今、ワタクシ、「おススメ本を読むぞ!月間」です。
…いつ終わるかなぁというくらい、あるんですけど…。
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天才と発達障害
映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル
著者:岡 南
発行:講談社
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この本を手にしたのはタイトルのガウディに惹かれてのことでした。
ガウディの映像思考。
全体を把握し、視覚からの情報を並列処理できるという視覚優位の認知と思考の証が、ガウディの作品、文章、行動などから掘り起こされていきます。
ガウディ自らが天使の栄光というくらい、瞬間的に多くを把握できてしまうのだとすれば、それはまさに天才的なひらめきと思えます。
著者自身が視覚優位の認知を行う人であるという共感(若干礼賛的な雰囲気も…)があるためか、3章からなるこの本の第2章、ガウディを扱った部分の内容は読みごたえがありました。
参考資料の充実ぶりも反映しているのかもしれません。本文の中でも、参考となった先人の研究に素直な感謝が記されていました。
一方、聴覚優位の認知を行っている人の代表としてのルイス・キャロル。
「不思議の国のアリス」などにみられる言葉遊びは、極めて聴覚優先の認知から生まれたものだろうということになります。
ただ、キャロルの章においては、作品や行動を聴覚優位であることよりも、視覚からの情報の認知に問題があったのではないかということのほうから見ている部分が多くなっています。
彼の友人、知人たちが受けたルイスの印象から想像される相貌失認。
目や鼻がパーツとしてのみ認識され、全体としての顔を認識できないため、顔に表出する表情ひいては感情がとらえられないことになります。
全体を把握できないということは、それぞれのパーツが関係性を持たずに認識されるということ。
アリスがみる小さい扉、大きい扉には遠近感の焼失が感じられるそうです。
「遠くにあるから」、「近くにあるから」という感覚がなければ(遠近感を出す壁の線などが認識できなければ)、小さく見える扉はそのまま小さい扉で、大きく見える扉はただ大きな扉になってしまいます。
花の描写には色がないことから色覚の弱さも指摘され、文章を映像化しながら読んでいく視覚思考の著者はそこで止まってしまうのだそうです。
それぞれの認知方法が生かされ天才と評された人々や、線優位、色覚優位の視覚認知など認知方法の違いがそのまま表れているかもしれない画家の作風などについてを読むのもとても楽しいことでした。
実は誰ひとりとしてまったく同じには見えていないという不思議。
初めからこう表現しようと意識したものではなく、画家には世界が本当にこう見えていたのかもしれない、見えた先でさらに視覚優位の思考の中に生まれたものが描かれているのかもしれないと思うと、あれこれと作品を思い浮かべてしまったり。
ただ、人間の認知方法には「視覚優位」と「聴覚優位」という違い、偏りがそれぞれの人にあるということだけに立ち返ると、うかうかと読み始めるべき内容ではなかったという気持ちになります。
その偏りが激しければ発達障害の領域。
まずはそれに気づくことができるか、気づいた後はどのように対応していくかの問題が待っています。
何かができることより、何かができないことのほうが目立ち、評価されてしまう状況の中で受ける教育、成長後であれば就職。
識字障害などはよく聞きますし、高機能自閉症や、アスペルガー症候群なども地続きの問題になっていくのだろうと思います。
大きな問題です。才能で成功できるのは一握りなのですから。
この本、図書館の棚の中では『天才だもの。 わたしたちは異常な存在をどう見てきたのか(記事その1,記事その2)』のちょうど隣にありました。天才つながり?
中身の印象はかなり全然違いましたけれど。
これは読みたいです
聴覚障害
視覚障害が感覚の種類での特化だと
アスペルガーは感覚の方向や幅の特化なのかな?とふと思いました。
感覚は種類、深さ、幅とかの三次元で考えた場合・・・それぞれいろいろな形ででてくるのかなとか
普通というのはどのあたりにベクトルもっていくのかなとか
いろいろ考えてしまいました
難しくてデリケート。
「普通」は流動的で、ある意味多数決的なものではないかと私自身は思います。
幾何学と美術が好きで
子供の頃は粘土細工とか彫刻がすきでした
本は好きだけど流し読み系で
じっくり理解するのは苦手で
そういうときはなんか頭の中で何かに変換するのでものすごく気合いが言って
文系の兄も英語が苦手、理系の兄も英語が苦手、ついでにむぎこはとっても英語が苦手、ヒアリングダメ、長文わけわかんない、英語に関しては書字障害、読字障害・・・。それなりに勉強したんですが・・・。
祖先がそれなりの飾り職人だったようで
曾祖父が思いつきのひとで
祖父も勢いの人だったので
きっと私は視覚優位・聴覚不全系だとおもいました
あ、でも人の顔おぼえるの全然ダメ
というか・・・・単なる根性なし?
私は正直なところ、自分がどちらかわかりませんでした。
英語を引き合いに出されると困ってしまいますけど、どちらかといえば、映像を言葉が追いかけるというよりは、言葉を映像が追いかける感覚のような気がしますから、視覚優位ではないのかもしれません。
それにしても「どちらかといえば」というくらいですねー。
右足と左足、どっちが器用?くらいの感じで。
この本では視覚優位の認知、映像思考でプラスされる点や才能の広がりに重点があったので、最後に照れ隠しの冗談でそう書かれたのかと思ってしまいました。
冗談のわからない人間でごめんなさい。
冗談がわからないことのダメ押しで、むぎこさま、ごめんなさい。
この本についてはこれまでとさせてください。
難しい領域のことを、本をたった1冊読んだだけの私がこれ以上話題にするのは控えるべきだと思いますので。
申し訳ありません。どうか、お気を悪くなさらずにご容赦ください。