オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

記者が見たシリア無差別攻撃の現実

2013-09-07 | 政治

ダマスカス在住留学生のブログより写真転載

子供も病人も容赦なく標的に――非道な攻撃にさらされて暮らすシリア市民の知られざる日常をニューズウィークの記者がレポートしている。

 シリアが民主化デモを経て泥沼の内戦に沈み込んだ。
 マフムードは救急車に急ぐ。救急車は後部のスライド式のドアを開けたまま、慌ただしく出発する。
「出動するときは、いつも死を覚悟している」と、マフムードは言う。「これは、いい死だ。そう、いい死なんだ。ほかの人を救うために、死と隣り合わせの場に向かうのだから」
 サファフ医師と私も車でその後を追う。砲弾で道に開いた穴を縫うようにして、着弾したと思われる地点を目指して車を走らせる。やがて、道路沿いの干からびた草地の前で車が止まった。私はサファフ医師のほうを見た。
 医師は屈強な大男で、がっしりした肩に大きな手、スンニ派イスラム教徒特有の長いあごひげが特徴的だ。しかし子供の死を聞かされると、彼の優しい目はいつも涙でいっぱいになる。この日も子供が1人死んだ。砲弾が着弾した近くで、私たちはその男の子を見た。名前はフセイン・サファフ。6歳だった。
 少年は中国製ピックアップトラックの荷台に寝かされていた。墓地に運ぶために、近所の人たちが乗せたのだ。頭蓋骨は割れ、その中は空っぽだった。そして、体は2つに引き裂かれていた。ほんの少し前まで、少年は自宅の庭で遊んでいた。それが今は、壁には血が飛び散り、片方の靴だけがそばに転がり、火薬の臭いが辺りに充満している。
 フセイン少年は、安物のカーペットに包まれて埋葬される。家族や友人や隣人をいつでも埋葬できるように、カーンアソブルの住人たちは町に墓穴を十数カ所用意している。
 埋葬は手早く終わらせる。政府軍は葬儀を狙って攻撃してくるのだ。そうやって、これまで多くの命を奪ってきた。
 
 シリアで続いている戦いをめぐるニュースでは、「化学兵器」「イスラム過激派」「レッドライン(越えてはならない一線)」といった言葉が飛び交うが、見落とされがちな点がある。それは、戦いで命を奪われている人に占める割合では、どの勢力の戦闘員よりも非戦闘員が多いという現実だ。戦いは既に3年目に入った。これまでの死者は、国連によれば9万3000人、非営利の人権擁護団体であるシリア人権監視団によれば10万人を超える。しかし、正確な数字は分からない。殺された人数があまりに多く、しかも非戦闘員が大勢含まれているからだ。
「シリア人の命は統計上の数字としてしか認識されなくなった」と、サファフ医師は言う。それでも、その一つ一つの数字には名前があるのだ。6歳のフセイン・サファフのように。
 救急車運転手のマフムードとは、砲撃で破壊された1軒の家で出会った。緑の目とカールした髪が印象的な28歳だ。軽量コンクリートブロックで建て直された平屋建ての家の壁をコンクリートで塗る作業をしている。 そばには、いつ呼び出しがあってもいいように無線機がぶら下げられている。そして、少し離れた場所に止めてある救急車の上には、青い防水シート。政府軍機から見つからないようにするためだ。政府軍は、救急車や医師、病院を狙い撃ちにする──完全に無差別に攻撃していないときは。
 10カ所の村をカバーする救急車の運転手は無報酬で働く。それは仲間の医療ボランティアもみんな同じだ。理学療法士、薬剤師2人、看護師、反政府活動をした罪で服役中に医療の基礎を身に付けた地元のイマーム(イスラム教導師)。ごく普通の敬虔な男たちばかりだが、他の人たちと違うのは教育があって周囲の人々を助けるのが自分の務めだと確信している点だ。
 革命が始まるとマフムードはデモに参加し、その後反政府派の自由シリア軍(FSA)に加わったが、自分の天職は救急車の運転手だと気付いた。戦闘員はいくらでもいるが、運転手は自分しかいない。その孤独な使命感が生きがいにつながっているという。
 ここでの暮らしは、警告なしに落ちてくる砲弾の衝撃音でしばしば中断される。政府軍は少しでも多くの死傷者を出そうと、予告なしで攻撃する。「砲撃は革命を支持した罰だ」とマフムードは言う。
 しかしその思惑は外れている。民衆が憎むのは戦争でも革命家でもなければ、革命家と手を組んだ外国のイスラム主義者でもない。アサド政権であり、イランであり、ヒズボラであり、シーア派だ。
 傍観しているアメリカのことも憎んでいる。憎悪の連鎖は穏健派も過激化させている。アサド政権の残虐さに彼らの顔が険しくなっていくのを、マフムードは急行した爆撃現場で毎日のように目にする。
 多くの住民は地下壕を掘って暮らし始めた。町のあちこちでブルドーザーが穴を掘り、岩盤を削って仮設シェルターを造っている。時間とカネか人手があれば、電気や電話やテレビやベッドを備えた家のような空間にすることも可能だ。それが無理でも爆撃からの逃げ場は手に入る。
 日が落ちてから、私たちはサファフ医師と共にマフムード家の夕食に招かれた。前菜とラム肉、レバーを使ったケバブという豪華な料理の後、5人の子供がチェリーを食べながら、うつ伏せになった父親の体にまとわりつく。今回の戦争は卑劣だが、シリア人のもてなしの心は健在だ。
 その夜初めての砲弾が落ち、マフムードの2歳になる末娘が目を丸くして部屋を見回した。片方の目が真っ赤なのは、昨年、自宅が砲撃された際に破片で傷ついたせいだ。「心配はいらない」とマフムードは言う。「味方の砲弾だ。カーミドを狙ってる」。カーミドはカーンアソブルから十数キロ離れたシリア軍の基地だ。「しかし政府軍も反撃してくるだろう」とサファフ医師は言う。カーミドのレンガ工場から黒煙が上がり、マフムードの無線が鳴った。火災だ。
 政府側は怒りに燃えて再び容赦ない集団処罰に乗り出す。その夜、マフムードのいとこ宅の蚊帳の下で、私は近くに落ちる砲弾の音を聞いていた。テレビには政府による残虐行為の数々と潘基文(バン・キムン)国連事務総長の演説の映像が映し出されていた。何発の砲弾が落ちたのか、途中で分からなくなった。友人は150まで数えて後は数えるのをやめたという。
 


