社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

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8 確率基礎論

2016-12-31 18:21:22 | 社会統計学の伝統とその継承
8-1 その背景と論点
 数理統計学(推計学)は,その原理を大数法則にもとめる。大数法則とは,ある集団において特定の単一標識があらわれる度数の比率がその集団が大きくなるにつれ,ある限られた範囲内の値に,極限値に接近するという数理である。数量的データの集積のあるところに認められるこうした数理的規則性,これが大数法則である。これらのデータの集積について,事象のもつ質はさしあたり問われない。自然現象のデータであっても,社会現象のそれでも,それらの質が捨象され,データとして一括され,そこに定められる数理がこの法則である。

 こうした数理統計学(推計学)の在り方には,ふるくはフランスに起源をもつ確率論に淵源があり,またイギリスの政治算術の影響も認めることができる。

 戦後の日本で一時盛んに持ち上げられた数理統計学(推計学)は,その理論的基礎に確率論があった。推計学がどのように構想されたのかを知るには,この分野でのいくつかの基本テキストをめくると明らかである。
例えば北川敏男『統計学の認識』(1947年)の目次は,以下のとおりである 。「【第1篇】統計学に於ける法則定立,[第1章]統計学の黎明,[第2章]古典確率論の構成,[第3章]統計万能時代の起伏」「【第2編】統計学に於ける記述と理論,[第4章]古典統計力学の理念,[第5章]記述統計学の文法,[第6章]経済統計学の計量」「【第3編】実験統計学の基盤,[第7章]実験の計画,[第8章]大量生産の管理,[第9章]社会統計の認識」「【第4編】近代統計学の構造,[第10章]確率論の公理,[第11章]近代統計数学の展開,[第12章]実験統計学の方法」「【第5篇】統計学の過去現在未来,[第13章]統計学の過去,[第14章]統計的認識の段階,[第15章]統計学の将来」。

また,増山元三郎校訂『推計学への道』(1950年)は,次のような構成をとっている 。「[第0章]推計学のはじめに」「[第1章]推計学の生まれるまで」「[第2章]確率論の歩み」「[第3章]統計学から推計学へ」「[第4章]想定の理論」「[第5章]推定の理論」「[第6章]検定の理論」「[第7章]計画の理論」「[第8章]標本の抽出」「参考文献と付録」。

みられるように,推計学を推奨するこれら2つのテキストでは,確率論が重要な位置を占めている。したがって,推計学の基本性格を理解するには,あるいはその科学としての存立基盤を検証するには,確率論とはどのようなものであり,数学の一分野であったこの理論における種々の手法がどの程度自然科学や社会科学に適用可能なのかを批判的に解明しなければならない。社会科学者による推計学批判の課題がその理論的基礎である確率論の意義と限界の点検に向かったことは,自然である。しかし,一口に確率論と言っても,この理論の捉え方は論者によって一様でない。大きくは確率現象を客観的基準で測る頻度説的考え方とそれを主観的基準で判断する考え方とに分かれる。確率論の歴史的展開を跡づけることは,それだけで大著を要する 。また,数理統計学プロパーの分野で研究にたずさわる人々の間に,確率基礎論確の系譜にふれた業績はほとんど無い。社会統計学分野での成果の要約的紹介を課題としている本節で,わたしは以下に,伊藤陽一「確率に関する諸見解について-確率主義批判のために-」 ,𠮷田忠「統計学と機械的唯物論[Ⅰ]-古典派確率論と機械的確率論-」 ,是永純弘「確率論の基礎概念について-R. v. Miesesの確率論-」 ,杉森滉一「ヴェンの確率基礎論」 ,伊藤陽一「ケインズの確率論について-基礎理論の紹介を中心に-」 を順に取り上げて,紹介する。

