社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

木村和範「1925年イェンセン・レポートとボーレー-2つの代表法の対立-」『学園論集』(北海学園大学)第99号,1999年3月

2017-01-04 00:52:05 | 3.統計調査論
 構成は次のとおり。「はじめに」「1.イェンセン・レポート(1925年)-2つの代表法-」「2.ボーレーの見解-精度の測定-:(1)パラメータ推定のための2つの方法,(2)層別化による精度の向上,(3)有意選出法の批判」「3.イェンセンの反論-有意選出法の擁護-」「むすび」

 ISIの「統計学における代表法の応用を研究するための委員会」(1924年5月設置)は,1925年のISIローマ大会に「統計学における代表法に関するレポート」を提出した。委員会はボーレー,ジーニ,イェンセン,マルシェ,スチュアート,チチェックで構成され,上記レポートの報告責任者はイェンセンであった(イェンセン委員会)。このレポートによって「一般化」を目的とする一部調査の方法(代表法)が統計調査の一形態として位置づけられたが,有意選出法(キエール)と任意抽出法とはそれぞれ長所と短所をもつものとして併記された。筆者は本稿で,このイェンセン・レポートを検討し,ローマ大会以後のボーレー=イェンセン論争を考察している。

 イェンセン・レポートは3つの部分で構成されている(資料「1925年ISIローマ大会におけるイェンセン委員会の提案」としてその全文が掲載されている[193-4頁])。第一の部分では「一部調査」「代表法」「任意抽出」「有意選出」「標本」の基本タームの定義が示されている。第二の部分ではこれらの用語が比較的詳細に論じられている。第三の部分では,イェンセン委員会が起草した「提案」である。
このレポートの概要は,筆者の要約するところ,次のとおりである。(1)全数調査とは対照的に区別される一部調査を,統計調査の一形態と認めた。(2)一部調査のうち,調査結果の「一般化」を目的とする統計調査を代表法と命名した。(3)この代表法には,任意抽出法と有意選出法とがあるとして,これら2つの一部調査の間にある理論的対立をそのままに,いずれについても「一般化」のための一部調査の方法としてその意義を認め,両者を並列的に取り扱った(以上,165-6頁)。

 任意抽出法と有意選出法の併記は,レポート起草の背景にこれらのそれぞれを推す論者の間に対立があったからである。ボーレーがレポート起草の翌年(1926年)に任意抽出法を擁護する論文を書き,続いてイェンセンがそれを批判する論文を1928年に執筆していることから,そのことが分かる。
 筆者はボーレーとイェンセンの2つの論文の内容を検討している。「むすび」にそれぞれの要約があるので,引用する(187頁)。

「任意抽出学派」を代表する論者は,ボーレーである。ボーレーは層別化が推定の精度を向上させること,有意選出では対照標識の増加はさほど推定の精度をさせないことの2つの主張から,有意選出法には批判的な意見をもって,層別任意抽出法を推奨した。その際,ボーレーは,推定の数学理論としては,大標本理論にもとづく推定方式とベイズの定理による推定方式の2つを定式化・併記して,いずれの推定方式にも等距離の姿勢を保ち,甲乙をつけることはなかった。

他方,イェンセンは単一パラメータの推定の精度を基準に,2つの代表法の優劣を論じたボーレーにたいして,調査の実際はその想定よりもはるかに複雑であると述べた。そして,デンマークでの有意選出の経験(1923年のデンマーク農業センサス)にもとづいて,適切な対照標識を選択すれば,それによって代表標本の獲得が可能であると述べ,有意選出の有効性を主張した。また,ボーレーの精度公式を援用して,対照標識と単位グループを増加させれば,有意選出でも,必要な精度が確保されるとボーレーを批判した。

筆者はこの後,補足を付している。重要な指摘があるので,要約する。有意選出では対照標識を媒介にすることで,センサスと標本とが対照される。この対照によって,標本の代表性が判定される。有意選出はこの意味で,センサスを前提とした標本調査である。標本調査がセンサスを前提としなければならないとすると,その実施範囲は限定される。センサスを前提としない標本調査が構想される根拠は,この点にある。

 任意抽出法はセンサスの実施を前提としないので,その実施可能性は広がる。しかし,一般に任意抽出がセンサスを前提としないということは,対照標識を用いてその代表性を判断できないことになる。標本特性値の確率分布(いわゆる標本分布)が与える推定の精度によって推定の良好性を判断するのは,このためである。

