社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

杉橋やよい「ジェンダー統計の現状と課題」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編著『社会の変化と統計情報』北海道大学出版会,2009年

2016-11-26 20:09:23 | 6-1 ジェンダー統計
杉橋やよい「ジェンダー統計の現状と課題」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編著『社会の変化と統計情報』北海道大学出版会,2009年

 ジェンダー平等に向けた国際的運動の契機となったのは,国連が世界女性年と定めた1975年に開催さえた第1回世界女性会議である。以来,ジェンダー統計にかかわる活動及び研究は,急速に本格化した。本稿はジェンダー統計にかかわる内外の研究活動の経過報告であり,この分野での課題を展望したものである。最初にジェンダー統計とは何かが説明され,続いて世界と日本でのジェンダー統計活動・研究の経過が概説され,最後に日本でのジェンダー統計の今後の課題が確認されている。  

 構成は次のとおり。「1.ジェンダー統計とは何か:(1)ジェンダーとジェンダー主流化,(2)ジェンダー統計とは」「2.世界・日本におけるジェンダー統計活動および研究の展開-1975年以降:(1)世界におけるジェンダー統計活動と研究の展開,(2)日本におけるジェンダー統計活動および研究の現段階」「3.今後の課題:(1)ジェンダー統計の充実を保障する恒常的体制の整備,(2)研究と統計作業の充実」  

 「ジェンダー」とは歴史的,社会的,文化的に形成された性別概念で,性差,性役割を指す。それは生物的な性差に由来するものを含むが,従来の社会的歴史的文脈においては男性を「主」とし,女性を「従」とする性別による不平等をともなってきた経緯がある。こうしたジェンダー不平等から脱却するには,ジェンダーの視点をすべての領域に組み込み,ジェンダー主流化(ジェンダー・メインストリーミング)を定着させる必要がある。ジェンダー統計活動は,統計においてジェンダーの視点を主流化することであり,ジェンダーの視点で統計を見直すことを目的とする。そのことによって明らかになるのは,統計調査,統計資料,統計分析におけるジェンダーの歪みである。

 筆者によれば,ジェンダー統計とは次のような統計である。①性区分もつ統計,②ジェンダー問題に関する統計,③ジェンダー問題の背後にある原因,要因,そしてそれらがもたらす結果に関するデータを提供している統計,④性別だけでなく年齢,その他の関連する重要な属性を使った多重分類を備えた統計,⑤利用者に便宜をはかった統計。ジェンダー統計論は統計のデータ分析だけでなく,統計生産・提供論,統計体系・指標論,統計利用論,統計品質論,統計資料論,統計制度論などと関わる。ジェンダー統計論は一方で社会統計学を理論的基礎におくことで,他方で社会統計学がジェンダー視点を導入することで,相互が強化される。

 筆者は「(1)世界におけるジェンダー統計活動と研究の展開」で,1975年から2000年前後までのジェンダー統計活動および研究の展開を,次の諸項目で要約している。
①ジェンダー統計指標作成上の諸問題と一般指針,分野別論議の深まり(『性的ステレオタイプ・性的偏りおよび国家データシステム』[1980年],『女性の状況に関する社会指標の編集』[1984年],『女性の状況に関する統計と指標のための概念と方法の改善』[1984年],など)
②ジェンダー統計指標の体系や開発に関する論議の深化と作業の活発化(国連『女性の状況に関する統計と指標大綱』[1989年],Engendering Statisyics,など)
③ジェンダー統計集の先進国・途上国での作成とデータベースの開発(国連『女性の状況に関する主要統計指標』[1985年],『世界の女性』,など)
④ジェンダー平等・格差に関する統合単一指数の開発と検討(国連開発計画「ジェンダーエンパワーメント指数」,など)
⑤ Engendering Statistics の刊行(B.ヘッドマン・F.ベルーチEngendering Statisyics:Tools for Change,1996)
⑥無償労働の把握と生活時間調査
⑦統計生産者と利用者の意見交換,ジェンダー統計の訓練・ワークショップの開催
⑧世界女性会議などにおけるジェンダー統計の指針と論議
⑨世界ジェンダー統計フォーラムの開催(ジェンダー統計の開発に関する機関間・専門家グループの会合[ニューヨーク,2006年12月],など)

