社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

玉木義男「物価指数の算式論」『物価指数の理論と実際』ダイヤモンド社, 1988年

2016-10-16 20:26:44 | 9.物価指数論
玉木義男「物価指数の算式論(第2章)」『物価指数の理論と実際』ダイヤモンド社, 1988年

 種々の物価指数算式の流れを記述している。系譜の記述は, 大きく分けて, ふたとおりありうる。一つは, その系譜を, 評価をくわえず, 祖述するやり方である。もう一つは, 何らかの評価基準をもって, 構成的に説明する方法である。本稿は, どちらかというと前者であり, 筆者の評価基準がきわだっていないので, 不満が残る。しかし, そうは言っても, よく読むと控えめではあるが, 価格指数算式の形式的数理的な系譜よりは, その経済理論的な系譜を支持しているようにうかがえる。

 筆者の叙述にしたがって, 指数算式の系譜を整理すると以下のようになる。まず, 物価指数否定論と肯定論とが区分され, 前者の代表がピアソンであり, 他にロンジ, ヴィクセルがいた。後者はエッジワースなど多くの論者の立場である。

 次に指数の算式で, 算式単数論者と算式複数論者との区分が与えられている。前者には, ボーレー, ウォルシュ, ピグー, フィッシャーなどが属する。後者では, 指数算式の目的別に, 貨幣単位の価値の単位の測定, あるいは不特定の貨幣の購買力の測定手段としての貨幣価値指数を, 特定された貨幣の購買力を測定する手立てとしての費用指数を唱えるものとで分かれる(物価指数の2分法)。ケインズは, この2分法を否定し, 本来の意味での貨幣購買力指数を提唱した。

 その後, フリッシュが物価指数論を「原子論的アプローチ」と「関数論的アプローチ」という新しい基軸で整理しなおした。「原子論的アプローチ」は, 種々の商品の価格, 数量を2組の独立な変数とみなし, 価格の一般的変動を最も適切に表現するような, これら2つの変数をもつ関数を形式的基準で定義する方法である。この系譜には, 確率論的アプローチや形式的テストの分野で業績があるが, 現在ではどちらも指数論を形式的な側面から構成するものとして評価は低い。形式的理論では, 物価指数の算式の決定や物価水準の定義の問題は解決できない。これに対し, 「関数論的アプローチ」は価格と数量との相互依存関係を前提にする方法で, その関係に指数の経済理論的意味を考えようという方法である。その理論は, 通常, 消費者選好の理論である。この分野での研究方向は2とおりあり, 一つは「限界値論」であり, もう一つは「近似値論」である。「限界値論」は, 「真の指数」の位置を正確に決定するのではなく, 指数の含まれる上限または下限の値をもとめて間接的に確定しようとする方法である。これに対し「近似値論」は, 物価指数の算式を近似式で決定することを意図した理論である(ボーレー, ワルト, フリッシュ, ステーレ)。

 以上, 物価指数論の大枠は1930年代にほぼ確立した。フリッシュが示した2つの接近法の区分は, いまでも生きている。その後, 「原子論的アプローチ」の系譜に形式的統計的接近法が, 「関数論的アプローチ」の系譜に経済理論的接近法がある。筆者は前者の系譜には否定的である。後者については, 消費者行動の実際にあてはまると考えられる効用関数を先験的に想定し, 観察可能なデータからパラメータを推定し, 効用関数を確定したうえで(コブ=ダグラス型効用関数など), その効用関数に整合的な理論生計費を計算するというものと, 効用関数の特定化を避け, 間接的に, 実際に測定された価格と数量とから理論生計費指数のとりうる範囲を限定するものとがある(古くはコニュース, ハーバラー, ステーレ, 最近ではアフレート)。筆者は効用関数の特定化は無数であり, 一意に最良の形式の効用関数の確定は難しい, 関数の形が簡単であれば非現実的制約が多くなり逆に制約の少ない関数ほど非現実的でも形が複雑になって実践的処理が困難になる, したがって, 実際には資料収集や計算の簡単なラスパイレス型の算式が使われがちである, としている。

 筆者は最後に, 物価指数論のなかで特異な性格をもつディビジア指数を紹介している。1925年にフランスのディビジアによって開発された指数であるが, 近年では連鎖基準方式の物価指数との関連で注目されている。ディビジア自身は, その指数を, 数学的形式性から導出したが, 後にロイがこの指数を消費者選好の理論と結びつけたという経緯がある。
 以上, 筆者は形式的統計的接近法, 経済理論的接近法, ディビジア指数を概観した後に, 実際にはこれらの物価指数論が要求する指数とは無関係に, 形式的に簡単で, 計算がわずらわしくない指数が作成されていると, 妥協的に, かつ傍観者的に結論付けを行っている。

2 コメント

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グローバル鉄の道 (元鉄鋼商事関係)
2024-11-21 07:19:27
それにしても古事記はすごいよな。ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」といったそれよりも千年も前に女神イザナミ神についてそうかいてある。この神おかげでたくさんの神々を生まれたので日本神話は多神教になったともいえる。八百万の神々が出雲に集まるのは、イザナミの死を弔うためという話も聞いたことがある。そしてそこから古事記の本格的な多神教の神話の世界が広がってゆくのである。私の場合ジブリアニメ「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」「天空の城ラピュタ」などのの感想を海外で日本の先進的な科学技術との関連をよく尋ねられることがあった。やはり多神教的雰囲気が受けるのだろうか。
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グリーンスチール (元鉄鋼商事関係)
2024-12-08 02:12:19
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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