ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

スティーヴン ミルハウザー【三つの小さな王国】

2011-03-23 | 白水社
 
スティーヴン・ミルハウザーは、いずれ全部読みたいと思っている作家です。
最初に出会ったのは『ナイフ投げ師』。
当時の新刊単行本でしたので、おおざっぱにいえば最新作から発表第1作に向かってさかのぼって読み進めていることになります。
この本は私にとっては4冊目。リストでいえば半ば過ぎというあたり。

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 三つの小さな王国

 著者:スティーブン・ミルハウザー
 訳者:柴田元幸
 発行:白水社
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短編というより、少し長い印象の作品が3つ収められています。
『J・フランクリン・ペインの小さな王国』、『王妃、小人、土牢』、『展覧会のカタログ』。

1つめの『J・フランクリン・ペインの小さな王国』で主人公は新聞社に勤める漫画家で、作中、短編アニメーションをたったひとりで作り始めます。
しつこいほどの描写と、細部へのこだわり。
飽くなき反復と、少しずつのずれがいつしか開く幻想への通路。
ひとり黙々と自分の中にある世界を紡ぎだしていく主人公の姿を、知らず知らずに作者であるミルハウザーに重ねてしまいます。
作品の中に浮かび上がる孤独と悲哀。
ですが、ふと、ほんとうは存在しないかもしれないものを勝手に作り上げて読んでしまっていないか?という気分になるときがあります。

今回の作品に限らず、ミルハウザーがしつこいほどに作りこむのは、登場人物の言動と、主人公が存在する世界そのもの。
物語がおこりうる場を作り出すことに、ミルハウザーの筆は過剰なほどに尽くされて、内面はさほど書かれません。
作りこまれた場、時にそれは全く何もないところから作り始められている世界の細部までの精緻さにひきずりこまれて、そういう場所でそういう行動ならば、こういう感情なのではないだろうかと思いながら読んでしまっているのではないかと。
たとえば悲しげな表情を浮かべた人形でも、人形は悲しんだりしない。人形が悲しげとみえる表情をもっているだけで、人形職人が悲しんでいたとも限らない。(この人形の連想は、はじめのころに読んだ自動人形からのものかと思います。)
普通ならば、感情を描くための筋書きや設定となるのでしょうけれど、ミルハウザーからは場の構想と描写への情熱のほうを強く感じてしまうからでしょうか。

ある画家の作品のカタログの形式で書かれた作品『展覧会のカタログ』を読むと殊にそう思います。
画家の残した眩惑的な作品と、画家の妹が残した日記、関係者の間に残る書簡や文献を基にして書かれた文章は、作品だけでなく、夭折した画家の人生をたどるものともなるという作品。
この中では画家の残した作品が当然ながら言葉だけで説明され、さらにそれに対しての解釈、解説が行われていきます。
眼に浮かべることができそうなほどに説明される作品と、出来事が語られるごとに陰影を増す画家の姿。
その絵画も画家も実在した作品の中であってすら、作品は想像しても万人が同じ像を結ぶことはできず、すべてが解説者の解釈による画家の内面、行動の理由も仮定でしかありえないのです。
そして、それがすべてミルハウザーが生み出した作品であるわけですから、何ひとつよりどころとなるものがない。
今、読んでいたもの、感じたことは何だったのだろうと、一瞬、呆然とします。
指を鳴らすとすべてが消える手品を見せられた気分。
どの作家のどの作品にしても、感じたこと自体は読み手が勝手に作り上げるものではありますが、作らせたあげく、すべて幻と読み手を置き去りにするミルハウザーにやられた…と思う反面、これがミルハウザーを読む楽しみなのだと、自分のなかに残ったものと合わせてしみじみ思うわけです。

好きだなぁ、ミルハウザー。




 

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