 筆者はまた「(2)日本におけるジェンダー統計活動および研究の現段階」で,日本でのジェンダー活動活動の経過の概観,現段階の特徴を以下のように示している。
①一般的ジェンダー統計論(伊藤陽一を中心とした一連の研究)
②統計資料(第一次資料)のジェンダー視点からの検討(国立女性教育会館[NWEC]『性別データの収集・整備に関する調査研究報告書』,2002年,など)
③分野別ジェンダー統計研究(世帯主概念の検討,無償労働の可視化と貨幣評価,景況調査やジェンダー予算,など)
④ジェンダー関連の単一総合指数の検討(労働省「女性の地位指標」1995年,内閣府「女性の参画指数」2006年,など)
⑤ジェンダー統計に関する政府指針の拡充(各府省主管部局長会議申し合わせ「統計行政の新たな展開方法」2003年,など)
⑥ジェンダー統計データベース構築とウェブサイトを通じた統計データの公開(NWEC,など)
⑦ジェンダー統計資料(二次資料)の充実(『男女共同参画白書』など)
⑧地域におけるジェンダー統計活動の広がり(地方自治体での男女共同参画計画策定,など)
⑨国際協力・海外技術援助の強化-とくにESCAP地域(NWEC,JICAの取り組み,など)
⑩経済統計学会・ジェンダー統計研究部会(GSS)の発足と活動の強化   
筆者は日本でのこの領域での課題を,『世界の女性2005』に示された11の戦略に照らして,確認している。その11の戦略とは次のようである。[戦略1]国家統計システムの強化に継続して関与することを最高レベルで確保する。[戦略2]政府統計の使用を最大化する。[戦略3]データ提供において統計の作成者の能力を構築する。[戦略4]国家統計局において人的資源をあらゆるレベルで開発する。[戦略5]政府統計の法的枠組み内にジェンダー統計の開発を規定する。[戦略6]ジェンダー統計担当部署を支援・強化する。[戦略7]国家統計局と女性団体を含む利害関係者との間の対話を育成する。[戦略8]統計作成者に対してジェンダー視点をその仕事に組み入れるように研修する。[戦略9]現存するデータの出所を利用しジェンダー統計を作成するためのその有用性を高める。[戦略10]各国の政府統計を国際的報告体系に必ず組み込む。[戦略11]国際・地域的な組織・機関・国家統計局および学術・研究組織機関の間の協同を推進する。

 日本の中央政府機関には上記戦略のうち,[戦略4][戦略5][戦略6][戦略7][戦略8]が不足しているので,その強化をはかる必要があるという。くわえて,地方自治体でジェンダー統計の作成が重要な課題となるし,国際協力も一層はかっていく必要がある。

 筆者は最後に,日本でのジェンダー統計の活動のための指針を掲げている。第1は,政府統計の第一次資料を含めすべての統計資料での性別表示の徹底である。第2は,ジェンダー問題の背景,原因,現状把握のための指標の準備である。第3は,プライバシーの観点から調査の難しい項目,世帯内での資産分有など個人に分離することが難しい項目についての,調査法の開発である。第4は,影響調査の方法の開発である。第5は,日本にとって妥当な無償労働などの貨幣評価方法の開発である。第6は,ジェンダー統計(冊子)作成のためのガイドラインなど,実用的な教材の提供である。第7は,日本でのジェンダー統計研究の蓄積の国際的発信である。

岩井浩「現代インフレーションとその基本指標-金融統計-」内海庫一郎編『社会科学のための統計学』評論社,1973年

2016-11-24 11:13:34 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
岩井浩「現代インフレーションとその基本指標-金融統計-」内海庫一郎編『社会科学のための統計学』評論社,1973年

本稿は昭和30年以降の高度経済成長を誘因としたインフレーションを,基本的統計指標によって明らかにすることを目的としている。この時期(昭和30-42年)の物価騰貴の特徴づけ,物価変動の諸要因の究明,インフレーション概念の精緻化,基本的統計指標によるインフレーション現象の把握がテーマである。

