オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

日本の国鳥

2019-05-27 | 日記
 
日本の国鳥はキジであることは知っていたが、実際にその姿を見た人はどれほどいるだろうか。私自身も数年前に見たのが初めてである。その後、毎年見ているが、大きくて華やかで野生のものとは思えない。
 
派手なのはオスだけだが、勇猛果敢なオスと母性愛の強いメスの性質が好まれて、1947年に日本鳥学会がキジを国鳥に選んだという。
 
 国鳥はすべての国で定められているわけではなく、法律で定められたものから慣例的なものまで、選定機関も実はさまざまだそうだ。
 世界で初めて国鳥を制定したのは、アメリカ。1782年、先住民に神聖な鳥としてあがめられていた「ハクトウワシ」が議会で選定され、パスポートや紙幣などにも描かれている。
 イギリスでは、2015年に正式な国鳥を決める国民投票が行われ、1位になったヨーロッパコマドリだそうだ。
 中米グアテマラの国鳥は、宝石のヒスイに次いで珍重される幻の鳥「ケツァール」で、その名は同国の通貨単位にも用いられている。
 鳴き声が「キーウィ」と聞こえることから先住民マオリ族によって名付けられたのは、ニュージーランドの固有種「キウイ」。オスが卵を温めて子育てをすることから、同国では、いわゆる「イクメン」を「キウイハズバンド」と呼ぶという。
 
北海道を除く日本の各地に生息するキジは昔話にも登場し、キジに因んだ言い回しも多く、日本人に親しまれていたようだ。
自分の縄張りからケーンケーンという甲高い声とバタバタという激しい羽ばたき(ほろうち)から、人の頼みや相談事を無愛想に拒絶するという意味の「けんもほろろ」が生まれたという。
必死に求愛するオスに対し、メスはけんもほろろな態度を示すことも多いそうだ。
鬼をも倒す!勇猛果敢なオス。縄張りに侵入したオスや天敵の前ではなかなか勇ましい姿になるらしい。
蛇の中でも最大級の大きさを誇るアオダイショウにも臆することなく攻撃する。
さらに、自分の縄張りに他のオスが入ろうものなら、クチバシで相手の羽をむしったり、飛び蹴りを食らわす。
 
キジのメスは、母性愛の象徴だ。
「焼け野の雉夜の鶴」という言葉は子を思う親の情が非常に深いことのたとえに使われる。
巣のある野を焼かれた際、わが身に代えて子を救おうとしたメスのキジの姿が由来となっている。
 
なぜ日本の国鳥はツルでもトキでもなくキジなのか?そこには、オスの勇猛果敢さ、メスの強い母性愛が背景にあったのだ。
 
国鳥だというのに、捕まえて食べてもお咎めなしらしい。寿命は10年ぐらい。子供の姿を見たことはない。今の生息地のそばに農耕地を突き切って主要道路が通るという。引越ししなくてはならないだろうが、あんな華麗な姿で飛べるのだろうか?低空飛行では覚束ない。
 

日本工芸展

2018-05-28 | 日記
 
 
今年も日本工芸展を見て来た。いつものように洗練された大作が並ぶ。自然を写し取ったものが好みである。
すがすがしい気持ちになったところで、かれこれ50年のお付き合いとなるOL時代の嫌われ4人組に会う。10年ぶりである。さすがに毒舌は影を潜め、穏やかに年をとったと言う感じである。
これが最後の邂逅になるかもしれないことを自覚しつつ、気兼ねのないト-クを楽しんだ。
キャベツの千切りが胃壁に突き刺さるようなつらい経験。相続問題を契機に絶縁した親族。子供達とはそれなりの距離感で風通しの良い付き合いをしているようだ。
 
安倍首相の舌足らずのような鼻声を聞くのも嫌で彼が出てきたら、チャンネルを変えるというところは全員一致である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本中に嘘が蔓延している。政治の世界で、教育界で、どれだけうそをついたら、人は満足するんだろう。嘘が新たな嘘を呼び、どれが嘘であるかは本人も忘れてしまうだろう。
日本人は嘘を罪だとは思わないらしい。遠い他人様を傷つける嘘は何の良心の呵責も感じない。仲間を上司を守るための嘘は美徳とされるようだ。権力のあるものを守る嘘は特に大切だ。命を懸けても守り抜く。
そんなウソの累積で、トップから末端まで腐臭が漂い、清新な個体も無事ではいられない。
 

アンナチュラル

2018-03-18 | 日記
1-3月放送の法医学ドラマが最高に面白かった。主人公・ミコト(石原さとみ)の職業は、死因究明のスペシャリストである解剖医。彼女が許せないことは、「不条理な死(アンナチュラル・デス)」を放置すること。不自然な死の裏側には、必ず突き止めるべき真実がある。偽装殺人・医療ミス・未知の症例…。しかし日本においては、不自然死のほとんどは解剖されることなく荼毘に付されている。その現実に、彼女は個性豊かなメンバーと共に立ち向かう。
 
日本に新設された死因究明専門のスペシャリストが集まる「不自然死究明研究所(UDIラボ)」がドラマの舞台となる。主人公のミコトは、人の『生の権利』が脅かされることに猛烈に反発する。この世に美しい死はなく、死んでしまえば終わりだと考えている。ミコトは一家心中の生き残りという壮絶な過去を持つ。UDIでミコトと共に働く仲間達もまた暗い過去があり、葛藤を抱えている。特に中堂班の筆頭医である中堂系(井浦新)は、日彰医大の法医学教室にいたが、トラブルで放逐されたという噂があり、態度が横柄で口も悪い。倫理観が異常で目的のためには手段を選ばないため、ミコトとしばしば衝突する。
 
しかし、すべてが不自然で異常なのではなく、UDIのメンバーも普通の日常生活を送っている。恋に悩み、家族関係に苦しみ、合コンに行き、やけ酒・やけ食いもする。歯に衣着せぬ議論をして、友情を育む。冷静に仕事をしようと思いながらも、遺族に共感して、取り乱すこともある。
 