8-2 確率論の系譜
(1)確率論の二潮流-伊藤論文から-
伊藤「確率に関する諸見解について-確率主義批判のために-」は,確率論の系譜を簡明に整理している。現代の確率論が古典的確率論(パスカル[1623-62], フェルマ[1601-65], ベルヌーイ[1654-1705])から出発したことはよく知られたところであるが, この系譜は一方で頻度説(J.ヴェン[1834-1923], R.v.ミーゼス[1883-1953])へ, 他方で確率数理(А.Н.コルモゴロフ[1903-87])へと継承された。これらの流れと併行して, 帰納論との関連でイギリス経験哲学を受け継ぐ流れがあり, J.M.ケインズ(1883-1946)の合理的信頼度説に繋がる。この延長線上で今日の主要見解は, 頻度説(ミーゼス), 測度論(公理主義)説(コルモゴロフ), 合理的信頼度説(ケインズ, R.カルナップ[1891-1970]), 主観説(L.J.サベージ[1917-71])とに分かれる。頻度説は, 確率を現象系列の事象の相対頻度の極限値と規定する。この現象系列は, コレクティフ(確率が成立する集団現象)と呼ばれる。頻度説はこのコレクティフに確率をみながら, 頻度が与えられたときにはじめてそれを確率とみなし, その様な頻度をもたらす事象自体に確率をみない。

 測度論(公理主義)説は, 集合論的確率論, 近代確率論とも呼ばれ, ロシア=ソ連の確率論研究(ペテルブルク学派[Ц.Л.チェビシェフ[1821-94], А.А.マルコフ[1856-1922]], モスクワ学派[А.Я.ヒンチン[1894-1959], А.Н.コルモゴロフ])の形成とともにある。この系譜にたつ確率論の要諦は, 大数法則の証明と, これを含めた簡潔な公理系の樹立である。後のR.A.フィッシャー(1890-1962),J.ネイマン(1894-1981),E.S.ピアソン(1895-1980)の統計理論は,コルモゴロフの公理主義的確率論に依拠して構成された。フィッシャーとネイマンの統計学は,統計的仮説検定の理解で対立する関係にあったが,頻度論的確率論を基盤にしていた点で両者は共通していた。

 合理的信頼度説では, 確率論(蓋然性論)は論理学の一部である。その代表者であるケインズによれば, 獲得された知識(一定の前提たる知識から帰結される結論)の多くは確実なものではない, そこでその確実の程度に応じて結論命題に確率が付与される。ケインズ以降, O.クープマン(1900-81)はケインズの公理設定とその展開が不明確として, 新たな公理を設け, 数学的厳密化をはかった。また, R.カルナップは, 前提と結論の結びつきを各人の直接的知識とするケインズの考え方が論理学的に不徹底として認めず, 前提の先験的設定, そこからの結論の導出をはかった。
 サベージによって代表される主観説は, 自らの確率を個人的確率と称する。主観説は, 確率を命題についての信頼度ととらえる点で合理的信頼度説に通ずるが, 後者の合理的信頼度説では確率が前提と結論の間の論理的規則によって導かれ, この規則は誰にとっても同一の拘束力をもつと考えられるのに対し, 前者の主観説ではそこに個人的主観がもちこまれ, 確率が誰にとっても同じではない。確率が何によって与えられるかの分析が問題であるのに, 主観説ではこれを個人的主観に依ると唱えられる。

(2)確率論の思想的背景-吉田論文から-  
確率論の展開とその思想的背景を詳述したものが,𠮷田「統計学と機械的唯物論[Ⅰ]-古典派確率論と機械的確率論-」である。この論文に依拠し,確率論の成立と展開の経緯をおさえると,概略,以下のようである。

 確率論の基礎は,シュバリエ・ド・メレによる賭け事の問題とそれに関連する諸問題について交わされたB.パスカルとP.フェルマの往復書簡によって固められた 。以来,確率論の発展は,C.ホイヘンス(1629-1695),J.ベルヌーイ,A.ド・モアヴル(1667-1754)によって担われ,P.S.ラプラス(1749-1827)がこれを体系化した。古典的確率論の確立である。19世紀初頭のことである。

𠮷田によれば,確率論のこの流れには,大陸派合理主義がその思想的背景として存在した。この思想は数学化された自然を前提とし,感覚をこえた知性の「数学(幾何学)的推論」によって,その認識可能性を唱える。その精神は偶然現象のなかに数学的方法に規定された構造を想定することで,その認識可能性を確信するというものであった。ラプラスは,フランス唯物論哲学者の世界観を基礎に,確率論を体系化した。