 最初に,この時期の消費者物価の著しい上昇と卸売物価の安定的上昇,両者の乖離に特徴があるとの言及がある。消費者物価の上昇はインフレとして説明できるが,なぜ卸売物価の上昇は微増にとどまったのかと問うている。筆者はそれを生産財生産の労働生産性が急速に上昇したから,とみる。そのことによって,卸売価格は下落するはずであったが,インフレ要因と独占価格の下支えによってそのような結果にならず,漸次的上昇を示すここととなった。

物価(物価という概念は正確でなく,本来は価格と呼ぶべき)の上昇は,その程度を概括的,近似的にのみ把握できる。物価の絶対的水準をとらえるのは無理である。価格の変動は2つの要因,すなわち(1)商品側の要因と(2)貨幣側の要因によって生じる。(1)商品側の要因としては,①商品価値そのものの変動による価格変動と②商品にたいする需給関係に変動によるそれとがある。それに対し,(2)貨幣側の要因としては,①貨幣価値そのものの変動による価格変動と②価格の度量標準の変更によるそれとがある。インフレはこれらのうち,貨幣側の要因による名目的価格上昇である。

 筆者はここから貨幣論のおさらいに入る。価格が上昇すればインフレという俗説を排し,ここではまず貨幣の諸機能の説明(価値尺度機能,流通手段機能),貨幣流通の法則(PT=MV)が示される。Mは流通貨幣量,Pは各商品種類の価格,Tは流通諸商品の総分量,Vは貨幣の流通速度である。MVはPTによって規定される。この規定関係を逆にとらえると,貨幣数量説になる。さらに,紙幣流通の独自な法則(流通必要金量),不換銀行券とこの法則との関係が解説され,現代のインフレ現象の本質に迫る。

 「現代インフレーションの特徴は,国家による流通過程への不換国家紙幣の強制的投入という形態をとらずにインフレが進行していることである。それは,昭和30年以降の高度経済成長を誘因として,流通必要金量をこえる通貨流通量(不換銀行券および預金通貨の流通量)をもたらし,その反映として物価の名目的騰貴が起こっている点にある。だが,それは銀行券の不換化という形態での通貨価値の下落をもたらしているとはいえ,『紙幣流通の独自な一法則』に基づくインフレーションの古典的規定に依拠して発現している。したがって,現代インフレーションの基本的指標の吟味に際しても,インフレの基本的範疇の検討が行われるべきである」(p.269)。

 筆者はインフレーションの基本的指標として,(1)流通必要金量,(2)流通通貨量,(3)名目的物価上昇の3つのカテゴリーを間接的に捉える統計を掲げる。(1)流通必要金量に関しては,実質国民総生産,鉱工業生産指数,組み替えを行った産業連関表を挙げている。(2)流通通貨量に関しては,日銀券の平均発行高,預金通貨高(当座預金残高)を挙げている。(3)名目的物価上昇に関しては,物価統計の長期的推移に着目している。

 以上を総合的に活用し,物価統計そのものに示された消費者物価指数の上昇傾向,商品生産量の増加(昭和30年から41年までにGNPで2.8倍の増加,鉱工業生産指数で約4倍の上昇)に対応した流通必要金量(貨幣量),これを上回る流通通貨量(日銀券発行高と預金通貨)の増加が確認されている。すなわち,日銀券は昭和30年から42年までに約4.7倍の増加し,預金通貨は同時期に6.7倍の膨張を示した。また,手形交換高は同時期に5.7倍増加した。預金通貨の膨張は著しい。

 結論として筆者は「現代のインフレーションは,国家権力による流通外からの強制的な不換国家紙幣の投入という古典的な形態をとらず,経済成長による民間企業の資金需要の増大=市中銀行からの借入=中央銀行の対市中銀行への貸出というルートを通じて,通貨が膨張し,徐々に不換銀行券の減価を惹き起こしている点に特徴がある。これがクリーピング・インフレーション(しのびよるインフレーション),マイルド・インフレーションといわれるものの実体である」と述べている(p.274)。

山本正「アドルフ・ケトレーの『平均人間』について」『山梨大学学芸学部研究報告』第3号,1952年11月

2016-11-23 11:11:38 | 4-2.統計学史(大陸派)
山本正「アドルフ・ケトレーの『平均人間』について」『山梨大学学芸学部研究報告』第3号,1952年11月