9-10話の最終回では、私の嫌いなサイコパスが犯人だが、他の刑事ドラマと違って、気違いじみた犯人像はそれほど気にならなかった。
遺体はすぐさまUDIラボへ運び込まれ、三澄ミコト(石原さとみ)が検死にあたった。遺体の口内に“赤い金魚”が見つかる。この“赤い金魚”とは、UDIラボの法医解剖医・中堂系(井浦新)が名付けたもの。中堂は8年前、恋人・糀谷夕希子(橋本真実)を殺され、その遺体の口の中に魚のような形をした腫瘍を発見した。以来、犯人を捜す手がかりとして、同じ症状がある遺体を見つけては解剖し続けている。“赤い金魚”は、口の中に魚の模様がついたカラーボールを押し込まれたのが原因であることが判明する。六郎(窪田正孝)は、フリージャーナリストの宍戸理一(北村有起哉)から、犯人は死因の頭文字がABC順になるように犯行を繰り返し、女性遺体の死因の頭文字は“F”であると教えられ、ピンクのカバが描かれた絵を手渡される。女性の遺体が発見された空き家を再訪したミコトは、アリが数匹死んでいるのを発見、それらのアリからは蟻酸が検出される。蟻酸は英語で「Formic acid」ということで、頭文字がFのワードが飛び出したため、六郎は動揺する。しかし、蟻酸には毒性があるものの、死に至るには相当量が必要で、しかも現場で発見されたアリは蟻酸を体内に有していない種であることが判明する。ミコトと中堂が小難しい化学方程式を駆使した結果、死因はホルマリン注入だということがわかる。六郎の前に中堂が現れ、六郎が手にしているカバの絵を見て六郎に詰め寄る。その絵は、殺された恋人夕希子が描いたものだった。
宍戸によると、前回の雑居ビル火災の唯一の生存者・高瀬文人(尾上寛之)から手に入れたという。ちょうどその頃、高瀬は血まみれになった姿で「殺されそうなので保護してもらいたい」と警察署へ出頭した。
 
中堂の恋人・夕希子(橋本真実)をはじめ、複数の女性を殺害した疑いのある高瀬は死体損壊は認めるものの殺害については否定する。証拠は残されておらず、高瀬を殺人罪で起訴しても有罪になる可能性は低い。そんな中、秘密裏に高瀬に接触していたフリー記者の宍戸(北村有起哉)は高瀬の“告白”を記した著書「26人殺害は妄想か現実か」を出版した。かつて母親を病気で亡くし、父親が失踪していた高瀬だが、アルファベットになぞった26人の殺人を成し遂げ、伝説になりたいと語っていたと言う。しかしそれはあくまで高瀬の妄想だとする宍戸。「このままだと高瀬を殺人罪に問えない」と聞かされたミコト(石原さとみ)たちは、歯がゆさを感じながらも証拠を見つけ出そうとする。高瀬の殺人を証明するために中堂はミコトに偽の鑑定書を差し出す。ミコトは「事実を曲げろってことですか?」と問うが、中堂は「事実は高瀬が殺したってことだ」と言い放つ。
偽の鑑定書を提出するか葛藤するミコトだが、結局自分の考えを曲げることができない。そんなミコトを夕子(市川実日子)は励ます。
 
一方、週間ジャーナルに夕希子の記事が掲載されていることに気づいた六郎は、出版社を訪れ抗議するが、末次(池田鉄洋)に追い返されてしまう。しかし、そこに夕希子の父・和有(国広富之)が現れる。それまで中堂のことを犯人だと思って、中堂に脅迫状を送っていた和有は中堂に会って詫びたいという。そんな時、ミコトの元に中堂から電話がかかってくる。中堂は宍戸を殺しても殺人の証拠を手に入れるつもりだった。中堂は、宍戸に毒物を注射し、問い詰める。宍戸は被害者の唾液がついた魚のカラーボールを取り出すが、中堂に渡す前に硫酸につけてしまう。宍戸は中堂が持っていた解毒剤を奪い取り、飲み干す。そこにミコトと六郎が到着するが、宍戸は苦しみだす。何を飲ませたのか中堂を問い詰めるミコトに中堂は注射に含まれていたのはただの麻酔薬で、解毒剤と言っていたのが本当の毒物だと明かす。「こいつが自分で飲んだ。ゆっくり苦しみながら死んでいけ」と言い放つ。それを聞いたミコトは「戦うなら法医学者として戦ってください!」と叫ぶ。六郎は毒物をなめて、エチレングリコールと気づく。中堂はポケットから解毒剤を取り出し、ミコトは宍戸に注射する。
その後、夕希子の遺体が和有が住むテネシー州に土葬されていることに気づいたミコトたちは、テネシー州に向かい、夕希子の遺体を持ち帰る。
 
開かれた高瀬の裁判。
ミコトは、解剖の結果、夕希子の歯の裏側から高瀬のDNAが検出されたと証言。高瀬が魚のカラーボールを押し付けた際に付着したものだ。さらに、親からの虐待のトラウマで女性を殺し続けていたこと(カラ-ボ-ルは親からの虐待の象徴)、そんな「あなたの孤独に同情する」と、法廷で憐れむ。自尊心を傷つけられ、動揺した高瀬は「母親は関係ない!俺がやり遂げたんだ!」と殺人を自白する。親に殺されかけた過去を持つミコトだからこそ、高瀬の自尊心を刺激することで自白に誘導することができたわけだ。そして宍戸も殺人幇助で逮捕された。
 
夕希子から、絵本は2匹のカバが旅をするストーリーだと聞いていた和有。それが夕希子と中堂の二人を意味することを知った中堂はその場に泣き崩れる。和有はそんな中堂に「夕希子の旅は終わったけど、あなたは生きてください」と言って帰国する。
 
