社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

三潴信邦「社会統計学(リーディング・コンサルタント)」『経済セミナー』No.87,1963年9月

2017-02-11 01:03:51 | 11.日本の統計・統計学
社会統計学の学習案内(ブックガイド)として書かれたものであるが,全体を通読すると社会統計学の歴史の概観にもなっている。内容はS君宛ての書簡の形式をとっている。構成は2つに分かれ,前半は「1.日本における社会統計学の発展」,後半は「2.戦後の社会統計学」である。

 統計学とは何か,その学問的性格を理解するために,『統計学古典選集』(栗田書店,全12巻,1940年より)が推奨されている。この選集は日本における社会統計学の体系的創始者である高野岩三郎(1871-1949)が先頭にたって,当時社会科学の研究の自由を奪われていた社会科学者を大原社会問題研究所に集め,訳業を進めた成果である。その内容は次のとおり。

・第1巻(高野岩三郎訳) フォン・モール『統計学』(1872年),リューダー『統計学批判』(1812年)
・第2巻(高野岩三郎訳) クニース『独立の学問としての統計学』(1850年)
・第3巻(久留間鮫造訳)グラント『死亡表に関する自然的な政治考察』(1862年)
・第4巻(大内兵衛訳)ペティ『政治算術』(1690年)
・第5巻(高野岩三郎・権田保之助訳)ケトレー『道徳的・政治的諸学へ応用された確率理論に就いての書簡』(1846年),クナップ『道徳統計に関する近時の見解』(1871年),リューメリン『統計学の理論について』(1863年・1874年)
・第6巻(大内兵衛訳)ワーグナー『統計学』(1867年)
・第7巻(権田保之助訳)ワーグナー『一見恣意的に見える人間の行為に於ける合法則性』(1864年)
・第8巻(森戸辰雄・大内兵衛訳)ドゥローヴィッシュ『道徳統計と人間の意思の自由』(1867年),シュモーラー『人口統計及道徳統計の結果に就て』(1871年)
・第9巻(久留間鮫造訳)レキシス『自然科学と社会科学』(1874年),レキシス『人間社会に於ける大量観察の理論に就て』(1877年)
・第10巻(高野岩三郎訳)マイヤー『社会生活に於ける合法則性』(1877年)
・第11巻(森戸辰男訳)エンゲル『労働の価格』(1872年),エンゲル『人間の価値』(1883年)
・第12巻(森戸辰男訳)エンゲル『ベルギー労働者家族の生活費』(1895年)
・第13巻(高野岩三郎・森戸辰男訳)ジュースミルヒ『神の秩序』(1741年)

筆者はこの中のとくにグラント著「死亡表に関する自然的及政治的考察」とペティ著「政治算術」を必読書して推している。前者は得てして人口動態統計の古典としてしか受け入れられていないが,グラントは人口現象を社会社会現象としてみる視点があり,出生・死亡という現象に歴史的な人口法則が貫かれていることを示した功績がある。後者を著したペティは,労働価値説の創始者と考えられている人物で,上記の著作は統計が経済学にとってどのような意義をもっているかを考えさせてくれる好著である,という。なお筆者はここで統計学史の著作として,ウェスタ―ガード/森谷喜一郎訳『統計学史』(栗田書店,1943年)とヨーン/足利末男訳『統計学史』(有斐閣,1956年)を挙げている。

 筆者は次いで高野岩三郎が日本の社会統計学の発展に寄与し,貢献したことを詳しく紹介している。ドイツ社会統計学の成果を日本に導入し,社会問題の解決のために不可欠な統計的研究を実践し,方法論をもった統計学,社会科学的統計学にまで成長させたこと,日本で最初の職工の家計調査を東京で行ったこと(1916年),『統計学研究』(大倉書店,1915年),『社会統計学史研究』(栗田書店,1942年)を出版したことは,彼の学問的営為の結実である。

 筆者は同時に,蜷川虎三の統計学について叙述している。蜷川はドイツ社会統計学のマイヤーの影響を受けながら,統計学の基礎として客観的に存在する社会集団を明確に規定し,統計調査を大量観察によってこの社会集団をとらえた。また,大数法則を基礎にした「純解析的集団」の分析を統計解析と規定した。さらに,統計学の対象が統計方法であると主張した。客観的に存在する「社会集団」を強く意識しながら,大数法則の認識という統計学の目標に到達するための「純解析的集団」という形式的集団を想定する,というのが蜷川統計学の特徴である(ここに矛盾があるとの指摘がある)。蜷川の主著は,『統計学研究Ⅰ』(岩波書店,1931年),『統計利用に於ける基本問題』(岩波書店,1932年),『統計学概論』(岩波書店,1934年)である。

 有澤広巳の統計学は,唯物弁証法に基礎をおく統計学である。その主著は『統計学総論』(改造社,1930年),『統計学要論(上)』(明善社,1946年)である。統計利用に関しては『日本経済統計図表』(改造社)がある。有澤統計学の特徴は,統計学の目的を大量観察による因果関係の安定性の把握としたことである。筆者は有沢理論が因果的合法則性の認識を統計認識の目的としたのは正しかったが,それを大数法則によって導出するやり方は唯物弁証法とどのように結びつくのか,よくわからないと指摘している。

 敗戦直後の統計学には,2つの大きな経験がある。ひとつは推計学を基礎にした標本調査論の盛隆であり,もう一つはソ連における統計学論争の影響である。前者はフィッシャー流の母集団―標本理論を土台に,「法則」の究明を目標とする統計学である。ここでいわれる「法則」は自然現象にも社会現象にも普遍的に妥当する科学的法則と目されものである(「統計学=普遍科学方法論」説)。筆者はこの「法則」観を否定し,歴史科学にはその哲学は妥当しないと説いている。後者は,ソ連で1950年代に繰り広げられた論争で,この論争の内容は有澤広巳『統計学の対象と方法』(日本評論社,1956年),経済統計研究会訳編『ソヴェトの統計理論(Ⅰ)(Ⅱ)』(農林統計協会,1953年)に詳しい。論争は「統計学=実質科学」説で落着したが,筆者はこの説では経済学と統計学との区別がなくなってしまうと,否定的である。

 筆者は戦後の社会統計学の理論的深化に役割を果たした著作として,次のものを推薦している。上杉正一郎『マルクス主義と統計』(青木文庫,1951年),『経済学と統計』(青木書店,1955年),「経済統計学の基礎的問題」(『思想』1957年11月号),大橋隆憲『社会科学的統計思想の系譜』(啓文社,1961年),『現代統計思想論』(有斐閣,1960年),『統計学総論』(共著,有信堂,1963年),内海庫一郎『科学方法論の一般規定からみた社会お統計方法論の基本問題』(1962年)。

 最後にこの論稿が執筆された当時、議論になっていた内海理論に対するコメントを付している。筆者の整理によると、内海は統計調査を認識の三段階論(感性的認識-理性的認識-実践)のうちの感性的認識の段階に位置づけ、また「社会集団を統計方法の適用対象とする」考え方を否定している。内海は「集団であるかどうか、その集団の諸性質を問う前にまず、統計数字の記録=資料一般としての性格を充分に考えてみる必要がある」と述べている。この見解に対し、筆者は客観的存在の量的測量のうち社会集団に関するものの分析が特殊な統計方法を必要としているのであって、経済現象で取り扱われる量がすべて統計方法を必要としているわけではない、経済現象を反映する数字一般の社会的存在の意味を強調するあまり、統計的方法を研究対象とする社会統計学の方法科学としての独自性が否定されている、これでは方法科学としての統計学が経済学方法論と同一視されることにはならないか、と懸念を表明している。