本稿はケトレーの統計学研究の基礎である「平均人間」の理論を解明することである。この課題を筆者は,その著『人間について』(1835年),『確率論についての書簡』(1845年),『社会体制論』(1848年)の検討をとおして究明している(「平均人間」の思想は「世人成長の規範に関する研究」[1826年],その用語は「各年齢犯罪癖の研究」[1831年]にあらわれている)。

構成は次のとおりである。「緒論」「ケトレーに於ける『平均人間』の理論の発展過程」「以上の要約,及び『平均人間』の効用」「統計学史上に於ける『平均人間』の理論の評価及び結語」。これらのうち,主要部分は「ケトレーに於ける『平均人間』の理論の発展過程」である。ここでは,(イ)『人間について』における「平均人間」,(ロ)『確率論についての書簡』における「平均人間」,(ハ)『社会体制論』における「平均人間」というように,「平均人間」の理論の発展過程が細かく,丁寧に跡づけられている。

 『人間について』では,「平均人間」は社会の重心である一個の仮想人(犠牲人)としてあらわれている。「社会物理学」でケトレーは,人間と人間社会を支配する「法則」を統計的大量観察によって発見し,この法則を支える原因を追究しこの原因に変更を加えることで法則を人間に有利に変化させることを意図する。人間社会は遊星系統と同一視され,力学における重心のように人間社会にもそれをもとめ,「平均人間」を措定する。「平均人間」は,社会の諸要素がその周りを動揺する一つの平均で,数学的に計算された一個の擬制人で,「社会物理学」の基礎である。ただし,ここで言われる「法則」は人間社会の恒常性である。

 「平均人間」はどのようにしてもとめられるのか。それは観察と計算による。ケトレーはこれを肉体的「平均人間」と精神的「平均人間」(道徳的「平均人間」と智的「平均人間」)とに分けてもとめる。前者はある集団に属する人々の肉体的特性の測定値の算術平均により,後者はある集団における精神的行為数(犯罪数,結婚数など)の割合である。このような議論の延長線上にケトレーは,肉体的「平均人間」が美の典型であり,道徳的「平均人間」が善の典型であること,「平均人間」とは一般的なもの,普遍的なものが個別化されたものとみなし,もし現実の人間が「平均人間」と合致するなら,その人は真の偉人となると述べた。これは法則の人格化と考えられるの仮説である。

 『確率論についての書簡』では,前著で仮説として提起された「平均人間」の存在が,人間の肉体的特質の測定値の分布として示されることで,正常誤差法則と一致するとの判断に到達し,これをもって仮説の数学的証明とされる。ケトレーは平均に2つの意味内容をもたせる。一つは実在としての平均,もう一つは算術平均である。ケトレーは,その分類を考慮したうえで,もし単なる算術平均的関係しか認められない一群の測定値において平均を中心とする諸値の分布の関係を見いだすことができるならば,その時,算術平均は実在する平均なるものの真値を表すことになる(算術平均の平均への転化),と結論づけた。筆者はこれを,スコットランドの兵士の測定値で実験的に裏づけることで,「型」としての「平均人間」の概念の前提となる結論とした。「平均人間」は人間的誤差が互いに相殺された自然の本質そのままの現象とみられ,人間の「型」となり,これをもって真理の顕現とみなされるのである。他の人間はこの「平均人間」からの偏倚,誤差と考えられる。ここに表れているのは,ケトレーの自然主義-自然決定論的特色である。

『社会体制論』では,上記の「平均人間」が人間の精神的特性にまで拡張され,道徳的「平均人」が算術平均的道徳性向をもつだけでなく,同時に自己の周囲に偶然的原因の法則にしたがって分布する現実の道徳的諸個人とされる。道徳的「平均人間」は,肉体的「平均人間」同様,「型」となる。また智的「平均人間」も「型」となる。ただし,留意すべきは,これらの道徳的あるいは智的「平均人間」は,何らかの実験例によって裏付けをもたないまま,単なる「偶然的原因の法則」からの演繹によって導出されたことである。
以上のようにケトレーにあっては,「平均人間」は人間の道徳的,智的,肉体的特質の典型とされ,それが全人類的規模で算出されるならば,善と美の絶対的典型になると考えられた。社会におけるすべての人間集団はこの「平均人間」を中心に,肉体的にも道徳的にも智的にも一定の法則にしたがって分布する。この法則は社会法則である。それを支えるのは本質的かつ恒久不変な「自然的原因」と人為的な「攪乱的原因」である。「自然的原因」は美と善の典型としての肉体的,道徳的「平均人間」に対応し,「攪乱的原因」は智的「平均人間」に対応する。人間の道徳的自由意志のようなものは,大量のなかでは消滅する偶然的原因にすぎないが,人間の智的作用は真に自然法則に影響をあたえる攪乱的原因である。以上の言明は,言うまでもなく,ケトレーによる特殊な世界観にもとづいて定式化されたものである。「社会物理学」の原因論と「平均人間」の理論とは,このように常に相呼応していたのである。   