 ボーレーは推定の精度を測定するために,大標本による推定方式(直接的方法)とベイズの定理による推定方式(遡及的方法)を定式化した。ボーレーが実査で使った方式(1912年レディング調査)は,直接的方法である。それは,今日頻繁に使われている抽出率より高く,そのために標本は大きい。パラメータに擬制しうる代用値を得るには「大標本」が必要だからである。そうであれば,調査のための時間,労力,経費の節約とは,整合性があるのだろうか。大標本理論に代わる方法は,遡及的方法だけであろうか。

 遡及的方法はベイズの定理にもとづくものなので,この場合にはいくつもの母集団の存在を想定することで,その母集団の確率的発現が前提とされるような工夫が必要である。しかし,いくつもの母集団の存在を仮定することは,非現実的なことである。しかも,ベイズの定理を利用する多くの場合には,母集団の発現確率(事前確率)が均等であると想定される。筆者は,母集団が多数あって,これが確率的に発現することを認めたとしても,その事前確率均等仮説の根拠は何か,と問うている。

有意選出の理論から任意抽出を考察すると,後者における標本の大きさが向上させる精度は誤差を確率的に評価することによって測定されるが,確率的評価には不確実性がともなう。筆者はこの点にかかわって,不確実性をともなうことなしに,代表性を判断することはできないのであろうか,と問題を投げかけている。

内海庫一郎「標本調査をめぐる諸見解(上)」『国民生活研究』第18巻第4号,1979年3月

2017-01-02 01:06:04 | 3.統計調査論
 筆者が本稿で意図したのは,標本調査をめぐって従来展開されてきた議論の概要を示すことである。この課題には,標本調査法に関する主要文献の所在を示すこと,それらの文献で取り扱われた諸問題とその意義を明らかにすること,そしてそれらの問題に対する解答とその論拠を述べること,諸問題の相互の関連を提示することが含まれる。

 このテーマを取り上げたのは,統計生産の過程で標本調査が多用され,この手法によって生まれてきた統計資料に日常的に接していながら,この手法に無関心でありがちなので,この過程で何が行われているのか,またそうした統計資料を処理する場合の諸原則を確立し,できればこの調査法の改善の道をさぐりたいからである。世間では標本調査法が科学的調査法とみなす考え方がまかりとおっているが果たしてそうなのか,ということである。筆者はむしろ有意抽出調査の方が優れている,という見解をもっていることを,予め表明している。

 構成は次のとおり。「はしがき」「第1章:国際的レベルでの標本調査理論,第1節:キエールの標本調査論-先駆的発言,第2節:ジェンセン及びボウレーにおける標本調査法の確率,第3節:ネイマンの有意抽出批判と層別任意抽出法の推奨,第4節:ブリントによる『配列原理』(有為抽出)の擁護」。

 標本調査法の提唱を公の場で提唱したのは,ノルウェー統計局長のA.N.キエールである。キエールは1905年のISIベルン大会で「代表調査に関する観察と経験」という報告を行い,代表法の利点を表明した。報告は全数調査に代わるものとしての代表法(標本調査法)ということではなく,それを補充する方法としての部分調査の意義を唱えたものである。部分調査における全集団の「縮図」の研究である。キエールは代表法の単位の選出方法については有意抽出法と系統抽出法に依り,任意抽出法に関しては特に論じていない。