脚本は野木亜紀子氏。「”7K”といわれる法医学者が、いま日本にどれだけ必要なのか? そんなメッセージを込めながら」書いたそうだ。7Kとはきつい、汚い、危険の3Kに加えて、休暇が取れない、規則が厳しい、化粧が乗らない、結婚できないが入るそうだ。近頃はIT関連のホワイトカラ-向けに新3Kもあり、きつい、帰れない、給料安い、だそうだ。個人的には心病むが入ると思うが・・・
野木氏が法医学ドラマを手掛けるのは今回が初めて。医学、感染症、臨床、法律などさまざまな分野の専門家に膨大な取材をした。これだけの物語を作り上げるためには、月並みの勉強では追いつかないだろう。
初回放送では国内でまだ発症例のない「MERSコロナウイルス」の院内感染、2話、3話は同じ殺人事件でも凍死、出血性ショックと死因は全く異なる。4話は過労死、5話は溺死と、さまざまな死因を取り上げることで、視聴者を飽きさせない。取材に応じた専門家も野木氏の自然な脚本がドラマにリアリティを与えていると感心しているとか。
 
 
今ある幸せは、当たり前ではない。豊かさも、健康も、生きていることそのものも。なぜあの人が死んで、自分は生き残ったのか……災害で生き残った者が抱く罪悪感を私たちは知っている。
「死ぬのにいい人も悪い人もない。たまたま命を落とすんです。そして私たちはたまたま生きている。たまたま生きてる私たちは死を忌まわしいものにしてはいけないんです」という神倉所長(松重豊)のセリフが心に響く。この世は、不条理なことばかり起こる。いい人だと思った人が裏切ったり、感じ悪い人が純な心を持っていたり、世界と繋がる技術を持ちながら孤独死に怯えたり、表面の顔で人間性は判断できない…中堂(井浦新)の言葉を借りるなら「今日も世界はクソまみれだ」。目の前の事実を冷静に観察し、凝り固まった思い込みは捨て、試行錯誤を繰り返すミコトたちのフラットさこそ、混沌とした今の時代を生き抜く力だ。
日常生活のありふれた悲しみやつらさを語っていると、今の社会問題につながる。リアルの中からしか、本当のエンタメは生まれない。そのエンタメが、リアルを生きる糧になる。ドラマの作り手の思いが登場人物の会話に反映される。
 
どんなドラマでも、面白さの決め手となるのは、登場人物がいかに魅力的であるか。この『アンナチュラル』は、主人公の三澄ミコト(石原さとみ)は言わずもがな、登場するすべてのキャラクターがそれぞれ魅力的。そして、それらの意思が重なりあう“会話”の面白さは抜群だ。
ミコトは、1日の始まりである朝だからこそ天丼を食べ、「法医学は未来のための仕事」と言い切る。緊急事態に陥っても「人間は意外としぶとい」「明日、何食べようかな」と、たくましい。辛い過去を背負う彼女は“前向きな言葉”という鎧をまとい、くずおれそうな心を奮い立たせて生きている。そんなミコトの言葉にはリアルを生きる鋭さがある。一方で、臨床検査技師の東海林夕子(市川実日子)との何気ない会話に垣間見えるのは、ユーモアと柔らかさ。2人が淡々と繰り出す会話の振れ幅がこのドラマの魅力だ。夕子は、仕事よりもプライベート優先させるタイプ。仕事を優先することで婚約破棄となってしまったミコトとは正反対なのだが、タイプが違う互いを認め合う絶妙な距離感が心地良く、心の緊張を解いてくれる。
野木氏の脚本の魅力はテンポの良さ。死を取り扱うドラマでは、暗いイメージが生まれてしまいがちだが、それを払拭する矢継ぎ早のセリフが軽快だ。現代の職場にはない人間関係の良さを映し出す会話のリアリティも魅力だ。予想がつかない新鮮な展開、常識的にまとめず、常に視聴者に新鮮な驚きを与えてくれる。終わったばかりだが、続編を期待している。ク-ルなドラマが待ち遠しい。

ネイサンチェン

2018-02-18 | 日記
羽生の金メダル連覇の快挙で日本中が沸き立っている。しかも宇野が銀と言うダブル受賞だ。
 
怪我を乗り越えての連覇、技術、芸術性ともに金メダルのふさわしい羽生の受賞はフィギュアの歴史を塗り替え、新たな伝説になるだろう。
 
しかし、最強のライバルと言われていたネイサンチェンのSPでの大乱調は世界を驚かした。しかも、続くフリ-で4回転を5回も成功させ、羽生を上回る高得点で5位に浮上したのだ。
 本人の弁では、「米テレビ局から今大会の“主役”と脚光を浴びたことに大きなプレッシャーを感じていた」と言う。
 実況したNHKアナウンサーが「前回の浅田真央さんを思い出すよう」と、ソチ五輪のフリーで完璧な演技で巻き返した浅田真央さんの演技を引き合いに出すほどだった。渾身のガッツポーズを炸裂させ、フリー自己ベストを更新した。「正直、ショートプログラムは厳しいものになってしまった。順位が低かったのでプレッシャーから解放された。もう1位争いをしていると感じることはできなかった。氷上で自分らしく楽しむことにした。観客のために演技して、五輪の経験を味わうことだけを考えました」と語ったという。
 
 IOC(国際オリンピック委員会)に巨額の放映権料を支払っている米NBCは大会前の告知で、今季無敗の18歳の“4回転の貴公子”をプッシュ。過剰な露出が、重い足枷になっていたという。
 
イケメンの天才、ネイサンが神経質にもプレッシャ-につぶれたとは信じられなかった。そこで彼のプロフィ-ルをネットで調べてみることにした。
1988年、父が渡米し、科学の博士号を取得。母は、医療系の通訳。
3歳でスケートを始め、バレエや体操、ピアノといった習い事もさせられていた。特に10代半ばまで続けていた体操の経験から来る空間認識能力、体幹、力の使い方は、軸のぶれない回転を生み出し、ジャンプやスピンに大いに役立っているという。
 