 ケトレーの「平均人間」論は,多くの統計学者に影響を与えた。その学説を受け入れたのは,Adolf H.G.Wagnerである。多かれ少なかれ批判的であったのは,M.W.Drobisch, G.F.Knapp, A.Held, F.H.Hankins, Maurice Halbwachs, 日本では有澤広巳,岡崎である。

 筆者は本稿を次のようにまとめている。第1に,ケトレーの体系は「平均人間」を中心とする各個人の分布の総体が社会を構成し,「平均人間」を道徳的肉体的に自然の維持する「型」とし,「社会物理学」の自然的原因,攪乱的原因の分類に照応する,とされた。「平均人間」の理論は,ケトレーの全体系,すなわち「社会物理学」の基礎である。
第2に,「平均人間」が自然の維持する「型」という見方は,ケトレーの掲げるスコットランド兵士などの実験例の確率論的処理だけから出てくるのではなく,自然的決定論的世界観に由来する非科学的結論である。したがって,「平均人間」が善と美の典型であるという主観は承認できない。しかし,人間のある種の肉体的特質がその平均を中心に正常誤差法則にのっとって分布しているという見解は,科学上,意義のあるものである。
第3に,人間のある種の特質に関する計算単位としての「平均人間」はその算出に於いて十分社会的自然的条件の同質化が保証されていれば,価値がある概念である。
第4に,ケトレーの「平均人間」の理論の根本的欠陥はその自然的決定論すなわち非歴史性にあるが,これは同時代の社会理論に共通のものである。ケトレーの著者に貫かれている主知主義的進歩主義,「平均的人間」中心の理論の根底にある同質的人間観に接すると,ケトレー理論がいかに第三階級,第四階級の台頭する時代を反映していたかがわかる。この意味で,「平均人間」の理論は一時期の時代精神を反映する社会観=人間観である。それゆえに,ケトレー理論は非歴史的自然的欠陥をもつとはいえ,永遠に顧慮されるべき資格を有する。

山本正「経済的時系列の解析について」『山梨大学学芸学部研究報告』第4号,1953年11月

2016-11-22 11:08:57 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
山本正「経済的時系列の解析について」『山梨大学学芸学部研究報告』第4号,1953年11月

本稿の目的は記述統計の範囲で,経済的時系列解析の登場と展開,また経済変動分析の道具としてこれがもたらす意義,またこの方法に対する批判を検討することである。構成は次のとおり。「Ⅰ.はしがき」「Ⅱ.ミッチェルの景気変動分析に於ける時系列解析:(A)ミッチェルの体系と時系列解析,(B)ミッチェルの時系列解析,(C)Mitchell,Business Cycle(1927)に対するシュンペーターの書評」「Ⅲ.H.L.ムーアの経済循環期の統計学的研究における時系列解析:(A) H.L.ムーアの経済循環期の統計学的研究における時系列解析,(B)ミッチェル及びシュンペーターのperiodogram analysis に対する見解」「Ⅳ.経済的時系列解析の若干の沿革」「Ⅴ.我国における『伝統的』時系列法に対する若干の批判」「Ⅵ.結語」である。

筆者は最初にその著Business Cycle:The Problem and Its Setting,(1927)の第1章に依拠して,彼がどのような姿勢で,かなる方法で経済変動を把握しようとしたかを検証している。それによると,ミッチェルがbusiness cycle そのものを把握するために念頭においたのは,理論,統計,歴史である。理論はworking hypothesis の意義をもつが制約がある,複雑な現象である景気変動は量的測定によってのみ真に把握可能であり,積極的探求にとって不可欠な用具である。景気変動研究のための方法としては時系列解析が中心である。また,ミッチェルは制度学派に属し,景気変動を資本主義経済の所産とする歴史認識をもっていた。

