オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

日本的良き時代の終焉

2014-11-18 | 社会
 
 日本映画界の大スター、高倉健さんが83年の生涯を閉じた。
存在感の大きいスターだった。俳優というものはシナリオが先にあって、俳優がそれを演じるのが普通だが、健さんは違った。まず高倉健が存在して健さんのシナリオが書かれる。だから、大スター高倉健は健さんでしかなく、高倉健という私人は存在しない。
彼の私生活をほとんど知らない。役柄そのもののイメージしかない。何びとをも魅了してやまないのは男の生きざまであり、男の美学である。

 1960年代の「網走番外地」シリーズに代表される任侠映画。私自身はヤクザ映画は大嫌いなので任侠映画は全く見たことはない。今回放映していた網走番外地シリーズをたまたま視聴したが、青大将も出ていて若大将シリーズと変わらない印象だった。もう少し悲壮感漂う捨て身の殴り込みと思っていたが、まるっきりコメディタッチの爽やか路線であった。健さんの魅力が全開になったのはヤクザ映画が廃れた頃からだったのだと納得した。
 寡黙で、義理人情を大事にする不言実行の男。日本男児の美学として受け入れられた。
人間ドラマへと映画のフィールドを広げ、暗い過去をひきずりながら、誠実に生きる男は生涯のはまり役となった。不器用な男と自称しながら、義理人情を大事にする誠実な男。“お金やモノでは感動は得られない。人を想うこと以上に美しいものはない”と語っていた健さん。映画のスタッフやロケ地の人々への想い、巨匠・張芸謀(チャン・イーモウ)監督の「単騎、千里を走る。」に主演した時の中国スタッフとの交流。触れ合った人への想い、その人たちから受ける人生の重み・・・・人を想う感受性が高倉健を高め、男の美学を体現する存在にしたのだろう。
「幸福の黄色いハンカチ」はその代表作だろう。誠実な故の遠回り、あえて不器用で損な生き方を選ぶ男に、誰もが共感し、人生の悲哀と切なさを感じる。あえて不幸を選び取るような生き方に自分の人生を重ね合わせる人も多かったのではないだろうか。

無駄口をたたかず、頼りになる大きい男。
「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」(レイモンド・チャンドラーの小説。私立探偵フィリップ・マーロウの名セリフ。1978年の角川映画『野性の証明』で有名になった。)
弱きもの、女性へのひた向きな愛を体現し、ストイックで温かく、理想の男であり続けた高倉健。
健さんとともに、ひとつの時代が終わった・・・・
 

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