 パスカル=フェルマからド・モアヴルに至る確率論の発展の経緯を以上のように整理し,𠮷田は次に数学的(または先験的)確率と統計的(または経験的)確率との関係を考察する。前者は大陸で誕生し,サイコロやカードなどによるギャンブルを対象とし(事前に確率を計算できる),後者はイングランドで発祥し,出生性比のような人口の規則性を対象とした(社会現象)。ベルヌーイはその確率論において大数法則の原理を社会現象に適用し,ド・モアヴルは人口現象を含めたこの世のあらゆる偶然現象の背後に潜む規則性をもとめようと試みた。確率論を武器に自然・社会現象の全ての偶然現象を合理的に把握したいという欲求は,現実とは無関係な数学的構造を擬制し,それにもとづいて確率論を適用する方向に向かう。その到達点は,ラプラスが完成させた古典的確率論の世界であった。

ラプラスは『確率の解析論』(1812年)で,それまでの確率や統計の理論を集大成し,自身の創案になる積率母関数を用い,確率に関する種々の問題に初めて解答を与え,体系化した。とりわけ,正規分布の体系化に取り組み,スターリングの公式を使ってそれを二項分布から導出した。重要なのは,彼が与えた確率の定義である。ラプラスにあっては,偶然現象(偶然現象一般と確率現象の区別がない)の結果として起きる2つのものの片方が起こることが他方のそれよりも確からしいと確信させる理由が何もなければ,二つの場合は「同様に確からしい」として,これを確率の定義にもちこんだ(ライプニッツの充分理由律に依拠)。ライプニッツはその充分理由律に,あるものを認識したというときの「理由」とあるものの存在そのものを規定する「原因」とを含めたが,この考え方を継承したラプラスは,両者を混同して「理由」の欠如から「原因」の欠如を導こうとしていたことになる。すなわち等可能でないと確信する理由が見出せなければ,それは等可能であるとしてよい,とした。ラプラスの「不充分理由の原理」がこれである。

 ところでイギリス経験論のもとにあった帰納法は,演繹論理のもつ論理的必然性をもたないといわれる。しかし,ラプラスはベイズ(1702-61)の定理を用いて,帰納推理の不確からしさに「確率」の値を与えようと試みた。𠮷田がこの試みに言及したもうひとつの理由は,確率を純粋に主観的なものとみなす主観確率の立場から,その復活を意図する傾向が今日の数理統計学にみられるからである。𠮷田はベイズの定理の丁寧で簡明な数学的解説を行っているが,結論部分で次のように述べている。「その基本概念である確率を経験世界に引き戻して考えると,ベイズの定理は,確率現象という一定の抽象化が加えられた事実においてそれと同次元の抽象的事実に関する特殊な推理を与えているにすぎない。そこでは『特殊な結果』から『特殊な原因』が確率的推論という特殊な形で判断される。ところがこの定義が数学的には,経験的内容を捨象した確率や確率変数にもとづいて証明されるため,あらゆる偶然現象において『特殊な結果』から『一般的原因』を推論するのに使えるような外観をもつ。しかし,それは外観のみで,一般化された形で経験世界とのかかわりあいを与えると必ずそこに論理的破綻があらわれる」と 。ベイズの定理は単なる数学上のそれであり,帰納法に代替するものではない 。

8-3 頻度説的確率論-R.v.ミーゼスの場合-
 わたしは,頻度説による客観的確率論に関心がある。是永純弘「確率論の基礎概念について-R. v. Miesesの確率論-」は,その頻度説にたつR. v.ミーゼスの確率基礎論の批判的検討である。以下に,この論文の内容を紹介する。是永はミーゼスの確率論をコレクティフ概念の検討に重きをおいて検証し,この概念の発見が数学の一分野としての確率論の基礎,その適用範囲,客観的実在との関連解明の糸口を与えたと評価した(そのマッハ主義的限界を指摘しながら) 。
是永が参照したミーゼスのテキストは,Wahrscheinlichkeit, Statistik und Wahrheit, Dritte, Neubearb, Aufl., Wien,1951である。