 このキエールの報告に対しては,マイヤー,ボルトキエウィッチが反対した。いうまでもなくマイヤーの見解は悉皆調査(全数調査)擁護の観点からであり,ボルトキエウィッチの見解は全体群と部分群との数理的関係の保障(確率論)の観点からであった。キエールはこれらの反対論に関わらず,自らの見解を主張し続け,その努力は1903年ISIベルリン会議の決議に結実した。キエールの歴史的功績は,国際統計協会という舞台で,標本調査法の思想的独立のために闘ったことである(p.3)。     
標本調査法に対する反対の表明はキエール以降も続いた。ジェンセンは代表法=標本調査法に対する批判をはねのけ,代表法の有用性を擁護する議論を展開している。1924年のISI第13回大会では再び標本調査法の問題がとりあげられた。背景には,第一次世界大戦が勃発して以降,統計調査への需要が高まり,代表法によるそれが頻繁に行われるようになったという事実があった。その結果,1925年のISI第14回ローマ大会で,ジェンセンは「統計学における代表法に関する報告」をその附録「実施された代表法」とともに提出した。また,このジェンセン報告に付随してボウレーも「標本抽出によって達成された精度の測定」と題する報告を提出した。両者の報告をベースに,この会議が決議を採択したが,その原文はジェンセンが起草したものである。この決議では,標本調査が全数調査の不可能な場合においてその代用物として利用できること,全数調査に対する補助的な指標獲得のために,さらに労働,時間および費用の節約のために推奨されるべきこと,標本は十分に全体を代表しなければならないこと,有意抽出が無作為(任意)抽出とならんで標本抽出の二形態として認められるべきことが示されている。この時点ではジェンセンもボウレーも任意抽出も有意抽出も並列的に考えていたようである。ただし,ジェンセンにあっては有意抽出に関心が高く,ボウレーにあっては有意抽出を議論する場合にもこれを任意抽出にひきつけて研究しているという違いはある。  

 ジェンセンとボウレーの後に登場するのが,ポーランド出身の数理統計学者J.ネイマンである。ネイマンの所説は階層別ランダム・サンプリングと有意抽出の方法とを比較し,有意抽出を否定し,無作為抽出を評価するというものである。このネイマンの有意抽出否認論以降,サンプリングの方法として有意抽出が不可で,標本調査といえば無作為抽出であるべきという観念が一般化するようになった。筆者は,それはそれとして,しかし,ネイマンが有意抽出法に対置しているのは層別比例抽出法型の無作為抽出法であることを指摘している。すなわち,ネイマンは層別任意抽出法とくに比例抽出法を推奨し,さらに各層の等質性の程度を考慮して単位の割り当てを変えるということを提案している(ネイマンの割当法)。筆者によれば,これは任意抽出法の修正ではなく,任意抽出法への有意抽出原理の導入である。また,ネイマンによる有意抽出に対する批判の要点は,彼が有意抽出法の第一次的前提とする研究標識のコントロール標識の上での回帰の一次性という仮定が現実には一般に充たされず,両者の回帰の型について何ら定まった仮説を設定しえないとき,推定値が不偏推定値であることをやめる,というものである。この批判は任意抽出にひきつけた議論であり,有意抽出にはそもそも仮想的な標本特性値の分布などは存在しないのであるから,批判のポイントがずれている。

筆者は第一章の最後に,ドイツ社会統計学の系譜にいるブリントの所説に言及している。ブリントは「実在的母集団から代表的標本を獲得するための原理と方法」で,英米数理派統計学者の標本調査法問題への確率論的接近と真っ向から対立する見解を表明している。問題は実在的母集団からの代表的標本の抽出であるが,その方法は,ブリントによれば2つあり,一つは配列原理による代表法で,もう一つは確率原理による抽出法である。配列原理による代表法はあらゆる範疇の単位が母集団に対する割合に応じて抽出されることがかなり確実に保証される。これに対し,確率原理による抽出法では,多少とも一面的な極端に例外的な標本の構造をとることがある。ブリントはここから進んで,配列群,集落の抽出,多段抽出のような種々の方法の積極的配列効果とマイナス効果とを考察し,体系的抽出原理を検討するが,要は有意抽出の任意抽出に対する優位の主張になっている。層別,集落化というものの方法的意義を自覚し,任意抽出ないし確率原理とは正反対の原理として取り扱っている。当然,判断原理の終着点に確率原理が想定されることはない。

木村和範「イェンセンの代表法-1923年ISIブリュッセル大会報告」『学園論集』(北海学園大学)第107号,2001年3月

2016-12-26 11:22:15 | 3.統計調査論
 本稿はイェンセンが1923年のISIブリュッセル大会に提出した論文「統計において労力の節約を実現させる方法」の内容を紹介したものである。筆者の整理によれば、この報告でイェンセンは任意抽出法と有意選出法とをいずれも代表法としての有効性を承認しつつ、どちらかというと後者を「一般化」にふさわしい代表法として推奨したい意向を述べている、という。構成は次のとおり。「1.代表法の必要性」「2.代表法の適用例」。