シーズン全戦全勝で迎えた平昌オリンピックの団体戦では、SPで滑走するも全てのジャンプでミスが出てしまい10人中4位。続く個人戦でもSPで全てのジャンプを失敗し、17位発進とメダルは絶望的となった。しかし、FSで4回転ジャンプ6回に挑戦し、うち5本を成功させ、215.08点を叩き出して合計5位入賞となった。尚、このFSで叩き出した技術点127.64点は、技術点としては歴代1位である。
5種類の4回転ジャンプ(トウループ、サルコウ、ループ、フリップ、ルッツ)を飛ぶことができ、試合でも1つのFSで4種類を成功させる程の精度を誇るが、アクセルジャンプを苦手としており、大半の男子選手はFSでは3Aを2回飛ぶ構成にしているが、ネイサン・チェンはそれを1回に減らし、その分4回転ジャンプを増やす構成にする。
 
5種類の4回転ジャンプを跳び、羽生結弦選手の最大のライバルとも言われるネイサン・チェン選手が、ロシアのメディアからの取材で、羽生選手に対する意外な思いを語っていた。
羽生がひどいミスをしなければ、羽生選手に勝てる人はほとんどいない。そんななか、GPロシア大会でチェン選手が羽生選手に勝てたことについてどう思うかと記者に尋ねられた。
「羽生選手の難易度の高いプログラムに勝った時には、自分が目的に向かって正しい道に進んでいると感じた。フィギュアスケート選手は皆、羽生選手に大きな恩義を感じている。羽生選手がどう滑り、どんな仕事をし、どれほど競技に没頭しているか。また、フィギュアスケート競技自体がどうあらねばならないのかを見ることによって、もっと羽生選手のようになろう、もっとよくなって前進しようという新しいモチベーションが生まれる。」
 
 羽生選手を「恩義」という言葉を使うほど、スケート界を牽引する偉大な存在として目標にしているのだ。
 
ネイサン・チェン選手の今後の進路もハイスペックだ。
医者家系に生まれ育っているのでやはり医者志望のようだ。
SAT(大学進学適性試験)で数学満点、超難関校のスタンフォ-ド、ハ-バ-トなどに願書を出す予定とか!!
 
5年後について聞かれた時に来期の成績次第と答えたようで、メダルを取ったらそのまま引退もあったかもしれない。後4年、学生アスリ-トとして、彼の切れのある演技を見ることができるのは嬉しい。
2002年ソルトレイクシティーオリンピック、フィギュアスケート女子シングル金メダリストのサラ・ヒューズも当時17歳。その後、医大を目指してフィギュアスケートを引退、お医者さんになったそうだ。
 
20代で人生の頂点をきわめても、なお自分の可能性を探求する人生をネイサンは目指そうとしているのだろう。
 

モンドセレクション

2017-06-13 | 日記
東京・府中の老舗菓子店「青木屋」は、今年「武蔵野日誌」という菓子でモンドセレクションの金賞を受賞した。授賞式後の記念セールでは通常の10倍売れるほどの反響があったという。先月末、地中海に浮かぶマルタ島の授賞式を取材すると、目立つのはタキシードやドレスに身を包んだ日本人の姿。実は受賞商品約2,700点のうち、半分以上の約1,800点近くが日本の商品だ。モンドセレクションは審査員全体の平均点で受賞が決まる絶対評価方式で、最高金賞、金賞、銀賞、銅賞の4段階で評価される。日本からの申し込み費用は、食品の場合1点およそ27万円。最低8人の審査員が20項目にわたって審査する。一定の基準を満たせば受賞できるため、銀や銅も含め、応募賞品の90%近くが受賞する。授賞式に出席した「青木屋」の多久島社長は、「もしかしたら(モンドセレクション受賞が)当たり前になっていくかもしれない」と言う。
 
モンドセレクション(Monde Selection)とは食品、飲料、化粧品、ダイエット、健康を中心とした製品の技術的水準を審査する民間団体であり、ベルギー連邦公共サービスより指導及び監査を受け、モンドセレクションより与えられる認証(この組織では賞と表記している)である。
100点満点の90点以上で優秀品質最高金賞(グランドゴールドメダル)
80点以上で優秀品質金賞(ゴールドメダル)
70点以上で優秀品質銀賞(シルバーメダル)
60点以上で優秀品質銅賞(ブロンズメダル)
モンドセレクションは国際的には知名度が低いが、日本国内での知名度は高い。審査対象品の5割が日本からの出品であり、日本の商品の高品質が認められ8割が入賞している。
一定の技術水準に達していることを消費者にアピールし、売り上げを大幅に伸ばした例もある。
日本では1966年から日清製菓のバターココナツがトロフィーを受賞し、パッケージにメダルのデザインを表示し、CMで「最高金賞受賞、おいしさが世界に認められた」と宣伝したことから一躍有名になった。2007年にはサントリーがザ・プレミアム・モルツのテレビCMにて特別金賞を3年連続受賞を宣伝したことでモンドセレクションの名前が広く認知されるようになった。
 
賞と言うと、品評会と勘違いしてしまうが、実際のモンドセレクションは商品の優劣を競うコンクールではない。品質ランク認定や品質検査に近いものだ。
モンドセレクション受賞商品がやけに多いという印象があるが、実際に数多くの商品がモンドセレクションを受賞している。
世界的にはほぼ無名の賞で、「海外の賞を受賞」というフレーズに弱い日本人だけが踊らされていると言えそうだ。インチキの実態を知った上で、日本企業が消費者を欺くのに利用しているのかもしれない。
 
