社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

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木村和範「キエールの代表法」『標本調査法の生成と展開』北海道大学図書刊行会,2001年

2016-12-28 11:26:27 | 1.蜷川統計学
「代表法とその社会的背景-任意抽出標本理論前史」(『経済論集』[北海学園大学]第45巻第1号,1997年7月),「キエールの『代表法』をめぐる論争-G.v.マイヤーとL.v.ボルトキヴィッツの見解」(『経済論集』[北海学園大学]第46巻第1号,1998年7月)をもとに著作の一章として編まれた論稿。(1)キエールの代表法を必要としたノルウェーの社会状況とそれを可能にした統計機構の整備状況,(2)その代表法の概要,(3)代表法にたいする2つの批判,がその内容である。

 構成は次のとおり。「はじめに」「1.代表法の社会的背景:(1)資産・所得調査の背景,(2)統計機構の整備」「2.代表法:(1)調査法の選別,(2)1891年資産・所得調査[ノルウェー],(3)代表標本の代表性」「3.キエールにたいする2つの批判:(1)マイヤー[1841-1925],(2) ボルトキヴィッツ[1868-1931]」「むすび」。

 筆者は「むすび」で本稿の内容を要約しているので,それを骨に本文の叙述で肉づけし、以下に本稿の中身を説明する。

キエールの代表法は,以下の事情を背景に成立した。ノルウェーでは19世紀に入って,保険基金の創設のために,資産・所得調査を全国的規模で行う必要があった。この必要性は、「近代化」によって農業破壊,都市問題が招来し,一連の社会・福祉政策がもとめられたことと関係している。キエールは,こうした状況のなかで、関連する調査を全国的規模で行わなければならないという要請に直面し,短期間で意味のある結果を得るにはル・プレ流のモノグラフ法が不適切であると判断した。キエールは「対照標識(コントロール)」を用い,全数調査結果と代表標本を比較・対照することで,モノグラフ法に代替する代表法にもとづく調査を考案した。それは全数調査ではなく,一部調査の方法の積極的利用であった。

他方,ノルウェーでは中央統計局の設置をはじめ,統計機構が整備され,この過程で地方統計業務が中央に組み込まれることになった。キエールはノルウェー中央統計局局長をはじめ同国の統計行政に深く関与していた。この時期に実施された機構整備によって,ノルウェーでは統一的な全国規模の人口調査が可能になり,資産・所得調査の基礎資料を得る基盤が形成された。

 筆者は以上の背景説明を行ったのち,キエールが全国的な資産・所得調査で代表法を選択した理由,1891年調査(実施は1893年1月)の内容(調査方法,調査票とその記載例,集計段階でのホラリス集計器の利用,代表性の点検)の紹介を詳しく行っている。

 ノルウェーでの経験をもとに,キエールはISIベルン大会(1895年)で「代表調査にかんする観察と経験」と題する報告を行い,そこで短時間で全国的規模での資産・所得調査の結果を得るには悉皆大量観察ではない,代表法による調査を行わざるをえなかったことを示した。同報告の内容は結果的に,既存の全数調査への権威に対する疑問の提示,そして批判につながるものであった。

 キエールの見解に対して,マイヤー,ボルトキヴィッツから反批判がなされた。マイヤーは,同じISIベルン大会で,一部調査が悉皆観察の代用たりえないとして,全数調査の正当性を主張した。マイヤーによる反批判は,ヨーロッパ諸国に設置された国家統計機構による全数調査を背景にもつ19世紀統計調査論にもとづく批判である。その意味で,マイヤーの批判は当時の支配的見解であった。くわえてマイヤーの意図には,一部調査から全体を推測する計算の手続きに対する批判があったのではないか,と筆者は述べている。マイヤーの批判に対して,キエールは論文1897年のノルウェー科学アカデミー紀要に掲載された「代表法」で,部分的にマイヤーの指摘に同意しながら,現実には悉皆調査が不可能な場合には一部調査を利用せざるをえないとし,その有効性を以下のように強調した。キエールの考え方をまとめて知ることができるので引用する(p.21)。

