ふと思い立って久しぶりに再読。
梨木香歩さんの『からくりからくさ』の前が『りかさん』、後がこの『ミケルの庭』。
文庫の『りかさん』に収録されていて、この作品を読んだときは、何かすっきりと収まった心持がした。
りかさんがアビゲイルから引き継いだ使命が確かに果たされようとしていると感じたからだ。
『からくりからくさ』のマーガレットが産んだ子供・ミケル。
不確実な世界におびえ、眠りの訪れを恐れるような子供だ。
彼女は世界を確かめていくための最初の手がかりすらあやふやであることに途方に暮れている。
そんなミケルを慰め、励ますようにやってくる「あれ」。
ミケルが「光の点々の集まり」、「美しい声の残響」と感じている「あれ」。
『からくりからくさ』の終わりで、魂のお旅所である人形の中から開放されたりかさん、以前はりかさんと呼ばれていた存在が、ミケルに寄り添い、見守っていると自然に思えた。
そして、ミケルたちが暮らす家。焼け落ち、その姿は変わったとしても、麻子さんとりかさんが暮らし、幼い頃の蓉子が遊んだこの家も、彼女たちを包み、慈しんでいると。
蓉子さんの言動に感じるのは、彼女が麻子さんとりかさんに伝授された「まずかわいいと思う手法」をすっかりと身につけているようだということ。
差異は差異として、受け容れる。
最初はその差異を受け容れるのがつらくても、「かわいい」と愛おしいと思う気持ちを思い浮かべ、それを膨らませていく。
彼女が人に与える優しい印象は、受け容れてもらえるという安堵からくるのではないかと思う。
今回、焦点があたっている紀久さんは、ミケルの誕生に対しての自分の感情を消化しきれていないこと、それが原因でミケルの命を危機に晒したことを思い悩んでいるが、相反する感情を同居させているのは何も紀久さんだけではない。
生きている人間の多くがそうであるだろう。
常にストレートな印象を与える与希子さんも、自分の中に巣くう蛇を既に意識し、力技で蛇の頭を踏みつけているのかもしれないのだ。
3人の願いが聞き届けられたように、危機を脱したミケルは「気高い光」が集まるところを感じている。
りかさんがいるところかもしれない。
複雑に絡み合いながら、繋がってきた想いを昇華させた場所。
その先に、ミケルは見慣れた家と庭をみつける。
『おもしろそうな庭』とミケルは思う。
白銀に輝く蔓と、それにぴったりと寄り添う黒いものに覆われた庭。
蔦と蛇は不可分。ミケルを瞬時にそれを悟る。
それは今この家に住む蓉子たちの想いであり、同時に多くの女たちの輝くような慈しみといかんともしがたかった哀しみが形作るものだろう。
庭から街へ、もっと遠くへと広がっていく視界。
ミケルは世界へ踏み出していく手がかりを見つけたのだ。
臆することなく手を伸ばすミケル。
彼女の先にある世界は限りなく広がり、様々な様相を彼女に見せていくだろう。
長い長い時間、連なってきた愛情と願い、それを積み重ねてきた女たちの先に、ミケルは行こうとしている気がした。
幾重にも折り重なった願いの先を生きる子供・ミケル。
アビゲイルに託された願い、りかさんの受け取った使命のとおり、彼女は『春の野のような温かい幸福感』を感じることができる少女として育て、導かれていくのだろう。
りかさん
著者:梨木香歩
発行:新潮社
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それは、世界観が視覚化し、ミケルという新しい存在が、あらたに繋がっていくことを目にしたからです。
なるほど、「あれ」がりかさんなのですね!
りかさんは形のある存在ではなくなって、開放された純粋な<思い>として存在している。
それがつながりへと導いていく。
ステキですね。
世界観の視覚化、まさにそうですね。その明瞭さがすっきり感のもと。
紀久さんの心の動きで、先に繋がる想い、願いが生まれる瞬間も描かれましたし、繋ぎ伝える者と、いつかそれを受け取り、やがて先へ続けていく者とがはっきり示された印象を受けました。
>なるほど、「あれ」がりかさんなのですね!
ミケルがりかさんを知らないので「あれ」。
でも、りかさんだ、と、もう単純にそう思えてしまいまして…。