 それではミッチェルは,時系列解析に何を期待したのだろうか。彼によれば,景気変動研究のための最も重要な資料は時系列である。素材のままの時系列は,趨勢変動,季節変動,循環的変動,不規則変動の4つの変動を含む。ミッチェルが意図したのは,これらのなかから循環的変動を抽出することであった。しかし,その抽出はハーバードの形式的な直線のあてはめなどによっては成功しない。それではどのようにこれを行うのか。ミッチェルはこの著の執筆段階においては,季節変動の除去はかろうじて可能であるとしたが,趨勢変動,不規則変動を除去するという問題は未解決であるとした。

 次に筆者は,H.L.ムーアのEconomic Cycles : Their Low and Causes,1914における時系列解析で調和解析が用いられたことを指摘し,これに対するミッチェルとシュンペーターの評価を示している。要約して言えば,そこで使用されたperiodogram analysisに対し,ミッチェルは満足すべき結果をもたらすほどに長期の時系列が揃えば有用な方法であるが,これを経済的時系列の解析に組織的に用いるならば重大な障害に直面すると述べた,シュンペーターもこの手法が気象データには有用性を発揮するかもしれないが,経済現象に用いてもあまり有効ではないとの評価をくだした。

 筆者はこれ以降、経済的時系列解析の沿革とこの手法に対する日本での評価(当時まで)をまとめている。前者では,16世紀から17世紀にかけて天文学の分野で時系列解析に始まり、その後、人口問題、business cycle での展開、経済および社会生活に作用する季節的影響の除去といった分野での適用が紹介されている。それらの目標であったのは、時系列データの趨勢変動、季節変動、循環運動、不規則変動への解析である。この解析がなされると、次の問題はある時系列と他の時系列との関係の量定が問われ、そして経済変動の予測に引き継がれる。後者の日本の統計学者の時系列解析に対する評価では、主として蜷川虎三による伝統的時系列解析法、すなわちハーヴァ―ト式解析法に対する批判が5点にわたって紹介され、さらに推測統計学の立場にたつ北川敏男がやはりこの手法の批判していたことに言及している。

 筆者はここで,理論と統計との関係で,ミッチェルとシュンペーターとでは両者の融合的活用という点で一致していたが,理論の絶対的優位を唱えるシュンペーターと理論と統計の両者を等しく強調するミッチェルとで差異があったと,指摘している。    

 筆者は「結語」で5点にわたってまとめている。
第1に,標準的方法で得られる循環変動は,ミッチェルの指摘するように,偶然的不規則変動と結びついているという欠陥をもつ。一見数理的厳密さをもつかのようにみえるperiodogram analysisによって循環期を得ることが出来るにしても,経済現象に適用される際には難点が出てくる。ミッチェルの指摘するように,この方法は相当長期間にわたり資料に適用されて効果があらわれるが,第一次世界大戦以後の経済実態にこれをあてはめて画一的周期をもとめるのは疑問である。
第2に,データに機械的に曲線をあてはめて趨勢変動を得るだけでなく,その曲線のあらわす数学的意味が経済理論の示すところと一致するか否かを検討しなければならない。そうでなければ原系列から意味のない値を除去することになり,真の循環的運動を確認することができない。趨勢変動と循環変動との関係の解明が課題となる。
 第3に,不規則変動の扱いは,時系列解析の最大の難点である。所与の時系列において,何を偶然的なもの,不規則的なものと規定するかは極めて重要である。理論と統計技術の発展をまたなければならない。
第4に,経済統計学者は種々の周期をもつ循環変動を発見している。そのうちのいずれが真の周期であるか,資本主義経済過程はなぜその周期をもたなければならないかなどの問題について,形式的統計学者は答えを用意していない。この点でも,理論と統計とが融合した爾後の研究に期待せざるをえない。

