「天才だもの」、再び。
一回、もう記事にしたのですが、「短かいからつまんなかったのかなー」と思われると、著者に申し訳ないのでもう一度。
というか、私自身が落ち着かなくて。
天才だもの。 わたしたちは異常な存在をどう見てきたのか
著者:春日武彦
発行:青土社
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タイトルのとおり、「わたしたちは異常な存在をどう見てきたのか」についての本。
古今の芸術、技術、そしてそれを生みだした人物についての文献などを題材にしながら、天才と呼ばれる特異な存在について、著者があれこれ考え、語った文章がまとめられています。
連載はユリイカ。
例によってまた渋い作品が引き合いに出されています。
ある程度はこの本のために意識して読んだ本というものもあるでしょうけれど、実際のところ、どれほどの読書量と範囲なのかと思わずにはいられません。
ユリイカの購読者層には普通なんでしょうか、これって。
結局は子供時代からの読書体験の蓄積だから、これからがんばったところで、一朝一夕ではなんともなりませんな。
まあ、それはともかく。
印象深かったのは写真家の特異性についての章では、引用された作品の中にあらわれた写真家への恐怖と、テーマとのあまりのはまり具合にちょっと気持ち悪くなってしまいました。
この写真家の章、とても印象深かったのですが、それはこの部分が本全体から浮いた印象をうけたからかもしれません。
ちょっとその時は天才のこと、忘れてました。
もっともテーマにふさわしいと思わせる部分は、「描かない天才画家」の章でしょうか。
早くして才能を開花させた後、描かない天才画家として生きた人物。
本人とその周囲の人たちについての作品をとりあげたところなどはまさにどまんなかですわね。
天才ねー。
私だったら、そうだな、「凄すぎて、その凄さがわからないものを生み出す人」を天才と呼びたいかも。
わからないから別格。
本の中で、文字のない場所に紛れ込んだ文字を知っている人のようなという話がありましたけれど、そういう違和感がなかったら天才というキワモノ感が薄い気がしてしまいます。
ああ、やっぱり、キワモノ感は必須だなぁ。
あれ、結局短いか?
おかしいなぁ。
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