そういえば、小売店頭で『金賞受賞ワイン』といったタグを、ボトルネックから下げたワインを見かけることも多い。
 『金賞受賞ワイン』と言われれば、すぐれているんだろうと思うのが普通だが、これを真に受けて買った消費者の多くは満足しているのか?甚だ疑問だ。
 現在の世界のワインショーの実態は、権威があると目されるワインショーも存在するようだが、多くは誰が主催しているのか、どういう選考をしているのか、ほとんど説明不能のワインショーも横行しているという。
単一あるいは複数のワイナリーと利害関係が一致した業者グループが、ワインのプロモーションの一環としてワインショーを仕立てる、ということもおこなわれているという。
 実際、オーストラリアではあまりにもワインショーが増えて、ペタペタと受賞シールが貼られるようになり、受賞ワイン=優良ワインの図式が保てなくなってしまい、ワイン業界の自主ルールとして、2005年のヴィンテージより、公認されたワインショー以外の受賞シールをボトルに貼ることを禁止したと言う。
 実は、生産者が自発的にコンクールに出品しているケースはそれほど多くないらしい。仕入業者や編集者が勝手にワインを選んで品評し、受賞後に生産者に知らせることが多いのだとか。
 日本で流通している金賞ワインには、赤ワインであること、フランスのボルドーワイン、2000円前後の価格帯、若いヴィンテージ(収穫年)であるなどの傾向が強いという。
 
ボルドーという地域には、1855年に制定された格付けシャトー(醸造所)だけで60もある上、全体でシャトーの数は約1万あると言う。
そうした状況の中で、自分のシャトーのワインを多くの人に知ってもらうのはなかなか大変なことで、品質に「お墨付き」を与えてくれるコンクールは非常に有効なのだとか。
 高級ボルドーがもてはやされる日本のワイン市場で無名なボルドーワインを買ってもらうには、コンクール受賞がとても大きな意味を持つわけだ。
 一方、世界の多くのワイン生産者が高得点を取ることを目指し、ワイン業者がワインの品質の指標としているのが、「パーカーポイント」だ。パーカーポイントは、アメリカの弁護士でワイン評論家のロバート・パーカー氏が付け始めたもので、味わいや香り、色などを合計100点満点で採点する。90点以上で「傑出」、95点以上で「格別」とされ、100点を取ろうものなら何十年も称賛を浴びることになる。
 ただ、現在のワイン業界はあまりにパーカーポイントに振り回され、世界的に味が均一化されてきたという声もある。生産者が高得点を狙うあまり、土地の特性を無視してパーカー氏の好みに合わせたブドウを植え、パーカー氏が好む味わいを作る風潮になっているからだ。 パーカー氏は、樽の利いた濃い味わいを好み、繊細な味わいは評価が低いとも言われる。
嗜好品は自分が気に入ればよく、他人の嗜好に振り回される必要はない。いろいろ飲んでみて、好みの味わいを見つけるのが王道だろう。
 
ワインの味は「ぶどうの品種」で決まる。
●白ワイン 
ソーヴィニヨン・ブラン・・・・白ぶどう品種の中でクセのない味わいが特徴のポピュラーな品種
シャルドネ・・・・辛口ワインでは最もポピュラーな白ぶどうの王道品種
●赤ワイン
ピノ・ノワール・・・・フルーティーでとても繊細な味わいが特徴
カベルネ・ソーヴィニヨン・・・・期待を裏切らない、しっかりとした味わいが特徴
メルロー・・・・酸味が低く、ソフトでコクがあり親しみやすい。

高橋真梨子-その歌声の不思議な魅力

2016-06-18 | 日記
高橋真梨子の歌は、寂しさと物語性があって、なぜか心惹かれる。音色に独特の歪があって、それが彼女の歌を特別なものにしているという。彼女について全く知らなかったが、NHK・Eテレ「団塊スタイル」に出演した彼女を見て、その魅力が彼女の人生から自然に湧き出るものだと知った。辛苦を乗り越えた頑張りや自負心を感じさせない人だ。家族や自己との葛藤を乗り越えて来た者にだけ、備わるさりげなさ、弱さを隠さない自然体に強さを感じた。
 
 
1949年、まだ戦争の爪痕が残る広島で、一人娘として生まれた。父親は、ジャズバンドでサックス奏者として活動するミュージシャン。高橋が1歳半のころ、ジャズが盛んだった博多へと移り住む。家では父がフルートやギター、太鼓などを演奏していたのを覚えているという。しかしその数年後、父親は難病に侵され、両足を切断する。
「苦しんでいる父、痛がっている父…激しい痛みで、新聞紙を顔にのせて泣いていた父の姿を覚えている」
母親は水商売でモルヒネ代を稼ぐのに必死だった。これ以上家族に迷惑はかけられないと単身広島に帰ってしまった父親。その後、離婚することになり、親権は裁判で争われたが、両足を失っている父に親権が渡ることはなかった。
「母との思い出は……いい思い出は、あんまりなかったですね。いつも一人ぼっちで…」
父親が病気に苦しんでいる頃からずっと、妻子ある男性との恋愛に夢中だった母親。孤独の中で支えになったのは、音楽だった。「恋のバカンス」が流行していたザ・ピーナッツに憧れ、中学生で「歌手になりたい」と父に打ち明けた。大好きだった父親には、年に数回広島まで会いに行っていた。
父に、「いいんじゃないか。ポップスとかアイドル的な歌手は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲…スタンダードジャズとか、名曲みたいなものから始めた方がいい」とアドバイスされた。その言葉が高橋の音楽活動の原点となった。高橋が15歳の時に、父親が37歳で他界。16歳で、歌手になるために上京することになった。
スクールメイツにいたが、アイドルはあわないと福岡に帰った。福岡でジャズなどを歌っていた高橋真梨子を、ペドロ&カプリシャスのペドロ梅村がスカウトした。東京が嫌いになっていた高橋真梨子は、1年という約束でペドロ&カプリシャスに入ることにした。
 