 第5に,時系列解析は資本主義経済過程の最も特徴的な現象である景気変動ないしは恐慌状態の把握の手段として,有用である。一般に統計方法は理論が把握しえないものをとらえることに意味があり,また理論に指導されて初めて効果を発揮する側面をもつが,景気変動のような複雑な現象ではとくにこの点の了解が妥当する。ミッチェルによる時系列解析の重視は,肯定できる。しかし,理論と統計との関係でミッチェルの立場をとるか,シュンペーターの立場をとるかに関しては簡単に断定できないものの,筆者は理論の統計に対する指導的地位の確認を一応の結論としている。時系列解析は四種の変動に区分し得るが,循環的変動の抽出に主眼をおきながら,これら4つ変動を個別に理論的意味づけ,それらの相互関係を明確にしなければならない。      

岩崎俊夫「統計学体系と社会統計学(『統計通報』誌(1975-78年)での討論)」『ロシア統計論史序説-社会統計学・数理統計学・人口調査[女性就業分析]』晃陽書房、2015年

2016-11-21 11:08:22 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
岩崎俊夫「統計学体系と社会統計学(『統計通報』誌(1975-78年)での討論)」『ロシア統計論史序説-社会統計学・数理統計学・人口調査[女性就業分析]』晃陽書房、2015年

 本稿の目的は1975年から77年にかけて『統計通報(Вестник Статистики)』で行われた統計学の対象と方法に関する討論(以下,「討論」と略)を紹介し,検討することである。この「討論」で展開された論点は,統計学の基本性格,その研究対象はもとより,一般統計理論と個別統計学との関係,社会統計学と数理統計学との関係,統計学教程の構成など,多岐にわたる。

 筆者はまず「討論」全体の特徴と問題点を整理している。次いで,「討論」に参加した論文の内容を,それらがよってたつ思考基盤別にグループ化された諸論者の見解,すなわち普遍科学方法論説と社会科学(方法)理論説を紹介し,検討している。前者は統計学が社会科学と自然科学のいずれの分野の分析にも適用可能な数量的手法を保証する普遍的な方法を研究するという見解であり,後者は統計学が社会科学に限定した統計的認識方法を研究するとする見解である。どちらも50年代統計学論争に認められた見解の系譜である。

 第2節では前者についてУ.メレステ(У.Мересте)[ターリン政治経済大学],Н.ドルジーニン(Н.Дружинин)[ロシア共和国名誉科学者]の諸見解が,第3節では後者の考え方についてТ.カズロフ(Т.Козлов)[モスクワ・経済学博士],И.マールィー(И. Малый)[モスクワ国民経済大学],Л.カジニェツ(Л.Казинец)[サラトフ経済大学]の諸見解がとりあげられている。両者以外ではО.ミフニェンコ(О.Михненко)[モスクワ鉄道運輸技師大学],И.スースロフ(И.Суслов)[ノボシビルスク・経済学博士])の諸見解が第4節で扱われている。 

 最初に「討論」の特徴の概略と「討論」を評価するにあたっての留意点について触れられている。ここでは旧ソ連で1950年代に展開された大規模な統計学論争の紹介がなされている。統計学論争とは,1954年3月にソ連邦科学アカデミー,ソ連邦中央統計局,ソ連邦高等・中等教育省主催で開催された「統計学の理論的諸問題のための科学会議」と,それに先立って『統計通報』『経済学の諸問題』誌上で展開された統計学の対象と方法に関する「討論」である。論争の結果,到達した結論は,次のとおりであった。「統計学は独立の社会科学である。それは大量的社会現象の量的側面を,その質的側面との不可分の関係において研究し,場所と時間の具体的諸条件における社会発展の方法則性の量的表現を研究する。統計学は社会的生産の量的側面を,その生産力と生産諸関係の統一において研究し,文化的および政治的社会生活の諸現象を研究する。さらに統計学は,社会生活の量的変化に対する自然的および技術的諸要因の影響と,社会生活の自然的諸条件に対する社会的生産の発展の影響を研究する」。「討論」ではこの規定が繰り返しとりあげられ,その是非をめぐって意見の交換がなされた。

この定義が取り上げられたのは,それが統計学のその後の発展,現実経済の運営にとっての課題解決に良好な役割を果たしていないとの認識が,統計学に携わる者の間にあったからである。議論の先頭にたったのは科学論の観点から,ユニークな問題提起を行ったメレステである。メレステの統計学理解は,論文「統計科学の構造と他の諸科学の中での統計学の位置」によれば次のとおりである。

