第一次帰還船の前年の1958年の時点で、日本で生活していた半島の人々の8万1千人が生活保護を受給しており、これは、全体の13.3%で、日本人の受給者1,8%の7倍以上、また、犯罪率は日本人の6倍以上と言われていた。
ニッポンの新聞は、こぞってこの運動を支援し、
「なんと言っても『完全就職・生活保障』」
「完全就職」とはすごい、アメリカやEUの各国でも、失業率に一喜一憂している、完全の就職とは、とても言えない、うらやましいかぎりだ、それでも、
「将来の希望の少ない日本の生活に愛想をつかしながらも、二度ともどれぬ日本を去って、未知の故国に渡るフンギリをつきかねていた」
1960年2月26日の朝日新聞は、第一次の帰還船について、
「帰る人たちに対する歓迎ぶりや、完備した受け入れ態勢、目覚ましい復興ぶりなどが報道され」
「報道した」のは、だれだろうね、
「さらに『明るい日々の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還に踏み切ったようだ」
向こうに渡った人の手紙が重要な役割を果たしたのだが、これにはカラクリがあった、だから、多くの人々は、まんまと相手の術中に落ちたのだ、それに、一役買ったのが、彼ら・新聞社の連中ということになる。
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