オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

引きこもり

2019-06-03 | 社会
登戸の事件は社会に衝撃を与えた。引きこもり気味の男が事件を起こしたことで、引きこもりを抱える家族が非難の目を向けられ、関連した事件が起きることが危惧される。
元農水次官だった父親が40代の引きこもり長男を殺めてしまった。隣の小学校で行われていた運動会の騒音がうるさいということで口論となり、刺殺してしまったという。父親の頭には自分の長男も拡大自殺を図るという切迫感があったのではないか。
 
内閣府が3月29日に公表した、40~64歳の「ひきこもり中高年者」の数が推計約61万3000人に上ったという。共同通信によると、根本匠厚生労働相は同日の会見で、内閣府の調査結果について「大人の引きこもりは新しい社会的問題だ。様々な検討、分析を加えて適切に対応していくべき課題だ」と話したという。今頃、気づいたのか、今更の対策か。これほど問題がこじれてからの対策、しかも具体的な政策はない。
 
引きこもりを大量に生み出したのは、社会の変容である。昔は貧しく、子供部屋などなかった。親族や近所隣の交流も日常的でトラブルも多かったが、引きこもりなんかやってられない騒々しさだった。そんなわずらわしさから逃れるために、人は都会を目指し、核家族化を好み、他人とは必要最小限の付き合いにとどめるという生活スタイルを選択した。
親の世代は豊かになった。引きこもる子供を養っていけるのである。家族の庇護のもと、何の対策も講じられずに引きこもり状態が長期化する。長期化するほど社会復帰は困難になる。
40歳以上の引きこもり当事者やその家族の相談の声は、何の支援も得られず、家族のスティグマとして長年、隠ぺいされ放置されてきたのである。
 
もちろん、引きこもりは海外にも存在する。しかし、社会の対応が全く異なる。海外ではひきこもりは精神疾患と認識され積極的に支援されるが、日本では怠け者として非難され、隠ぺいされる。
 
引きこもりの精神障害として考えられるのは、うつ病、対人恐怖症、不安障害、依存症、人間不信など、誰でも少なからず経験する病理である。それが長期に及ぶとトラウマとなって、その状況から抜け出せなくなる。
アメリカ人がひきこもりを病気と認めるのは、トラウマやPTSDの社会的理解が進んでいるからだろう。引きこもり症状からトラウマ性、人間不信、対人恐怖、自殺願望、不眠などを無視すると、働きもせずに部屋で遊んでいる怠け者にしか見えない。
 
海外では病気と認められ、専門家の助けを得られただろうに・・・・。日本では病状を悪化させ、犯罪まで引き起こす結果となっている。
 
海外と日本にどういう差があるのだろう。
まず気がつくことは、欧米は個人の自由を大切にする社会であるが、日本は個人の自由よりも社会的な協調性が求められる。類型的な人生が押し付けられ、そこから外れると、親は落胆し、子供は非難される。
日本は与えられた役割を果たす社会だ。子供は勉強するのが当たり前、成人男子は毎日働くのが当然、女性は適齢期になれば結婚し、子供を産むのが当たり前だ。その役割を果たさない人間は不良品なのである。学校に行かない子ども、定職を持たない男、子供を産まない女、結婚しない男女、家事をしない主婦はまともじゃないのである。子供は良い成績を取ること、男は文句を言わずに残業すること、出世すること、女は良妻賢母になることが期待される。日本人の生活はこうした隠然としたルールに縛られており、その役割を果たさないと肩身の狭い思いをする。
多くの日本人は、嫌なことをするのが人生だと思っている。忍耐と努力が好まれ、嫌なことを我慢するのが当然と思う日本人にとって、ひきこもりは与えられた役割から逃げる、許せない存在であり、不良品なのである。
 
ひきこもりの背後には「自由を否定する文化」が隠れている。祖先から脈々と受け継がれてきた類型的な役割分担の価値観が、物の豊かな今、ひきこもりを生み出しているのかもしれない。
 
アメリカ人は誰からの干渉も受けずに職業、住む場所、結婚相手を自由に選ぶ。その生活態度自体が人間を自立に向かわせるのかもしれない。自立ではなく、従順を求められ、期待された人生を素直に歩む日本人はその人生のコ-スから外れたが最後、ひきこもりの人生が待っているのかもしれない。

拡大自殺

2019-05-28 | 社会
神奈川県川崎市内の登戸駅近くで児童ら19人が襲われた殺傷事件は無関係な他人を道連れにする「拡大自殺」である。確保された男は自らの首を刺し、その後死亡した。
 各種報道などによると、男は川崎市内の51歳、スクールバスを待っていた小学生らに包丁を複数持って次々に襲いかかった。
 
 この種の犯罪の防止は、自殺を防ぐことが最善だ。自殺の原因は困窮と孤立。特に高齢者に多く、下流老人と呼ばれる高齢者は孤独になりやすい。
一般的に預貯金などの金融資産500万円未満の高齢者世帯が下流とされているが、金融広報中央委員会の「家計の金融行動に関する世論調査〔二人以上世帯調査〕(2015年)」によると、60代以上で金融資産500万円未満の世帯は実に4割を超えるという。今現在は下流でなくても、子供たちなど、家族の事情で資産をなくし、下流になってしまうリスクは誰にでもある。最後の頼みは生活保護など福祉だが、持ち家や不動産を持っていては受給できない。バイクや自動車もダメだ。借金していても、保護費で借金返済となるから、NGだ。もらえたとしても、高齢者の単身世帯の場合、8万円以下の様である。家賃などは別途支給されるが、食べるだけの最低生活だろう。
 
 71歳の老人による新幹線車内での自殺事件ではガソリンをかぶって焼身自殺を図った老人のために巻き添えで一人の女性が亡くなった。事件後の取材で、年金だけの生活では苦しく、不満を漏らし、自殺をほのめかしていたという。その老人の年金受給額は月12万円。居住していた杉並区の生活保護基準は14万4430円だった。年金受給額が生活保護基準を下回っていた。その老人は以前、清掃業の仕事をしていたのだが、仕事がなくなって年金だけの生活になった。生活費がもっと少なければ生活保護を申請するケースが多いのだが、12万余というのは、生活保護基準を下回るが、極端にひどくはない。普通のサラリーマン生活を送ってきた人が、年金暮らしになり、しかも夫婦でなく単身生活を送ることになった場合の標準的なケースだという。つまりかなり多くの高齢者が、将来、この自殺した老人と同じような生活に至る可能性が高いのだ。小泉構造改革から10年余を経て、格差はますます拡大しつつある。アベノミクスなるものの恩恵を受けて景気が回復しつつあるなどというのはまゆつばで、多くの人がますます生活が大変になりつつある。
 