 「1.代表法の必要性」では、19世紀に入って統計へのニーズが高まり、官庁統計はそれに応えたが、国家財政の制限に直面し、それをいかに対応するかが問われるようになった。イェンセンは「利用可能な人的・経済的な補助手段」の利用を増大させることなく、この難問に直面し、その解決策として(1)統計サービスの機構改革、(2)作業方法の選別、(3)純技術的補助手段の導入を挙げた。ブリュッセル大会で、イェンセンは(2)作業方法の選別問題を考察した。イェンセン報告の趣旨は、代表法を統計調査法として導入すれば、削減された統計予算のものとでも社会的ニーズに応える統計を提供できる、という内容のものであった。具体的には「かなり急進的な方法」として、一部調査が、それもISIベルン大会でその有効性がキエールによって主張された代表法の採用が主張された。代表法の有効性を確認するための第一の方法は、誤差の計算である。この計算をイェンセンは、ボーレーを祖述したニュベレ(「一部調査による平均誤差について」)に依拠して行ている。イェンセンはニュベレの見解にもとづいて、推定値の分布の平均誤差を計算し、標本の大きさの増大が精度の向上をもたらすこと、平均誤差をある限界に抑えるために必要な標本の大きさを計算している。他方で、イェンセンは部分による推定値と全体数字との比較対照に「加重付加実験」を行っている。彼は代表法の有効性を事実(応用の結果から確認される推定値の正確さ)によって明らかにしようと試みた。この結果、イェンセンが到達した結論は上記に指摘したとおりである。

 「2.代表法の適用例」ではイェンセンが検討した3例、すなわち「(1)所得調査」「(2)土地利用調査」「(3)年齢別人口調査」をとりあげて、彼が代表法の有効性をどのように主張したかを紹介している。
「(1)所得調査」では、デンマークで実施された15税務管区を標本とする一部調査(標本調査)にもとづいて、全国の所得階級別の人口分布を調べ、これをすでに明らかになっている全国76税務管区にもとづく所得分布と比較している。この際、イェンセンは「任意抽出」と有意選出の2つの方法で標本を獲得し、それぞれの標本と全国数字を比較対照し、それらの方法の有効性を検討し、対応関係の良好さを結論として得ている。「(2)土地利用調査」で、イェンセンはそこに利用された代表法(標本調査)を取り上げ、その有効性を論じている。この際も、任意抽出と有意選出のそれぞれが検討対象として取り上げられ、どちらかというと有意選出が優れているという結論を得ている。「(3)年齢別人口調査」では、上記2例と子異なって代表標本を得るために、全数調査の結果を利用できない場合を想定した独自の推定方法を示している。結論としてはここでも有意選出法と任意抽出法の両方に等しく、その有効性が承認されているものの、後者を採る局面は限定されている。イェンセンにとっては、任意抽出法の採用に必ずしも積極的でなかった姿勢が垣間見られる。

 「むすび」で筆者は、イェンセンによる、代表法へ懐疑的な異論への反論を紹介している。第一の異論は、代表法の適用で得られた統計にもとづいて一般化が可能なのはなぜかというものであるが、イェンセンはこれに対して代表法を部分と全体との懸け橋に例え、その強度が専門技術者によって担保されていれば、それだけで十分であり、官庁統計を「シーザーの妻」(世人から疑われる一切の行為をしてはならない人)に見立てている。官庁統計業務を所管する機関や国家に対して情報を提供する国民と官庁統計家との間の「相互信頼関係」の維持が大前提とされている。第二の異論は代表法の活用によって統計部局の作業が堕落するという懸念(近似的な値でよいということになれば、統計作成の全過程で作業の質が低下するのではないかという懸念)であるが、これに対しては厳密な正確さを要求される統計とそうでない統計との峻別、投入できる労力にみあった調査の必要性を強調している。イェンセンが意図したことは、全数調査と標本調査とがともに可能なときに、あえて全数調査を実施せずに標本調査を行うということではなく、時間的制約によって標本調査しかとりえない局面での標本調査の実施という提言である。

以上に見たイェンセンの主要論点は、筆者のまとめるところ、次のとおりである。
(1)代表法は、経費、時間、労力などの制約があるとき、積極的に活用すべき「労働節約的方法」である。
(2)この方法には、有意選出法と任意抽出法の2つがある。
(3)代表標本の獲得という観点から見れば、有意選出法が優れている。
(4)しかし、全数調査によるコントロールがつねに可能であるとは限らないので、その場合には、任意抽出法が適用される。
(5)標本調査によって得られた統計は近似的なものであって、全数調査で得られるものと同様の正確さはない。しかし、近似的な統計では十分であることもあるし、また時間的制約によって標本調査しか実施できない場合もある。
(6)官庁統計は、国民がその真実性に疑義を抱くことのないように、代表性を十分に確保しなければならない。     

