デーの礼拝にて、ウィリアム王子、メーガン妃とヘンリー王子。
WPA PoolGetty Images
ADの後に記事が続きます
<iframe id="google_ads_iframe_/36117602/hmijp-bazaar/celebrity/breaker_0" title="3rd party ad content" name="google_ads_iframe_/36117602/hmijp-bazaar/celebrity/breaker_0" width="728" height="90" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" data-google-container-id="6" data-load-complete="true"></iframe>
ウィリアム王子の兄らしい気遣いが、悲しいことに2人の関係の破綻につながってしまった。「ウィリアム王子が交際についてヘンリー王子に話して以降、何ヶ月も2人はほとんど話をしなかった」と、共著者は書く。実際、ヘンリー王子と甥や姪との関係にもダメージを与えたようだ。
「ヘンリー王子はケンジントン宮殿の敷地を横切ってジョージ王子やシャーロット王女に会いに行くのが好きだった。ジョージ王子には電気で動くSUV、シャーロット王女には三輪車などのプレゼントを持ってね。でもそうやって訪ねることも、2017年の夏には実質なくなっていた」と、同書は書いている。
また、「2018年4月23日にルイ王子が生まれた後はヘンリー王子と兄の緊張が高まったことから、ヘンリー王子はルイ王子と一緒に過ごすことがあまりなかった」と、明かす。「どちら側からも距離感があった。ヘンリー王子はあまり子どもたちに会いに行かなくなり、ウィリアム王子とキャサリン妃から招待することもなくなった」
2人が緊張関係にあることが、ヘンリー王子夫妻がウィンザーのフロッグモア・コテージに引っ越しを決意した理由の大きな部分を占めていた。
「彼はケンジントン宮殿という衆人環視の場所から逃げ出したかった。どこを向いてもスタッフや家族に囲まれる。彼は兄と一緒に仕事をし、兄と一緒にチャリティを運営し、兄と同じところに住んでいる。トゥーマッチだった」と、情報源が共著者に語っている。残念ながら、ヘンリー王子とメーガン妃がフロッグモア・コテージに引っ越したことは、否定的な憶測記事を増やしただけのようだった。
ハリー(ヘンリー)王子(35)とメーガン妃(39)が全面協力したと言われる伝記『Finding Freedom(自由を探して)』のオンライン版が 8月11日、全世界同時発売される。
夫妻は認定こそしていないが、執筆はメーガン妃びいきで知られる王室ジャーナリスト2名の共著で、夫妻に親しい友人らの証言をもとに、夫妻の馴れ初めや兄ウィリアム王子(38)をはじめとした王室メンバーとの確執、王室離脱に至るまでが赤裸々に描かれている。
著者によると、この本の出版は「ゆがめられた、サセックス公爵(ハリー王子)夫妻の姿を正すことが目的」だという。
あまりに突然だった「王室離脱」
エリザベス女王の孫にあたるハリー王子と、その妻であるメーガン妃が「王室主要メンバーの立場から退く」とInstagramで宣言したのは今年1月8日のこと。突然の発表を受け、13日にはエリザベス女王らと緊急で話し合いがもたれた。宣言からわずか10日後、バッキンガム宮殿は正式な声明を出し、エリザベス女王も「夫妻の要望を尊重し理解する」と公言した。
宣言通り3月末で公務から退き、民間人へと変わったことでプライバシーと自由な活動を手に入れた二人。最終的に希望は全面的に受け入れられたが、同時に「サセックスロイヤル」の商標権を申請していることが発覚し、「公務から退くにもかかわらず、王室ブランドを利用し利益を得ようとした」として英国内からバッシングが相次いだ。
のちに二人は商標登録を取り下げたものの、今後の居住地やセキュリティ費用に国民の税金が使われることが疑問視され、さかのぼって引退前のセレブパーティー、衣装代、旅行にかかった金額も取り沙汰されるようになっていた。
夫妻の王室離脱後、英王室にまつわる暴露本の出版は相次ぎ、10月にはハリー王子と兄・ウィリアム王子の確執を書いた『兄弟の争い ウィリアムとハリーの友情と確執』が出版予定とされる。暴露本の多数はハリー夫妻に批判的な内容のため、これを迎え撃つ形で『Finding Freedom(自由を探して)』の出版に至ったのではと憶測がされている。
「暴露本」にゆれる英国王室ーー。その栄光とスキャンダルの歴史を振り返っていきたい。
過去にもあった「王冠をかけた恋」
現在のイギリス王室「ウィンザー家」は1917年にはじまった。ウィンザー家の初代国王はエリザベス2世女王の祖父であるジョージ5世である。その後、伯父のエドワード8世が即位するものの、離婚歴のある米国人女性との結婚を選んで王位を放棄したことにより、父親のジョージ6世が王座に就いた。このエピソードは「王冠をかけた恋」とも呼ばれた。
