ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

長野まゆみ【カルトローレ】

2011-03-22 | 新潮社
 
『謎の航海日誌「カルトローレ」を託された青年・タフィ。彼はかつて大空を航行していた巨大な“船”の乗員だったが、“船”は空から沈み、乗員たちは地上に帰還したという。その理由は。他の乗員たちの運命は。幾重にも折り畳まれた記憶の迷宮が開く時、“船”とタフィの出自の秘密が明らかになる―。豊かな想像力を駆使して硬質な物語を創造してきた著者による数奇で壮大な最高傑作。』 

というわけで、久しぶりに著者の作品を読みました。
この前に読んだのは『ユーモレスク』。…あれ、けっこう読んでるのか…。

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 カルトローレ

 著者:長野まゆみ
 発行:新潮社
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きび色の沙漠を行く馬車。
吹き渡る風に鳴る壊れた風向計。その上にとまる白い鳥。
主人公が視線をめぐらしてゆっくりと描写していく風景は、いつか観たことのある映画の始まりのようです。
映画かもしれない、アニメーションかもしれない、コミックかもしれない、そんな感じで、いずれにしても映像的。
ありがちといえばありがちですが、美しい異国の風景であり、また、物語の導入としてはすんなりとなじんでいくことができます。
ありがちな気がするからこその安心感というか。
けれども、わざわざこの「沙漠」を使うあたりが著者らしいところでしょうか。
全体的に淡い色合いの風景や色名の選び方も、私としては「らしい」と思うポイントです。

この世界に吹く風はどんなふうだろうと想像させる風景画のような作品。
いつともしれない、どこともしれない、でも知っている事物とかけ離れているわけではない異世界でゆったりと時間が流れていきます。
主人公が携えてきた109冊の日記をめぐっていくつかの出来事が配置され、そのつながりはゆるやかながら、固有の文化と歴史を連綿と保ってきた一族の、あったかもしれない過去と、ありうるかもしれない未来を浮かび上がらせます。
大筋としては貴種流離譚だと思いますが、すべてがほのめかされるだけで、実際には大切なことほど明確には語られません。
本当のところはどうなのか答え合わせをしたくなる気分もないではありませんけれど、まあいいかと思えてしまうのは、本の中の世界の、しょっちゅうお茶を飲んだりしているのんびりさと、描かれる風物のあまりにも絵になる雰囲気のためだったように思います。
 
沙漠に点在する白壁の家々。
手のこんだ編みのヴェールをまとう人々の集落。
ガウディばりの建築物を連想させる駅舎。
沙漠に浮かんだ船のようにみえる遺跡。
そういった中に登場する人物たちには生々しさのかけらもありません。
物語の設定によって、主人公が自分自身を強く意識できないようになっていることが大きな理由ですが、会話が通常のようにカギカッコでくくられることもなく、主人公の視点からなる世界の描写に溶け込んでいることもその一端かもしれません。
どこかの物語を耳で聞いたものを文字にして、それを読んだ人が絵本にして、さらにそれを見た人がまた物語にしたものを読んでもらっているような遠さ。
この漂白されたような淡さは、生々しいものも、波乱万丈なものも、読みたくないときによいかもしれません。
私には睡眠導入剤として効きました。
もちろん良い意味です。

 
 

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