もっとも、経済的に困窮しているだけで、拡大自殺を図るまで追い詰められるわけではない。やはり、孤立が重要な要因になる。
 
16年8月7日、東京都杉並区の商店街で、夏祭りのサンバカーニバルを楽しんでいた人々の群れに突然、近くの建物から火炎瓶が投げ込まれる事件が起きた。計15人がやけどなど負傷する惨事になった。火炎瓶を投げ込んだ60代の無職の男は、消防隊が駆けつける前に首を吊って死亡している。この男は、資産家で不動産を複数所有していたらしく、経済的に困窮していたわけではない。ただ、事件の2年前に妻を亡くしてから、以前営んでいた酒屋の上階にひとりで暮らしていた。地域とほとんど交流がなく、半ば引きこもりのような生活を送り、生前、周囲に「サンバがうるさい」と漏らしていた。孤独な生活の中で憎悪と復讐願望を募らせたようである。拡大自殺をする人は、人生に絶望しており、社会への復讐感情が強い。人知れず、静かに死ぬのは我慢ならず、誰でもいいから巻き添えにしたいと思っている。社会に衝撃を与えて、自分の死を犯罪史に残し、社会に復讐しようとする。
 
グローバル化により貿易の自由化が進み、未熟練労働者(誰でもできる仕事についている人)を雇用して生産する工業製品の輸入が増加した結果、未熟練労働者の需要が低下した。途上国では格差が縮小する一方、先進国では格差が拡大する。90年代以後、消えた日本各地の工場と地方衰退、そして中国の繁栄ぶりを見ると納得がいく。
 
拡大自殺は格差社会であるアメリカで多く、学校での銃乱射事件は頻発している。ラスベガスで、男がホテルの32階から屋外コンサート会場に向けて銃を乱射し、59人が死亡した事件は、アメリカ史上最悪の銃乱射事件となった。この事件を起こした64歳のスティーブン・パドック容疑者は、警察が突入する際に自殺した。拡大自殺の典型だ。
 
わが国でも拡大自殺が多くなりつつある。銃がなくても、ガソリンや自作の爆発物を用いれば拡大自殺が可能であることを過去の事例は示している。また、拡大自殺を図る人の胸中には、絶望感と自殺願望、怒りと復讐願望が潜んでいる。社会に排除の空気が漂うほど、こうした感情や衝動を抱く人は増え、特に閉塞感の漂う都会では人々の孤独感は高まる。さらに、なんでも模倣する「コピーキャット」現象によって、拡大自殺の連鎖が起きることは想像に難くない。
 

危険な高齢者

2019-04-26 | 社会
「人生100年時代」といわれるが,平均寿命と健康寿命の差(ギャップ)が問題となる。平均寿命から健康寿命を差し引いた“日常生活に何らかの制限がある期間”が、男性で約9年、女性で約12年間ある.
加齢に伴い、体のさまざまな機能が衰えていく。その変化のペースをできるだけ緩やかにし、機能低下を予防していくのが大切だ。
 
近頃、高齢者が加害者の交通事故が頻発している。運転技術に自信を持っている高齢者が多く、確実に自身に対する認識が甘くなっている。
私たちが持つ高齢者のイメ-ジは70代である。高齢でも認知機能に問題はなく、体力は弱ってきても日常生活に支障はなく、自立して生活できている。多くの高齢者の場合、いくら年をとっても認識の上ではいつまでも70代。よぼよぼの高齢者と自分を重ね合わせることはない。80代になれば、単なる高齢者ではなく、フレイル、サイコペニアとなり、ロコモティブシンドロームが発症してくる。しかし、それらの症候群の対処法どころか、意味の違いすらも認識していない状態だ。自戒をこめて、今日は詳しく調べてみたい。
 
フレイル
フレイルとは、「虚弱、衰弱」を意味し、加齢とともに筋肉や認知機能が低下して、要介護や死亡の危険性が高い状態。健康な状態と要介護状態の中間と考えるとわかりやすい。
独居や閉じこもり、嚥下機能低下(サルコペニア)、低栄養状態となり、うつ、意欲・判断力・認知機能低下が顕著となる。3つの中で一番大きな概念である。
 
判断基準
・体重の減少(6か月で2~3kg以上)
・疲れやすい
・歩行速度の低下(1.0m/秒未満)
・握力の低下(男性:26kg未満、女性:18kg未満)
・身体活動の低下(軽い運動あるいは定期的な運動をしていない)
上記のうち3項目以上に該当する場合は、フレイルに該当。なお、1~2項目の場合はフレイルの前段階・プレフレイルに該当する。
 
 
サルコペニア
言葉の意味は筋肉の減少。加齢に伴う筋量・筋力の低下と定義され、「加齢性筋肉減少症」と訳されることもある。食べ物を噛む咀嚼筋群、食べ物を口から喉に送り込む舌下筋群、逆流しないようにする食道括約筋なども関与する。誤嚥を頻発し、肺炎を引き起こす。転倒のリスクも高まる。
 
人間は一日の間に筋肉の合成と分解を繰り返している.成長期では合成が分解を上回り、十分な量のタンパク質の摂取により筋肉は増加していく。高齢者においては食事量(とくにタンパク質の摂取量)や運動量の減少により、筋肉の合成量が低下し、合成が分解を下回ることで、筋肉量が減少する。70〜80歳代では、20〜30歳代と比べて約30〜40%の骨格筋量が減少する。
 
骨格筋量の減少に加えて、握力や歩行速度の重要性が認識されるようになってきた。
ヨーロッパの研究グループは「筋量と筋力の進行性かつ全身性の減少に特徴づけられる症候群で、身体機能障害、生活の質(QOL)低下、死のリスクを伴うもの」と定義している。
 
さらに日本人の高齢者に合わせたサルコペニアの簡易基準案が国立長寿医療研究センターによって作成されている。
65歳以上の高齢者
歩行速度が1m/秒未満、もしくは握力が男性25kg未満、女性20kg未満であり、さらにBMI値が18.5未満、もしくは下腿周囲径が30cm未満の場合にサルコペニアと診断される。
 
 
ロコモティブシンドローム
運動に関わる骨、関節、筋肉、靭帯、腱、神経のことをまとめて運動器という。運動器の障害のために移動機能が低下した状態を指す。2007年に日本整形外科学会が提唱した概念で、メタボリックシンドロームに対して、考え出された。ロコモに至る原因としては、骨折や骨粗しょう症などの骨の障害、変形性脊椎症や変形性関節症といった関節や椎間板の障害、そしてサルコペニアや麻痺などの筋肉や神経の障害がある。つまりロコモはサルコペニアを含む状態であり、同時にフレイルの一部にロコモは含まれる。
 
ロコモの判定には、移動能力に関わる「立ち上がり動作」と「最大歩幅」が重視される。
下肢筋力を調べる「高さ40㎝(20㎝)の台からの立ち上がり」と歩幅を調べる「2ステップテスト」の2つ身体機能テストに加え、身体状態や生活状況に関する25項目の質問表「ロコモ25」に答えることで判定される。
 
 
筋力が低下してきた(サルコペニア)ので、出かけるのが困難で億劫になる(ロコモティブシンドローム)。この状態を身体的フレイルといい、閉じこもりなどの社会的フレイルや、認知機能の低下などの精神的フレイルに繋がっていく。
 
