オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

万引き家族

2019-07-28 | 映画
日雇いで働く父、クリーニング店で働く母、JK見学店でアルバイトをする母の妹、月6万円ほどの年金を受給する祖母。そして、父の指導の下、万引きで生活費を稼ぐ少年と、拾われた少女。彼らに血縁関係はない。困った者同士が生きるために日々の生活のために集まって、家族の絆のようなものが形成されている。
大家族主義は崩壊し、核家族の中で、人間関係の崩壊が始まって久しい。女性は封建制度の呪縛から解放され、夫の支配下から逃れようとすれば、それは可能だ。結婚に血縁関係はないから、結婚と言う契約を解除すれば、自立できる。しかし、子供は・・・・・血縁関係の呪縛から逃れるすべはない。親は親権を振りかざして、子供を取り戻そうとする。いったん児童相談所に保護された子供が怒り狂う親の迫力に負けて親元に戻され、虐待死させてしまった事件があった。
家族の絆が無条件にあたたかいもの、子供にとって最高のものと考えるのはもう止めた方がいい。人は長い年月をかけて、大家族制度から自由になりたくて、個人の自由を優先してきた。
血縁関係と言う関係ほど理不尽で前近代的な関係はない。人は血縁関係の息苦しさを嫌って、大家族制度を崩壊させてきたのだ。
しかし、血縁関係以外に絆を求めようとするのも難しい。特に、崩壊家庭で育った場合、人との関係を形成しずらくて、孤独に陥ったり、引きこもりがちになる。人と健全な人間関係を築くためには、何よりも個が自立していなければならない。普通は思春期とともに個が確立され、自立していけるのだが、家族と言う狭い人間関係の中で、支配と依存の呪縛の中で自立していくことは並大抵のことではない。
映画の家族の中では唯一少年が疑似家族の支配から抜け出し、施設から学校に通い、自立の道を歩み始めたように思える。少女はまたもや血縁の親の元に戻され、ネグレクトされる生活が始まりそうだ。
親が離婚して、親権者を選ぶ場合、10歳以上の子供の意思は尊重されるということだが、現実には親の力関係で決まってしまうように思う。一般に離婚するような親の場合、どちらの親とも生活したくないのが本音ではなかろうか。崩壊家庭の子供たちの人権が尊重される世の中が来るとよいのだが・・・・・・。
 
『万引き家族』で描かれる一家は、現実の社会問題そのものを提示している。重い映画だった。
 

トンデモ野党とメディアの非常識ー怪文書?

2019-07-16 | 政治

6月中旬、自民党に所属する国会議員のところに、謎の本が送られてきた。『フェイク情報が蝕むニッポン トンデモ野党とメディアの非常識』という冊子だ。

冊子は、「トンデモ野党のご乱心」「フェイクこそが本流のメディア」「安倍政権の真実は?」の3章で分けられている。

安倍政権の経済施策「アベノミクス」について、厚生労働省の毎月勤労統計調査の不適切処理によってその効果が偽装されていると野党が批判したことに対して、
「不適切処理があったことは事実であっても、この間のアベノミクスの効果は疑う余地はありません」
「もし、野党がアベノミクスの効果に疑念を抱かせるような指摘をするのなら、それはフェイクニュースでしかないのです」
「『統計』『統計』と声を張り上げる野党議員は、職務を放棄しているに等しい」

立憲民主党の枝野幸男代表については「革マル派に近いといわれてます」とあり、社民党については「間違いなくオワコン(終わっているコンテンツ)」、共産党に対しては「壮大な虚偽」などと記している。

トランプ大統領が「日米同盟破棄の可能性を側近に示唆」というニュースには、「安倍首相は今やトランプ大統領をはじめとする海外の首脳からも頼りにされる存在」「安倍内閣は、極めて危機管理に長けています」と賞賛。

メディアに対し「批判というより、もはや難癖レベルといわざるを得ない」とし、東京新聞や沖縄タイムス、琉球新報の社説に「視野狭窄」「言葉遊び」「もはや地元メディアとすらいえません」などと非難、「トンデモ新聞」などと揶揄していた。読売新聞や産経新聞についての非難は書かれていなかった。


