引きこもって家庭内暴力を振るっていた子供が両親を無残なやり方で殺して自分も死ぬと言う一家無理心中事件が起きる。
刑事の馬見原はどうしても子供がそんな残酷なやり方で両親を殺すことができるとは思えない。2件起こった同じような事件を一人手繰っていくと、共通点が見えてきた。
刑事の馬見原はどうしても子供がそんな残酷なやり方で両親を殺すことができるとは思えない。2件起こった同じような事件を一人手繰っていくと、共通点が見えてきた。
5巻に及ぶ長編はこの2件の事件を軸に重い過去を背負った登場人物の心の揺れを織り交ぜながら、悲劇の大団円に導いていく。
引きこもりや家庭内暴力、児童虐待などの重い問題が題材なので、気が滅入って読み進めなかったが、第3巻当たりから「家族罪仕置人」みたいな様相を呈してきたので、フィクションと割り切ってすらすら読み進めることができる様になった。
刑事、馬見原は、愛息子を亡くし、娘からは罵倒され、妻も精神病院に入退院を繰り返している。愛人、綾女とその連れ子を守るためにやくざな夫を別件逮捕したり、警視庁の情報を流してやくざから袖の下をもらったり、自分の信念のためには手段を選ばない所がある。人間は所詮一人ぽっちであることを骨の髄までわかっている人物だ。
高校教師・巣藤浚介は、恋人と家庭をつくることに強い抵抗を感じていた。自分の周りで起きる事件にも、意識的に関わらないようにしていたが、自分がおやじ狩りにあったり、生徒の犯罪に巻き込まれていくにつれ、傍観者でいることに耐えられなくなっていく。優柔不断で優しく、自信がない。一番親近感を感じる人物だ。
児童心理に携わる氷崎游子は、虐待される女児に胸を痛めていた。迷い、疲労困憊しつつも、理性的に問題を解決しようとする。
女子高生による傷害事件が運命の出会いを生み、3人は絡み合いながら、それぞれに人生を模索していくことになる。
子供による親の殺害、親による子供の殺害など、家庭内の崩壊が原因らしい事件も珍しくなくなった。
ニュースを通じて流れてくる情報は表面的なもので、そこから事件の真相なり、経過なり、動機なりを読み取る事は難しい。特別な家庭に起こることではない。地域社会が崩壊して、核家族による密室化で、事態が深刻になりやすいように思える。登校拒否や引きこもりも長い間放置しておくと、取り返しのつかない、とんでもない状況に悪化してしまうことがある。あまりに長い期間、引きこもりをさせておくのは本人の社会適応力を奪ってしまうから、少々、荒療治でも、引っ張りだした方が良い場合もある。ケースバイケースで万能薬のような処方箋があるわけではないから難しい。
引きこもりや家庭内暴力、児童虐待などの重い問題が題材なので、気が滅入って読み進めなかったが、第3巻当たりから「家族罪仕置人」みたいな様相を呈してきたので、フィクションと割り切ってすらすら読み進めることができる様になった。
刑事、馬見原は、愛息子を亡くし、娘からは罵倒され、妻も精神病院に入退院を繰り返している。愛人、綾女とその連れ子を守るためにやくざな夫を別件逮捕したり、警視庁の情報を流してやくざから袖の下をもらったり、自分の信念のためには手段を選ばない所がある。人間は所詮一人ぽっちであることを骨の髄までわかっている人物だ。
高校教師・巣藤浚介は、恋人と家庭をつくることに強い抵抗を感じていた。自分の周りで起きる事件にも、意識的に関わらないようにしていたが、自分がおやじ狩りにあったり、生徒の犯罪に巻き込まれていくにつれ、傍観者でいることに耐えられなくなっていく。優柔不断で優しく、自信がない。一番親近感を感じる人物だ。
児童心理に携わる氷崎游子は、虐待される女児に胸を痛めていた。迷い、疲労困憊しつつも、理性的に問題を解決しようとする。
女子高生による傷害事件が運命の出会いを生み、3人は絡み合いながら、それぞれに人生を模索していくことになる。
子供による親の殺害、親による子供の殺害など、家庭内の崩壊が原因らしい事件も珍しくなくなった。
ニュースを通じて流れてくる情報は表面的なもので、そこから事件の真相なり、経過なり、動機なりを読み取る事は難しい。特別な家庭に起こることではない。地域社会が崩壊して、核家族による密室化で、事態が深刻になりやすいように思える。登校拒否や引きこもりも長い間放置しておくと、取り返しのつかない、とんでもない状況に悪化してしまうことがある。あまりに長い期間、引きこもりをさせておくのは本人の社会適応力を奪ってしまうから、少々、荒療治でも、引っ張りだした方が良い場合もある。ケースバイケースで万能薬のような処方箋があるわけではないから難しい。