 ミーゼスは確率概念を,集団現象または反復事象の一標識が無限回の試行中に現れる相対頻度の極限値,と規定する。この頻度説的確率論を支持する者は少ない。理由はそれが前提とする数学的意味づけの難しさ,あるいはその基礎にあるマッハ主義的認識論の観念性に由来する。是永はしかし,ミーゼスの確率論,とくにその基礎論を意味のないものと一蹴することはできない,と言う。確率とは客観的現実のどのような側面を反映する概念なのかという問題は,確率論の基礎づけにはもちろん,自然あるいは社会の諸現象にそれを適用する際には,当然考えておかなければならない課題で,ミーゼスはそのことを念頭に議論を展開しているからである。

是永論文は「確率概念の基礎」と「ミーゼス確率論の意義と限界」の2つの節で構成されている。前者ではミーゼスの確率概念の定義,それと古典的定義との相違,ミーゼスの議論への批判に対する彼自身の反論を紹介している。後者ではミーゼスによる確率計算の適用可能領域の検討である。    

ミーゼスの確率の定義は上記のようであるが,その対象として考えられたのは次の三種に限定される。第一は賭事や運任せの遊戯,第二は保険業務,人口現象などの社会統計,第三は統計物理現象である。それらにみられる共通性は,多数個体の一団である集団現象であること,何回も反復される同種または一個の個体の反復現象であることである。この集団現象あるいは反復現象は,ミーゼスによれば,確率が成立する不可欠の現実的前提である。

 確率が成立する「第一の前提」であるこれらの集団現象または反復現象を総称して,ミーゼスはコレクティフと名付けた。また,ミーゼス自身の言葉によれば,コレクティフとは各個体の観察メルクマールの相対頻度が一定の極限値に近づくだろうとの推定が正しいと思われるような集団現象または反復現象,要するに個別的観察の長い系列としての客観的性質(物理的性質)である。ここで重要なのは,この系列が規則性をもたないことである。すなわち,系列のなかのどの一部分を任意に取り出しても,この取り出し方が相対頻度の極限値を変えない性質つまり「無規則性」をもつことが確率の成立する「第二の前提」である。

 上記の2要件を満たすミーゼスの確率は,「確率とは事例の総数で好都合な事例の数を割った比である」(ラプラスによって定式化された古典確率)とか,「確率とは集合の数学的頻度である」(通説)とは一線を画する。

是永はここからラプラス流の確率の古典的解釈とコルモゴロフ流の現代的解釈の検証に移る。前者に関しては,古典的定義が前提とする「均等可能」の仮定が現実には存在しないこと,「主観的確率概念」を認識論的背景にもつことの2点で問題があるという。主観説の奇妙な考え方は,「諸事例が等確率だと考えられる(・・・・・)のは,諸事例が等確率であるということに等しい。理由は確率が主観的なものに他ならぬからだ」という言明に象徴される。古典的解釈はまた大数法則の存在にすがるが,これも失敗の原因である。なぜなら,ポアソンの定理と通称される2つの命題の混同の上に成り立ついわゆる大数の第一法則と,ベイズの定理と呼ばれる大数の第二法則は,コレクティフを前提とする頻度説で定義された確率概念を基礎におかないかぎり内容のない命題になるからである。

他方,後者,すなわち確率は集合の測度であるとするコルモゴロフによって代表される見解に関しても,ミーゼスは自らの頻度説を堅持する。ミーゼスによれば,コルモゴロフの研究は,確率計算という純数学的側面だけに注意をはらった基礎理論で,彼自身,公理系が不完全なことを理由に確率計算の諸問題については種々の確率域を考えることができるとし,公理論的確率論の限界を示している。集合論は数学的補助手段として確率計算を援けるものにすぎない。是永は以上の確認をしたうえで,さらにミーゼスが行った彼のいわゆるコレクティフの二要件に対する諸批判への反論を補足的に紹介し,ミーゼスの確率概念の規定の妥当性を追認している。

