社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

金子治平「英国における国勢調査の成立・確立過程」『近代統計形成過程の研究』法律文化社,1998年3月

2016-10-09 18:08:50 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
金子治平「英国における国勢調査の成立・確立過程」『近代統計形成過程の研究』法律文化社,1998年3月

 本稿の目的は,その研究が手薄な英国における国勢調査の成立と確立の過程を解明することである。構成は,以下のとおりである。最初に,統計調査という統計作成方法は,国家による統計情報需要の増大と統計調査期間の整備とが一要因であることが示される。これを受けて,国勢調査法が成立するまでの経過,その要因が述べられる。次に1801年国勢調査法の各条項を紹介し,地方自治組織を利用した統計調査・報告過程の特徴が説明される。さらに近代的国勢調査といわれる1841年国勢調査の確立に影響を与えたロンドン統計協会の報告書が紹介され,1831年までの国勢調査とは異なる情報需要や調査方法への言及が成される。最後に,1841年国勢調査の特徴(地方行政機構の利用,自計式の統計調査)の指摘がある。

「第2節 統計調査の成立要因」では,統計調査の歴史的な成立要因とその基盤に関する吉田忠と木村太郎の見解が批判的に検討されている。筆者は吉田が近代的統計調査の基礎に被調査者である国民の存在形態(個人の自立の程度)があったと述べたことの意義を認めながら,しかし国民の自主性と統計調査項目―統計情報需要との関連をみる視点が弱いと指摘する。筆者はまた木村にあっては資本主義社会になると封建時代の推算にみられた地域的支配力が回復し個人を対象とする統計調査が可能になるのかが不明で,この疑問を解消するには近代国家における地方行政機構の整備過程がどのように進展したのかを明らかにし,統計調査組織の変化と関連させて考察しなければならない,としている。この地方行政機構の整備過程は,統計情報需要の拡大と密接に結びつき,国家が国民の統一的支配のための要となるのである。

 「第3節 1800年国勢調査法の成立」は,文字通り,同法が成立するに至る経緯の解説である。英国での最初の国勢調査実施は,チャールズ・アボットが1800年11月に「英国内の人口総数を算出し,それによって人口増減を明らかにするための法律」案を議会に提出したことで実現した。この案は議会を通過し,同年12月31日に王の勅裁を受け,第一回の国勢調査は翌1801年3月10日に実施された。国勢調査が英国でこの時点で,直接的契機となったのは何だったのだろうか。筆者は幾つかの所説を検討したうえで,この時期(1700年代後半),人口論争などを契機とする国家による人口の動向に対する関心の高まり,対仏戦争の影響や小麦小売価格の高騰による食料一揆の影響などで,国民の状態の把握が要求されるようになったこと(徴兵や食糧需給状況の把握)を挙げている。人口数の把握が至上命令であった。

筆者は関連して,人口数の把握というのなら,この頃,各国に身分登録制度があったと述べている。英国のそれは,1538年に成立した教区登録である。しかし,教区登録では非国教徒は排他されていたし,その他の理由もあって現住者数の確定には不十分であった。また,社会福祉行政が未成熟な時代の近代国家では,身分登録制度は厳格に帰納していなかった。人口把握のために国勢調査の実施が期待された所以である。

 筆者は次に「1801年の国勢調査」(第4節)の調査過程と報告過程を明らかにするために,1800年国勢調査法(12条構成)を概観している。要するに1801年国勢調査は,その目的が人口総数の確定におかれ,末端地方行政組織である教区を調査単位とし,教区内の貧民監督官に調査の権限を付与し,調査の責任を負わせ,教区委員を実査補助者として,他計主義で実施された。また名目的にせよ,検査・報告過程に地方支配の中心人物である治安判事にも関与をさせている。調査・報告過程の報酬は少額で,実査過程で中央政府からの世帯票の提示はなく,地方自治行政組織の裁量にゆだねていた。虚偽の申告や報告には高い罰金が付されていた。

 「第5節 ロンドン統計協会報告書」。以上1801年の最初の国勢調査から31年のそれまでは,調査項目は,男女の性別や簡単な職業などの調査項目しかなく,国家の主たる関心は人口数の把握であった。国家による多方面にわたる統計情報への関心が増大するのは,1841年国勢調査以降である。後者に大きな影響を与えたのが1840年ロンドン統計協会への委員会報告であった(1840年4月8日提出)。報告書が強調したのは,次の3点であった。第一は,実査過程とそれの監督規定が曖昧だったそれまでの国勢調査を批判し,中央集権的な新しい地方行政機関(1834年救貧法,1836年出生・死亡・婚姻登録法による)を採用した国勢調査の実施を提案したことである。第二は,単に人口数確認のための国勢調査から社会問題に対応する統計収集のためのそれと位置づけ,多くの調査項目を取り入れる提案を行ったことである。第三は,調査方法として自計式を推奨したことである。

1841年国勢調査は,1840年8月10日に定められた法律と1841年4月6日に定められたその修正法に規定されて実施された。「第6節 1841年の国勢調査」は,その内容である。
調査の実施に当たっては,行政機構の変化に対応し,政府機関である登録吏の指名によって実査を担当する国勢調査員が任命され,旧来の貧民監督官がこれにあたることはなくなった。この措置によって調査委員の質が担保され,中央政府による統計組織の確立が制度的に保証されることになった。もっとも中央政府の官吏は監督業務を担うにすぎず,地方自治組織の協力なしには不可能であったけれども。調査方法は被調査者が世帯票に記入する自計式が採られ,従来と一線を画す詳細な調査項目の設定が可能になった(報告書にあった宗派と健康状態に関する項目の採用は見送られた)。

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