夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

§279e[神的な概念としての君主]

2018年06月18日 | 法の哲学

 

§279e[神的な概念としての君主]

 

- Der Begriff des Monarchen ist deswegen der schwerste Begriff für das Räsonnement, d. h. für die reflektierende Verstandesbetrachtung, weil es in den vereinzelten Bestimmungen stehenbleibt unddarum dann auch nur Gründe, endliche Gesichtspunkte und das Ableiten aus Gründen kennt. So stellt es dann die Würde des Monarchen als etwas nicht nur der Form, sondern ihrer Bestimmung nach Abgeleitetes dar; vielmehr ist sein Begriff, nicht ein Abgeleitetes, sondern das schlechthin aus sich Anfangende zu sein. Am nächsten trifft daher hiermit die Vorstellung zu, das Recht des Monarchen als auf göttliche Autorität gegründet zu betrachten, denn darin ist das Unbedingte desselben enthalten. Aber es ist bekannt, welche Mißverständnisse sich hieran geknüpft haben, und die Aufgabe der philosophischen Betrachtung ist, eben dies Göttliche zu begreifen.

― それゆえに、君主の概念は、推論(単なる理由づけdas Räsonnement) にとって、すなわち反省的な悟性的考察にとっては、もっともむずかしい概念である。なぜなら、推論は切り離された個々の規定のうちにのみ立ちどまり、そして、それゆえにその時もまた、ただの根拠のみを、限界のある観点と根拠からの導出のみを知るにすぎないからである。そうして推論は、君主の尊厳を、ただ形式のみではなく、そうではなく、その使命 ihrer Bestimmung においても派生したものから導き出されたあるものとして描き出す。(しかし)むしろ、君主の概念は、派生したようなものではなく、そうではなく、絶対的に自己から始まるものであらねばならない。したがって、ここでこれにもっとも近い考えとは、君主の法(権利)を神的な権威のうえに据えられたものとして考えることである。なぜなら、君主には絶対的に無条件なものそのものが含まれているからである。しかし、この考え自体がどれだけ誤解されてきたかは、よく知られていることである。そして、哲学的な考察の課題とするところは、まさに、この神的なものを理解することである。

ヘーゲル哲学が神学でもあることはよく知られている。君主は派生したもの、手段などではなく、それ自体を目的とする無条件の存在であるということ。したがって、ヘーゲル哲学のみがもっともよく君主の概念を理解しうるという自負か。
 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« §279d[国家の人格性の現実と... | トップ | 6月18日(月)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

法の哲学」カテゴリの最新記事