 「ミーゼス確率論の意義と限界」で,是永は確率が客観的実在のいかなる側面を反映しているかという点に関して,ミーゼス的解答が確率計算の応用領域でどのように貫かれているかを点検している。対象となる応用領域は,統計学(出生・死亡などの人口現象,婚姻・自殺・所得などの社会現象,遺伝・生物体器官の測定,薬剤・療法の効果判定,大量生産),誤差論(ガウスの誤差法則),統計物理学(存在する気体分子,ブラウン粒子など)の領域である。要するにミーゼスにあっては,確率が適用できるかどうかは,相対的頻度の極限値をもち,無規則的であるという二要件を満足するコレクティフがそこに存在することを観察できること,またはそう仮定して確率計算を行った結果が観察結果と一致するかどうかを問わず,そうした集団のコレクティフ性が客観的存在であると確認できることが重要なのである。

 問題はミーゼスのいわゆる「原系列のコレクティフへの還元」である。原系列を加工してこれをコレクティフ系列とすることは,もともとコレクティフ系列たりえないものを一定の目的でそれを構成することである。そこで改めてこの構成された系列の当否が問題となる。実際にはミーゼスのコレクティフ概念では存在たるコレクティフと意識的に構成されたコレクティフとの間に明確な境界線が引かれていない。ミーゼスの最大の難点であり,彼が別の箇所で確率基礎論の帰結を因果律の否定,確率法則による代位に見出していることとも関係がある。「この点はすでにミーゼスの理論の認識論的背景がマッハ主義にあり,そのため彼の確率論の全命題は経験・試行から出発し,それ以前の対象の性質そのものへ認識が全く及んでいないこと,したがってミーゼスのいう確率の客観性ははなはだ疑わしくなるということ,等の指摘をつうじて,ミーゼスに対する認識論的批判の核心点になっている」 。そうは言ってもミーゼスの確率基礎論の意義は,少しも損なわれるものではない。マッハ主義的認識論との決別はあと一歩であり,存在としてのコレクティフの確認にも迫っていた。ミーゼスが到達した限度までの経験的事実の整理は,確率の客観性の認識への大きな前進であると言える。

 課題はある。行論との関係に限定すれば,要素間の相互作用が決定論的意味をもつ多標識集団としての社会集団は,そのままミーゼスのいわゆるコレクティフになりえないので,確率論の社会集団への適用は,コレクティフ仮定と現実の集団との照応関係の考察から始めて,適用条件の子細な検討に至るまで,慎重になされなければならないということである。

8-4 頻度説的確率論-J.ヴェンの場合-
 頻度説的視点から確率基礎論を展開しミーゼスに影響を与えた論者にJ.ヴェンがいる。杉森滉一「ヴェンの確率基礎論」によってヴェンの確率論を紹介する 。 

 杉森はヴェンの確率基礎論をThe Logic of chance (1866)の第3版 (1888) とThe Principles of Empirical or Inductive Logic (1889)にもとづいて要約し,その意義を論じている 。ヴェンは確率論史のなかでは頻度説の代表論者の一人で,一般的な理解では確率を相対頻度の極限値と規定しただけのように扱われることが多いが,果たしてそうなのかというのが筆者の問題意識である。この問題意識のもとでヴェンにおける頻度説の形態はどのようなものであったか,それが頻度説,確率基礎論の歴史にいかなる意義をもったのか,これらが本稿の課題である。

 既に述べたように頻度説の立場にたったミーゼスは,一つの属性に関して①相対頻度の極限値と②分布の無規則性とを備えた集団現象をコレクティフと規定し,その説明原理を確率論にもとめた。この説は二面性をもつ。一つは確率数理に一種の形式性を認め,それとは別に確率数理がよってたつ経験的対象の規定を強調したことである。コレクティフが抽象されることで,特定の物質の運動形態は実質的に規定され,確率論の適用対象はそこに限定された。しかし,このことは他面で現象,経験を絶対化する認識論上の立場にたち,コレクティフが存在するための客観的構造,原因機構の究明がそれによって遮断された。頻度説の経験主義的側面を払拭し,確率基礎論のさらなる展開が必要な所以であるが,そのためには頻度説のもつ意味が明らかにされなければならない。これはミーゼスの学説がどのような系譜を経て出現したかを究明することでもある。ヴェンをとりあげる理由はこの点にあり,ヴェンの学説はそれにふさわしい多面的内容を含んでいるという。

