社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

山田満「米国2000年人口センサスと公共圏-数え上げられる権利をもとめて-」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編『社会の変化と統計情報(現代社会と統計Ⅰ)』北海道大学出版会, 2009年

2016-10-09 19:44:56 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
山田満「米国2000年人口センサスと公共圏-数え上げられる権利をもとめて-」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編『社会の変化と統計情報(現代社会と統計Ⅰ)』北海道大学出版会, 2009年

 アメリカの2000年人口センサスの内容と意義を,その歴史も顧みながら,掘り下げた論稿。アメリカのセンサスの実査過程,調査の内容は,日本の国勢調査とかなり違う。調査期間は,8か月にも及ぶという。2000年センサスは同年4月1日午前零時現在の人口・世帯を調査する。調査は基本的に郵送配布回収の自計方式であるが,実態は訪問面接による他計方式(後者には約50万人の調査員が動員され,1月から始まり9月中旬まで続く),電話調査,インターネット利用調査を含む総力戦の「国民的祝祭」である。その歴史は,第一回人口センサス(1790年)まで遡る。筆者の整理によれば,いくつかの画期があり,それは家族レベル・センサスから個人レベル・センサスへの移行(1850年),センサス実査組織の転換(1880年),追加質問標本調査の導入(1940年),他計調査から自計式調査への切り替え(1960年)というものであるが,2000年調査も歴史的画期を示すものであった。

 アメリカのセンサスは,いろいろな意味でシビアである。筆者はそれを「ワンナンバー・センサスの問題」「数え漏れ(過小計上)問題」「人種質問にたいする複数回答導入問題」「ロングフォーム調査からアメリカン・コミュニティ・サーベイへ,そして全国マスター・アドレス・ファイルの作成・整備調査へ」で考察している。
アメリカのセンサスは,合衆国憲法第1条第2節3項にもとづき,合衆国を構成する各州に割り当てられる連邦下院議員を決め,さらに各州における選挙区の区割りを確定し,連邦政府から各州に,各州から交付される補助金の大きさを定めるための,人口数の数え上げを第一の目的とする非常に重要な調査である。

 そのゆえに,アメリカでは1950年以降,センサスの正確性を評価し,改善の方途をさぐる事後評価調査(PES)が行われている。事後調査の結果,センサス本体の実際値を補正しなければならない事態が出てくると大問題になる。そういうケースは,1980年調査に対して実際にあり,センサス局,商務省を巻き込む大きな議論となった。種々経緯があって,アメリカ科学アカデミーは,センサス本体に「事後評価調査」を一体的に組み込み,公表数値をただひとつ定めるワンナンバー・センサス(統合されたシングル・ナンバー・センサス)の実施を勧告,その後議会内での民主党と共和党の対立,議会と商務省・大統領府との対立があったため,2000年センサスに向けて,一時,従来型の調査とワンナンバー・センサスの調査を並行して準備する次第になった。1999年1月,連邦最高裁判所は,5対4の僅差でワンナンバー・センサスに違憲判決を下した。

 ワンナンバー・センサスがこれだけ政治的争点になったのは,1960年代に「アンダー・カウント(過小計上)問題」があったからである。実際に1870年センサスでは南部諸州の黒人人口の数え漏れが問題となったことがあった。その後,1880年センサスで実査組織が大幅に改善されてからは,過小計上は小さくなっていった。それが1960年代に問題化したのは,ジョンソン大統領の「偉大なる社会」構想(「平等で貧困のない社会」実現の国家プロジェクト)との関連で,そのための県境整備のひとつに連邦政府から州・地方への補助金配分システムの公正化がもとめられたからであり,ゲリマンダーによる地域間,人種間での投票の重みの差が表面化したからであり,1950年センサスにおける過小計上が公表され,特定の社会的,人種的属性をもった人々が数え上げられにくくなっていることが取沙汰さらたからである。過小計上問題を解決する調査方法の解決がこの時期に問題になった所以である。

 2000年センサスに加えられた調査項目で最大のものは,人種質問に複数選択回答方式が導入されたことである。筆者はその経緯を1870年センサスからたどり,この問題に含まれる内容の複雑さをときほぐしている。2000年センサスでの当該調査項目の内容の変更の背景には,1960年以降の人種的アイデンティティの複数性の公的承認をもとめる運動の高揚があった。1960年センサスにおける調査票の郵送配布方式の採用(自計式),ジョンソン政権のもとで準備され,共和党ニクソン政権のもとで推進されたアファーマティブ・アクション・プログラムの開始,メキシコからの移民の大量流入にともなう調査国目の変更は,その具体的あらわれである。

2000年センサスは,全世帯(住居単位)の全世帯員に回答をもとめるショートフォーム調査(質問数は6,筆頭者は8)と約6分の1の世帯員全員に対して実施されるロングフォーム調査(住居質問を含む質問数53)からなる。ロングフォーム調査は,すでに1940年センサスから部分的に実施されていたが,とくに1990年センサスでは調査拒否,回答拒否が多発し,また私的領域に踏み込む質問項目は忌避され,それが一体化して実施されるショートフォーム調査の足をひっぱっていた。そこで,センサス局はロングフォーム調査の代替としてローリング・センサス調査方式(各州で割り当てられた標本数の世帯を,調査区を変えながら抽出していく方式)を採用したACS(アメリカン・コミュニティ・サーベイ)を企画し,これをショートフォーム調査と切り離そうと考えた。くわえてACS実施の基礎作業として,10年に1回のセンサスごとに作成されていた住居住所リストファイルを逐次更新される恒久的な全国MAF(マスター・アドレス・ファイル)として再構築し,それを国土基盤計画のもとでの統計調査用地理情報システムに統合し,連邦統計活動共通の住居・人口統計調査用の恒常的フレームとする計画の実行に入った。

 以上の経緯を経て実施された2000年センサスであったが,プライバシー問題が新たな形で噴出し,また公民権運動が従来と違った様相を呈して登場した。前者は共和党を中心とした,ロングフォーム調査が国家権力の私的領域への介入であり意見であるとする「積極的」調査拒否・回答拒否の姿勢をうちだし,センサス局との間で論争を引き起こした。後者は導入された人種複数選択回答制が公民権運動に大きな打撃となると判断した諸団体が,人種に関する質問に自らのマイノリティとしてのアイデンティティを確認するために「ひとつだけチェックしよう」と呼びかけた。これは公民権運動内の分裂を意味した。

アメリカのセンサス実施と日本の国勢調査のそれとを軽々に比較はできないが,この論稿を読むと,前者が特有の難しさをもっていることがわかり,センサスというひとつの統計調査が政治,民主主義と強くかかわっていることがわかる。そのことを意識して筆者の結びの言葉を読むと,その意味もよくわかる。「対立し合い決して和解することのない様々な公共圏の重なり合いの中で,「力の分配に応じた合意形成」をその都度行いながら「統計活動」という公共圏を形成していく忍耐力と構想力が必要なのである」と(p.66)。

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