「ボランティアは邪魔」

2011年03月18日 | まとめブログから
このブログが言いたいことをうまく伝えてくれてる。



ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして
彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。



被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。
分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。



「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」
と友人に訊かれたので、こう答えました。

まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。

自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。



次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。






アバン先生が言ってた。

「正義なき力は無力。力なき正義もまた無力」と。

訓練されてないボランティアは、まさに力なき正義だ。



今日会社の最寄駅で募金箱もって、凄い勢いで声出してる学生たち(大学生ぐらい)がいたけども、募金するほうが勇気いる雰囲気になってた。

その行為自体は素晴らしいと思う。

ただね、結果を求めるとすればそんなこと(募金活動)してないでバイトした方が早いよ圧倒的に





バイトして稼いだ金を赤十字とかの義援金にさっと送る。なんの見返りもなく、目立つこともなく静かに自然にそういうことできる人の方が素晴らしい。



「すごく苦労して集めた血銭の1000円です」「バイト1時間ちょいして稼いだ1000円です」



重み?変わらねぇよ。前者の方が遥かに扱いづらい。

結局自己満足でしかない。なにもしないよりは比べようもなく素晴らしいけどね。



被災者が求めてるのは見返りない善意。

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