ヘンリー広瀬と一緒になったときのエピソードがよかった。高橋真梨子があるとき失恋をし、みんなで大酒を飲んだ。一緒にいたヘンリー広瀬が彼女のホテルの部屋まで送った。お風呂にすぐ入れるようにと、お湯を入れて自分の部屋に戻った。高橋は、風呂に入ったが、とてもいい湯加減だった。そのことを翌日、ヘンリー広瀬に告げたことから、二人の人間関係が深化した。ヘンリー広瀬の方も、人に感謝されたことに新鮮な喜びを感じたという。10年同棲して結婚した。高橋真梨子がひどい更年期 障害になって、外にも出られなくなったとき、泣き出す高橋を外に引っ張り出そうと、自転車を買ったり、朝食を作ったり、思いつく限りのことをしたという。
高橋にとって、その時一番つらかったのは、「喜んでくれる夫のために食事の支度もできなくなった」ことだという。
 
高橋を公私ともに支えてきたミュージシャンの夫・ヘンリー広瀬氏(72)は、「40年も彼女と音楽をやってきて感じるのは、彼女の持っている寂しさとか孤独感とか…それを何とか表面に出さないで、歌に託せる。それが魅力なのかもしれない」と語る。
 
確かに、高橋の孤独感、寂しさは根源的なもので何をもってしても拭い去ることはできないだろう。歌を歌うことが生きている証・・・そんな彼女に寄り添うヘンリー広瀬の限りない愛。二人は夫婦と言うより合体した一人の人格のように思える。
父と別れた母、不倫にのめり込む母を憎み、新しい父を嫌った高橋の孤独さを慰めるものは歌しかなく、父の遺志を守って歌い続けることでしか自分を維持していけなかった・・・・・・その寂しさ、孤独さを和らげる出会いがあって、本当に良かった・・・・・。

心の栄養剤

2016-04-24 | 日記
世の中、嫌なニュ-スが多いし、テレビ番組もくだらないものばかりで、うんざりする。ネットで心温まる話を検索すると、Kokoro堂がヒットした。
その中の一つを紹介したい。ネットもこういう風に使われると、世の中、ほのぼのして心が温かくなる。
 
2ちゃんねるに「飼っていたカメを亡くした」という方がスレッドを立てました。はじめはしんみりとした雰囲気だったのですが、あるレスをキッカケに話は急転します。
 
Mr.名無しさん
8歳の時から15年間ありがとう。
お祭りの時に親父に買ってもらった亀。
名前はがっちゃん。
おまいはイカのしおからが何故か好きだった。
赤虫も食ってたね。
 
塩分の採り杉が死因じゃないっすか?
 
ペット火葬につれていけとは言わないが、ちゃんと家族として弔ってやれよ?
 
>>がっちゃん
お疲れさま。
 
 
焼きたてジャパンのカメパン食え
かなり青くせぇから追悼出来るぞ
 
ありがとう。
良く生きたよ。
飯の時は気づいてこっちに首を伸ばしてきたね。
良く生きてくれたと思う。
もう少し生きて欲しかったけど。
月に一回暗いしかあげてなかったけど。(しおから)
そうかもしれない。
家の庭に埋めてがっちゃんって
立て札をしたよ。
ありがとうね。がっちゃんの事。
 
 
鶴は千年、亀は万年ていうけどな
 
天国からおまいを見ているはず。ガンガレ
 
冬に文鳥が天国にいっちまったから、他人事じゃなかっただけだよ。
というか思い出して涙が溢れてきた情けない漏れ。
 
知ってるか?
飼い主が天寿を全うした時、
それまで飼ってたペットたちが左右に列を作って天国で迎えてくれるらしいぞ。
その時にまた会えるさ……。(ノД`)
 
 
ありがとうね。庭の墓にちゃんとお供えして
ずっと忘れない。
 
悲しい事言うなよ。俺も我慢してたのが泣けてきた。
6の文鳥さんもお疲れさま。
 
 
俺毒男だけどがっちゃんと会うとき恥ずかしくないようにちゃんと結婚して
しっかりする。
ホントありがとう!
 
 
泣けるからやめてくれさい。
 
 
ってか冬眠してるだけの様な気がしてならない・・・
亀の寿命は一般的には30~50年だし
 
 
そんなはずは・・・
今まで無かったので。
冬眠って事は土の中でも大丈夫なのでしょうか!?
どうしよう。庭にいってきましう
 
 
おいおいマジかよ
首がダラ~っと伸びてるのを確認したか?
 
 
どうしよう首の事は見なかったけど
今掘ってきました。親父も起こして今親父は病院を探してる。
見つかったらつれてくけど誰か知ってる人教えてください!
 
 
おいおいまじかよ!!
15年飼ってて冬眠するの知らない訳ないだろ、おい
 
 
掘り起こしたら、25℃くらいのぬるま湯に3分浸せ
それで反応なかったら水から上げて、エアコンかけた暖かい部屋に
水槽ごとしばらく放置汁
 
 
今親父がぬるま湯につけてます。
エアコンもつけておきましたもし反応がなかったら
もとの水槽にいれえばいいんですか?
水でいいんですか?
 
 
窒息死しない程度に水はヒタヒタ
春を演出してやれば(冬眠なら)しばらくしたら目を覚ますと思う
たまたま今年の冬が寒くて体内時計にスイッチが入ったのかもしれんね
 
 
キタキタキタキタ━━━(゜∀゜≡(゜∀゜≡゜∀゜)≡゜∀゜)━━━━!!
キタ━━━( ゜∀゜ )━( ゜∀)━( ゜)━( )━(゜ )━(∀゜ )━( ゜∀゜ )━━━!!!!
ちょっと足が動いた。
まだ良く分からないけどセーフだったぽい。
はげしく感謝します。
 
 
マジか!よかったな
生き返るといいな
 
 
親父さんに萌えるな
 
良かったな生きてて。つかマジで冬眠なら、寒い場所に放置しすぎだろ。
ちゃんと家亀は冬眠の必要ないんだから、ちゃんと暖かい場所においてあげろよ
とりあえず、えがったな
 
  
ホントにみなさん感謝です!
2ちゃんやってて良かった。
これからちゃんと部屋のエアコンつけます!
親父にもありがとうと照れつつも言いました。
おう、良かったなと言ってくれました。
パソコン役にたつなともw
よっしゃーーー!

