南の「守り」
南内郭の南側の「守り」は、兵士が待機します。
また、中に入れない人々が待っています。門には正門と脇門があり、正門は監視を厳重にするために櫓門になっています。
櫓門(やぐらもん)
櫓の上には四方に盾が置かれ、兵士が出入する人たちを見張っています。
南内郭(みなみないかく)
南内郭は吉野ヶ里の「国」の「大人」(たいじん)たちが暮らしながら、「国」の政治を執りおこなっていた場所と考えられています。
要所に物見櫓があり、広場を中心に「王」や「大人」の竪穴住居や煮炊屋、集会の館があります。
「大人」たちの中で最高の権力者が「王」と考えられています。
南内郭の門
南内郭には、南の正門、北の脇門があります。正門の両脇には、物見櫓がそびえています。
南内郭
吉野ヶ里の2つの中心区域のうち、南側にあるものを南内郭と呼んでいます。
壕と柵で厳重に囲まれ、中には中には物見やぐらも設けられています。
こうした特別の空間であることから吉野ヶ里の指導者たちの生活の場であると考えられています。
でも、長崎本線を利用すると傍を通りますから、車内案内を何度か聞きました。
空から日本を見てみようでも飛びましたから、行きたくてウズウズしてしまいます。
青森にも三内丸山遺跡という古代遺跡がありますが、あいにく此処にもご縁がありません。(^_^;)
せいぜいは、東北の古代城柵の胆沢城くらいでしょうか("^ω^)・・・。
でも、此処は坂上田村麻呂が造った平安時代の古代城柵です。無念。