(1)在来の統計やモノグラフの他に社会科学の分野には一部調査の広範な応用領域がある。この一部調査を採用しない妥当な理由はない。
(2)代表法によって一部調査の価値を高めることができる。
(3)標本は,代表性の度合いにもとづいて評価されるべきである。
(4)代表法は,全数調査統計と比較対照できるように企画されなければならない。
(5)代表性を確保した一部調査が可能となるように,理論面と実際面の両面からの研究が必要である。
(6)調査結果が代表性をもつために,どれだけの大きさの標本が必要かについて研究することが重要である。
(7)代表法による調査の結果と在来の手法による全数調査の結果が一致するようになるにつれ,代表標本への信頼は高まる。
(8)代表標本を選出するときに,センサス結果を活用することには利点がある。

他方,ボルトキヴィッツによる批判は,代表法を確率論で基礎づけることが狙いで,この考え方は20世紀に普及した任意抽出標本理論の萌芽である。彼は1901年に開催されたISIブダペスト大会で,キエールの批判者として登場した。すなわち,ボルトキヴィッツはキエールの代表法を「対照法」と名づけ,その統計学の方法論上の意義を認めながら,「対照」の仕方が主観的であると言明した。代表性を評価する方法は,主観の領域から抜け出した方法に,すなわち確率論によらなければならない,というのが彼の考え方である。関連して部分から全体を推測するときに,数理統計学の公式を応用して,誤差の源泉を方法論的に考察することが提言された。
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木村和範「ドイツ標本調査論争」『標本調査法の生成と展開』北海道大学図書刊行会,2001年

2016-12-27 11:23:28 | 1.蜷川統計学
もとの論稿は「ドイツにおける標本調査論争-1903年国際統計協会ベルリン大会以後」(『経済論集』[北海学園大学]第48巻第1号,2000年6月)。

構成は次のとおり。「はじめに」「1.プファウンダーとヴァイヤー(1906年):(1)先行研究、(2)ザルツブルク大公領家畜調査,(3)標本調査実験、(4)推定結果の考察」「2.アルトシュール(1913年):(1)一部調査の必要性と望ましい一部調査法、(2)大数法則」「3.ショット(1917年):(1)理論的考察、(2)組織的な検討」「4.ウィンクラー(1921年):(1)アウエルハンの見解-1919年チェコスロバキア共和国土地収用法の正当性-,(2)アウエルハンへの批判」「5.グレーフエル(1921/22年):(1)論文の要旨、(2)ツァーンのコメント」「6.ルフト(1922年):(1)代表法の有効性にかんする理論的検討-先行研究にたいするルフトの見解-、(2)標本調査実験」「むすび」。

筆者は1903年に開催されたISIベルリン大会での報告を順次、紹介して標本調査論争の内容を検討している。紹介されているのは、マイエット、キエールの見解である。さらにその後に公にされたプファウンダーとヴァイヤー(1906年)、アルトシュール(1913年)、ショット(1917年)、アウエルハン(1920年)、ウィンクラー(1921年)、グレーフェル(1921/22年)、ルフト(1922年)の論稿が俎上にあげられている。

 マイエットの報告は、バーデン大公国家畜センサスの調査結果を借り受け、標本調査の有効性を経験的に確かめる目的で実施した実験内容に関するものである。この調査は任意抽出のはしりであった。この大会でキエールは、今でいう有意選出による標本調査を推奨し、マイエットと対立した。

