オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

金沢の旅 兼六園と県立美術館、加賀本多博物館

2019年12月01日 | 新潟・富山・石川・福井
兼六園桂坂口から見た金沢城石川門商店街藤棚水道遺構霞ヶ池兼六園の冬の風物詩、雪吊り旭桜栄螺山霞ヶ池三重塔内橋亭雁行橋日本武尊像根上松辰巳用水レンガ塀伝統産業工芸館加賀提灯鼓と太鼓銅鑼と三絃美川仏壇七尾仏壇七尾和蝋燭加賀獅子頭能登花火金箔表具漆器黄金の庵秀吉の黄金の茶室がなぜ金沢にあるのか?その訳は金沢の金箔を使用したからだそうです。松平定信揮毫の「兼六園」の扁額。金沢神社成巽閣2020年夏にオープンする国立工芸館。旧陸軍第九師団司令部(写真左)、旧陸軍金沢偕行社(写真右)の建物を保存、東京国立近代美術館工芸館の所蔵品の約7割を移管し、オープンします。赤レンガミュージアムの建物県立歴史博物館兼六園周辺文化の森の模型石川県鳥瞰図辰巳用水の石管加賀本多博物館本多家の馬験(うまじるし)栃木県小山市立博物館「本多正純」展。徳川家臣の三河本多氏はいくつかの家に分かれていてやや複雑です。主な家の一つは本多平八郎忠勝の家、次は彦八郎の家、3番目は作左衛門重次の家、4番目は弥八郎正信・正純の家。
4番目の本多弥八郎正信は家康の参謀として有名です。加賀本多家は正信の次男・政重が徳川家を出奔、浪人ののちに前田家に仕えたことで始まります。本多政重は安部龍太郎の「生きて候」で描かれています。正信の長男・正純は主に秀忠に仕え、小山藩主、宇都宮藩主となったが宇都宮城吊り天井事件等の疑い失脚しました。旧陸軍第九師団司令部旧陸軍金沢偕行社県立美術館カフェ石浦神社21世紀美術館村松友視「金沢の不思議」しいのき迎賓館金沢市役所

加賀国・古城の旅 金沢城の玉泉院丸、菱櫓、橋爪門、石川門

2019年12月01日 | 新潟・富山・石川・福井
小松空港金沢駅西口金沢駅東口、新幹線開業にともない完成した鼓門。金沢伝統工芸の鼓をフィーチャーしました。ガラス張りの「もてなしドーム」香林坊近くのホテルに投宿しいのき迎賓館。かつての石川県庁です。内部金沢城の南側しいのき迎賓館の裏側は全面ガラス張りに改築されました。サンタクロース姿のバイクパレード玉泉院丸口玉泉院庭園三十間長屋坪野石段落ちの滝色紙短冊積みの石垣松坂門二の丸広場極楽橋三十間長屋鉄門菱櫓と五十間長屋二の丸案内所菱櫓入り口石落とし金沢城模型五十間長屋菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓、橋爪門は一体として復元されました。五十間長屋の内部雁木坂番所跡橋爪門橋爪門続櫓枡形橋爪門の橋左が橋爪門続櫓、右は菱櫓河北門石川門

金沢大学誕生の地。金沢大学は1949年に金沢医科大学、第四高等学校、金沢高等師範学校、金沢工業専門学校、石川師範学校、石川青年師範学校を母体に発足しました。教養部、法文学部、教育学部、理学部は金沢城内に置かれていましたが、1990年代に金沢市郊外の角間地区に移転しました。
私は大学受験の時、城跡内の大学に憧れましたが実現はしませんでした。石川橋