情念の語り部-中島みゆき

2016-01-19 | 日記
中島みゆきを知ったのは40年以上前、1970年初めだろう。田舎っぽい少女で、今のような形で変身することは想像もできず、井上陽水や吉田拓郎の方が長続きするように思えた。そんな少女が40年以上も作詞作曲を続け、不動の人気を誇っている。圧倒的に女性のファンが多いと思っていたが、男性の中にも熱烈なファンが存在する様だ。
 
中島みゆきは情念の歌を作らせれば、右に出る者はいない。恨み節を創らせれば、一級品で、スト-リ-はどこにでもある失恋の恋歌なのであるが、デティ-ルの鮮やかさで一つ一つの失恋が独自の物語性を醸し出す。満島ひかりや大竹しのぶのように、年代を超えて女優のファンが多いのもうなずける。舞台で歌えば、即、上質の芝居になってしまう。BSで見たとき、彼女たちが歌った歌はミルク32、と化粧だった。等身大で歌える歌として満島が選んだミルク32は客の少ないショットバーでミルクと呼ばれるマスターに 振られ続ける客が語り掛ける。だれでも疲れを癒す場が必要だろうが、20代の時に創った「店の名はライフ」との違いが面白い。
歌詞のとおり、隣には自転車屋があった。一文無しがたむろして怪しげな運命論の行き止まり、徹夜で続く恋愛論、抜け道は左、安梯子。二枚目マスタ-になってから純喫茶、抜け道は塗りこめてしまった。青春の一コマを謳っているが、公安の査察があった時、逃げる抜け道と考えれば、かなり意味深だ。振られ続けて、人生の堂々巡りを繰り返し、30代の彼女は失恋のけだるさをミルクからバ-ボンに変わった飲み物で癒す。
 
思い出話と愚痴で夜は更けていく。弱さを意識しながら、頑張るのではなく、弱さと戯れる、弱さを楽しむ。弱さを謳って、それを客観視することで、その弱さを克服する、そんなことが起こっているような気がする。
 
大竹しのぶが感情移入して絶唱した「化粧」の歌詞も悲しい女心を謳っている。 化粧なんてどうでもいいと思ってきたけど、今夜だけはきれいになりたい。バカだね。愛してもらえるつもりでいたなんて。流れるな涙、心で止まれ。流れるな涙、バスが出るまで。
一つ一つの恋の結末は個性的で、それぞれがドラマティックだ。かったるい平凡な人生でドラマティックな感情の起伏を味わえるのは人を恋したとき、そして失恋のとき。失恋好きの人、不倫好きの人がいるのは確かだ。彼らは、高揚感と甘ったるい挫折を求めて失恋を繰り返すのではないだろうか。そして、中島みゆきの歌に酔う。
 
中島みゆきの情念は演歌にも通じる。突き放して歌うときも、その心性は「尽くす女」「裏切られる女」だ。
私の恋心、お前にあの人は似合わない。優しい男は砂の数ほどいるのに、どうして忘れられない?冷たくされるほど、拘泥してしまう女心を謳ったものも多い。
 
もちろん中島みゆきの魅力はそれだけではない。社会の中で苦しむ姿を描き出し、毎日を慎ましやかに必死に生きる人の姿を歌う。そして、その非力をバネに社会に立ち向かう人への応援歌も多い。
中卒やから仕事をもらわれへんのやと書いた手紙の文字は震えている。ガキのくせにと打たれ、少年たちの目は年をとる。悔しさに握りしめた拳に爪が突き刺さる。階段から子供を突き落とした女の薄笑い。私、こわくて逃げました。私の敵は私です。闘う君の歌を闘わないやつらは笑うだろう。冷たい水の中を震えながら登っていけ。あきらめと言う鎖を身をよじってほどいていく。
石くれをよけるのが精一杯 目にしみる汗の粒を ぬぐうのが精一杯 重き荷を負いて 坂道を登りゆく者 重き荷も坂も 他人には何一つ見えはしない
ひび割れた唇は噛みしめるのが精一杯 がんばってから死にたいな 
ずるくなって腐りきるよりアホのままで昇天したかった
 
共通するのは、誠実であろうとする人と裏切る社会、それでも真摯で生き続けようとする弱者への賛歌だ。
努力が報われるわけではない。野垂れ死ぬだけの孤独な闘いかもしれない。まっすぐで真摯な弱者の群像が共感を呼ぶ。
 
悲しい時、つらい時、徹底的に落ち込む歌を聞いて、感情を出し切ってしまった方が立ち直れる。 感情を抑え込み、無理をすると、かえって、ろくでもないことになりがちだ。
 悲しい時は、悲しめばいい。
そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ。 あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ。だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう。
 
 
松任谷由実、吉田拓郎、井上陽水、矢沢永吉などなど、時代を代表するミュージシャンは多いが、「論」で語られる人はいない。
マツコが中島ファンだったというのには驚いた。「勝手な解釈で自分を歌に投影できる」
マツコが好きだという曲が「タクシードライバー」。天気予報や野球の話ばかり繰り返すタクシードライバーの気配り。「狼になりたい」の歌詞の「夜明け間際の吉野家では化粧の禿げたシティガ-ルとベビ-フェ-スの狼たちが肘をついて眠る~」、中島みゆきの歌に出てくる妙な生活感、歌の中のフィクションと現実世界を結びつけるのが面白いらしい。中島みゆきが自分のために作ってくれたのかしらと思ったという。誰もがそこに自分だけの物語を作り出せる。「自分の悲しさだけに浸かっていた女が、男にふられただけで、道に倒れてその男の名前叫ぶ?それができてるって、すごい強い女だと思うのよ。すごい生命力のある人のことを謳っていると気づいたときに泣かなくなったわね。」
「うんこのような歌しか聴いていない人が、うんこのような曲や映画を衝突事故的に見聞きしてしまったときに泣いてしまう。泣けるかどうかが基準になるような作品とのかかわりはあまり持ちたくない。どっちかといえばスポーツやノンフィクションのほうが泣ける。スポーツで泣けるのは、完全に他人事だからかもしれない。何の利権も手伝いもしてこなかったからこそ純粋に泣けるような気がする。でも中島みゆきの楽曲は他人事じゃなくなる。」 
語らずにいられないファンを多く持つのは、中島みゆきがファンとの間に一対一の関係を成立させるからである。
 