またジョージ6世が、兄エドワード8世の突然の放棄により予想外に王位を継承し、持病の吃音を克服していく様子は『英国王のスピーチ』という題名で映画化され、大きな話題となった。
第二次世界大戦の終結から間もない1947年、当時21歳であった王女・エリザベス2世は26歳の海軍軍人であったスコットランドのエディンバラ公爵フィリップと結婚。2人の出会いはエリザベス2世が13歳の頃、ハンサムなフィリップにエリザベスが一目惚れしたと言われている。
結婚後、3人の息子(チャールズ皇太子、アンドルー王子、エドワード王子)と1人娘(アン王女)を出産。1952年、父ジョージ6世の崩御に伴い、エリザベス2世は25歳という若さにしてイギリス女王に即位した。2020年現在、御年94歳、在位期間は68年で歴代国王の在位最長記録を更新中だ。
ダイアナ元妃の死
1981年、エリザベス女王の長男であるチャールズ皇太子はイギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢ダイアナと結婚。もとはダイアナの姉セーラと交際し、ダイアナとも親交があったチャールズだが、セーラと破局した2年後のパーティーでダイアナと再会し次第に恋仲となっていた。
セント・ポール大聖堂で執り行われた結婚式には日本からも天皇・皇后陛下(現上皇ご夫妻)が出席。当時20歳であったダイアナ妃と32歳のチャールズ皇太子の結婚式は、20世紀を象徴する一大イベントとなった。
<iframe id="aswift_1" src="https://googleads.g.doubleclick.net/pagead/ads?client=ca-pub-1073245444706988&output=html&h=280&adk=1265864312&adf=52973533&w=640&fwrn=4&fwrnh=100&lmt=1597390779&num_ads=1&rafmt=1&armr=3&sem=mc&pwprc=6201859827&psa=1&guci=2.1.0.4.2.2.0.0&ad_type=text_image&format=640x280&url=https%3A%2F%2Fgendai.ismedia.jp%2Farticles%2F-%2F74421%3Fpage%3D3&flash=0&fwr=0&pra=3&rh=160&rw=640&rpe=1&resp_fmts=3&wgl=1&fa=27&adsid=ChEI8OzY-QUQttnk-63ki5WFARJIABK8yDvz3kM8BxZEVcQwrd25qg04mpfq7fzMD0js2cZP6rPKAi3s7zdVtyvrJBN33zJ2nbS8FKZ_JrcQke48d9BVPT6dV3NV&dt=1597390779420&bpp=17&bdt=2156&idt=18&shv=r20200810&cbv=r20190131&ptt=9&saldr=aa&abxe=1&cookie=ID%3D48186ba538c9e913-2291d47ce8c2000f%3AT%3D1597390747%3ART%3D1597390747%3AS%3DALNI_MZuNupUY4R_v1vIS9x4qkyCgnqQBQ&prev_fmts=0x0&nras=2&correlator=100540133282&frm=20&pv=1&ga_vid=120205714.1597390537&ga_sid=1597390779&ga_hid=1600935039&ga_fc=0&iag=0&icsg=180389154560&dssz=92&mdo=0&mso=0&u_tz=540&u_his=3&u_java=0&u_h=768&u_w=1366&u_ah=728&u_aw=1366&u_cd=24&u_nplug=3&u_nmime=4&adx=185&ady=1862&biw=1349&bih=625&scr_x=0&scr_y=363&eid=42530557%2C42530559&oid=3&pvsid=1247145556748529&pem=190&ref=https%3A%2F%2Fgendai.ismedia.jp%2Farticles%2F-%2F74421%3Fpage%3D2&rx=0&eae=0&fc=1408&brdim=0%2C0%2C0%2C0%2C1366%2C0%2C1366%2C728%2C1366%2C625&vis=1&rsz=%7C%7Cs%7C&abl=NS&fu=8320&bc=31&jar=2020-08-14-07&ifi=1&uci=a!1&btvi=1&fsb=1&xpc=dYjF0a4A14&p=https%3A//gendai.ismedia.jp&dtd=72" name="aswift_1" width="640" height="280" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" sandbox="allow-forms