問題は加齢で身体精神能力そのものがおちているにもかかわらず、自分はいつまでも若いつもりで、生活一般を改めようとしない頑固で認知機能に問題のある高齢者が多いということである。今回の交通事故を起こした87歳男性も杖をついてのよぼよぼ歩行しかできないにもかかわらず、車いすに乗る感覚で自動車に乗ってしまう。自動車は運動能力のない人を支援する便利な道具ではないのである。人を殺す凶器であることを認識し、少しでも不安がある人は免許を返納することは当然だ。さらに注意能力も反射神経も衰えている高齢者が都会でハンドルを握ることに無理があるのは想像に難くない。若い人でも危ないのによぼよぼの高齢者がとっさの非常事態に適切な行動をとれるわけがない。自動車を便利な道具と考えるのは止めて、80代になったら人を殺す凶器に乗るのを止める見識をもとう。知識や判断能力に自信は持っても、身体能力に自信を持つのはやめよう。もし自信があるなら、あなたの判断能力には相当の障害があると心得よ。

報ステがつまらなくなった理由

2018-08-05 | 社会
最近、『報道ステーション』(テレビ朝日)がつまらない。『報ステ』といえば、忖度体質が支配するテレビ報道のなかで、安倍政権をきちんと批判ができる数少ない番組として支持を受けてきた。ところが、7月を境に、この番組から安倍政権批判が極端に少なくなってしまった。
 杉田水脈のLGBT差別発言でテレビ各局の動きはもともと鈍かったが、24日にTBSの『NEWS23』が取り上げたのを皮切りに、25日以降はフジテレビや日本テレビの番組ですらこの問題を批判的に取り上げた。
 ところが、『報ステ』はこの問題を取り上げない。自民党本部前で大規模な抗議デモが行われた27日になっても完全スルーだった。「赤坂自民亭」問題でも対応は同じ。当初、テレビの報道はほとんどが沈黙していたが、」キー局では10日になって『あさチャン!』『Nスタ』『NEWS23』といったTBSの番組が取り上げるようになり、他局のニュース番組やワイドショーにも広がっていった。
 だが、なぜか『報ステ』だけは頑なに「赤坂自民亭」問題を取り上げることはなく、1週間後の17日になってようやく紹介。それは、安倍首相が同日の参院内閣委員会に出席し、国会という公の場ではじめてこの問題について追及され、「いかなる事態にも対応できる万全の態勢で対応にあたってきた」と答弁したタイミングだった。
 
 そして、政権批判につながる問題が影を潜める一方で『報ステ』が熱を入れて取り上げてきたのが、東京五輪やスポーツの話題だ。
カジノ法案が参院予算委員会で強行採決された19日、『報ステ』は東京五輪の競技日程が決まったことを巨大なボードを用意してトップニュースとして報じ、富川悠太キャスターも「ワクワクしてくるでしょ? あと2年もあるのに!」と大はしゃぎ。懸念されている暑さ問題などについてもVTRで取り上げたが、それを受けてのスタジオでは一転、日本のメダル獲得が期待されている競技を事細かに紹介するという気の早さで、暑さ対策については最後にコメンテーターの後藤謙次が触れた程度で終了。時間にして約16分、東京五輪の話題に費やしたのだ。
 しかも、『報ステ』は24日も、またしても東京五輪の話題からスタート。「オリンピックまで2年」と題し、この日各地でおこなわれたカウントダウンイベントを紹介。スタジオでは五輪観戦のためのチケット入手方法をボードを使って解説し、「公式サイトへのID登録は10〜15分程度」「いま登録しておけば、事前に会場を視察できるツアーに応募できる」「登録するとおトク情報が送られてくる」などと説明するという懇切丁寧なもので、組織委員会か東京都の広報番組かと見紛うほど。とてもじゃないが報道番組とは思えない、いやワイドショーでもここまではやらないというレベルだった。この話題にかけた時間は、なんと約20分だ。
 
 
 もちろん、この異変には理由があった。今年7月から、『報ステ』のチーフプロデューサーが代わったのだ。新たにチーフプロデューサーに就任したのは、桐永洋氏。直前までは『グッド!モーニング』のチーフプロデューサーを務め、激戦区である朝の時間帯に視聴率を押し上げた立役者なのだという。しかし、この人事の裏には、政権批判潰しがあったのではないかといわれている。「『報ステ』のチーフPといえば番組内から昇格することが多かったのに、今回は他番組からの抜擢。これは桐永さんが『グッド!モーニング』の数字を上げた功労賞というだけでなく、安倍政権に近い早河洋会長が、政権の意向を忖度して、批判色を弱めようとしたということでしょう。桐永さんは編成局の経験もあり、上層部のおぼえめでたい人物。早河会長の子飼いという指摘も一部にはあります」(テレビ朝日編成局関係者)
 
 テレ朝の早河会長は2013年より幻冬舎の見城徹社長の仲介をきっかけに安倍首相と会食を繰り返すようになり、それ以降、『報ステ』の安倍政権・原発批判路線からの転換を迫ってきたといわれている。実際、2014年におこなわれた『報ステ』10周年パーティでは、当時キャスターだった古舘伊知郎が「早河社長から好きなようにやってくれ。何の制約もないからと言われて始めたんですが、いざスタートしてみると制約だらけ。今では原発の“ゲ”も言えない」と挨拶で愚痴った。さらに、2015年に『報ステ』でコメンテーターを務めていた古賀茂明が「I am not ABE」発言をおこなって官邸が激怒した際には、早河会長の主導により古賀の降板と当時のチーフプロデューサーが更迭されるという事件も起こった。古舘の番組降板も、早河会長と安倍首相の関係が大きく影響を与えたことは間違いない。
 
『報ステ』の変化は、永田町でも話題になっている。
「他社の政治部記者や政治家の間でも『報ステは一体どうしちゃったんだ。政権の意向が働いているとしか思えない』という声が上がっていますね。政治の動きはほとんど取り上げないうえ、たまに取り上げても、VTRではほとんど批判しない。いまは、コメンテーターの後藤さんが政権批判を語ってかろうじてバランスをとっていますが、このままいくと『後藤さんも外されるのでは』という予測も流れています」(キー局政治部記者)
 
 ジャーナリズムの使命は権力を監視することにあり、権力を恐れて批判の手を緩めることは、ジャーナリズムの死を意味する。何の批判精神もなく、大本営発表を垂れ流す番組。五輪やスポ-ツ・ニュ-スだけ嬉々として報道する番組。22時台のニュ-ㇲ番組がまた一つ消える。

五輪誘致がもたらす災害

2018-08-05 | 社会
多くのマスコミが五輪利権を前に沈黙し、五輪批判がタブー化しているなか、一貫し東京五輪に反対の声を上げてきた久米宏。
TBSラジオの『久米宏 ラジオなんですけど』で、五輪批判を展開した。
 
まず、酷暑問題。「いま2年後のことを考えるとゾッとする。オリンピック真っ最中なんですよね。『日本のこのシーズンは気候温暖でスポーツには最も適している』と言う大ウソで、やることになったんだからひどい。」
そして、リスナーからの東京五輪への賛否のメールやハガキ318通の意見のうち、賛成28通、反対283通だったことが報告され、意見が次々読み上げられた。
 
