ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十三節[語ることと真実]
§63
Es setzt ein besonderes Verhältnis voraus, um das Recht zu haben, Jemand die Wahrheit über sein Betragen zu sagen. Wenn man dies tut, ohne das Recht dazu haben, so ist man insofern unwahr, dass man ein Verhältnis zu dem Andern aufstellt, welches nicht statt hat.
第六十三節[語ることと真実]
誰かが自分の行動について真実を話す権利をもつためには、特別な関係にあることが前提となる。もし人が、そうした権利もないのに、真実を話すとすれば、その限りにおいて、その人は正しくない。と言うのも、特殊な関係にもない他者に対して、その人は一つの関係を設けているからである。
Erläuterung.
説明
Eines Teils ist es das Erste, die Wahrheit zu sagen, insofern man weiß, dass es wahr ist. Es ist unedel, die Wahrheit nicht zu sagen, wenn es an seinem rechten Orte ist, sie zu sagen, weil man sich dadurch vor sich selbst und dem Andern erniedrigt.
一面においては、真実であることを人が知っているかぎりにおいては、その真実を話すということ は、まず第一に大切なことである。真実を語ることが正しいところで人が真実を語らないとすれば、それは高尚なことではない。というのも人はそのことによって自分自身と他者に対して自己を貶めることになるからである。
Man soll aber auch die Wahrheit nicht sagen, wenn man keinen Beruf dazu hat oder auch nicht einmal ein Recht. Wenn man die Wahrheit bloß sagt, um das Seinige getan zu haben, ohne weiteren Erfolg, so ist es wenigstens etwas lieber flüssiges, denn es ist nicht darum zu tun, dass ich die Sache gesagt habe, sondern dass sie zu Stande kommt. Das Reden ist noch nicht die Tat oder Handlung, welche höher ist.
しかし、もし人が真実を語る義務もないところで、また、そうする権利をかって一度ももったこともないのであれば、人は真実を語る必要はない。もし人が自分の役割を果たすために、さらなる効用もないのに、ただ単に真実を語るとすれば、少なくともそれは 余計なこと であろう。
なぜなら、何か事柄について私が話したということは重要なことではなく、そうではなく、話したことのもたらす結果が重要だからである。話すことはまだなお行動でもなければ行為でもない。行動や行為は話すこと以上に高尚なことである。
— Die Wahrheit wird dann am rechten Ort und zur rechten Zeit gesagt, wenn sie dient, die Sache zu Stande zu bringen. Die Rede ist ein erstaunlich großes Mittel, aber es gehört großer Verstand(※1) dazu, dasselbe richtig zu gebrauchen.
何か事柄が実現するのに役立つように、真実は正しい場所 と正しい 時 に語られるべきである。語ることは驚くべき偉大な手段である。しかし、正しく語るには優れた知性を必要とする。
※1
話すこと、語ることは人間のみに与えられた驚くべく素晴らしい偉大な能力であり素質である。しかし、正しく語り、話すには優れた知性(großer Verstand)が必要である。
Verstand はここでは「知性」と訳したが、哲学においてはふつう「悟性」と訳される。
ヘーゲル哲学においては、この 「悟性 Verstand」 は 「理性 Vernunft」とならぶ根本的に重要な概念である。
Verstand は ふつうの日本語では「分かる」こと、英語では「understand」に相当するが、それは「理解する」とか「物分かり」とか言われるように、人間の分析能力と深くかかわっている。
人間の知覚によって「塩」は分析されて 、「辛く」もあり「白く」もあり「(その結晶は)立方形」でもあるものとして捉えられる。(「精神の現象学」)
これは「悟性 Verstand」の能力、つまり判断能力(Urteil)によるものであるが、ここにおいてはじめて「個別」から「普遍」が出てくる。
しかし、往々にして「悟性 Verstand」は、おのれが分断した一方のみをもって「真なるもの」と主張し、他方を否定する。「悟性 Verstand」はこうして、「抽象(普遍)の餌食」になる。たとえば、今は亡き憲法学者の奥平康弘氏などは「天皇制は民主主義とは両立しえない」などと主張して「皇室」を否定する。
いずれにせよ、カントに代表される「啓蒙哲学」が「悟性 Verstand」の意義を明らかにしたことをヘーゲルは高く評価する一方において、その限界をも指摘し、それを克服するものとして、「理性 Vernunft」の概念を明らかにする。
理性については、この『哲学入門』においては、第三課程、概念論、第三部「三、理性的思考」として説明されている。
※ご参考までに
ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 一[知覚について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/9Y7uC8
ヘーゲル『哲学入門』序論 七[意志の抽象的自由] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/oCish9
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「悟性的思考」と「理性的思考」2 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/K5RNfJ
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