自民党本部によると、
「様々な資料をお送りしており、こちらもその一環です。特に参院選のためというわけではなく、ご参考になるものとしてお送りしました」
「インターネットメディア「テラスプレス」は、1年ほど前から、すでに広く一般にネット上で閲覧されており、そのときどきの時局テーマについて、わかりやすく具体的に数字を示しながらネット上で解説し、他の大手新聞の社説やコラムのように説得力のある内容であることから、これらの記事をまとめた冊子があるということで、通常の政治活動の一環として、参考資料として配布したものであり、テラスプレスの運営等には関与しておりません。」

発行元の人物も不明、同名のサイトは検索にかからず広告もないということだ。

自民党議員からも疑問の声が上がっている。
「ひいきの引き倒しもいいところです。 扱いに困ります」
「 アフリカ出張のあいだに妙な本が届いていました。数ページ読みましたが、とても活用できるようなものではありません。」
「活用したい人もいるのかもしれないが、ひどい中身。この内容を活用するなど、まっとうな保守がやることではないでしょう。どういう経緯でこれが配られたのかも全く分からない、怪文書に等しいものです」

 

NEWS23 小川アナいいね
安倍総理に「選択的夫婦別姓どうお考えか?」と二度問うも、「女性の就業率増えてる、旧姓使用認めてる。自民党で意見整ってない、総裁が軽々に言うべきでない」と相変わらずはぐらかす。
小川アナは「はい分かりました」と受け止め「CM後は自民党で出回っている小冊子についてです」と話を変える。
小川アナが「この酷い野党の似顔絵どう思われますか?」と聞くと、安倍総理は「似顔絵なんかどうでもいい、そんなことより中身はまさに当たっているじゃないか」と枝野氏や志位氏を指差し攻撃し始めた。
こんなものが出回っているのを恥じるどころか、尻馬に乗って野党批判。少なくとも討論についていける人材を出しなさいよ。
 
党首討論で、ルールは守ってくださいと、小川キャスタ-に注意を受けるも安倍首相は話続ける。やっぱり頭悪いね。家計が苦しいという一般の声にはどう答えるのかという問いには、全然違うことを答える。
自民党トンデモ冊子で窮地に立つ安倍総理を「出どころ不明の冊子を党首討論で取り上げるなんて大人げない」と助け舟を出す維新松井代表。息ぴったりね。
TBSが取り上げるような冊子ではない!にもかかわらず、自民党に出回っている・・・・笑えるね。
 
小川アナ「次の話題にまいりましょう」 深追いしないで無視するところがいいね。

新聞記者

2019-07-15 | 映画
2時間と言う長時間、息をつめて見入った。
こんな映画に出会うのは初めてである。
来る日も来る日も同じ日常で、その何も起こらない日常に慣れ親しみ、穏やかな幸せすら感じている。
 
世界中の政治家が劣化している現代、世界は誰の思惑で動いているのか?政治家ではない何か?知性のかけらすらもなさそうな政治家を動かしているのは誰か?
実態はわからない。この映画で見えてくるのは、官僚(内閣情報調査室)という忖度集団。時代の空気を巧妙に読み取って、ほんのちょっと情報操作、印象操作を行う。
 
国民も真実を知りたいとは思っていないし、マスコミもどうでもいいニュ-スばかり垂れ流しにする令和の時代。特にテレビ報道は噴飯ものだ。NHK以外、ここ1週間の報道はジャニ-ズ事務所の話ばかり。
正直、驚くのを通り越して日本のテレビ局はジャニ-ズ事務所に支配されているのを確信した。国民が芸能人に浮かれ、ネトウヨに支配されて、真実を見ようともしないのだから、この国の未来は闇だ・・・・・・。
 
この国の民主主義は形だけでいいんだ。映画のラストで、内閣調査室のトップが、政権がひた隠す新設大学の暗部を告発しようとする若手官僚(松坂桃李)の背中に向けて投げつけた言葉だ。
 
