社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

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山本正「アドルフ・ケトレーの『平均人間』について」『山梨大学学芸学部研究報告』第3号,1952年11月

2016-11-23 11:11:38 | 4-2.統計学史(大陸派)
山本正「アドルフ・ケトレーの『平均人間』について」『山梨大学学芸学部研究報告』第3号,1952年11月

本稿はケトレーの統計学研究の基礎である「平均人間」の理論を解明することである。この課題を筆者は,その著『人間について』(1835年),『確率論についての書簡』(1845年),『社会体制論』(1848年)の検討をとおして究明している(「平均人間」の思想は「世人成長の規範に関する研究」[1826年],その用語は「各年齢犯罪癖の研究」[1831年]にあらわれている)。

構成は次のとおりである。「緒論」「ケトレーに於ける『平均人間』の理論の発展過程」「以上の要約,及び『平均人間』の効用」「統計学史上に於ける『平均人間』の理論の評価及び結語」。これらのうち,主要部分は「ケトレーに於ける『平均人間』の理論の発展過程」である。ここでは,(イ)『人間について』における「平均人間」,(ロ)『確率論についての書簡』における「平均人間」,(ハ)『社会体制論』における「平均人間」というように,「平均人間」の理論の発展過程が細かく,丁寧に跡づけられている。

 『人間について』では,「平均人間」は社会の重心である一個の仮想人(犠牲人)としてあらわれている。「社会物理学」でケトレーは,人間と人間社会を支配する「法則」を統計的大量観察によって発見し,この法則を支える原因を追究しこの原因に変更を加えることで法則を人間に有利に変化させることを意図する。人間社会は遊星系統と同一視され,力学における重心のように人間社会にもそれをもとめ,「平均人間」を措定する。「平均人間」は,社会の諸要素がその周りを動揺する一つの平均で,数学的に計算された一個の擬制人で,「社会物理学」の基礎である。ただし,ここで言われる「法則」は人間社会の恒常性である。

 「平均人間」はどのようにしてもとめられるのか。それは観察と計算による。ケトレーはこれを肉体的「平均人間」と精神的「平均人間」(道徳的「平均人間」と智的「平均人間」)とに分けてもとめる。前者はある集団に属する人々の肉体的特性の測定値の算術平均により,後者はある集団における精神的行為数(犯罪数,結婚数など)の割合である。このような議論の延長線上にケトレーは,肉体的「平均人間」が美の典型であり,道徳的「平均人間」が善の典型であること,「平均人間」とは一般的なもの,普遍的なものが個別化されたものとみなし,もし現実の人間が「平均人間」と合致するなら,その人は真の偉人となると述べた。これは法則の人格化と考えられるの仮説である。

 『確率論についての書簡』では,前著で仮説として提起された「平均人間」の存在が,人間の肉体的特質の測定値の分布として示されることで,正常誤差法則と一致するとの判断に到達し,これをもって仮説の数学的証明とされる。ケトレーは平均に2つの意味内容をもたせる。一つは実在としての平均,もう一つは算術平均である。ケトレーは,その分類を考慮したうえで,もし単なる算術平均的関係しか認められない一群の測定値において平均を中心とする諸値の分布の関係を見いだすことができるならば,その時,算術平均は実在する平均なるものの真値を表すことになる(算術平均の平均への転化),と結論づけた。筆者はこれを,スコットランドの兵士の測定値で実験的に裏づけることで,「型」としての「平均人間」の概念の前提となる結論とした。「平均人間」は人間的誤差が互いに相殺された自然の本質そのままの現象とみられ,人間の「型」となり,これをもって真理の顕現とみなされるのである。他の人間はこの「平均人間」からの偏倚,誤差と考えられる。ここに表れているのは,ケトレーの自然主義-自然決定論的特色である。

『社会体制論』では,上記の「平均人間」が人間の精神的特性にまで拡張され,道徳的「平均人」が算術平均的道徳性向をもつだけでなく,同時に自己の周囲に偶然的原因の法則にしたがって分布する現実の道徳的諸個人とされる。道徳的「平均人間」は,肉体的「平均人間」同様,「型」となる。また智的「平均人間」も「型」となる。ただし,留意すべきは,これらの道徳的あるいは智的「平均人間」は,何らかの実験例によって裏付けをもたないまま,単なる「偶然的原因の法則」からの演繹によって導出されたことである。
以上のようにケトレーにあっては,「平均人間」は人間の道徳的,智的,肉体的特質の典型とされ,それが全人類的規模で算出されるならば,善と美の絶対的典型になると考えられた。社会におけるすべての人間集団はこの「平均人間」を中心に,肉体的にも道徳的にも智的にも一定の法則にしたがって分布する。この法則は社会法則である。それを支えるのは本質的かつ恒久不変な「自然的原因」と人為的な「攪乱的原因」である。「自然的原因」は美と善の典型としての肉体的,道徳的「平均人間」に対応し,「攪乱的原因」は智的「平均人間」に対応する。人間の道徳的自由意志のようなものは,大量のなかでは消滅する偶然的原因にすぎないが,人間の智的作用は真に自然法則に影響をあたえる攪乱的原因である。以上の言明は,言うまでもなく,ケトレーによる特殊な世界観にもとづいて定式化されたものである。「社会物理学」の原因論と「平均人間」の理論とは,このように常に相呼応していたのである。   

 ケトレーの「平均人間」論は,多くの統計学者に影響を与えた。その学説を受け入れたのは,Adolf H.G.Wagnerである。多かれ少なかれ批判的であったのは,M.W.Drobisch, G.F.Knapp, A.Held, F.H.Hankins, Maurice Halbwachs, 日本では有澤広巳,岡崎である。

 筆者は本稿を次のようにまとめている。第1に,ケトレーの体系は「平均人間」を中心とする各個人の分布の総体が社会を構成し,「平均人間」を道徳的肉体的に自然の維持する「型」とし,「社会物理学」の自然的原因,攪乱的原因の分類に照応する,とされた。「平均人間」の理論は,ケトレーの全体系,すなわち「社会物理学」の基礎である。
第2に,「平均人間」が自然の維持する「型」という見方は,ケトレーの掲げるスコットランド兵士などの実験例の確率論的処理だけから出てくるのではなく,自然的決定論的世界観に由来する非科学的結論である。したがって,「平均人間」が善と美の典型であるという主観は承認できない。しかし,人間のある種の肉体的特質がその平均を中心に正常誤差法則にのっとって分布しているという見解は,科学上,意義のあるものである。
第3に,人間のある種の特質に関する計算単位としての「平均人間」はその算出に於いて十分社会的自然的条件の同質化が保証されていれば,価値がある概念である。
第4に,ケトレーの「平均人間」の理論の根本的欠陥はその自然的決定論すなわち非歴史性にあるが,これは同時代の社会理論に共通のものである。ケトレーの著者に貫かれている主知主義的進歩主義,「平均的人間」中心の理論の根底にある同質的人間観に接すると,ケトレー理論がいかに第三階級,第四階級の台頭する時代を反映していたかがわかる。この意味で,「平均人間」の理論は一時期の時代精神を反映する社会観=人間観である。それゆえに,ケトレー理論は非歴史的自然的欠陥をもつとはいえ,永遠に顧慮されるべき資格を有する。
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