オーストリア・ハンガリー帝国中央統計委員会の局長であったユルシェックは、ベルリン大会後、マイエットの方法の有効性を検討することをプファウンダーとヴァイヤーに勧めた。約20年間に及ぶドイツ標本調査論争は、これに応えて執筆された彼らの論文(Pfaunder, Richard und Weyr, Franz,”Die stichprobenweisen Viehschätzungen : Eine kritisch-metodologische Untersuchung,” Statistische Monayschrift, Neue Folge,XI. Jahrgang, 1906)を発端とした。プファウンダーとヴァイヤーは、オーストリア・ハンガリー帝国農務省が行った1890年のセンサス・データ(家畜頭数)をもとに、1900年のそれを推算し、その結果が同じ1900年のセンサス・データに符合しているかどうかを検討した。この検討に際して、プファウンダーとヴァイヤーはザルツブルク大公領のデータとボヘミアのそれを用いたが、筆者はこれらのうち前者の中身を詳細に紹介している。その結果、マイエットの標本調査実験に準拠したプファウンダーとヴァイヤーによるザルツブルク大公領の家畜調査では、その有効性に疑問が出された。

 その後、アルトシュールは、1913年に、「標本調査の方法にかんする研究-理論統計学における現代的傾向の性格規定によせて-」と題する論文を公にし、そのなかで「大数法則」によって誤差を秤量する代表法の利用を主張した。ポイントは、次の諸点である。第一に、アルトシュールは全体への推測を目的とする一部調査が全数調査を前提とする必要がないと考えていた。第二に、彼は全数調査を前提としない代表法で全体の数字を推測するときに、誤差の限界が「大数法則」によって与えられると考えていた。そして、「大数法則」を用いれば、所与の観測個数で特定の誤差の計算が可能であるとした。「大数法則」のこの解釈は、その適用が大きな標本を前提とするというケトレー以降の「大数法則」感の転換でる。

ショットは1917年に、論文「都市統計における標本調査にかんする試論」を執筆した。この論文でショットが意図したのは、当時、自然科学に分野以外でみるべき成果をあげていなかった代表法の有効性を理論的・経験的に解明することであった。この論文で彼は、悉皆調査に代わる代表法が有効であるとの立場を理論的な考察と経験的な考察(1916年のマンハイム市人口調査)から補強することを試みている。

筆者はさらにアウエルハン論文「主要商品作物の作付にたいする農場規模の影響」(1920年)、ウィンクラー論文「経営規模と作付分布-一部調査の批判的方法論研究-」(1921年)、グレーフェル論文「統計の必要性と代表法」(1921/22年)、ルフト論文「統計学における代表法」(1922年)を紹介している。これらのうちグレーフェル、ルフトの論文では、代表法に有意選出法と任意抽出法とがあり、いずれも全体の推測を目的とする一部調査の方法として優劣をつけがたく、並列されるべきものであること、しかしかつてマイエットが主張したような代表法、とくに標本法の有効性を認めることができず、ましてや代表法が全面的に大量観察代用法として悉皆大量観察に代わる機能を果たす調査と結論づけられることはなかった。ただし、ルフトにあっては、代表法は少なくとも広範囲に及ぶ地域にかんする概要を与えることでは一定の役割を果たすとの示唆が示されている。