「復興に人も予算もまわすべき」
「いまだに原発事故収束の目処も立っていない」
「オリンピックに使うお金があったら、学校の給食費を無料にすべき」
「スポーツの大会を開くことよりも、一人でも多くの命を救うことのほうが先決」
「運送屋の観点からも、大反対。期間中の物流が混乱し、零細業者は大損」
「教員はもともと忙しいのに、学校まで五輪の啓発をやらされる」
「イベントが中止になって、売り上げが下がる」
「休日を移動させるって、関東以外は大迷惑」
「海の日を開会式前日に、山の日を閉会式翌日に移動させるって、お盆をなんだと思ってるんだ!」
「神宮球場を資材置き場にするなんて、ヤクルトスワローズをバカにしている!」
「文科省とスポーツ庁の学生ボランティアしやすいようにという通知。学生を過酷な国家行事に動員するなんて」
「人も資材も東京五輪に集中して、北海道のゴミ焼却場の建設費までが膨れあがっている」
「私、東京五輪は反対です。前の五輪の最後の聖火ランナーは、広島の方でした。全世界に原爆から復興したんだ。原子力を平和利用していこうという絶好のコマーシャルにされてしまいました。
今回も福島は復興したんだ、原発事故が起きても大丈夫というアピールに、多くの人が大好きな五輪を利用してやるのだとしか思えません」
 
久米はこうしたリスナーの反対意見にひとつひとつ賛同の意を示し、さらに踏み込んだ自分の意見を述べた。
 
「クーベルタン男爵の意思や思いを一番曲げたのは日本でしょうね。くたばれクーベルタンとね。これだけメダルが好きな国いませんからね。ほんとに五輪とメダルが大大好き」
「だいたいロスの五輪でピーター・ユベロスというやり手がいまして、大黒字を出したんですよ。あのあたりから五輪はビジネスだ、金儲けになるっていうので。今回の東京五輪招致のときにも、実は賄賂を贈った事件があったんですけど、これみんなで揉み潰したんですよ。賄賂をもらった馬鹿な息子が、どこかでとんでもない買い物をしたんですけど。どうも日本の広告代理店から出ているらしい、とんでもない賄賂なんですけど。これあっという間に握り潰されたんですけど。つまり、かなりの賄賂を払って誘致してもプラスになるのが五輪だと。金のなる木になっちゃったんですね。もちろんいちばん儲かるのは広告代理店、ゼネコンのお祭りですから、ゼネコンフェスティバルといわれていますから」
「暑いから反対って方がわりと多いんですけどね、そんなことかって思うんです。僕が言ってるのは、誰が決めたんだって。東京五輪を招致するのを。石原慎太郎氏が思いつきで言っただけで、都民がこれに対して投票したことがあるか、東京都議会が本当に招致しようかどうか議論したことがあるか。東京都民が決めたんじゃないんですよ。勝手に決めたのを上から押し付けていいのかってこと。福島の復興のためだって言ってますけど、福島の人はよろこんでいるのか、東京での五輪を。福島でやるんじゃないんですよ。福島から聖火ランナーがスタートするだけ、福島の人は何も喜んじゃいない。そのことを僕は申し上げていて」
 
久米が最も反応したのは、ある反対派のリスナーの自己紹介だった。「大変失礼ではありますが、公務員ゆえに匿名でお願いします」
 
「公務員ゆえに匿名って、それどういう意味? 公務員って「反対」って言えないの? 日本はそういう国なのね。これ財務省の役人が書類改ざんするのとほとんど同じですよ。つまり国の方針には忖度を与えなきゃいけない。国が決めたことは絶対反対できない。そうじゃないでしょ。公務員は国民に奉仕する人たちでしょ。五輪に公務員は反対できないなんて、絶対この国は、変です」
 
 
2年前、ローマが2024年オリンピック誘致から手を引いた。「夏季五輪の招致を継続することは無責任。財政難のローマでの開催は困難」と全うで賢明な判断を示した。
確かに、一時的な経済効果はある。しかし、翌年から急激に景気が悪化する。どの国でも起きている現象で、無理をしたツケが回ってくる。
日本は今の段階で予算が3倍近くに膨らんでおり、オリンピックで逆に景気悪化するのは容易に推測できる。オリンピックは新興国で開催すれば大きな経済効果がある。何もない地域に新幹線や空港、高速道路、宿泊施設などができるからだ。しかし、現在の東京は全て出来上がっている。今あるものを壊して、新しいものを作って経済効果が上がるとは考えられない。
 
それに、日本は高齢社会なのでスポーツの祭典には不向きだ。いくら元気な高齢者でも、混雑する交通網を乗り継いで見に行こうなんて言うもの好きは、稀有だろう。
 
オリンピックが儲かるという幻想は、どうやら1984のロサンゼルス大会からはじまったらしい。68年のメキシコシティ大会は政治的抗議の舞台となり、72年のミュンヘン大会は武装ゲリラによるテロ事件が起き、76年のモントリオール大会は多額の負債を抱えた。五輪の立候補地が激減する中、84年の開催地に決定したのがロサンゼルスだった。この大会から、IOCはプロ選手の参加を認め、五輪の商業化は加速していく。商業化路線を進めたのはサマランチ会長だった。しかし、もともとのオリンピックは商業主義とは無縁だった。五輪は都市の再生のためでも経済成長のためでもない。国民に感動と記憶を残すためでさえない。五輪の開催目的とは、オリンピズムへの奉仕であった。五輪は国家間の競争ではなく、個人参加が基本だと五輪憲章には明記されている。五輪が国別対抗戦的になったのは1908年の第四回ロンドン大会からで、ブランデージら、70年代までのIOC会長は五輪がナショナリズム高揚の場となることを懸念していた。したがって今日、国ごとのメダルの数を比較したり、まして日本のように〈政府が自国のメダル獲得数の目標を掲げる〉など言語道断であった。東京五輪は政治家や官僚や大企業が利権の内部調整に終始するだけの巨大イベントになりさがっている。さらに、福島と言う災害を経済活動に利用し、資本主義的な収奪システムを再編し、格差の構造を強化するための、格好の事業でもある。
 
賢いオリンピック期間の過ごし方は日本を脱出して海外のリゾ-ト施設でゆっくり過ごすのがよさそうだ。
そんな元気もお金もない方は、レンタルビデオで大量のDVDを借りて、映画の名作やドラマ、音楽ビデオを見る。短期で習い事を始めたり、趣味に打ち込むのもいい。
テレビを見て、商業主義に侵された感動に酔い、物言わぬ諦めの国民になることだけは避けたいものだ。
 
2018年4月25日付のジャパン・トゥデイ 「2020年のオリンピックは、東京の商工業に災害をもたらす」。
週刊金曜日が、2016年7月15日号の「呪われた東京五輪」に続いて、2018年4月20日号の「東京オリンピックなんて、大っ嫌い! 最後の一人になっても2020年開催に大反対する理由」と題して特集を組み、「反東京オリンピック宣言」を行った。2016年の特集では、東京オリンピックが腐敗の温床になることを警告したのに対して、今回の特集は、経済災害を警告したものになっている。

