オータムリーフの部屋

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集団自衛権の行使の変遷

2014-02-13 | 政治

「日米安保条約」という「軍事同盟」により、もうとっくに日本は「集団的自衛権」を行使してきた。朝鮮戦争時もベトナム戦争時も、日本の米軍基地から海兵隊、そして軍事物資が運ばれた。殺人事件で自分が直接手を下していなくとも、見張りだけで殺人の共犯になる。後方支援も戦争の共犯、すなわち集団自衛権の行使である。

今のネット右翼並みの政権と違って、昔の自民党は立派だった。
「湾岸戦争」のとき、パパブッシュが海部首相に「日本もカネだけでなく軍事面でも支援してくれ。」と、頼んだ時、海部首相は「憲法理念からして多国籍軍への参加は無理です。政治家は憲法を守らなければなりませんから」と返事をしたと言う。
去年、公開されたアメリカ国務省の秘密文書によると、アマコスト駐日米国大使は「湾岸戦争は、日本が自衛以外の軍事的行動をせずに済まされるのかの試金石である。国際社会から孤立するぞと、日本側の不安を煽るのがアメリカの国益になると考える」と本音を明かしている。アマコストは政治家や防衛関係者に会い、派遣を促したという。しかし海部は、アマコストの圧力に屈しなかった。タカ派の後藤田官房長官も「海外派遣したら、それは“蟻の一穴”だよ。水が溢れて堤防決壊だ。」と正しい認識を示していた。
アマコストは「世論調査によると、平和憲法を護り海外での軍事行動には参加しない、という市民の反戦感情と軍隊に対する不信感には根強いものがある。日本国憲法の壁を乗り越えるのは容易ではない」と嘆いた。かくて日本人は、国民一人当たり10,000円、総額一兆円をアメリカに差し出した。しかし感謝されないどころか「小切手外交」とバカにされた。この不当な非難がトラウマになったようで、日本の保守政権は「軍事支援」を目指すようになる。91年には「ペルシャ湾に掃海艇派遣」、92年「カンボジアPKO派遣」、99年「周辺事態法成立」、01年「海上自衛隊、米軍にタダで給油のためインド洋に派遣」、そして04年「陸上自衛隊、イラク派遣」と言う 「国連お墨付きの集団的自衛権」の行使を行うのである。

宮沢内閣が強行した「PKO協力法」(92年)では「武器の使用」は厳しく制限されていた。内閣法制局の大森局長は「武器使用を認めると、停戦自体が破れ再び紛争に逆戻りする危険性があり、それでは泥沼化してしまう。憲法は政治に枠をはめるもので、政府や国家の暴走にブレーキをかけるものである」と、素晴らしい法の番人ぶりを発揮した。官僚の鑑だ。