筆者は「むすび」で本稿を要約しているので、それを以下に引用する(pp.101-2)。
(1)キエールがISIで代表法の有効性を主張したとき、彼はマイヤー(代表法が全数調査に代わることはないと非難した)とボルトキヴィッツ(誤差の数学的評価が欠如していると論難した)との両方から、批判を受けた。代表法の有効性を論議するとき、キエール批判のこの2つの論点は、繰り返し、さまざまな論者によって主張されている。20世紀初頭以降のドイツにおける標本調査論争でも、そのことは例外でない。
(2)官庁統計の実務家を中心にして、次第に、代表法を積極的に活用してゆこうとする機運が生まれた。それは、とりわけ第1次世界大戦をはさむ時期における統計予算の削減と経費の高騰が、全数調査の実施を不可能ないし困難に陥れるという、いわば統計調査の「危機」を前にして、全数調査の代用となる統計調査を必要としていたことを反映している。
(3)代表法として括られる一部調査には、2つの種類がある。その一方は、後に有意選出法と呼ばれる「選出法」であり、他方は「標本法」(後の任意抽出法)である。標本調査論争のなかで、両者の特質や差異性が次第に明らかになった。
(4)このうちの「標本法」に推奨する論者はボルトキヴィッツやボーレーの系譜にいる人たちであったが、ドイツでは「標本法」をもって、あるべき代表法とみなす見解が支配的になることはなかった。
(5)2つの代表法のいずれが望ましい大量観察法であるかについては、その有効性の判断基準を「経験的なコントロール」におく限り、決定的な判定が下されることはなかった。代表法は正しい推定をあたえることもあれば、そうでないこともあったからである。しかし、いずれにしても、推定結果が妥当なものかどうかを、利用者みずからが検討できるよう、調査の概要を公表しておくことが重要であると見なされていた。

20世紀初頭に展開されたドイツ標本調査論争では、代表法の意義と限界についての確定的な結論は出なかった。その結論は1925年のISIローマ大会でのイェンセン・レポートまでまたなければならなかった。
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内海庫一郎「蜷川の統計学説について」蜷川統計学研究所編『統計利用における基本問題』産業統計研究社, 1988年

2016-10-03 21:16:42 | 1.蜷川統計学
内海庫一郎「蜷川の統計学説について」蜷川統計学研究所編『統計利用における基本問題』産業統計研究社, 1988年

 「戦前に日本人が独自に開発した統計学の最後の到達点」であった蜷川統計学についてのわかりやすい解説。この論文は, 蜷川虎三『統計利用における基本問題』[現代語訳](産業統計研究社,1988年)が刊行されたさいに, 解題として付されたものである。以下にこの論文の内容を紹介する。

蜷川虎三(1897-1981)の統計学は, 社会科学方法論説に属する統計学である。統計学は, 社会科学に限定された研究方法論の一つの形態であり, それは統計方法という特殊な研究方法を研究対象とする。統計方法は, 「大量」(社会集団のこと。ドイツ語からのこの訳語は財部静治による)の数量的研究方法である。

研究方法を研究対象とする蜷川統計学は, 4つの特色をもつ。第一に, それは統計利用者の立場にたった統計学である。第二に, 統計方法を「大量」の数量的研究方法とすることで, 統計方法の端初を「大量」におき, 大量の性質, 特質から統計方法の一切の規定を導き出す統計学であった。第三に統計の誤差に, 統計利用者の側からみた二種の誤差が存在することを明らかにし, これらを統計の信頼性の吟味, 統計の正確性の吟味として位置づけた。第四に, 統計の数学的処理が, 統計の反映する対象の性質の相違によって異なる意味, 異なる結果をもたらすことを明らかにした。

以上の特色をもつ蜷川統計学は, さらに内容に立ち入ると, 以下のような体系構成をとっている。まず, 体系は「対象=大量反映性」「統計法則=目標性」で構成されている。すなわち, この学説では, 統計利用の理想形態は, 多数の「大量」を代表する統計値を集め集団的研究=大量観察を行い, それによって安定的結果あるいは一般性のある数値を, すなわち統計的法則を導き出すことを目標とする。

「大量」を反映する「集団」は2とおりある。一つは, 統計調査を予定する「存在たる集団」であり, もう一つは数理的統計法が適用される「意識的に構成された集団」である。前者は統計の信頼性の吟味, 批判の対象となるもので, 後者は研究者が統計的法則=安定的数値をもとめるために, 人為的に構成した集団である。

「意識的に構成された集団」は, 「単なる解析的集団」と「純解析的集団」とに分類される。統計解析を行うためには解析統計系列を作成しなければならないが, 必要なのは大量に関する平均値を多数とって系列とする手続きである, その結果, 構成された集団が「単なる解析的集団」である。この方法とは若干異なり, 同じ大量に関する平均値を多数とって系列とする手続きでも, そこから時の要因を除去して構成された集団が「純解析的集団」である。(このあたりの蜷川の展開は, 筆者の言によると, かなり難解である。)