ご飯論法、そして、謝ったら死ぬ病

2018-05-31 | 社会
「ご飯論法」。法政大の上西充子教授がツイッターに投稿して話題になり、国会審議でも引用された。
 
Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
Q「何も食べなかったんですね?」
A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので…」
Q「では、何か食べたんですか?」
A「お尋ねの趣旨が必ずしもわかりませんが、一般論で申し上げますと、朝食を摂(と)る、というのは健康のために大切であります」
Q「いや、一般論を伺っているんじゃないんです。あなたが昨日、朝ごはんを食べたかどうかが、問題なんですよ」
Q「じゃあ、聞き方を変えましょう。ご飯、白米ですね、それは食べましたか」
A「そのように一つ一つのお尋ねにこたえていくことになりますと、私の食生活をすべて開示しなければならないことになりますので、それはさすがに、そこまでお答えすることは、大臣としての業務に支障をきたしますので」
 
こんなごまかしやすり替えが国会で繰り返される。疑惑は解明されず、時間だけが空費していく。国民は森友、加計問題を巡る政府答弁にうんざりしている。
 
そして、政界やスポーツ界にまん延している病気、「謝ったら死ぬ病」。自らの非を認めたら、その瞬間に死が訪れる「病」だという。その症状は、すぐ謝れば解決するかもしれないのに、過ちをかたくなに認めず、問題点を追及されると、ご飯論法で、はぐらかしたり、ごまかしたりする。
 
政界、スポ-ツ界に蔓延している症候群を揶揄してSNSで使われている言葉だ。
 
 安倍首相は昨年2月、森友学園問題で小学校認可や国有地払い下げに関して「私や妻が関係していたということになれば首相も国会議員も辞める」と断言した。昨年7月には、加計学園の獣医学部新設計画を知った時期を「2017年1月20日」だったと強弁する。その発言につじつまを合わせようとして、公文書改ざんの発覚で佐川宣寿国税庁長官が辞任。面会の事実を記憶にないと認めない柳瀬唯夫元首相秘書官らのご飯論法による国会答弁。
麻生財務相も謝罪がお嫌いのようだ。「森友学園」をめぐる財務省の文書改ざんについて「書き換えられた内容を見る限り、白を黒にしたとかいうような、いわゆる改ざんとか、悪質なものではないのではないか」と語った。「セクハラ罪という罪はない。」ともいう。
 
今、一番問題をこじらせちゃっているのは日大アメフト部の監督が(悪質なタックルについて)責任を回避する発言をしたことだ。すぐ謝罪していたら、こんな大ごとにはなっていなかったろうに。
 
 
 なぜ、謝れないのか? 「謝罪マスター」と呼ばれる竹中功さんは「謝罪するには、悪いことをしたと自ら認めた上で、誰が困っている、誰が苦しんでいるかを理解しないといけません。つまり『自分が悪い』と受け入れない限り、謝れない。安倍首相は『俺は何も悪いことしてない』と思っているのではないですか? 妻の昭恵さんにしても森友学園に関して悪いことはしていないと信じ切っているのでは。」
 
 精神科医の名越(なこし)康文さんは「謝罪の邪魔をするものは自己愛でしょうね。誰だって自分がやってきたことは人一倍評価したい。たとえ悪いことをしたり失敗をしたりしても『これだけ自分は頑張ってきたのに』という内向きの論理を過大評価してしまう。自分でミスを犯して反省したとしても、他人から誤りをとがめられたり、批判されたりしたら自己愛が傷付く。その傷はものすごく痛む。咎める人間に恨みを抱く。そんな調子だから、周りは謝るように助言することもできない」
 
 ミスや過ちを犯さない完璧な人はいないし、謝っても死ぬことはない。危機管理の面からも、早急に謝って、真実を述べ、問題をそれ以上大きくしないようにした方が得するのだが、権力の中枢にいる人間にはその辺のことが全く理解できないらしい。
 
 
 
北朝鮮問題、米朝首脳会談、国会でモリカケ問題で争っている場合ではない。そんな嘆きが聞こえててくる。議論すべきテーマは山積しているというのだが、そうは思わない。
森友学園問題では、国有地払い下げの「値引き」に、首相の妻昭恵氏の影響力が取りざたされ、加計学園問題では、首相の親友の獣医学部新設が、首相肝煎りの特区制度で実現しているのだ。いずれも「政治の私物化」である。さらに、官僚はこぞって、安倍首相を守ろうと、森友問題では財務省の前理財局長が『記録はない』とウソをついて記録を廃棄し、改ざんした。加計問題も、首相秘書官の説明は真実から遠く、首相の説明を覆すような文書まで出てきた。
 『政治家や役人は国民にウソをついてはならない』という民主国家の大原則を政治家や役人が踏みにじっているのに、それらをほっぽって他の重要案件を議論しようと言う主張なのだ。
 
 麻生太郎財務相「森友のほうがTPP(環太平洋パートナーシップ協定)より重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」(3月29日、参院財政金融委員会)。
 「加計学園問題が中心の集中審議。とことん憲法改正阻止に躍起とお見受け」(5月10日、長尾敬衆院議員のツイッター投稿)。
 
 もっと大切な議論を、現政権に任せられるのか。自分を守るばかりで、事の真相を見ようとしない現政権に安全保障や外交のまともな議論が期待できるのか。トランプの言いなり政権、金だけ要求されてトランプにおもねる政権には一刻も早く退場願いたい。
 憲法改正にしても、安倍晋三首相の強引さが見える。9条2項をそのままにして、自衛隊を明記するという。憲法上の論理の矛盾などどうでもいいのだ。
 金だけでなく、命も差し出せという米国の要望に何としても応えたい安倍首相の焦りが見える。米国の要求通り、自衛隊の海外派遣に道を開きたいのである。
 
 ご飯論法に終始し、謝ったら死ぬ病に罹患している首相に国民の生命を預け、国民の主権を負託してはならない。
 政治家や官僚が国民を意思決定権者と見なしているとは考えられない。国民の判断材料となる記録の改ざんや隠蔽、廃棄が平然と行われ、モリカケ問題にみるように、政治の私物化も当然の権利と考えているご様子である。日本国民は救われない。700億円もかかるという国政選挙の投票率はわずか50%強である。北欧の国(デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランド)の投票率は常に75%を超えているという。市民の参政権・政府選択権の可否、報道の自由、表現の自由、結社・組合の自由の観点から、民主化度を評価した調査で日本のランキングは46位である。

高齢者は自分の預金を下ろすことが許されない?