 ヴェンは確率の基礎概念が系列すなわち事象または事物の連続ないし集合体であるとする。確率論の対象は系列一般ではなく,特定の性質(個別的不規則性と総体的規則性)をもった系列である。この系列における個別的不規則性と総体的規則性は,「事象系列」とヴェンが名付けたもので,系列の構成要素に部分的に共通するある属性が究極的に事例全体のある割合におちつくことを差して言う。このような事象系列には,①運任せゲームの結果,②同種多数の観察結果,③同一物の多数測定結果の三種類がある。これらのうち,①のみが確率論の理想的な対象で,②③は近似的な対象である。

 ヴェンはこの説を,確率の内容を主観における知識ないし心理的信頼であるとする主観的諸説に対立させている。ヴェンが強調するのは,推理の正当性の最終的根拠が経験にあり,経験と切断して信頼を云々することの無意味さである。ヴェンにあっては,主観に知識状態に確率を依存させるのは誤りであり,主観の側に確率を考えるとしても,主観をしてその様に思い込ませる経験の側における根拠が何かを究明しなければならない。確率の意味を問うには経験的世界との対応ということが根本問題であり,そのために頻度が媒介になる。ヴェン確率基礎論の意義は,経験世界と確率数理との対応をつけようとし,現象世界から事象系列を確率論の対象として抽出し,特定の客観的事物に確率を認め,そのような事物に特徴的な構造を明らかにする道筋をつけたことである。この方向は,経験主義に立脚するが事象系列をより詳細に規定しコレクティフを導出したミーゼスに継承される。

 ヴェンの確率基礎論が提起したものは,これだけではない。確率が事象系列全体に言われるもので,それの主観による受け取り方が信頼であるという上記の議論をさらに一般化し,様相(modality) をも頻度=確率の観点から解釈する。様相は,判断について,その確実性による分類である。ヴェンは様相の本質が信頼ないし確信の程度を区別することにあるとし,それを総て頻度に還元した。

 またヴェンは確率論の推理機能を一般的に問題にし,帰納法との関係を論じている。ヴェンによれば,経験的世界から事象系列を抽出し,そのなかで相対頻度を規定するのは貢納法の課題である。事象系列にみられる統計的規則性は,帰納法によって得られる。確率論はそれを受け,爾後の推理を担う。両方法は協働的である。推理の過程は,事物についての確実な知識の獲得が目的である。この過程は,①単なる推定,②仮説ないし理論,③事実三段階がある。確率が担うのは,②である。確率論による認識は,材料として統計的規則性しか得られない場合の不完全な中間的認識である。

 杉森は最後にヴェンの学説上の継承関係を読み解く。まずミーゼスとの関係,続いてライヘンバッハ,ケインズとの関係である。ヴェンは経験論者で,特定の物質構造としての事象系列ならびにその属性としての確率という意識は希薄であるため,専ら現象的に頻度の極限値イコール確率という規定の強調にとどまった。このため現象が確率現象であるか否かがどうしてわかるのか,それを決定する徴証が何かという問題に回答を用意できなった。こうした経験主義に固有の宿弊は,ミーゼスにも特徴的であった。

 事項で紹介するケインズとの関係について,ヴェンは確率を伝統的な帰納法の枠のなかに位置づけたのに対し,ケインズはヴェンの確率基礎論が狭すぎるとして(統計的頻度に還元できない probable なケースがあることを強調),帰納法そのものを基礎づける新たな確率論の構築に向かった。ヴェンは方法として確率論を論じることで,判断の確率をも頻度で測ろうとしたが,ケインズはそれが頻度とは別のより一般的論理的関係図式に包摂されること,そしてこの図式が帰納法の不確実性の処理を含むことを説いた。また,ヴェンは事象の確率,その事象について思考する主観における確率,一般的認識の信頼性としての確率という順序で問題をとらえ,それらをすべて頻度に還元したが,このことを考えると,ヴェンはケインズが記号論理学に触発され,命題間の論理的関係について確率を考えた直前の地点まで基礎論を展開していたと言える。