木村太郎「一部調査論」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

2016-10-06 11:35:02 | 3.統計調査論
木村太郎「一部調査論」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

一部調査の基本的課題は,全部的調査によって観察すべき社会集団の総体としての性質を,その構成要素である単位の一部を抽出,観察することで,後者によって前者を類似的に判定することである。一部調査によって観察できるものは社会集団の性質である。その大きさあるいは標識和の統計ではない。

 社会集団の性質を表示する標識は,質的標識であるか量的標識であるかによって,把握可能な問題は分かれる。質的標識によって表示される社会集団の性質は,その標識によって分類された部分集団と社会集団の構成比率として数量的に示される。量的標識による表示は,2つの形のものがある。一つは質的標識と同様に,量的標識によって分類された部分集団の構成比率として捉える場合であり,もう一つは単位のもつ量的属性である数値を社会集団全体の代表値として捉える場合である。要するに一部調査によって観察・捕捉すべき問題は,(A)質的あるいは量的標識によって分類された社会集団の構成比率をもとめる場合と,(B)社会集団の構成要素である単位の代表的量的標識をもとめる場合との2つに要約可能である。

一部調査はその類型を整理すると,次の4類型に落ち着く。(1)直接的一部調査,(2)間接的一部調査,(3)地域的一部調査,(4)典型調査。これらのうち直接的一部調査は,一部調査の理論的・抽象的原型であり,その他の調査はそれぞれの問題と対象に対応した適用形態である。直接的一部調査は,観察すべき社会集団から直接,その構成要素である単位を抽出し,抽出された一部の小集団を総体の模型として観察する調査である。そこでは,抽出された一部の小集団を総体の模型として観察することになるが,問題はこの模型をどのような方法で抽出するかである。
この問題は,上記の(A)質的あるいは量的標識によって分類された社会集団の構成比率をもとめる場合と,(B)社会集団の構成要素である単位の代表的量的標識をもとめる場合とで異なる。構成比率を求めるための一部調査は,社会集団の性質を大雑把な傾向で捉えるもので,その限りでの役割を果たすにすぎず,あまり重視されない。これに対し,代表的量的標識をもとめる場合とは,例えば月ごとに連続的に作成されなければ意味のないもので,もっぱら一部調査にたよる外はなく,その意義は重要である。

 ここで問われるのは代表性の問題である。最重要な要件は,対象である社会的集団がその代表的な量的属性を客観的にもっていることである。しかし,社会的集団過程で,そのような代表性を社会科学的に保証しうる集団は,きわめて少ない(労働者の賃金,企業の利潤率)。考えられるのは労働者階層,小商業といった部分的集団として捉えられた世帯の家計などである。これらの社会集団の代表的量的標識は,理論的抽象的には無作為抽出調査による直接的一部調査でもとめることができる。しかし,この種の統計を任意抽出法で作成するには,統計の時間的連続比較性と対象捕捉可能性という別個の困難がある。筆者はその例として,少なくとも毎月作成され,月ごとの増減,内容の変動を連続的に比較観察することを目的とした統計をあげ,この困難の中身を解説している。この困難を解消するには,間接的一部調査によるか,有意抽出調査あるいは典型調査によることが多い。

 間接的一部調査は,観察すべき総体としての社会的総量を一部の調査単位(総量を統括または管理する単位)をつうじて観察・調査する方法である。「間接」の意味は,この観察・調査の目的が統計単位そのものを対象とするのではなく,調査単位がもつ量的属性を捉えることにあるからである。この種の統計調査の重要性は,独占企業による生産の圧倒的支配を背景に,とくに社会集団の動態的側面を捉える場合に確認できる(工業生産高統計,雇用統計,労働賃金統計,在庫統計など)。具体的には,一部調査の対象を大企業に限定した調査がそれである(その限りでは有意調査になっている)。なぜならそうした調査は,対象を少数調査単位にとどめることで調査結果の安定性を確保できること,また調査そのものを効果的に遂行できるからである。「間接的一部調査の第一義的な課題が,動態的な把握であり,時系列的利用にある点を見失ってはならない」(p.103)。

