オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

蓋山西(ガイサンシー)と姉妹たち

2014-10-13 | 読書
班忠義は、日中戦争における中国人慰安婦の事実を知るために、中国山西省の貧しい農村を訪れる。ここには、かつて山西省一の美人を意味する蓋山西(ガイサンシー)と呼ばれた侯冬娥(コウトウガ)という女性が住んでいた。彼女は戦争当時、最初に日本軍によって捕らえられ、性暴力を受けた被害者のひとりであったが、すでに自ら命を絶ってこの世を去っていた。村には侯冬娥と同じ境遇を持った十数人の“ガイサンシーの姉妹たち”が住んでいた。彼女たちは家族にも話したことがない少女時代の体験を、赤裸々に語り始める。
 
1942年、中国侵略の泥沼にはまっていた日本軍は、村にトーチカ(鉄筋コンクリート製の防御陣地)を築いて抗日軍と対峙していた。
村長に食料と女を提供するよう命じ、村長は一晩だけという約束で自分の娘を差し出した。隊長は翌日になっても娘を返さずに「連れて行く」と言う。村長は「娘の代わりに美人の蓋山西を連れて行くように懇願する。
日本兵とその手先の中国人が蓋山西の家を襲い、野菜を貯蔵する穴に隠れていた彼女を引き摺って行った。幼い息子が「母ちゃん母ちゃん」と追いすがると、それを兵隊が蹴飛ばした。彼女はロバの背に縄で括られ、日本軍の駐屯地へ連れて行かれた。そしてトーチカに監禁された。21歳だった。この時の最初の夫は、国民党員で、日本軍侵入以前に、妻と幼い子供を残して行方をくらましていた。
この時に村から強制連行された女性や少女は6人。13歳の侯巧蓮は夜中に起こされ銃口を突きつけられた。外へ出ると家は焼かれた。戻ってこれないようにするためだ。彼女らは駐屯地内に閉じ込められ次々と輪姦された。少ない日で5人、多い日で20人! 抵抗すると殴られ蹴られ、日本刀で「斬るぞ」と脅され手を縄で縛られた。
 蓋山西は年下の少女をかばい、代わりに兵隊のレイプを受け入れた。14歳の陳林桃は夫が抗日ゲリラの八路軍に参加していたため、朝は「八路軍の情報を教えろ」と拷問を受け、午後は兵隊に夜は小隊長の木坂や班長の伊藤に強姦された。
 拷問により陳は大腿骨を骨折させられたが強姦は続き、同室の蓋山西と一緒に自殺を図ったが発見されてしまう。陳は親戚が羊60頭、銀貨400元を支払い家に帰れたが、PTSDに悩まされ続けた。 「姉妹たち」というのは、本当の姉妹ではなく、慰安所にいる時にガイサンシーの人柄に触れ、また恩義を受けた少女達が、彼女を「お姉さん」と慕って呼んでいたことからきている。彼女は、年下の少女たちがあまりにもひどい状態の時に(出血が止まらない、気を失っている・・・・等々)、特に残虐な日本兵が来た時に、身代わりを願い出ることによって、「妹」たちをかばったのだった。
 
蓋山西は性器からの出血が止まらず、体がむくみ始め起き上がれなくなった。医者が「もう助からない」と匙を投げたので、一ヶ月後担架に乗せられ意識不明のまま村に戻った。家に帰ったら生後2ヶ月だった娘は餓死していた。貧しいので出血しても血を拭く布が買えなかった。母親が介抱してくれ年末になりやっと立てるようになった。村長に「あんたが行ってくれないと村中焼き尽くされる」と懇願され、翌年また慰安婦になった。今度は2ヶ月だったが、また大出血を起こし、釈放された。家に帰った蓋山西の膨れあがった腹を母親が綿棒でそっと押すと、膿と精液が洗面器一杯出た。出血は彼女が60歳過ぎても続き、「日本人に汚された女」と蔑まれ村人からも差別された。
戦後結婚した2番目の夫は、共産党の地区指導者だった。ガイサンシー自身も女性による委員会の委員長などを元々務めていたのだが、慰安婦だった者にそのようなポストは似つかわしくないと、辞めさせられた。家では家庭内暴力にさらされ、その後別れることになる。
三番目の夫は村でも最悪の、性病あがりの男であった。保守的な彼女の村では、女性が一人で生きていくことは許されない。そこで、村の中でも一番醜い男のもとに、ガイサンシーは嫁ぐのだが、この男は彼女を一人の人間として尊重してくれた初めての男性だった。この夫に先立たれて後、もはや彼女は心身の後遺症の苦しさに耐え続けることができず、自ら命を絶った。

強姦好きの伊藤班長は八路軍に殺されたが、美人の蓋山西に群がった中隊の男たち百数十名は、第62師団に編成し直され激戦地沖縄に向かい、全滅したという。中国で女性を虐待し、日本では沖縄県民を守るどころか、道連れにした。 

映画にもなり、映画では、現地に駐屯していた数名の元日本兵が証言する。加害事実について口を閉ざす者もいたが、ある元兵士は「当時は罪の意識は全くなかったが、許せないことをやってしまった」と告白する。
今は老婆になった元慰安婦たちも登場する。班監督は「姉妹たち」を何度も訪れ、少しずつ打ち解けた彼女たちは自らの身に起きたことを話すまでになったという。
 
 こんな日本兵を断罪もせず、お国のために犠牲になった英霊として、慰霊なんかできるものではない・・・・・

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