あれから39年。
39年前の今日7月26日
愛知県三河湾に浮かぶ小島
篠島で
吉田拓郎のオールナイトコンサートが
開催された
16000人
のほとんど男だらけの拓郎コンサートが薄雲の夕方に
スタートした。
午後7時
(あゝ青春)からオープニングソングは会場に流れ
暑く長い一晩限りの拓郎による
アイランドジャックは始まった。
日中は影のない会場は
埋め立て地で凸凹の粘土土と砂地の入り混じった荒地だった。
コンサートスタートまで
物で影を作って
甲羅干しさながら
充分に日焼けするだけの時間と
日差しの中
よくぞ熱中症にならなかったなぁ
と思えるほど
その日も暑い一日だった。
ツアーバンドを中心の一部のステージ
75つま恋の時と同じく
瀬尾一三オーケストラの二部のステージ
そして
ゲスト長渕剛
と
小室等
ラストステージも
ファーストステージ同様
ツアーバンドがラストまで演奏。
ラストナンバー
人間なんて
まで
やらねばならぬ曲
と
言い聞かせて
はじめた。人間なんて
僕は生で
人間なんてを聞いたわけだけど
なぜか
それほど感動はなかった。
やはり
ステージ構成の一部に組み込まれてしまった
歌に
ドラマ性は感じられず
どこか
冷めながら聞いていた
しかしながら
拓郎の少しのトランス状態で
彼から繰り出すメッセージは
これから一人一人として生きていくなかで
強く生き抜くことへの
応援と確認をしてくれていた。
次はお前たちの街へゆく
今度は俺がお前たちの街へゆくからな
と
過酷な環境を乗り越えて
不便な島で
拓郎の歌を聴きにきた若者たち
とびっきりの拓郎ファン出ない限り
そんな過酷な環境には
足を踏み出せなかったろう
自慢をするわけではないが
僕も学校から参加禁止を促され
退学覚悟で
望んだ
アイランドコンサートだった。
未成年者の深夜徘徊
今よりあの頃は結構
校則やら
市の条例やら
うるさかったね
拓郎の生のコンサートデビューが篠島だった僕は
イベントでしか見せない
拓郎の表情と歌い方
普段と違うテンションのコンサートからの
拓郎デビューだっただけに
いきなりトップギアで見せつけられた
感じのファーストコンタクトだった。
その後オリンピックの四年間隔を目安に
イベントを盛り上げながら
ツアーを進めていた拓郎も
84年ではなく86年につま恋を2回目のつま恋を開催することとなる
この二回目のつま恋の時は
もう
僕は結婚していた新婚ホヤホヤの時だった。
いこうと思えばいけた
86年つま恋
でも
なぜか行かなかった、
そのことが悔やまれる。
79年の篠島は
伝説のコンサートにはなったのだろうか?
行けなかった人からみれば
事実は膨らんで
伝説として格上げされていくはずなのに…
とにかくゲストコーナーでは睡魔との戦いで
意識朦朧としていた。
ラストステージ登場とともに拓郎の雄叫びは
朝まで思いっきりいくぞ〜
イメージの詩
いくぞ〜〜
で始まったラストステージ
は
圧巻だった。
絞り出すように魂の全てを投げかけて
くれた拓郎。
つま恋の朝の空と
篠島の朝の空とでは
色合いが、違っていただろうが
80年代の扉を開けるのには
充分なインパクトをもった
意味を持った
イベントだったと思う。
75つま恋は
70年代前半の総括だったと思う。
70年代は
濃密な時代で
ほぼ
70〜75年は10年分に値する
密度があったように思う。
次の80年代をどのように迎えるのか
そんな問いかけの中
拓郎の歌う
人間なんて
が終わり
コンサートイベントは
幕を下ろした。
そのあと僕らは放心状態で力が抜けて
その場で泥のように眠った。
そのあと強烈に照りつける朝の太陽に起こされ
いそいそと家路へと
帰っていった。


