○ 名 称 : 網 走 神 社
○ 場 所 : 北海道網走市桂町2丁目1番1号
○ 拝観日 : 平成29年10月
網走市の網走神社さんをお参りしました。
で・・・、こちらなかなか謎が深まる神社さんでいろいろと調べてみたんですがどうにもこうにも
まず、場所はこちら。
参道は北へ伸びる細い道路。西側の道は広いことは広いんですが、「参道」という感じじゃないんですよね。
この北からの参道沿いには網走護国神社さんもありまして、こちらは日露戦争のときのご英霊を祭られているようです。
と、だらだらと書いたらきりがないので淡々とお参りしたときの状況などを。
まずは本殿。
市内で何度か移転されたそうで、現在のは昭和4年に建てられたとか。それにしても欄干の獅子と象(獏かも)の彫刻が見事。一瞬、文殊さんと普賢さんを連想し、「どっかの釈迦堂を移築したのか?」と思っちゃいましたねぇ。
※全国的に見たら神社で獅子と象(または獏)の彫刻って珍しくないと思いますが、道内ではそんなに印象なかったもので
境内にはホタテの殻を再利用した「白砂」があるとともに、大正・昭和に作られた2対の狛犬さんが。
大正狛犬。なんか、頭がでかい・・・。
昭和狛犬。
それでまぁほかにもいろいろ気になった点はあったんですが、あと1点だけ。
社務所の北側に「太子堂」なる小さな祠が。
もちろん「建築の神様」として聖徳太子を祭ることはありえると思うんですよ。ただ・・・、神社のすぐ東のお寺
法龍寺 (ほうりゅうじ) 曹洞宗
っていうんですよね。
偶然ですかね?
法隆寺 → 釈迦三尊像 → 法龍寺の旧建物(釈迦堂) → 網走神社へ移築
てな仮説を立てて調べたんですが、どうにもそういうことでもなさそうですね。
そして御朱印です。
[あとはメモ帳として]
・ 参道の「赤い鳥居」と護国神社の「白い鳥居」、鳥居の色は関係ないという考えもあるようだがこちらは使い分けしているんじゃないだろうか?
・ 法隆寺の建築的なすばらしさを語るとき、「四神相応の地」ということがよく言われる。この神社さん、逆の配置に・・・ってことはないか?
・ 護国神社さんが「日露戦争の英霊」ということで気がついたのだが、北海道の寺で毘沙門天を主に祭っているところってそんなにないような。東北地方にあれだけあるにもかかわらず、ってことは(北海道が開拓された)明治時代になると毘沙門信仰はそんなに重要視されなかったということか?