中島の歌う恋の苦しみ、愛の悲しみは、まさしく私のものである。私のものであったはずの悲しみが誰かによって代替されて謳われる。代替不可能なはずの苦しみが、より悲しみと苦しみを深めて歌われる。この衝撃は凄い。自分の苦境を客観化し、一人で立ち向かう勇気を人に与える。タクシ-ドライバ-では気配りをして野球の話を繰り返すドライバ-の思いやりにも気づくことで、既に余裕を取り戻している。
中島にとって、愛は常に希求されるものであり、決して成就すべきものではなく、それを望んでもいない。愛は「あなたがくれた」のであり、それが失われた後は、暗闇の中で初めから探し出すしかない。悪夢の中で本当の願い、人生の目的を探す長い旅へと向かう。自己の既存の成果に安住することなく、絶えず新たな表現領域に挑戦していく中島の姿勢そのものである。

春眠暁を覚えず

2016-01-03 | 日記
 
春眠暁を覚えず
処処 啼鳥を聞く
夜来 風雨の声
花おつることを知る多少
 
春は心地よく、夜明けにも気づかないで、寝坊してしまうと解釈されるのが一般的だが・・・・・
作者、孟浩然の境遇を考えると、それほどのんびりと、春を惜しんだ詩ではないようである。宇野直人氏が『漢詩をよむ』(宇野直人)の中で,『春暁』を解説している。
 
  作者孟浩然の不如意の人生行路や他の作品の雰囲気を考え合わせると、この詩の内容はそれほどのんびりしたものとは思えない。前半二句は,自分が官職についていないことの表明として受け取ることができる。しかし、後半に入ると、意味の二重性が色濃く感じられてくる。第三句の「風雨」は困難な境遇のたとえとして使われるし、第四句の「花落」は悲しみや落胆のたとえとなる。この詩には作者の苦々しい自己認識、「自分は官職についていない。意に反する環境のため、自分の志も夢も無残に散り果てたのだ。」と言う訴えが暗にこめられている。
 
孟浩然(689-740)は湖北省襄陽の人で豪族であった。何回か科挙に応じたが、及第しなかった。諸国を放浪した末、襄陽の郊外にある鹿門山に隠棲した。40歳のとき都へ出て張九齢や王維等の詩会に参加して、その文才を認められ、王維のとりなしで、玄宗にまみえる機会をつかんだが、彼がたてまつった詩の中に天子の気のいらなかった句があったために宮仕えのチャンスを失ったというエピソードが伝えられている。後、張九齢が左遷されたとき、部下に加えられて優遇されたことがある。しかし、まもなくこれを辞退し、あちこち旅行したのち郷里に帰って再び隠棲生活に入ったところ、背中にできた腫れ物が悪化して不遇な一生を閉じたという。
 
確かに、春になると夜明けが早くなるから、冬の習慣で目覚めると、既に明るく、周りの生活の音が聞こえてくるのももっともなことなのだ。隠棲の身であれば、冬、まだ暗いうちから起きる必要もなく、夜明けとともに起きていたのであろう。それが、春になると、1時間は夜明けが早くなるから、すっかり明るくなってから目覚めることになる。 そう考えると、働くことのできなかった、若くして隠遁生活を送る不本意な人生を嘆いているようにも解釈できる。

メンフクロウの驚くべき生態

2015-12-07 | 日記
お面をつけたようなカワイイ顔のメンフクロウ。人なつこい性格で、話題のフクロウカフェでも大人気ということだ。
その素顔は、華麗な飛行術を操る腕利きのハンター。見事な狩りの腕前に中東イスラエルの農家が注目し、畑に巣箱を置いて呼び寄せ、ネズミ退治に役立てている。名付けて「メンフクロウ農法」。環境に優しいため、急速に広がりをみせている。
人をあまり恐れず納屋などにすみつく習性を持つため、英語では“Barn Owl”(納屋フクロウ)と呼ばれている。
メンフクロウ特有の習性は縄張り意識も弱く、強いものが生き残ると言った弱肉強食の動物界では信じられないほど、協調的で助け合いの本能で貫かれている。フクロウの中でも屈指の子だくさんで多いときには一度に13羽のヒナが巣立った記録もあるという。たくさんのヒナを育てるため、親鳥はたくさんのネズミを捕まえるが、その獲物の取り合いでヒナたちが喧嘩をすることはない。ヒナたちは鳴き声による「交渉」で、親が運んでくる食べものを平和的に分け合うというのだ。お腹を空かしたものが一番長く大きな声で鳴き続け、空腹を我慢できるヒナは、黙って、獲物を空腹のヒナに譲るという。巣立った直後も、ヒナたちは狩りの下手な末子に自分の獲った獲物を分け与える。
人以外の生物に平和という概念は無く、無駄な争いや死を回避する合理的な行動をとるメンフクロウが繁栄したと考えれば、不思議ではないのだが、人間社会の浅はかさを見るにつけ、特別平和的な動物のように感じてしまう。この農法がイスラエルで盛んだというのも、意味深だ。
人間もかってはそんな助け合いで繁栄してきただろうに、今は弱肉強食の強欲動物に成り下がってしまった。