asayanのブログ

趣味を中心に、感じたことを書いていこうと思います。

安倍貞任の墓

2014-01-23 23:23:11 | 日記
「安倍貞任の墓」と伝わっているお墓が分かりました。

以前尋ねたお墓の少し上に登った民家の近くにありました。





貞任踏切が右端に小さく見えます。












安陪(倍)貞任塚



平康五壬寅天 仲冬下九日卒



側に幸申塚。



安倍(陪)の「べ」のへんが違っていたり、

年号の康平が平康となっていたり、

9月17日が11月29日となっていたり、と誤りもありますが、

昔から、安倍貞任のお墓と伝承されています。


山陽町史の記述によると、

<古墳だったのではないか>と思われているようです。



「炎立つ」巻の壱は読了して、巻き弐 燃える北天 興味深く読み進めています。
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2 コメント

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WHY? (あっさん)
2014-01-26 15:52:43
安倍貞任は東北の武将ですが
なぜ南の長門(山口)に墓があるのでしょうね?
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レス:あっさん (asayan)
2014-01-29 19:56:22
あっさん、コメントに気づくのが遅くなってごめんね。

安倍貞仁について、只今勉強中です。
なぜお墓がここにあるのか? なぞだらけです。

観光検定ガイドによると、
 前九年の役で敗戦後、貞仁の弟宗仁が伊予之国に流罪、以後のことは不明ですが、伊予より脱出して厚狭川をさかのぼり、この地に隠れ住み、兄貞仁のお墓を建てたのではないかとされています。

平安時代頃は、この場所の川幅も今よりはるかに広かったと思われます。

お墓の近くに宗仁屋敷・宗仁坂と呼ばれている場所もあるようです。

屋敷跡の場所と坂も探索したいと考えています。
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