明治の44(1910)年5月、「大逆事件」の裁判が行われた、大審院の裁判長が、
「明治天皇を弑(しい)し奉らんとするは なにごとか」
母親思いの幸徳秋水、
「あれは 正統な南朝をだまし 三種の神器を奪った北朝の子孫だ」
「・・・」
「おれは 認めない」
千古の静けさ、なぜか、その通りだったからだ、当時の日本人は、知っていた。
「明治天皇は 北朝の子孫なんだね」
「ああ」
「南朝は どうなったの」
「紀州の山奥に消えてしまった」
「パパアは いつか 訪ねて行こうと思っているんだよ」
「エリーちゃんも いい」
「ああ いいとも きっと よろこんでくれると思うよ」