オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

絶歌 神戸連続児童殺傷事件

2015-06-13 | 読書
1997年に神戸市内で連続児童殺傷事件を起こした元少年が手記を出版することに対して、遺族が6月10日「今すぐに出版を中止し、本を回収して」と訴えた。
当時14歳だったため、少年法に配慮して「少年A」とマスコミで報じられた男性は、現在32歳。1997年2月から5月にかけて、神戸市須磨区内に住む児童5人を襲い、小学4年生の女児と小学6年生の男児を殺害、3人に重軽傷を負わせた。「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」の名前で犯行声明を地元の新聞社に送って、社会に大きな衝撃を与えた。刑事罰の対象年齢を16歳から14歳に引き下げる少年法改正のきっかけになったと言われている。
 
版元である太田出版の岡聡社長は「少年犯罪が社会を驚愕させている中で、彼の心に何があったのか社会は知るべきだと思った」と話している。
 
男性は手記の中で、事件前からの性的な衝動を告白。事件に至るまでの精神状況や、2004年に関東医療少年院を仮退院した後、日雇いアルバイトで生計を立てていたことなどを記している。巻末では遺族や被害者家族への思いも綴った。
 
 
神戸連続児童殺傷事件の犯人が書いた手記の本『絶歌』(太田出版)が、インターネット上にアップロードされ、無料で読める状態になっている。ページをカメラで撮影し、そのままインターネット上にアップロードしているようだ。常識的に考えれば、ページを無断でアップロードする行為はモラルに反する行為。この本を出版したことに対して、多くの人たちから批判の声が出ている。印税の使われ方に関しても議論されている。本を発売した太田出版に対する怒りを「ページの無断アップロード」というかたちで表現しているのかもしれない。
 
 
 これまでの猟奇的事件を起こした犯罪者の手記にあるように、自己正当化の弁明に終わっているのではないかという危惧がある。犯罪に至る前後の記述は文学的で筆力がある。恐ろしいほど客観的で、真の犯行動機、自分の性癖にまで踏み込んでいる。
 最愛の祖母の死がきっかけとなり、「死とは何か」という問いに取り憑かれたという当時10歳だったAは、祖母への思い出に浸るため、生前祖母が暮らした部屋に行きそこで初めての精通を経験したという。その詳細が生々しく語られる。「遠のく意識のなかで、僕は必死に祖母の幻影を追いかけた。祖母の声、祖母の匂い、祖母の感触……。涙と鼻水とよだれが混じり合い、按摩器を掴む両手にポタポタと糸を引いて滴り落ちた。僕のなかで、“性”と“死”が“罪悪感”という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった。」
 次に猫殺しに走る。「風邪の引き始めのような、あの全身の骨を擽(くすぐ)られるような、いても立ってもいられなくなる奇妙に心地よい痺れと恍惚感……。間違いない。“ソレ”は性的な衝動だった。」 愛する人を奪った「死」に対する「自分の勝利」、「死を手懐ずける」ことにエクスタシーを感じた。その快楽から次々と猫殺しを重ね、解体することが快楽となった。そして徐々に「“人間”を壊してみたい」との思いに囚われていく。
 「淳君が初めて家に遊びにきたのは、ちょうど祖母が亡くなった頃だった。その時から、僕は淳君の虜だった。祖母の死をきちんとした形で受け止めることができず、歪んだ快楽に溺れ悲哀の仕事を放棄した穢らしい僕を、淳君はいつも笑顔で無条件に受け容れてくれた。淳君が傍らにいるだけで、僕は気持ちが和み、癒された。僕は、そんな淳君が大好きだった。」
 「僕は、淳君が怖かった。淳君が美しければ美しいほど、純潔であればあるほど、それとは正反対な自分自身の醜さ汚らわしさを、合わせ鏡のように見せつけられている気がした。僕は、淳君に映る自分を殺したかった。僕と淳君との間にあったもの。それは誰にも立ち入られたくない、僕の秘密の庭園だった。何人たりとも入ってこれぬよう、僕はその庭園をバリケードで囲った。淳君の愛くるしい姿を、僕は今でもありありと眼の前に再現できる。」
 そしてAは淳君を殺害し、頭部を切断。頭部を自宅風呂場に持ち込み全裸になり鍵をかけた。
「磨硝子の向こうで、僕は殺人よりも更に悍(おぞ)ましい行為に及んだ。行為を終え、再び折戸が開いた時、僕は喪心の極みにあった。僕はこれ以降二年余り、まったく性欲を感じず、ただの一度も勃起することがなかった」

 本書でA自身が「性障害」だと認め、その犯行と性的衝動の関係が赤裸々に描かれる。しかし、こうした猟奇的犯罪に対し、加害者自らが分析し世に問うことが犯罪研究や抑止になるとは到底思えない。逮捕から少年院での生活、現在に至るまでの生活は、淡々と散文的に描かれているのに対し、性的衝動の描写は、文学的ともいえるエクスタシーが伝わって来る。過剰な表現で鮮やかに語られる狂気のリアリティがおぞましい。
 Aが犯行について回想するとき、性的サディズムの興奮が呼び起こされ、自己の犯罪を衝動殺人として肯定しているように読める。犯罪学の専門家の間では、性犯罪者の矯正は困難だという見方がある。Aにとって手記の中で狂気を発露させることが再犯への抑止力になり得るのだろうか……。手記を読む限り、性的衝動を抑えきれなくなり、公表することでエクスタシーを追体験し、生きている実感を取り戻そうとしているように思えた。
 