統計学は,「社会-自然科学」であり,それは独立した統計科学の統一システムとして存在する。「社会-自然科学」という用語はメレステに固有であるが,その内容は純粋に社会的でも,純粋に自然的でもない対象を,すなわちこれら二つの領域にまたがり,それらと固く結びつき,社会―自然的,あるいは自然―社会的事象を研究する科学である。メレステはさらに,統計学が独立した統計科学の統一システムであると特徴づける。この点もメレステの統計学理論のユニークなところである。メレステの図式によれば,科学の体系は同心円的内部構造をもつ。内側の同心円は科学の体系の核をなす部分であり,換言すれば「純粋」形態の,あるいは狭義の科学である。これに対し,外側の同心円には相当程度,枝分かれした,他の諸科学とのきわめて多様な統合形態をとる個別諸科学が位置する。二つの同心円はあわせて,広義の科学となる。

この解釈を統計学の体系にあてはめると,一般統計理論は内側の同心円である。内側の同心円に位置するのは,厳密に理論的観点から対象を研究する科学だけであり,統計学体系では一般統計理論がそれにあたる。これに対し,経済統計学および人口統計学は,一般的統計論と経済学,人口論との総合的統合であり,数理統計学は一般統計理論と数学との総合的統合であって,それらは外側の同心円に位置する。

 メレステに続く「討論」の内容は統計学の体系構成とその対象,社会認識の方法としてのその役割であった。論者ごとの理解は、本稿で詳細に紹介されているが,これらを批判的に整理すると,まず統計学の対象に関して,多くの論者がそれをおおむね社会的現象と過程の量的側面(若干の異論があった)としている。統計学の対象は,このことを踏まえ,積極的に社会集団とらえられている。ドルジーニンは,「社会的大量」あるいは「社会的要素と現象の集団」という概念に懐疑的であるが,独立の社会科学(方法)理論の延長上にある論者は,この概念を承認している。カズロフは,「統計的集団」という概念を用いている。そこには,客観的社会集団と統計集団との次元の相違をとらえようという意図があるように思われる。プロシコは一般的社会統計論と数理統計学とはその対象が異なり,前者では「標識,集団の単位,類型の相互連関の発展的複合体としての集団」,後者では「物質的内容について一様で,ある一定の安定的規則性(分布の法則)にしたがい,しかもある一定の安定的な相互の関係にある量の集団」としている。

「討論」の詳細は、ここでは紙幅の関係で、省略せざるをえない。「討論」参加者の多くは,統計学の対象が社会的認識の集団であることを承認している。しかし,ここで承認される統計学は,厳密には統計学体系である。政策当事者,研究者は,この統計学体系(あるいは統計の指標体系)を活用して,社会現象と過程を,ひいてはそれ自体,歴史的存在である社会集団を認識する。統計学体系に一般統計理論を,あるいは数理統計学をどのように位置づけるのか,両者を社会統計学といかに関連付けるのか,見解はここで分かれる。

一般統計理論を社会統計学と同じ次元でとらえる論者もいれば,それを体系の核と考え,社会統計学と数理統計学をその核から分岐する分野ととらえる論者もいる。数理統計学は数学の一分野であるとして,そもそも統計学体系に存在場所を認めない論者もいる。こうした見解を主張する論者には,当然ながら,一般統計理論の内容と構成が問われることになる。

 重要なのは,こうした討論が国民経済運営のための統計業務の飛躍的機械化のなかで行われ,国民経済の運営と政策提言に貢献する実践的役割の強化という問題意識のもとで展開されたことである。「討論」を閉じるにあたって「統計通報」誌編集部は「大多数の論文では,統計理論と統計業務の実践との相互連関の問題は,統計科学の課題,その対象と構造を審議するさいの関心の中心におかれなかった。明らかに,このことは理論が生活の要請から,経済活動の実践からかなりの程度,立ち遅れていることを表わしている。国民経済の計画化と管理の改善という課題,また経済統計的分析という課題から離れて,統計理論の具体的諸問題を解決することは,正しくない」と総括した。実際にそうした側面があったことは否定できないものの,しかし「討論」そのものが生活の要請と経済活動の実践から生じた問題意識のから始まったのは否定できず,この点の確認は重要である。