 以上,確率概念の客観性に重きをおき頻度説に立脚したミーゼスとヴェンの所説を是永と杉森の論文を紹介して示したが,この系譜と対極にある主観的確率論をとったケインズの見解について述べておきたい。留意しなければならないのは,その確率論の内容が,以下で記すように必ずしも数量的に測ることができるものと考えられていないことである。この点を重視して,ケインズの確率論は「蓋然性論」として語られることが多く,またそうしたほうが誤解が生じないと思われるが,伊藤論文の要約にあたっては,執筆者の用語の使い方にそくしてケインズの確率論として叙述する。

8-5 J.M.ケインズの確率論
 確率論の信頼度説的解釈を集大成したケインズの理論の基礎的部分を紹介, 検討した論文が伊藤陽一「ケインズの確率論について-基礎理論の紹介を中心に-」である 。伊藤の案内にしたがって, ケインズ確率論の紹介を行う。

 ケインズの『確率論(蓋然性論)』(Treatise on Probability)は, 1921年に公刊されている。その編別構成は, 次のとおりである。Ⅰ編:基礎的諸概念, Ⅱ編:基礎的諸定理, Ⅲ編:機能と類比, Ⅳ編:確率の若干の哲学的応用, Ⅴ編:統計的推論の基礎。伊藤は上記論文で主として, Ⅰ編, Ⅱ編, Ⅲ編までを, 解説している。
ケインズは確率論を論理学の一部とみる。われわれの知識は, 一部分は直接的に, 一部分は論証によって間接的に獲得される。形而上学, 科学において依拠するほとんどの論証は, その結論が決定的でなく, 確からしさに何らかのウェイトを付与したものである。従来の論理学は結論に疑問をのこす論証を扱わなかったが, ケインズはこれを論理学の一部としての確率論の課題とした。

 ケインズによれば, 確率は間接的知識が獲得される過程の論理であり, 前提となる知識が与えられたときに, この知識によって結論が付与される合理的信頼度である。ここでは確率が事象ではなく, 命題の論理的な関係に与えられている。この合理的信念の程度としての確率は, 主観的側面と客観的側面をもつ。

 合理的信念の程度としての確率はまた, 必ずしも数的に測定可能なわけではない。ケインズは確率について, 量的に測定可能な場合, 大小の比較の順序づけだけが可能な場合, それらが不可能な場合, があるとする。ケインズはごく限られた場合に, すなわち無差別性原理(不充分理由原理の修正されたもの)が適用可能な場合に, 数値が付与され, 多くの場合には確率間の大小比較が行いうるだけで, 比較が不可能とした。

 数学的確率論は, 等しさの承認を不充分理由原理にもとづいて行った。ケインズはこの不充分理由原理を無差別性原理と呼び換えたが, この原理は多くの矛盾をもたらすことをよく知っていた。したがって, ケインズはこの無差別性原理が適切性の判断に依拠していることを明らかにし, 資料が選択肢に対して対称的であるべきこと, また適切性を判断するときに選択肢の意味と形とが無視されてはならないことを指摘し, 原理のより正しい適用をはかろうとした。

 伊藤は概略以上のように, ケインズの合理的信頼度説を, これに関わる基本命題(知識論との関係, 確率の量的性格, 比較のための原理, 無差別性原理の再構成, 数値測定の方法など)を論ずるなかで確認している。ケインズはこれらをふまえ, さらに確率計算の公理系, 帰納と類比, 偶然論, 統計的推論について論じている。伊藤は, これらのうち, 確率計算の公理系, 帰納と類比について詳しい解説を行っている。偶然論, 統計的推論に関しては, 次の要約を与えている, 「ケインズは, 偶然を我々の有する情報との関連においてとらえ, 偶然を主観的偶然と客観的偶然とに分ける。事象についての情報が二つの事象間に関連を与えないとき, それら二つの事象は主観的意味で偶然とされ, 客観的偶然とは, この主観的偶然の特殊な場合として位置づけられて, 完全な知識, 情報すらも偶然性を変化させないときにその偶然性は客観的偶然性と考えられるべきとされる。次に統計的推論に関しては, ・・・普遍的帰納は一般化においては, 一般化された結論は例外を許さなかったのに対し, 統計的帰納は一般化にあたって事例のいくつかに反することを許すもの, 従って論じられる単位は単一の事例ではなくて, 一組あるいは一系列であるという特徴づけを行う。そしてここでも, 確率はあくまで資料との関連においてとらえられる(従って試行の経験によって次々と予測確率が変化する)という立場から, 従来の大数法則論, 統計的推論を検討するのである」と 。

