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病と医術の歴史 13: 古代エジプト 3

2013年10月31日 | 連載中 病と医術の歴史

< エジプトのスパイス店:古代からの薬剤知識が生きている >



< 麦芽パンを原料にしたビール造り。副葬品 >

薬 剤
初期、エジプトの薬剤師は他の古代文明に比べ低くみられ、聖職者と医師がそれを兼ねていたが、後には専門的な地位を得た。
軟膏をつくるベースに油脂、水、牛乳、ワイン、ビールが使用された。
薬剤の原料は、植物、動物、鉱物(鉄、鉛、アンチモン)など、さまざまだった。
遠方のクレタ、中国、アラビアの香料なども盛んに利用されていた。
900種類ほどの薬剤があったが、センナ、ヒマシ油、タイム、クサノオウなどのように、多くは効能が認められる。
効能が強力な為、投与を制限しなければならない、催眠と鎮痛用のマンドラゴラ、麻酔剤のヒヨスがあった。
ビールの酵母菌は腸疾患や足の潰瘍などに、黴のはえたパンは抗生物質として使用された。
ヒマシ油を下剤、牡牛の胆汁や油で浣腸も行われ、目薬、燻蒸剤もあった。
しかし新鮮な露、ナイルの泥、患者の爪の垢など怪しげな治療薬もあった。
実効よりも、精神的な治療効果が勝ったのだろう。



< 墓の建設労働者の住居跡:デール・エル・メディーナ、紀元前13世紀頃 >

衛 生
庶民の排泄物やゴミの扱いは非衛生なものだったが、裕福な家にはトイレや浴室があった。
下層民すら宗教的な戒律として、毎日、歯磨きの習慣があった。
また豚肉と動物の頭部を食べることが禁止され、食事と昼寝など、日々の養生法が定められていた。



< Hesy-ra: 歯科・内科の医師で重臣でもあった、紀元前27世紀 >

認 識
心臓は魂と理性、感情の宿る場所であり、神の意志が伝達される所と考えられていた。
心臓から体中にいきわたった一つの「管」が血液や空気、すべての体液を運ぶと信じていた(循環は知らなかった)。
病気は「管」が詰まって蓄積したり、悪い食物が「管」から進入したりした為だと考えられた。
「汚染した体液」を除去する為に、排便を促す方法も治療の一つだった。
彼らは「脳」という言葉が最初に使われ、頭部打撲の箇所により麻痺が異なることを理解していた。
怪我や骨折のように外から見える損傷については、その原因の多くは明白であった。
しかし内的疾患については、医師も途方にくれることが多く、不合理な存在が原因とされた。
普通、それは敵意を持った悪神の仕業か、または神が悪行に対する天罰として疫病を送り込んだと考えられた。
またそれは嫉妬深い隣人の邪悪な目のせいでも起こるとされた。


< 小人症のセネブの家族像: 妻の愛情が感じられる、紀元前26世紀頃 >


まとめ

医術と呪術を駆使して幅広く治療が行われていた。
外科は他の古代文明とは比較にならないぐらい進歩していた。
医学全体としては合理的であり経験的であったと言える、しかしローマ帝政期以降は著しく衰退した。
紀元後のローマやギリシャ、シリア、イスラエル、ペルシアの薬学はエジプトに由来するものが多い。
古代ギリシャの医学は、エジプト医学から出発出来たことが幸いであった。
当然、隣接していたイスラエルも恩恵に浴した。




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