 おおむね, 以上のような構成をとる蜷川統計学は, 統計対象に大量をすえ, 統計調査を悉皆大量観察でとらえるドイツ社会統計学と統計的法則を数理的手法で解析する欧米の数理統計学の総合であった。

 本稿では, 蜷川統計学に対して提起された疑問点が, 何点かにわたって, まとめられている。足利末男は, 蜷川の統計学説が大量観察法と統計解析法との全く異なった原理にもとづく二つの方法からなっているとして, これを体系的に一元化すること, 社会集団と他の社会科学が対象とする社会現象との関係を明らかにし, とくに社会現象の量的把握が社会科学的認識に対して有する役割を明確にすることを課題として挙げた。また内海庫一郎当人は蜷川には唯物論があるが, 弁証法への配慮がないとした。大橋隆憲は, 蜷川理論の根本的欠陥を大量=社会集団の歴史法則的な認識が欠けていることとした。

 この論文では, 蜷川統計学をドイツ社会統計学と統計的法則を数理的手法で解析する欧米の数理統計学の総合ととらえているので, 関連してこれら2つの統計学の成立過程の簡潔なスケッチがある。また, 戦後, 蜷川統計学を継承した社会統計学の発展と一時隆盛をきわめた推計学との相克についての描写, 戸坂潤の「科学論」との関係についての記述がある。さらに蜷川統計学の後継者の業績(大橋隆憲の標本調査論批判, 階級構成表の作成, 上杉正一郎の標本調査論批判, 剰余価値率の推計, 佐藤博と是永純弘の数理統計学史の研究など)が紹介されている。
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内海庫一郎「故・蜷川会員を偲ぶ-追悼文に替えて-」『統計学』第42号,1982年3月

2016-10-03 21:15:24 | 1.蜷川統計学
内海庫一郎「故・蜷川会員を偲ぶ-追悼文に替えて-」『統計学』(経済統計研究会)第42号,1982年3月

 蜷川門下生であった筆者は,該博な知識をもった豪放磊落なお人柄であった。その筆者による蜷川虎三の学者像と蜷川統計学批判の形態の整理。

 蜷川虎三の業績は,(1)統計学,(2)会計学,(3)水産経済学の分野にまたがる。主要な活動の場は,統計学である。主要著作は,『統計学研究』『統計利用の基本問題』『統計学概論』。大橋隆憲は蜷川統計学の内容を次のように要約している,「蜷川理論は社会集団論を基礎に統計学を統計方法論の体系として構築し,その理論を社会調査者の統計学を統計利用者の統計学へと変換せしめた。しかし,その理論を社会調査史論の中に位置づける問題を残した」と。筆者はこの要約に不満があって代案を思案したができないので,大橋案にコメントを加えている。第一に,この定義には蜷川集団論の要である「大量」の唯物論的性格への言及がないこと。第二に,蜷川の統計方法論の体系が統計調査論プラス統計加工,利用論であり,通常の統計方法論と決定的に異なることに言及がない。第三に,数理統計学の利用可能性が原則として拒否されているという指摘が無いこと。
筆者はまた言う,蜷川統計学の理解には,大橋隆憲の『8千万人』とともに『統計学総論』が必読である。『経済』に掲載された蜷川と有田正三の対談も重要だそうである。