現代の不条理な事件を、奥深くまで掘り下げて、問題提起した作品と言える。
このような家族の不幸が普通の家庭に起きる原因は価値観が平板で貧弱、多様性を欠いていることにある。その一元化した価値観から振り落とされたものは劣等感を持たざるを得ない。親も子もエスカレーターに乗って振り落とされないように必死なのだ。当事者たちには他の世界が見えなくなる。見えても勝者の世界とは思えない。確かに職業に貴賎はあるし、かなりの部分お金で支配される世の中だ。
馬見原の妻が夫に従属的であることを止めて自分の価値観でこれからの人生を歩んでいこうとすること。巣藤と游子が理性的に結ばれて、相手に依存することなく、ともに歩んでいこうとする姿勢。馬見原と娘の和解。女子高生、亜衣の自立と新たなる出発。そんな変化に希望が見える。それは遠い光に違いないが、相手の気持ちを思いやること、社会に関わり続けること、自立すること、多様な価値観を持ち続けること、そんな風にして社会のあり様を変えていくしかないだろう。
これだけの人数の登場人物がそれぞれの物語を持ち、心理もきちんと描写され、考えさせられる小説だった。人生の敗者になったと感じ、自暴自棄になった青年たちが通り魔的事件を起こしたり、薬物に溺れたり、自分を傷つけるだけでなく他人にも危害を加える場合がある。短絡的に考えると、この小説のような解決策もありうるだろうが、人間は何かのきっかけで変わると言う希望を持ちたい。
やはり家族や恋人に依存することで手に入れた幸せはもろい。相手次第で幸せは崩壊する。幸せは自分の手で作り出し自分で守らねばならないものだ。
最近、周囲で震災のボランティアに出かけたり、原発反対のデモに参加したり、自分の気持ちに沿った行動を気軽にする中高年が増えてきた。周りの思惑に敏感になったり、斜に構えて行動の意味を問うたり、自分の力不足を卑下したりしないところが良い。自分の内部から湧き起こる気持に素直に従って行動に移す姿はすがすがしい。自己満足でしかないと思いつつも行動を起こすことは大切なことだと思う。
人生の達人、中高年が私利私欲から離れて社会にコミットしていけば、この世の中はもっと住みやすくなるに違いない。
このような家族の不幸が普通の家庭に起きる原因は価値観が平板で貧弱、多様性を欠いていることにある。その一元化した価値観から振り落とされたものは劣等感を持たざるを得ない。親も子もエスカレーターに乗って振り落とされないように必死なのだ。当事者たちには他の世界が見えなくなる。見えても勝者の世界とは思えない。確かに職業に貴賎はあるし、かなりの部分お金で支配される世の中だ。
馬見原の妻が夫に従属的であることを止めて自分の価値観でこれからの人生を歩んでいこうとすること。巣藤と游子が理性的に結ばれて、相手に依存することなく、ともに歩んでいこうとする姿勢。馬見原と娘の和解。女子高生、亜衣の自立と新たなる出発。そんな変化に希望が見える。それは遠い光に違いないが、相手の気持ちを思いやること、社会に関わり続けること、自立すること、多様な価値観を持ち続けること、そんな風にして社会のあり様を変えていくしかないだろう。
これだけの人数の登場人物がそれぞれの物語を持ち、心理もきちんと描写され、考えさせられる小説だった。人生の敗者になったと感じ、自暴自棄になった青年たちが通り魔的事件を起こしたり、薬物に溺れたり、自分を傷つけるだけでなく他人にも危害を加える場合がある。短絡的に考えると、この小説のような解決策もありうるだろうが、人間は何かのきっかけで変わると言う希望を持ちたい。
やはり家族や恋人に依存することで手に入れた幸せはもろい。相手次第で幸せは崩壊する。幸せは自分の手で作り出し自分で守らねばならないものだ。
最近、周囲で震災のボランティアに出かけたり、原発反対のデモに参加したり、自分の気持ちに沿った行動を気軽にする中高年が増えてきた。周りの思惑に敏感になったり、斜に構えて行動の意味を問うたり、自分の力不足を卑下したりしないところが良い。自分の内部から湧き起こる気持に素直に従って行動に移す姿はすがすがしい。自己満足でしかないと思いつつも行動を起こすことは大切なことだと思う。
人生の達人、中高年が私利私欲から離れて社会にコミットしていけば、この世の中はもっと住みやすくなるに違いない。
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