御朱印帳に関して、なんか違和感を感じること。
よく ナントカ知恵袋 とか カントカ質問箱 みたいなネットのQ&Aに、
神社とお寺では御朱印帳を分けるべきでしょうか?
とかって質問あるじゃないですか。
そしてそれに対する回答って、
分けなくちゃいけません(当然でしょ?)
みたいなのが多いような。
まぁ、その是非は個々の判断かと。
俺の知る限り、御朱印帳を神仏で分けなかったからといってバチが当たった人はそんなにいないような
という風に、「どっちでもいいじゃん」と思っていたんですよ。
ところが最近、ちょっと宗旨替えをした気分。
というのは最近、たとえば浄土宗のお寺に行くときには増上寺の御朱印帳を。禅寺に行くときには建仁寺のを。という風にその宗派ごとに分けるようになってきているんですよね。
それでその理由ったら、単純にお寺さんと話が弾むんですよ。「あぁ、増上寺ですかぁ。私も若いときに修行に行きましてねぇ~」みたいな感じで。
だからその、御朱印帳って
・お寺 宗派ごと
・神社 ご神体ごと(ないしは 護国神社用・住吉神社用みたいな感じ)
に分けたほうがいいんじゃないですかね?あ、旅行に行くときにはものっすごく(御朱印帳だらけで)かさばりますけど
こういうの発言をしている方々は神道などを勉強したことがあるんでしょうか・・・
神仏習合とか、そのあたりの考えなどいろいろあるので
本当は「だめ」とか「OK」とかそんな一概に言えないはずなんですが。。。
模範解答は「各寺院や神社による」が正解だと思うのです
神社の場合は、むしろごちゃまぜのほうがおもしろいかもしれませんね
お参りをしていて「〇〇神社の宮司はうちの親戚だよー」なんていう話とかよく聞くので。
ちなみに私の場合は一応寺と神社で分けてはいますが(わかりやすいように)、ある御朱印帳はごちゃまぜにしましたw
すいません、遅くなりまして。(ヘタな言い訳をしますと)このブログ、私自身そんなにちょこちょこ開かないんですね。なものでなかなかコメントいただいても気づかない・・・
というところで本題。
御朱印帳を分ける分けないって本気で考えたら底なしの泥沼にはまっていくような
神仏習合・本地垂迹説・神仏分離令etc・・・、これらをどう捕らえるか?そして古寺の前に鳥居があったり、各地七福神に寺と神社が混在している現状をどう捉えるか?
まぁこれが日蓮宗や(御朱印はあまりやってないが)浄土真宗の信者さんが言うならなんとなくわかるんですけどね
ということで私も
>神社の場合は、むしろごちゃまぜのほうがおもしろいかもしれませんね
という考えに共感します