 蜷川の会計学の分野での業績は,従来ほとんど経験的技術に終始した「会計学」に経済学の基礎理論を与えたことである。蜷川によると会計方法とは「利潤計算を根本目標におく個別資本の運動過程の記載方法」であり,「利潤追求獲得の過程における価値及び価値の増減の記載方法」である。蜷川はこの規定を上野道輔の著作,中西寅雄『経営経済学』,スガンチーニ『複式簿記の理論』を批判的に検討した結果として打ち出した。岡部利良は蜷川が会計方法に限って論じていて,現実の会計の「収奪的帰納」「資本蓄積機能」を除外しているので不十分と言っている。筆者は,それはそうかもしれないが,だからといって蜷川流の会計理論の意味が否定されてはならない,と強調している。

 水産経済学の分野では,何冊かの著者と多数の論文がある。蜷川はもともと水産講習所の出身で,卒業後しばらく母校の助手をしていて,水産業には玄人だった。後年,中小企業の問題を論じたときに,たえず念頭にあったのは漁業であった。

 次いで筆者は蜷川統計学に対する批判を今後の研究の参考に提供している。(1)郡菊之助との論争。蜷川が実質統計学としての統計学を批判したことに対する反論。(2)小倉金之助の批判。英米数理統計学を推奨し,ドイツ社会統計学の反動性を批判したこととの関連でなされた蜷川批判。しかし,蜷川死後,小倉の蜷川宛の書簡を読むと,そこにはむしろ賞賛の意が読み取れたそうである。(3)哲学者・梯明秀の批判。大量の四要素の弁証法的相互関係が展開されていないというのがその内容である。(4)杉栄の批判。[筆者は批判の内容を記していない]。(5)戸坂潤の批判。蜷川統計学を肯定しながら,統計方法の方法論上の位置づけが欠落しているとの批判。(6)北川敏男の批判。筆者は北川に蜷川の『統計利用の基本問題』ぐらいはしっかり目を通してほしい,そこで展開されているフィッシャー批判は吟味してほしかった,と述べている。(7)大屋祐雪の批判。これについては,『経済』に掲載された「蜷川虎三経済談義 わたしの経済論」の第三部「研究方法論としての統計学」(有田正三)を読んでほしいと書いている。最後に,中江幸雄「蜷川統計学と真実性批判-序論」『経済論叢』(昭和56年10月)はよくまとまった好論文と推奨している。
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横本宏「蜷川統計学における集団論」『研究所報No.2』(蜷川統計学研究所)1984年

2016-10-03 21:13:41 | 1.蜷川統計学
横本宏「蜷川統計学における集団論」『研究所報No.2』(蜷川統計学研究所)1984年

本稿は蜷川虎三の A Study of the Nature of the Social Mass の翻訳を掲載した蜷川統計学研究所の『研究所報』の解説で,蜷川統計学の体系を,とくに集団論に絞って論じたものである。その内容は「存在たる集団」としての社会集団,「意識的に構成された集団」の解説から始まって,蜷川統計学における集団概念の構成,蜷川集団論と統計対象論争の説明にいたる。「存在たる集団」としての社会集団,「意識的に構成された集団」の解説に関しては,学説的位置づけにポイントがある。

「集団」は単なる個体の集まりではない。それには特別の限定が必要である。そこでリューメリンがもちだされる。リューメリンは,「集団」はある一つの共通の特徴をもつ集団,集合的集団であるとする。この規定は常識的なそれであるが,蜷川によればこの規定だけでは集団と統計ないし統計方法との関係は明らかにならない。
蜷川は統計学での集団の問題の建て方には2通りあると言う。一つは,マイヤー的集団である。マイヤーは集団を悉皆集団観察によって数え上げられる集団を想定した。ここでの集団の特徴は,集団の大きさが不明で,集団の方向性が多岐であることである。しかもその集団は,社会現象に関するものに限定されている。マイヤーにおける集団は単なる集団ではなく,社会集団であり,多様に社会化された集団である。その社会集団は,人間集団,人間の行為および事件の集団現象,その集団結果に分かれる。マイヤーの集団は,社会集団という特別の規定を受けた集団である。