2018-01-20 | 社会
「高齢者は自由にお金を使えない?」というのは、もう常識になりつつある。頭脳明晰な77歳男性が、孫の大学入学金として使うために自分の預金を下ろそうとして、銀行員に疑念を抱かれ、警官までやってきて根掘り葉掘り尋問されたという。本人はとうとう怒り出してしまった。その話を聞いた時は、これだけオレオレ詐欺が横行しているのだから、犯罪に引っかからないようにするには仕方がない、日本の警察官ってなんて親切なんだろうと思っただけだった。銀行員から身分証証明書の提示を求められるのは当然、お金の使い道を根掘り葉掘り聞かれるのは煩わしいが、これも親切心からのこと、さすがに警察官に尋問されるのは行き過ぎだと思ったが、近くの郵便局で同じようにして犯罪を未然に防いだという話も聞いていたので、もうちょっと、スマ-トにできないものかとは思ったが、そのまま忘れてしまった。
しかし、今回自分の家族が銀行で1時間近く、同じように根掘り葉掘り聞かれて、高齢者サイドの迷惑はかなり甚だしいと思った次第である。
ことの発端は、義理の息子が独立して事務所を開設する祝い金として、本人たちに秘密で新札で100万円用意しようとしたのである。私自身は財布に入らないようなお金を持ち歩きたくなかったので、まだ若々しいと本人も私も勝手に思っていた夫に銀行で預金を下ろして新札を用意するように頼んだのである。今般の事情を知らない夫は何のためらいもなく、新札で受け取ろうと窓口に出向いたのである。
それから約1時間、本人の言っていることが事実かどうか確証を得るための事情聴取が始まった。
娘さんに事情を確認したいという。
娘は働いているうえに、秘密に用意しようとしているお金である。確認はできない。
奥さんに連絡して確認したいという。
奥さんはジムで運動中で電話には出ない。
それから、延々と質問され、見た目の善良さや穏やかさではかえって騙されているという確証を与えるばかりなのか、まるで放免してくれない。それでも怒り出さず、嫌な顔もせずに対応したらしいから、さすが普段から妻の尋問に耐えている夫の面目躍如と言うところか。(笑)
娘が週末訪問することを証明すればいいと思いついて、LINEの会話を銀行員に見せて、やっと無罪放免となったのである。
 
多くの金融機関で行われている引き出し制限
このような水際対策を最初に採用したのは静岡県のようだ。2013年12月より県内に本支店をおく全金融機関で、75歳以上の顧客が300万円以上の現金を引き出す場合は原則引き出しに応じず、利用使途を確認したうえで振込を勧める。顧客が振込を断った場合には、記名式の線引預金小切手の利用を促す。記名式の線引預金小切手であれば、支払先が明確になり、現金化までに数日を要するため、その間に口座を凍結すれば被害を防げるからだ。それでも顧客が現金での払出しを希望する場合には、銀行が警察に連絡する。
その後、この方式は徐々に全国の銀行に拡がっているが、引き下ろし限度額をはじめとする対応ルールも地方や銀行でバラバラであるらしい。何よりも引き出し制限の高齢者に対する周知が不徹底であることが混乱を招く原因であると思う。
 
自分の預金の引き下ろし制限が行われる法律的根拠は、「犯罪による収益の移転防止に関する法律」(平成二八年六月三日改正)にある。この法律によれば、「犯罪による収益が組織的な犯罪を助長するために使用される」ことが、「健全な経済活動に重大な悪影響を与える」ことから、「特定事業者」による顧客の本人特定事項の確認、取引記録等の保存、疑わしい取引の届出等の措置を講ずることで、犯罪による収益の移転防止を図るものとされている。ここで問題となってくるのは「疑わしい取引」の定義。何を持って、その取引を疑わしいと判断したのか。認知症の疑いがあるなど一定の理由があれば納得いくものの、後見人が必要とされない高齢者に対して、一律に引き出し制限を行う行為が金融機関に法的に認められるものなのかどうか。一律に年齢基準で引き出しを禁止するのは年齢差別、高齢者差別行為にあたる可能性もある。
口座の引き出し制限は、最近はキャッシュカードの振り込み制限まで拡がっている。静岡銀行では2017年5月22日より70歳以上で、かつ過去1年ATMでキャッシュカードの振り込み実績のない客について、振り込み停止としている。同じく過去1~3年振り込み実績のない客に対し、振り込み限度額を10~30万以下にするという措置が多くの銀行で採用されている。
警察庁の報道発表「平成28年の特殊詐欺認知・検挙状況等」によると、高齢者(65歳以上)被害の特殊詐欺の件数は約1万1千件と特殊詐欺全体の8割を占めている。
 
一定の効果が上がっているらしい水際作戦を否定するつもりはないが、実行に移す前に、せめて広報活動を行って、高齢者が預金口座から現金を下ろす方法の標準化、手続きの詳細を顧客に送付するぐらいはやってほしいものだ。

手数料かせぎの銀行も高齢者がタ-ゲット

2017-12-31 | 社会
出口のない超低金利が続く日本。
銀行の利益は、預金と貸金の金利差だが、もはや本業で儲けは出ない状況だ。
 
2010年の貸金業法の改正により貸金業者(消費者金融・クレジットカード・信販会社など)に対する規制が強化され、その利用は大きく減少した。代わって浮上してきたのが銀行カードローン。銀行カードローンの残高が拡大し続けており、2016年に自己破産者は13年ぶりに増加に転じた。銀行が個人向けに無担保で融資を行うカードローンは企業向け融資と比べると、貸出金額は小口だが、高めの金利が取れる。銀行業界において貸出金利回りは右肩下がりが続いていて、直近の業界平均値は1%前後と低迷。ところが、銀行が提示しているカードローンの貸出金利を見ると、100万円以下で12~14%という水準で、文字通り桁違いの高さだ。
 
かつて消費者金融を中心に、個人に対して返済能力を上回る過剰な融資が行われ、高金利の借金を幾つも抱える多重債務者が発生し、社会問題となった。そこで金融庁は2006年に貸金業法を改正し、消費者金融に対して、年収の3分の1を超える融資を禁じる総量規制と上限金利引き下げというルール変更を行った。その結果、借金を5件以上抱える多重債務者の数は、ピークだった約10年前の180万人から9万人にまで減少したという。ところが、今度は貸金業法が定める総量規制の対象外である銀行カードローンによる過剰融資が社会問題化しつつある。
 
銀行業は規制に守られた収益産業だったが、今や「構造不況産業」である。その大きな要因になっているのが、「人口減による顧客基盤の縮小」、「量的緩和・マイナス金利」、「金融庁による手数料監視」が銀行の首を絞めている。国内の利ざや縮小が経営にどれだけ大きな影響を及ぼすかは、銀行によって異なり、収益の多様化が進んでいる銀行ほど、影響は相対的に小さくなる。3メガ銀行も伝統的商業銀行業務のほかに、証券・信託・リースなどに収益源を多角化している。貸金業務以外の業態は手数料収入で儲けているので元本割れを起こして投資者に損をさせてしまっても痛くも痒くもない。だから、投資信託などに投資させ、売買を繰り返し、顧客の資産を目減りさせ続け、手数料収入を得ることがノルマになっていくのである。これは詐欺に限りなく近い。つまり、ボケ老人を騙しているのは、オレオレ詐欺だけでなく、「銀行」と「証券会社」も犯罪にはならない詐欺を働いていると言える。
 