allow-pointer-lock allow-popups allow-popups-to-escape-sandbox allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation-by-user-activation" allowfullscreen="true" data-google-container-id="a!1" data-google-query-id="CJew7rCYmusCFZoOYAodM5UCgg" data-load-complete="true"></iframe>
のちの2017年に出版されたチャールズ皇太子の暴露本『Prince Charles : The Passions and Paradoxes of an Improbable Life』によると「結婚式前夜、チャールズ皇太子は元交際相手のカミラ・パーカー・ボウルズを思って泣いた」とも言われている。
この暴露本によると結婚式からわずか5ヵ月後、ウィリアム王子を身ごもっていた1981年12月にダイアナ妃は階段に身を投げ自殺未遂を犯している。当時彼女はチャールズ皇太子とカミラの間で交わされたラブレターを見つけてしまい「辛い思いをしながら生きながら、子供を授かることに価値はない」と友人に漏らしていた。
そんなこじれた不穏な関係のなかで、1982年にウィリアム王子が、1984年には次男ハリー王子が生まれた。ダイアナ妃によればハリーが生まれた時点で気持ちのうえでの二人の関係は終わっていたという。
カミラと不倫関係を続けていたチャールズ皇太子と「王室のしきたりに馴染めなかった」と語るダイアナ妃の生活はすれ違い、92年から4年間の別居期間を経て、1996年に離婚を発表した。ダイアナは2人の王子の親権を皇太子と平等に持ち、離婚後は慈善事業に励んだ。
離婚から1年後の97年、ダイアナ元妃はフランスにて車で移動中に追跡してきたマスコミとのカーチェイスの果てに衝突事故で亡くなる。ダイアナ元妃の事故死後、チャールズ皇太子はカミラと公然と交際するようになり事実婚の関係にあったが、2005年に正式に再婚した。
別々の道を歩む兄弟
チャールズ皇太子とダイアナ妃の二人息子であり、エリザベス女王の孫にあたるウィリアム王子(38)とハリー王子(35)は2歳差の兄弟。長男であるウィリアムの現在の王位継承権は第2位で、次男ハリーの継承権は第6位。母ダイアナ妃を亡くしたのはウィリアム15歳、ハリー12歳の時だった。
名門校で優秀な成績を残し、大学では集合住宅に暮らすなど質素な生活を送った兄ウィリアムに対し、弟ハリーは母を喪失した苦しみから、高校生ですでにアルコール、喫煙、マリファナ吸引などが報道され、生活は荒んでいた。
高校卒業後は陸軍士官学校を経てイギリス陸軍へ入隊するも、スキャンダルは絶えずマスコミからは“ダーティ・ハリー”と呼ばれたことも。そんな弟ハリーに兄ウィリアムはカウンセリングを勧めるなど、兄として良き相談相手として振る舞った。
ウィリアム王子はセントアンドルーズ大学の同窓のキャサリン・ミドルトンと03年から交際。交際期間中の2007年には、彼女がマスコミに執拗に追い掛け回されているのに激怒し、母の二の舞にならないかと心配していた。そんな中で2011年に結婚。結婚式は YouTubeで世界にライブ配信され、英国は公休日となった。現在ジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子という3人の子供をもうけている。
約2年間のカウンセリングを受けたハリーは公務や私生活にも真剣に取り組めるようになった。31歳になった時、訪問先のカナダで米人気ドラマ『SUITS』のヒロインとして知られる米女優のメーガン・マークルと知り合い、ボツワナで婚約。2018年5月結婚、結婚式から1年後の2019年5月に第一子・アーチーちゃんを出産した。
過去の離婚歴とアフリカ系の血を引く出自から、メーガン妃は婚約前から多くのマスコミによって人種差別的な表現で書かれ、ネガティブな報道をされてきた。結婚式前後こそは英国初の“黒人プリンセス”としてマスコミから祝福されたものの、その後はメーガン妃の一挙手一投足に批判が集まる。実際に昨年のインタビューでメーガン妃は「バッシング報道に傷つき、苦しんでいる」と告白もしている。
そして2020年、ハリー王子夫妻は結婚からわずか2年で冒頭の「王室離脱」となってしまった。再び揺れる英国王室だが、幾度のスキャンダルを乗り越えてきたロイヤルファミリーなら、今回の騒動にも打ち勝ってくれるはずだ。