もう一つの集団は,集団性を一つの特定の方向でのみもつ集団である。そこでは,その特性の強度のみが問題となる。集団の恒常性,安定性をもとめるために問題となるのが集団の大きさであり,その基準として引き合いにだされるのが大数法則である。
蜷川はこのような集団概念が旧来の統計学でいかに形成されてきたかを考察し,統計的集団,統計的集団現象,統計数,統計系列,集合対象などの概念をツウバーに語らせている。筆者によれば,蜷川がツウバーのこれらの一連の概念に関心を寄せたのは,そこに不充分ながら,「存在たる集団」としての社会集団,「意識的に構成された集団」の区別があったからである。蜷川が確認したかったのは,後者が一定の目的のために構成された集団であり,その一定の目的のための集団の安定性を確率論でもとめる際に,その集団がどのように規定された集団でなければならないかを明らかにすることであり,ツウバーを取り上げたのはそうした考察のための素材としたかったからである。蜷川はこの延長で所謂ミーゼスのコレクティフ概念にたどり着く。

 筆者は蜷川統計学の集団概念の構成の解説に,下記の足利末男の概念図を援用している。この体系の基礎にあるのは,集団論である。その概念図は,下記のようである。集団は「存在たる集団」と「意識的に構成された集団」からなる。「存在たる集団」には,「社会的集団」と「自然的集団」とが含まれる。前者をとくに大量(マイヤー)と呼ぶ。「存在たる集団」は,統計調査をともなう。ここから統計の信頼性,正確性の問題が出てくる。「意識的に構成された集団」には,数理的解析が予定されるが,もとめられる数値が統計値か測定値かで,「統計値集団」と「測定値集団」とに分かれる。「統計値集団」には統計値集団の性質上,数理的解析に耐ええない統計値集団もあり,それは「非解析的統計集団」として位置づけられる。数理的解析が適用可能とみなされるのが「解析的集団」(ツウバー)であるが,この「解析的統計集団」は,それがミーゼスの規定した諸条件を備えているかどうかによって,「単なる解析的集団」(備えていない場合)と「純解析的集団」(備えている場合)とに分類される。

 以上が蜷川集団論の基本構成であるが,問題の指摘がないわけではない。内海庫一郎はそれを弁証法なき統計学と,また足利末男はそれを二元論的統計学として批判的克服を提唱した。統計学の対象をめぐる論争も展開された。田中章義は,この論争の包括的紹介と論争点の整理を,論争の経過,論争の客観的意義,論争の成果に分けて紹介,検討した(田中章義「統計対象にかんする諸家の見解について-統計学の性格規定と関連して-」)。この論争の直接の契機は,内海庫一郎の問題提起であった(『科学方法論の一般的規定からみた社会統計方法論の基本的諸問題』)。その内容は,統計の対象は必ずしも「集団」でなければならないというわけではなく,「個体」でもよいのではないかというものであった。したがって統計対象=大量は「その存在が社会的に規定された集団」というべきではなく,社会的存在がその一面において集団なる性質をもつ,というべきである。統計対象は,社会的存在の数量的側面というべき規定だけで十分,である。

 この見解に対しては,吉田忠,上杉正一郎,大橋隆憲,三潴信邦,竹内啓が集団説の立場から反論している。しかし,木村太郎は内海説を支持した。その内容にここでは深入りできないので,関連論文を掲げる。
・葛西孝平「内海庫一郎著『科学方法論の一般的規定からみた社会統計方法論の基本的諸問題』の紹介と批評」『統計学』第11号,1963年
・上杉正一郎「集団論について」『統計学』第12号,1964年
・上杉正一郎「統計および統計調査」『統計学』第14号,1965年
・大橋隆憲・野村良樹『統計学総論 上』有信堂,1963年
・竹内啓「統計学の規定をめぐる若干の問題点について」(1)(2)『経済学論集』第30巻第2号,1964年
・木村太郎「統計と社会的集団」『統計学』第12号,1964年
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