菅官房長官の会見で、質問を次々に浴びせ、名をあげた、東京新聞・望月衣塑子の『新聞記者』(角川新書)を原案にして作られたポリティカル映画である。
加計学園の獣医学部新設問題、文書改竄問題、役人の自殺、前川喜平・元文部科学事務次官の「出会い系バー」報道、伊藤詩織の性被害告発など、安倍政権がらみの“事件”を彷彿とさせるシーンが随所に出てくる。安倍一強政権が延々続く中、参議院選がスタートするこの時期に、政治の腐敗を真っ向から描こうとした監督、スタッフが存在することを評価したい。
 
日本映画の本格的社会派作品である。1960年代や70年代は、政治腐敗を描く映画が話題を呼んだ。黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』(1960)。大島渚監督の『日本の夜と霧』(1960)。
山本薩夫監督の『金環蝕』(1975)。山崎豊子原作による山本薩夫監督の『不毛地帯』(1976)。1976年2月にアメリカの航空機メーカー、ロッキードの日本への航空機売り込みに絡む疑獄事件が発覚し、後に田中角栄が逮捕された。だが、その後、政治が絡む映画は作られなくなっていく。高度成長期まで勢いのあった左翼の勢力が衰えたのも、要因であろう。
 
そもそもマスコミが政権と対峙する構図が嘘っぽくて支持を失った。『新聞記者』に漂うのも閉塞感だけである。
現実世界もバブルが弾け、規制緩和とともに多くの非正規労働者を生み出した。急速な少子高齢化が進み、年金制度や社会福祉政策が破綻寸前である。
 
この国には民主主義によく似た形があるだけである。個人情報保護法、盗聴法、特定秘密保護法、共謀罪など、言論の自由を圧殺する法律が縦横無尽に張り巡らされている。全国に設置された監視カメラ、Nシステムなど、日本の実態は「警察国家」「監視国家」である。本来ならメディアが、そうした権力の横暴をチェックするのだが、大手新聞のほとんどが権力側に取り込まれ、政権の番犬に成り下がっている。
森友学園問題でスクープを放っても、政権側は説明責任も果たさず、「フェイクニュース」だと切り捨てる。安倍政権になって、言論・報道の自由度はさらに狭められ、都合の悪い質問は、話を違う方向にねじ曲げてしまう。おそらくは国民に寄り添い、国民のためにアメリカの要望に沿った政治をしているのだろう。国民を裏切ったり、ばかにしているという自覚は全くないから、幸せそうな顔で楽しくいつまでもトップに居座る。
 
国際NGO「国境なき記者団」が発表した2019年の「報道の自由度ランキング」で、調査対象180カ国・地域のうちで日本は67位だった。アメリカでも48位なのに。
権力側は新聞記者たちが本気で言論の自由を守ろうとしていないことを、よく知っている。菅官房長官は「会見は質問するところじゃない」と驚くべき本音をうそぶいた。
記者クラブという窓口で、情報をとってそれを新聞の情報として伝える、新聞の広報機関と政治の広報機関が癒着して、そこで行われているのは、報道ではなく情報が正しいかの確認作業である。
国民が真実を知るのはとてつもなくハ-ドルが高い。
 
日本列島はアメリカの防波堤である。大陸間弾道弾を打ち落とすべく、アメリカ本土を守るべく、山口県と秋田県にイ-ジスアショアを配備する。これが、過去の遺物となり、朽ち果てるのを祈るばかりである。

大統領の品格

2019-06-09 | 政治
ドイツのメルケル首相は30日、米ハーバード大学で講演し「我々はこれまで以上に、単独主義ではなく多国間主義的に考え、行動しなければならない。保護主義と貿易摩擦が世界の自由貿易を脅かしている。国家よりも世界、孤立主義ではなく世界に開かれていることを優先すべきだ。」と名指しはしなかったが、トランプを批判した。米国が温暖化対策のパリ協定や中距離核戦力(INF)全廃条約、イラン核合意などを次々にほごにしたことに対し、ドイツなどの欧州の反発は強い。
ドイツの首相が同盟国である米国に乗り込み、米大統領を暗に批判するというのは極めて異例だ。メルケル首相はトランプ大統領とは会談することなく、ドイツに帰国した。
 