 地域一部調査は,一部の地域を抜き出し,その地域の社会集団について調査を行い,その観察結果から地域総体の動向を推定する方法である。代表的なものは,農業統計調査の領域における Master Sampling である。地域一部調査の課題は,社会学における社会調査を連想させるが,農業センサス間の統計推定資料として頻繁に利用される。Master Samplingとは,全地域を一定数の農場を含む多数の小地域に分割し,その小地域の集団を母集団として観察すべき一部の標本集団を抽出し,この標本集団を持続的に設定する標本地域集団として二次的な観察あるいは標本抽出の基礎とするサンプリング技法である。この方法のメリットは,Master Samplingを持続的調査単位として設定できる点にある。
調査対象地域を固定することによって,部分としての農家戸数の増減,耕作地の増減あるいは農業経営形態などの動態的把握,観察が可能になる。無作為抽出であることにMaster Samplingの妙味があるのではない。

 最後に典型調査について。典型調査の対象である典型的なものは典型的労働者,典型的世帯などの典型的な観察客体である。この客体は普通,個体であるが,個体に限られることはない。「典型的米作地帯」のように,地域の場合もある。従来の統計学では,典型調査の重要性が強調されてきたものの,それがなぜ重要なのかが十分に語られなかった。筆者は,典型調査が統計生産にとってなぜ必要なのか,またいかにそれが統計生産のなかに組み入れられるべきかをここで考察している。

典型とは客体がもつ型に関する概念で,数量そのものが典型であり得ない。統計生産における一部調査は,対象の量的標識をもとめることが課題である。それゆえに,典型調査にあたっては,観察単位の性格を明らかにし,この性格の明らかな観察単位について量的標識をもとめるというのが正道である。対象として観察すべき単位の性質を類型としてまず明確化し,次にこの型について可能な限り模範的なものを調査対象とすることが望ましい。

 従来の統計学は典型調査の統計生産における重要性に着目しながら,社会調査における典型調査と同一視し,これを統計生産に具体的に結びつけることを怠っていた。さらに,典型たる観察単位の代表性を静態的側面からのみとらえ,動態的側面における代表性,また時間的,類型的比較適性の側面を見落とし,典型調査の統計生産における積極的意味をとらえきれていなかったと言える。

木村太郎「統計調査論」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

2016-10-06 11:33:24 | 3.統計調査論
木村太郎「統計調査論」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

次の6節構成である。「Ⅰ.統計調査の対象としての社会集団」「Ⅱ.統計調査の二つの課題」「Ⅲ.標識和の統計の生産」「Ⅳ.静態観察法と動態観察法」「Ⅴ.静態統計調査論」「Ⅵ.動態統計調査論」。

 最初の「Ⅰ.統計調査の対象としての社会集団」で,筆者は統計の生産方法である統計調査の対象が社会集団であるとまず規定するが,その集団は存在たる集団一般ではなく,数量的観察を行うことに意味がある社会集団であるとしている。それと同時に,この社会集団は,その構成要素である単位が観察に値する社会的属性を保持していなければならない。なぜなら,統計調査の課題は何よりも,社会集団の構成要素である単位の諸属性を観察し,これらの諸属性が社会集団全体として形成・発展している社会的な大きさや構造を数量的に捕捉,測定することにあるからである。さらに筆者は,統計調査の対象である社会集団は相互に独立した単位からなる,いわゆる数えるべき集団(計数集団)であると,述べている。従来の統計学には,測るべき集団(計量集団:賃金の集団や家計収支の集団),あるいは不連続量の集団を扱うものもあったが,これらは集団概念の混乱した理解である。

 「Ⅱ.統計調査の二つの課題」では,統計調査の課題について論じられている。統計調査は,自明のことであるが,統計の生産方法である。それは対象である社会集団の全数を補足,観察する悉皆大量観察=全数調査が基本形態である。同時に,統計調査は量的な社会経済調査も課題としている。その課題は,これらの社会経済の活動主体が相互にどのように結合し,分解し,全体としての社会集団を構成しているかを数量的に観察することである。統計調査が量的社会経済調査でもあるということは,その対象は社会経済の担い手である人間や家計あるいは事業体という社会経済活動の集団であることを意味する。
 社会統計学の研究者は従来,統計調査のこの二つの課題のうち,社会統計調査的側面を強調しながら,統計生産的側面に言及することが少なかった。統計調査を統計の生産という側面から見ると,社会集団の大きさや性質に関する統計だけでなく,例えば工場の集団の場合,その生産高,在庫高,生産諸設備,雇用労働者数,原料使用高などの統計がある(標識和の統計)。統計調査の重要な統計生産的課題は,こうした多様な諸統計を,統一した総体として生産することにある。