 しかし、93年に北朝鮮がノドンを発射した時、在日司令官のマイヤーズはチャンス到来とばかりに「九条は作戦には邪魔だが、解釈次第でなんとでもなる。北朝鮮での戦争に備え、日米共同の作戦を立てる必要がある」と日本に圧力を加える。
 憲法に抵触しない支援として、柳沢・防衛庁運用局長は「後方地域」といううまい言葉をひねり出した。小渕内閣の時『周辺事態安全確保法』(99年)を成立させ、米軍の後方支援を正当化した。後方地域とは「戦闘の行われていない地域」だという。「ここで燃料や食料などの補給支援を行うのなら、集団的自衛権行使には当たらない」というのだが・・・・立派な共犯にしか見えない。
 04年に小泉純一郎が、これも国民の大反対に逆らって陸上自衛隊をイラクに派遣した。
「このままでは派遣できない。国連決議を取ってほしい」。二〇〇三年四月十六日夜、東京・東五反田の仮公邸。小泉純一郎首相はブッシュ米大統領に電話で訴えた。
 この一カ月前、米国がイラク攻撃を開始した。「日米同盟を強化する」。小泉首相は早くから、自衛隊のイラク派遣を固めていた。問題は派遣の根拠だった。ストレートに日米同盟を持ち出せば、米国追従と批判され、計画が頓挫するかもしれない。「自衛隊派遣=国際貢献」と説明するには、国際社会がイラクを復興支援するとの国連決議が不可欠と、小泉首相は考えた。さまざまな外交ルートを通じて、日本の意思が米国に示された。米国は国連でロビー活動を展開する。大規模戦闘が終了した後の五月二十二日、国連安保理で望み通りの決議一四八三は採択された。国連決議をまとめた直後、来日したアーミテージ米国務副長官は、自民党の山崎拓幹事長に上機嫌で語りかけた。「決議が取れたんだ。特措法をつくってもいいじゃないか」。ロシア、中国、フランスといった主要国が開戦に反対し米国が孤立する中で、真っ先にイラク戦争を支持した日本は、掛け替えのない伴走者と映ったに違いない。
 小泉首相が新法制定を表明したわずか二日後の〇三年六月九日、「人道・復興支援活動」「安全確保支援活動(米軍の後方支援)」を柱とする特措法案は与党に提示される。早くから準備していた成果だった。 しかし誤算があった。柱の一つ「大量破壊兵器の処理支援」には、防衛庁から「自衛隊には処理能力がない」との異論が出て、法案からあっけなく削除された。内閣官房が重要視したのは「大量破壊兵器は必ずある」と繰り返した米国の情報であり、自衛隊の能力は眼中になかった。手際よい作業とは裏腹に情報は偏っていた。後に米国は「大量破壊兵器はなかった」と修正し、戦争の大義が揺らいでいる。
 このとき、小泉内閣は「非・戦闘地域」という言葉をひねり出した。「私に聞いたって、どこが非・戦闘地域かわかるはずがない!」と居直った小泉首相だが、サマワの自衛隊駐屯地にも、ロケットは飛んでくる。地元住民から「日本はイラクから出て行け!」と銃を突きつけられる。バグダッドに近い町だったら、間違いなく戦闘になっていただろう。統合幕僚長の先崎一(まっさきはじめ)は派遣の半年前に「支援といっても米軍をサポートすることは、米軍と一体と見なされ敵となる。アメリカから言われたからやる、ではターゲットにされ隊員の安全は守れない。米軍と一線を画す必要がある」と考え、米軍と一体行動を主張するタカ派を抑え、サマワ派遣になった。はじめは米軍から「バグダッド周辺で、輸送や警備や給水をやってくれ」と頼まれていたと言う。
 「国連平和維持活動(PKO)の経験からも施設復旧や医療に限定されると思った。だが、ローレス米国防副次官からはヘリコプターによる航空輸送を求められた。陸自には砂漠でヘリを運用した実績がない。人道復興支援を行う部隊を送り込む一方で、ヘリの派遣を真剣に検討した。大型のCH47ヘリコプターを持つ千葉県木更津の第一ヘリ団に準備を命じた。ミサイルからの回避訓練を開始していたが、政治決定がなく、派遣には至らなかった。米軍ヘリが何機も撃墜されている。派遣していれば、相当厳しい活動になった。私がイラクへ激励に行った時のことだ。バグダッドから米軍ヘリで陸自のサマワ宿営地に向かったところ、ヤシの木立から銃の発砲を示す白煙が上がった。すると米兵二人がドアを開け、地上に向かって機関銃を構えた。応射はしなかったが交戦寸前。見えない敵を撃つのだから、自衛隊の武器使用基準では対応が困難だと思った。」(先崎一 当時統合幕僚長)
 先崎氏は「米軍のためでなく、イラクの人たちの助けになりたい」と考えていたようだ。 政治家にしたいと思えるほど考えの深い人物だと思う。

 しかし、こうやって見てくると、集団自衛権の行使の内容は確実にエスカレートしている。しかも、アメリカの要請に応じて海外派兵になることは確実だ。アメリカが引き起こす戦争の大義も検証できない状況で日本の国益にもとずく独自の判断ができるわけがない。安倍政権が目指しているのはアメリカを守るための武力行使を含めた集団自衛権の行使だ。

 2月12日、安倍首相は「私が責任者であって、政府の答弁に対しても私が責任を持って、そのうえにおいて私たちは選挙において国民から審判を受けるんです。審判を受けるのは法制局長官ではない。私なんですよ。」と言って、民主党 大串博志衆院議員の内閣法制局次長への質問に苛立ちを隠さなかった。集団的自衛権の行使容認は「憲法解釈の変更で可能。憲法改正が必要だという指摘は必ずしもあたらない」と武力行使を含む集団自衛権の行使をなりふり構わず、ごり押ししている。
 戦争も戦場も何も知らず、百田の小説を読んで美しき愛国精神に恍惚としている安倍首相ににどんな責任が取れると言うのだ。
 マンガのヒーロー気取りで迷彩服を着て戦車から手を振る安倍首相にどんな責任が取れると言うのだ。
 
戦争への歯止めが次々と外されていく。国民を犠牲にしてもなんの良心の呵責も感じないであろう首相の号令でアメリカの尖兵として戦場に駆り出される日も遠くはなさそうだ・・・・・・

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