被害者の家族の皆様へ(あとがき)
 
 二〇〇四年三月十日。少年院を仮退院してからこれまでの十一年間、僕は、必死になって、地べたを這いずり、のたうちまわりながら、自らが犯した罪を背負って生きられる自分の居場所を、探し求め続けてきました。周囲の人に助けられながら、やっとの思いで、曲がりなりにもなんとか社会生活を送り続けることができました。僕には、罪を背負いながら、毎日人と顔を合わせ、関わりを持ち、それでもちゃんと自分を見失うことがなく、心のバランスを保ち、社会の中で人並みに生活していくことができませんでした。周りの人たちと同じようにやっていく力が、僕にはありませんでした。もうこの本を書く以外に、この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした。

 こんな自分にも、失いたくない大切な人が大勢いました。そんなかけがえのない、失いたくない、大切な人たちの存在が、今の自分を作り、生かしてくれているのだということに気付かされました。僕が命を奪ってしまった淳君や彩花さんも、皆様にとってのかけがえのない、取替えのきかない、本当に大切な存在であったということを思い知るようになりました。

 僕はこれまで様々な仕事に就き、なりふりかまわず必死に働いてきました。職場で一緒に仕事をした人たちも、皆なりふりかまわず、必死に働いていました。病気の奥さんの治療費を稼ぐために、自分の体調を崩してまで、毎日夜遅くまで残業していた人。仕事がなかなか覚えられず、毎日怒鳴り散らされながら、必死にメモをとり、休み時間を削って覚える努力をしていた人。積み上げた資材が崩れ落ち、その傍で作業をしていた仲間を庇って、代わりに大怪我を負った人。懸命な彼らの姿は、とても輝いて見えました。誰もが皆、必死に生きていました。ひとりひとり、苦しみや悲しみがあり、人間としての営みや幸せがあり、守るべきものがあり、傷だらけになりながら、泥まみれになりながら、汗を流し、二度と繰り返されることのない今この瞬間の生の重みを噛みしめて、精一杯に生きていました。
  
 事件当時の僕は、自分や他人が生きていることも、死んでいくことも、「生きる」、「死ぬ」という、匂いも感触もない言葉として、記号として、どこかバーチャルなものとして認識していたように思います。しかし、人間が「生きる」ということは、決して無味無臭の「言葉」や「記号」などでなく、見ることも、嗅ぐことも、触ることもできる、温かく、柔らかく、優しく、尊く、気高く、美しく、愛おしいものだと感じ取るようになりました。人と関わり、触れ合う中で、「生きている」というのは、もうそれだけで、他の何ものにも替えがたい奇跡であると実感するようになりました。自分自身が「生きたい」と願うようになって初めて、僕は人が「生きる」ことの素晴らしさ、命の重みを、皮膚感覚で理解し始めました。そうして、淳君や彩花さんがどれほど「生きたい」と願っていたか、どれほど悔しい思いをされたのかを、深く考えるようになりました。
 生きることは尊い。生命は無条件に尊い。そんな大切なことに、多くの人が普通に感じられていることに、なぜ自分は、もっと早くに気付けなかったのか。
 この十一年間、僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべてが自業自得であり、それに対して「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。
 本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにいられませんでした。あまりにも身勝手過ぎると思います。本当に申し訳ありません。せめて、この本の中に「なぜ」にお答えできている部分が、たとえほんの一行であってくれればと願ってやみません。土師淳君、山下彩花さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。
 
 
 つまらない苦渋の日常生活では生きられない。周りの善意を痛いほど感じ、生命の尊さに気づいても、なお彼は平凡な日常を生きられない。手記に書いてあったような性的快感を思い出しつつ、その快感を糧に17年間を生きてきたとしか思えない。再犯の可能性は十分だ。性的衝動はその衝動が消えて亡くならない限り、衰えることはない。
 
 「自分に生きる資格が無い、死に値する」と書いておきながら「自分でも嫌になるくらい生きさせて欲しい。」と書く。
 「辛い、苦しいと口にすることは、許されないと書きながら、書くことが、僕に残された唯一の自己救済、たったひとつの生きる道」と書く。
 
 本を書くことでどんな居場所を見つけられるのか。自己表現のため?金のため?他にどんな動機があるだろう。性衝動を抑えるのは難しい。手記を書いても出版しないこともできたはずだ。出版することで自分の正当性を認めさせたい。自己顕示欲を満足させたい・・・・・とても真摯に反省しているとは思えない。とても周りの善意の人の生き方に共鳴しているとは思えない。ましてや、生きる大切さ、生命の尊厳に気づいたとは思えない。罪を悔い改める懺悔の手記とは思えないのだ。

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