「Ⅲ.標識和の統計の生産」では,上記の標識和の統計の意義が論じられている。この種の統計は量産されている。理由はそれが社会経済の分析に重要だからである。今日の統計調査は社会集団の大きさと構造を計測するというよりむしろ,標識和の統計を生産するために社会集団の単位が設定されるのが普通である。これは統計調査の本来の成り立ちから言えば転倒した関係にあるかのようにみえる。従来の統計学は,標識の問題は分類標識の議論にのみかかわり,標識和の問題を不当に軽視するか,無視してきた。その理由は統計調査の中心的事例として考え,また説明する対象が人口統計調査であったためである。人口統計調査は,標識和の統計と関わらないからである。 

「Ⅳ.静態観察法と動態観察法」「Ⅴ.静態統計調査論」「Ⅵ.動態統計調査論」は,内容的に一括して要約できる。筆者は統計の対象である存在は時点的観察と時間的観察の2つの観察形式をとることをまず確認している。時点的な観察の結果が静態量で,時間的なそれが動態量である(この場合,対象が集団か量かは問わない)。静態統計調査にせよ,動態統計調査にせよその対象が観察単位集団であることに変わりはないが,違いは前者が静態的観察単位集団を,後者が動態的観察集団を扱う点にある。統計調査の結果が,静態量であるか動態量であるかとは別の問題である。
 静態的統計調査の対象である集団は,単位自体が客観的存在であり,これによって構成される社会集団も空間的大きさをもった存在である。これに対し,動態統計調査の対象である社会集団は社会経済過程の現象形態を,現象の発現の契機として観察単位とする一定の期間内でとらえた集団である(後者は客観的存在ではない)。
 静態統計調査法が対象とする観察単位集団は客観的に存在する社会集団であり,それを構成する単位自体が社会的歴史的存在である。それゆえに,このような社会的集団を対象とする統計は,それを総量的に語るだけでは不十分で,社会経済関係を前提とした構造的総量として,あるいは構造と関連性をもった代表値として示されなければならない。この種の問題が動態的集団の観察過程で全くないとは言えないが,動態的集団観察で得られる構造はそれ自体が客観的存在ではないので,そこに示される構造は度数分布以上の意味をもつことはない。
 以上の点を考慮すると,大量観察法が適した社会は資本主義の初期の段階での,多くの分散した小規模工業生産が支配的な経済社会で,独占資本主義段階になるとこの観察法の意義は後退する。大量観察法は観察対象である社会経済過程をただ観察単位の属性として捉えるにとどまり,そのような属性がどのような方法によって生産されたかは問題にならない。しかし,独占段階になると観察単位を漏れなく数え上げることは無意味となり,属性の記録方法を問うことのほうが重要になる。したがって,観察単位の内部における記録方法の問題を抜きにしては,統計の正確性,信頼性の問題は解決されない。
 動態的集団の観察では観察単位そのものは存在でなく事象の発現なので,随時発現する事象をもれなく補足する調査組織の存在が必要となるが,現実的でないので,通常は政府あるいは諸団体の業務を通じて得られる統計が利用される。すなわち,動態統計調査の大部分は,第二義統計調査として実施される。動態統計調査はこのような動態集団を対象とする調査であるにしても,統計調査の四要素の問題が重要であることに変わりはない。ただし,単位にしても標識にしても,それらは行政上,業務上の目的にしたがって規定されているので,統計目的あるいは社会科学的認識目的と整合的であるとは限らないので,注意が必要である。
現行では,動態統計調査は統計調査法の展開に際し,静態統計調査に準ずるものとされ,ただ調査時が時点か時間かという差異だけがクローズアップされるが,そこには静態統計調査の問題点に解消しえない多くの特殊な問題があるので(動態集団の大きさ,構造の内容的意味が静態集団のそれらと大きく異なることが多い),独自の検討が必要である。