アルクK隊 Kanagon

K と P (Partner) のアルクK隊ブログ
  2010.05.22

福島 (震災から2週間)

2011年03月25日 | その他
ふくしま


東北道が宇都宮以北まで通行可能となった。

二本松ICで降り4号線を南下して、郡山、須賀川へと
お客様5社を訪ねることにした。


2011年3月25日

前日に買い集めた食料品で車を埋める。
近隣のスーパーを廻って事情を説明し、分けて頂いた
未開封の段ボール。カップ麺、クッキー等など。
お店の皆様、本当にありがとうございました。

会社備蓄のマスク、タオル等も更に隙間に詰め込み
同僚と合わせふたりで出発。

東北道は自衛隊、警察、消防、タンクローリーと
北上する関係車両が多い。
それを見ただけで目頭が熱くなる。

那須から本宮までは道がうねっていて、修復された個所も
非常に多い。

AMラジオの福島放送では、放射能と避難所の情報しか
流していない。
各地の空気中、水道水の放射線量。
放射能スクリーミング実施地点の告知。
無料公衆電話の設置場所。
原発の現状など。すべて震災関連。

ガソリンは満タンにして来たが、念のため安積PAで補充。
1台2千円、13Lのみの販売。
次の安達太良SAのスタンドは営業休止。

二本松、郡山、須賀川、皆様お変わりなくひと安心。

食料品等も喜ばれましたが、
「こんなところへ良く来てくれた!」と、
来てくれたことに感謝されました。
福島は見放されている、との思いから出た言葉。
放射能は一過性でなく、終るかどうか分からない不安。

この地域は原発から約50km。
お店にも品物が殆ど無い。
たまに来る便も少量しか積み荷が無いと、店員さん。

4号線のガソリンスタンドも殆ど閉店。

地震の被害は須賀川が一番ひどい。
須賀川駅前の商店は大半が立入禁止の張り紙。

TVでも災害直後に報道された半壊した工場。
重機ががれきの撤去作業中。
倒壊しなかった部分の設備もかなりのダメージ。
就業時間内の震災なのに誰も怪我をしなかったのは奇跡。
取り残された人も、崩落前に全員脱出できたとの由。


地震と放射能と風評被害。
それでも皆さん、非常に前向きなのが印象的でした。
逆に私が力をもらって東京に帰って来ました。

これからも福島を応援します。
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