銀行→証券会社→ファンド→ヘッジファンドと4ステップくらいあって、銀行と証券会社とファンドは手数料で稼ぐ。仮に1%ずつ手数料を取られたとしたら年間3%。実際に取引をしているのはヘッジファンド。ヘッジファンドの報酬は完全出来高。彼らは働いているからまだ許せる。
投資信託は買った瞬間から97%に下がる。0.97×0.97×0.97×・・・・
10年で元本は0.737に減る。たまたま運が良ければ、運用益でプラスになることもある。投資信託なんぞに比べたら、もっと安い手数料で日経225先物やインデックスを個人で買う方がずっとましである。銀行の定期に預けて年利0.1%の金利で我慢する方がずっと賢い。預金は元本保証だからだ。
 
日経平均が暴落すると、同じく暴落する投資信託。銀行員には投資信託を売るノルマがある。良心的な銀行員はノルマ達成できなくて銀行員自らが買ったり、親類縁者に買わせてノルマを達成している。
「貯蓄から投資へ」のスローガンの下にどれだけの高齢者が「銀行が勧めたから」と、疑う事なしに投信を買っているか。
タコ足配当といって、毎年配当が支払われる恐ろしい仕組みの投資信託もある。企業が原資となる十分な利益がないにもかかわらず、過分な配当金を出すことをいう。見た目には配当金が高いため魅力的に感じられるが、実際は資産を売却したり、積み立て金を取り崩したりして配当金に回しているだけだ。タコが自分の足を食べるのに似ていることから、このように呼ばれる。
外国の債券やドル建ての投信などを勧められる場合もあるだろう。為替など何も知らない高齢者に売りつけるのがそもそもとんでもない営業活動だ。
 
高齢者は基本的に自分が理解できないものには手を出さないことだ。
 
毎月分配型の投資信託に限らず、世の中の金融商品で最も重要視されるのは利回り。言葉巧みに勧誘する事で無知な顧客を集めるのは、いつの時代も大手販売会社と相場が決まっている。
 甘い汁を吸えるのは、カモの投資家では無くて販売会社側なのは肝に銘じておくべきだ。
ゆうちょ銀行まで投資信託を扱っているらしい。くれぐれもご用心!!!

日馬富士暴行は八百長問題に発展するか

2017-12-01 | 社会
日刊ゲンダイの取材によると、日馬富士が暴行に及んだわけが明らかになりつつある。
 
 
日馬富士は説教中にスマホをいじるのをやめない貴ノ岩(27)を殴り、怪我をさせたわけだが、日馬富士が怒り狂ったのも、もっともだと思える貴ノ岩の一言が報道された。何を言っても右から左の貴ノ岩に日馬富士が「オマエの相撲はなってない!」と口角泡を飛ばし、説教はいよいよ熱を帯びてきた。これには貴ノ岩もいい加減、ウンザリしたのか、言ってはいけない言葉を口にした。
「僕は先輩と違って、マジメに相撲をやってんですから!」
このひと言に日馬富士は怒髪天。スポーツ紙は「暴行30発」「マイクに灰皿も」と書いている。
 
この10年の計59場所でモンゴル人力士が53度優勝している。モンゴル力士間で優勝のたらいまわしをしているのかもしれない。
2009年の夏場所で大関だった日馬富士が初優勝を決めたとき、八百長疑惑が内々で持ち上がった。優勝決定戦で敗れた横綱・白鵬との一番は今でも語り草になっている。立ち合いであっさり下手を許した白鵬には、テレビ解説をしていた元横綱・北の富士が「(白鵬が自ら日馬富士を)引っ張り込んでいた」と疑問を呈し、当の白鵬も、取り組み後に記者たちに囲まれると「いろいろ勉強になった。また勉強して頑張る。はい終わり」と、さっさと背を向けたのである。長く朝青龍と白鵬が優勝を独占していた中で、日馬富士がそこに分け入る形になったが、これが関係者間で「モンゴル人同士の密約があったのでは?」という疑いを浮上させたのだという。
モンゴル力士同士が八百長を仕組んでいる証拠は何もないが、場所の合間に酒を酌み交わしていては、そんな疑念が渦巻くのも無理はない。
勝敗はもちろん、モンゴル力士と対戦予定の日本人力士を、場所前に稽古でケガさせるとか、そうやってモンゴル力士の昇進に協力する関係が出来上がっているんじゃないか、と疑われてきた。
 
協会は30日、理事会の中で、横綱白鵬らモンゴル出身力士の間で八百長行為が横行しているとの記事を掲載した12月7日号の「週刊新潮」に対し、抗議文書を送った。記事によると、貴ノ岩は親しい者同士の飲み会で「ナイラ(モンゴル語で八百長のこと)はやらない」と言ったらしい。
 
しかし、過去の八百長発覚で「星の回し合いは八百長じゃない」という仰天発言が親方から飛び出したこともある。金銭のやりとりがないのに、処分はおかしいということらしい。
 ある協会理事は「私も金銭の授受があるのが八百長で、星の貸し借りは違うと思っている」と口にした。この認識が変わらない限り、八百長問題はなくならない。再発防止への第1歩は、力士はもちろん、親方、協会まで相撲界全体が八百長問題を正しく理解することだ。モンゴル力士会を容認し、白鳳に頭のあがらない今の理事会が毅然とした裁定を下せるはずがない。
 
暴行の原因を詳細に語れない理由がやっと分かった。しかし、貴ノ岩が聴取に応じたとしても、本当のことを語るだろうか。貴ノ花の沈黙も理解できる。日本相撲をこよなく愛する親方には真相は語れまい。 
 
それにしても、ここまで明らかになっているのに、マスコミは相変わらず奥歯に物の挟まった報道ぶりだ。今年の流行語は忖度だが、官僚だけでなく、マスコミも忖度だらけの報道である。相撲界で言う礼儀礼節とは力士たるもの、目上の力士を尊敬し、口答えせず、土俵で恥をかかせてはならないということだろう。それを犯した者は暴行されても仕方がない。相撲界の品格とは、横綱の尊厳を守り、相撲界の恥部を漏らさず、不正に目をつぶり、黙して語らないこと。それを犯した者は暴行されても仕方がない。
 
日本国民が相撲に望むことは洗練された忖度相撲なのかもしれない。観客が見たいものはガチンコ相撲ではなく人情相撲なのかもしれない。八百長相撲が暴露されても、観客はすぐ忘れ、国技として支持してきた。モンゴル力士会に望むことは、忖度を日本人力士にまで広めることである。高度な演出で日本人力士を盛り立て、相撲界に若きスタ-を送り出してほしいのである。名前とは裏腹に腹黒く、目つきの悪い白鵬を見るのは、もううんざりである。

モンゴル力士会の暗躍

2017-11-30 | 社会
暴力が発覚してから、毎日毎日、相撲界の報道がうるさい。メディアは単なる野次馬根性で騒動を煽るばかりである。専門家と称する方たちが、断片的な話を自分の情報網から引っ張り出し、まともな憶測すらせず、情報を漏らした者の意図に沿ったコメントをする。解説者なら、断片的な話から一体何が起こったのか筋道を立てて考えれば、暴力が蔓延するしごきの世界、礼節に名を借りた階級社会が存在し、2007年時津風部屋リンチ事件で、死亡者を出した10年前から本質的に何も変わってはいないことが分かるはずだ。
 