私はドイツ民主共和国と呼ばれる、「自由がない側」の旧東ドイツで育ちました。一党独裁体制のもと、人々は抑圧されたり、監視されたりしました。東ドイツの政治家たちは、人々が西ドイツの自由を求めて出て行ってしまうことを恐れていました。だからこそ、コンクリートと鉄鋼でベルリンの壁を建てたのです。その壁を乗り越えようとして見つかった者はみな、逮捕されるか、銃弾に倒れました。ベルリンの真ん中に建てられたこの壁は、人々を分断しました。私の家族をもです。大学卒業後、私は東ドイツにある科学アカデミーで物理学者の仕事に就きました。当時、私はベルリンの壁の近くに住んでいました。毎日、研究所での仕事が終わると、私はベルリンの壁に向かって歩きました。その向こうには西ドイツ、つまり自由があります。そして毎日、私は壁際まで来ると、最後の最後で折り返して、自分のアパートに戻らなければなりませんでした。毎日、自由の前で右に曲がらなければいけなかったのです。「もう限界だ」と何度思ったことか、数えきれません。苛立ちが募っていました。私は反体制派ではありませんでしたし、壁にぶつかっていったりもしませんでした。けれど、壁を否定もしませんでした。自分に嘘をつきたくなかったからです。ベルリンの壁は、私の可能性を狭めました。文字どおり、私が行く道を常にふさいでいたからです。しかし、この壁が成し遂げられなかったことが一つだけあります。私の内なる限界を制限することです。私の人間性、想像力、夢、願望──禁止したり支配したりすることでは、それらを止めることはできませんでした。
ドイツのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相は、人間がとり得るあらゆる手段をもって気候変動に取り組むよう訴えた。メルケル氏は「気候変動は地球資源への脅威となっている」と述べた上、「気候変動も、その結果として生じている危機も、もたらしているのは人間だ。われわれはこうした人類に対する課題を人間がとり得るあらゆる手段を用いて克服できるし、また克服しなければならない」と訴えた。
また、米中の貿易紛争が激化していることを念頭に、「保護主義や貿易紛争は、自由な国際貿易や私たちの繁栄の基盤をも危うくするものだ。自国第一主義的ではなく、多国間主義的であるべきだ」と訴え、会場から大きな拍手が送られた。
 
未来への希望が失せ、格差社会の暗さと息苦しさが超大国から世界へ広がった。核戦争で脅す北朝鮮や内戦状態の中東情勢のせいではない。「米国第一」を掲げて就任した品格ゼロのトランプ米大統領のせいである。選挙公約そのままに種々の国際協定から離脱し、イスラム圏からの入国規制に執念を燃やす。
 
トランプ氏の「米国第一」とは結局、イスラム差別、人種差別を肯定することである。白人男性を優遇し、女性や有色人種を軽視する社会を目指す。性別や人種、宗教などの差別を排し平等な社会を建設するという米国の理想主義はトランプ政権下で色あせてしまった。核兵器なき世界も夢物語となった。
 
ワシントン・ポスト紙は、トランプ氏の誤った、または国民をミスリードする発言が2000件を超えたと報じた。1日当たり5件以上だ。当のトランプ氏は「フェイク(偽)ニュース大賞」を発表するなどメディア攻撃を続けているが、都合よく事実をねじ曲げようとする、高慢とも独善ともいえる姿勢が米国の品格と信用をおとしめた。
 
20世紀以降、今ほど、品格のない大統領が世界を牛耳っていたときはない。
 
トランプ氏は、政治家には不可欠な政治学も、経済学も、国際政治学も学んでいない。政治や外交、歴史も知らない。教養や品格もない。不動産ビジネスと、ニューヨーク社交界のセレブとして、仕事をしてきただけの人間である。このような人を国のリーダーとして選んだのは他ならぬアメリカ国民である。
 
アメリカが「世界の警察官」としての役割を捨てて「大国」としての存在感を失いつつある。一方、人権など存在しない中国やロシアが世界の覇権を掌握しようとしている。
歴史の折り返し地点なのかもしれない。進化してきたはずの人間社会が、人間の劣化とともに、衰退がはじまっているのかもしれない。
 