 泥沼化した戦争に正義はない。「友達の友達は友達」感覚で集団自衛権を行使すると、イスラエルを守るためにアメリカの要請で中東に派兵することになる。メルケル首相の言うように政治的解決しかあり得ないし、それができないなら人道的支援に限るべきだ。アメリカの仕掛ける戦争に金も人的支援もしてはならない。アメリカの中東での軍事介入は盟友イスラエルを防衛するためのものだ。イスラエルとヒズボラはどちらかが滅びるまで未来永劫闘い続ける。間違いはイスラエルを中東に建国したことから始まった。歴史を後戻りさせることはできない。どちらかが滅びるまで傍観しているしかない・・・・・
支持を表明して莫大な戦費を負担して、「金だけ出して命を差し出さない」と非難される。そんなアメリカの顔色をうかがうだけしか能のない日本の政治家に平和憲法を改悪させてはならない。
シリアの内戦の残虐さは顔をそむけたくなる。この状況を直視して、どちらかに加担すること、武器供与することは、また新たなる悲劇を生むだけであることを全世界が認識すべきだろう。
写真の鳩のように頭を冷やしてよく考えた方がよいだろう。


[2013年9月 3日号掲載]
 内戦状態が2年以上も続くシリアで先週、アサド政権側から放たれたとされるミサイルが首都ダマスカス近郊のゴウタに着弾した。化学兵器とみられる爆弾はガスを吐き出し、スンニ派の反体制派が支配する同地域で数百人規模の死亡者が出た、と報じられている。
 現場の惨状は、シリアの反体制派が撮影した映像で世界中に拡散された。ただ化学兵器は本当に使われているのかといぶかしむ声もある。ジャーナリストが誘拐や殺害されるなど報道が制限されるなかで、メディアは現地にいる反体制派の活動家、または人権団体の情報に頼らざるを得ない。反体制派が政府を非難するための偏った情報だけを出し、被害を大げさに発表しているとみる向きもある。現在シリアにいる国連調査団のオーケ・セルストロム団長は、反体制派が主張する1300人の死者数は「疑わしい」と語り、いまメディアなどで出回っている映像を見た限りでは死傷者数が多過ぎると指摘する。
 化学兵器使用疑惑を調べる目的で国連調査団がシリア入りしたが、攻撃を受けたとされる地域に彼らが入ることはアサド政権が許可しない。結局、化学兵器が使われたのかどうかは判然としないままだ。
 今回の攻撃のタイミングに首をかしげる専門家もいる。シリアにいる国連調査団は、攻撃の3日前に入国していたからだ。国連のイラク大量破壊兵器査察委員長を務めたロルフ・エケウスは、「国際的な調査団が国内にいるときに、シリア政府がこんな攻撃するのは奇妙だ」と、疑問を投げ掛ける。もちろんアサド政権がそれを逆手に取って攻撃を行った可能性もある。
 一方、正しい調査で致死的な化学物質の使用が証明されても、誰がその攻撃を行ったのか判明しそうにない。アサド政権が反体制派を虐殺するのに使ったのか、もしくは反体制派が欧米の軍事介入を促すために自作自演したのか。その問いにも、簡単には答えが出ない。
 政府と反体制派のどちらが今回の攻撃を行ったのだとしても、シリア情勢がさらなる泥沼にはまることは間違いない。(ニューズウィーク)


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