メディアの主張は「もちろん暴力をふるった方が悪いが、貴ノ岩の側にも何か落ち度があったはずだ。」「貴ノ岩を閉じ込めて説明させない貴乃花親方は理事会のル-ルに違反している。改革、改革と言うが何を改革したいのかわからない。頑固者でどうにもならない。」
 
そして、日馬富士の引退会見で、初めは殊勝に貴ノ岩以外の関係者に詫びていたが、メディアの重複する質問に苛立ち始めた。こんな大騒ぎになったのもマスコミの面白半分のバカ騒ぎに責任の一端はあるのだから、苛立つのはわかるが、親方がこの態度なんだから、甘やかされた弟子は図に乗って、自分の責任を軽く考えてしまう。一番呆れたのは被害者に対する詫びは一言もなく、礼儀と礼節を教育したとして、得意満面の態度である。これだけの馬鹿につける薬はもうないわ。
 
さて表面に出た話をつなぎ合わせて、憶測と勘繰りで物語を組み立ててみた。
 
物語の発端は.....
東前頭10枚目の貴ノ岩(26)が、稀勢の里の初優勝をサポートする大金星を挙げた。2敗だった横綱白鵬(31)を寄り切りで破った。同じモンゴル出身で「強くて、カッコイイ」存在だった横綱の優勝の可能性を消滅させる初金星に、何度も「うれしいです」と繰り返した。「胸を借りるつもりで行った。それが良かった。あまり、変な硬さもなかった」と振り返った。
 実は、前日13日目の高安戦で左膝裏を痛めていた。「朝は、歩くのもどうかと思った」という状態だった。だが、痛み止め薬を飲んでこらえ、殊勲の勝利につなげた。この金星は貴ノ岩にとって至福の喜びだった。
貴乃花親方は他の部屋の力士とのなれ合いを禁じていたので貴ノ岩はモンゴル力士会とは距離を置いていた。そのため、上下関係が厳しく、正面切って格上力士に対して全力でぶつかっていくのはご法度なのを知らなかったのだ。この時から、貴ノ岩は目を付けられたのである。おそらく、いつかお仕置きをしなければならないと考え、工作員を貴ノ岩の身辺に送り込んでしごきをするネタを入手しようとしたのであろう。そして、仲間内の気軽な飲み会で「これからは僕らの時代だから頑張りますよ」と当たり前のことを言っただけなのだが、高揚した雰囲気の中で「あいつらの時代はもう終わりだ」と言ったことになって、紛れ込んでいた白鳳の子分が、白鳳に注進に走ったというわけだ。これで白鳳の怒りは頂点に達した。お仕置きする機会を狙っていたモンゴル力士会は母校主催の飲み会を利用して貴ノ岩を2次会に誘い込んだ。貴ノ岩の言動に怒っていたのは白鳳だった。説教を始めたが、モンゴル会の暗黙のル-ルを知らない貴ノ岩は真摯な態度で聞いていたとはいいがたい。たまたま彼女からスマホに連絡があり、応答しようとした。これを見た日馬富士は白鳳のために白鳳の覚えをよくするために暴力を振るい始めた。はじめは素手で、手が痛くなってきたのでカラオケのリモコンで・・・・当然だれも止めに入らない。日馬富士も内心困っただろう。さすがに頭部から血が噴き出して、白鳳が止めに入った。その時にはやりすぎたというのが共通の認識だったろう。そこで、杯を酌み交わして仲直りさせることにした。これは口止めのためである。軽症であったなら、この暴力事件は発覚することもなく闇に葬られることになった。貴ノ岩も身の危険を感じて、だんまりを決め込むつもりだったろう。しかし、容態の悪化は親方の知るところとなり、モンゴル会の暗躍を知り、モンゴル横綱が嫌いだった貴ノ花は白日の下にさらすべく警察に届けた。当然、警察は示談を勧めた。日馬富士の親方は示談金の提示もおそらくしただろう。貴乃花がそれを受け入れるわけがない。モンゴル力士、相撲協会を敵に回し、理事解任の事態になっても示談で済ますつもりはない。これだけ気骨のある清廉潔白な親方は今の相撲界では彼一人だろう。正義を貫くからモンゴル力士から嫌われ、モンゴル力士会と一体化した協会は「報告せずに警察に届けた」として規則違反で処分しようとする。隠ぺい体質のなれ合い協会のガンは貴乃花だとばかりに理事解任を画策している。
 
八角理事長と言う人物の方がよくわからない。これだけのことが起こっているのに紙ぺらを読み上げ、どう始末をつけるつもりなのかも明らかにしない。講和の席でモンゴル力士から「貴乃花が巡業部長なら地方巡業に行きたくない」「巡業部長を変えてください」など唖然とする発言を聞いても、「手続きを踏んでください」・・・・どんな手続き?一力士の好悪で巡業部長が解任されるのか?これを見てもモンゴル力士に対するガバナンスがまるで効いていないのが今の理事会ではないか。白鳳が「日馬富士を土俵に戻してあげたい。膿を出し切って・・・・」など、公の場で横綱の領分を超えるガバナンスにまで口をはさむ始末だ。
 
モンゴル力士がいなければ日本相撲は成り立たないから、彼らの気分を損ねることのないように低姿勢なのだろうが、こんな相撲はもう見たくない。
部屋同士の力士の勝負は優勝決定戦を除いては行われない。同じ釜の飯を食って、親しい関係の者同士が公明正大に真摯に勝負するのは心情的にかなり無理がある。しかも上下関係を大事にする相撲の世界ではなおさらである。先輩力士との対戦では力を抜く。普通に考えても胸を貸してくれた優しい先輩を投げ飛ばすのはやりにくい。まして、後でお仕置きや村八分があったら相撲界にはいられない。
張り差しや猫だましのような戦法で勝つのは横綱にあるまじき勝ち方だとされているが、これを頻繁に使うのはどうしても勝ちたい横綱であり、格下力士が先輩力士に使うのは見たことがない。勘ぐると、そんな卑怯な勝ち方をすると、場外でかわいがられるから、手を抜いて負けた方がいいのかもしれない。自分の時代が来るのを静かに待つのが格下力士が生き延びる唯一の相撲道なのかもしれない。
逸ノ城の活躍ぶりは怪物の異名をとった。しかし、活躍は一場所だけでその後は平凡極まりない、むしろ愚鈍な力士である。
彼は最初の活躍で超絶にかわいがられたのではないか?身の危険を感じて目立たないようにしている。立ち合いを見ていてもやる気がない。早く負けたいのだけど、相手力士に力がない。どうやって負けようかと考えあぐねているように見える。
 
相撲界の礼儀礼節とは具体的に何ですか?貴ノ岩の礼儀を欠いた言動を具体的に明らかにしてください。
白鳳の言う膿とは何ですか。膿を出し切るとはどういうことなんでしょうか?けが人まで出したのだから、曖昧な美辞麗句に終始することなく、きちんと問題点を明言することが今回の騒動を引き起こした日本一強い横綱の責任でしょう。