そして日本は?
トランプに友人呼ばわりされて、有頂天の安倍晋三はトランプを歓待し、武器の爆買いを続ける意向のようだ。

引きこもり

2019-06-03 | 社会
登戸の事件は社会に衝撃を与えた。引きこもり気味の男が事件を起こしたことで、引きこもりを抱える家族が非難の目を向けられ、関連した事件が起きることが危惧される。
元農水次官だった父親が40代の引きこもり長男を殺めてしまった。隣の小学校で行われていた運動会の騒音がうるさいということで口論となり、刺殺してしまったという。父親の頭には自分の長男も拡大自殺を図るという切迫感があったのではないか。
 
内閣府が3月29日に公表した、40~64歳の「ひきこもり中高年者」の数が推計約61万3000人に上ったという。共同通信によると、根本匠厚生労働相は同日の会見で、内閣府の調査結果について「大人の引きこもりは新しい社会的問題だ。様々な検討、分析を加えて適切に対応していくべき課題だ」と話したという。今頃、気づいたのか、今更の対策か。これほど問題がこじれてからの対策、しかも具体的な政策はない。
 
引きこもりを大量に生み出したのは、社会の変容である。昔は貧しく、子供部屋などなかった。親族や近所隣の交流も日常的でトラブルも多かったが、引きこもりなんかやってられない騒々しさだった。そんなわずらわしさから逃れるために、人は都会を目指し、核家族化を好み、他人とは必要最小限の付き合いにとどめるという生活スタイルを選択した。
親の世代は豊かになった。引きこもる子供を養っていけるのである。家族の庇護のもと、何の対策も講じられずに引きこもり状態が長期化する。長期化するほど社会復帰は困難になる。
40歳以上の引きこもり当事者やその家族の相談の声は、何の支援も得られず、家族のスティグマとして長年、隠ぺいされ放置されてきたのである。
 
もちろん、引きこもりは海外にも存在する。しかし、社会の対応が全く異なる。海外ではひきこもりは精神疾患と認識され積極的に支援されるが、日本では怠け者として非難され、隠ぺいされる。
 
引きこもりの精神障害として考えられるのは、うつ病、対人恐怖症、不安障害、依存症、人間不信など、誰でも少なからず経験する病理である。それが長期に及ぶとトラウマとなって、その状況から抜け出せなくなる。
アメリカ人がひきこもりを病気と認めるのは、トラウマやPTSDの社会的理解が進んでいるからだろう。引きこもり症状からトラウマ性、人間不信、対人恐怖、自殺願望、不眠などを無視すると、働きもせずに部屋で遊んでいる怠け者にしか見えない。
 
海外では病気と認められ、専門家の助けを得られただろうに・・・・。日本では病状を悪化させ、犯罪まで引き起こす結果となっている。
 
海外と日本にどういう差があるのだろう。
まず気がつくことは、欧米は個人の自由を大切にする社会であるが、日本は個人の自由よりも社会的な協調性が求められる。類型的な人生が押し付けられ、そこから外れると、親は落胆し、子供は非難される。
日本は与えられた役割を果たす社会だ。子供は勉強するのが当たり前、成人男子は毎日働くのが当然、女性は適齢期になれば結婚し、子供を産むのが当たり前だ。その役割を果たさない人間は不良品なのである。学校に行かない子ども、定職を持たない男、子供を産まない女、結婚しない男女、家事をしない主婦はまともじゃないのである。子供は良い成績を取ること、男は文句を言わずに残業すること、出世すること、女は良妻賢母になることが期待される。日本人の生活はこうした隠然としたルールに縛られており、その役割を果たさないと肩身の狭い思いをする。
多くの日本人は、嫌なことをするのが人生だと思っている。忍耐と努力が好まれ、嫌なことを我慢するのが当然と思う日本人にとって、ひきこもりは与えられた役割から逃げる、許せない存在であり、不良品なのである。
 
ひきこもりの背後には「自由を否定する文化」が隠れている。祖先から脈々と受け継がれてきた類型的な役割分担の価値観が、物の豊かな今、ひきこもりを生み出しているのかもしれない。
 
アメリカ人は誰からの干渉も受けずに職業、住む場所、結婚相手を自由に選ぶ。その生活態度自体が人間を自立に向かわせるのかもしれない。自立ではなく、従順を求められ、期待された人生を素直に歩む日本人はその人生のコ-スから外れたが最後、ひきこもりの人生が待っているのかもしれない。