 「確率論」を執筆した頃のケインズには, 帰納論理を発見の論理として位置づける余地があり, それを放棄し検証の論理に焼き直す新実証主義的見地へ転落する直前でふみとどまっていた。確かに, 概念の形成から一般的知識へ至る認識過程の分析は行われず, 一般的知識がいかに形成されるかという問題意識は乏しかった。しかし, ケインズは帰納的一般化のさいに, その確率を高める要因の分析を行い, 発見の論理を否定するヒュームの問題提起に対し, 制限付きの独立変異の仮説を提出して, 帰納原理を維持しようとした。

 また, 科学的知識の成立における帰納法の位置づけでは, 帰納は諸々の論理的方法から切り離され, 量的評価の可能性が科学的知識の現実的な形成過程から乖離し, 帰納法を独立させ, これを形式化してとらえたフシがある。
帰納的知識の確からしさの量的評価を問題にするのであれば, 前提から結論にいたる, 現象的知識から科学的知識にいたる認識過程の構造, 思惟のプロセス, そこでの知識の蓋然性を規定する諸契機を明らかにすることが先ず前提作業とされるべきであって, 安易な量的評価と, それにもとづく計算体系の樹立を急ぐことは, 数理形式主義的偏向であると, 伊藤は結論付けている 。

8-6 確率論主義の克服
 確率論主義とは,数学の一分野である確率論を,社会―自然現象の分析用具として普遍的に適用可能とし,偶然が世界を支配するとみる価値観からこの分析を支持する考え方である。この考え方によれば,統計値を含めて一団の数値(集合)が与えられれば, ただちにそこに大数法則があてはまるものと決めこみ, 確率論を適用し, 確率計算を行い, その結果によって一定の規則性の安定度を確率で表現する。確率論主義といわれるものが, これである。

 確率論主義の本質は, 是永純弘によれば, 自然および社会の諸現象に関する数値(観測値や統計値)の一団が与えられたとき, それらの研究対象を固有の研究方法で分析するのではなく, これらを抽象数の一団とみなし, そこに確率論を適用し, 分析することである。換言すれば, 自然科学, 社会科学を問わず, それらの固有の対象を明らかにするために不可欠な独自の研究方法にたよらず, 確率論だけで問題に接近しようとする姿勢が, これである 。   

 そもそも確率とは何なのか。それは物質の客観的な運動形態のいかなる側面を反映したものなのか。具体的な事実を特徴づけるために確率概念を適用したとき, それはいったいどのような実質的意味をもつのだろうか。

 確率論がその理論的帰結として予定する大数法則とは, 本稿の冒頭で述べたように,ある統計値集団において特定の単一標識の特定の値があらわれる度数のその集団の大きさ(総度数)に対する比率, すなわち特定事象発現の相対度数が, 集団の大きさが大きくなる(数学的には無限となる)につれて, 一定の値(先験的確率に近づくことがほぼ確実[確率1]になることである」 。

 是永は確率概念を以上のように規定し, 次いで確率が事物の運動形態の一側面の反映であることを, たとえ部分的でも意識して確率を定義しようとした(1)古典的確率論と(2)頻度説的確率論をとりあげ, それらの意義を確認している。

 古典的確率論は, われわれの経験に先立って事物の存在そのもののうちに, 一定の条件のもとにではあるが経験の結果としての一定の規則性という属性を認める。経験の背後に, 事物の存在が予定されている。問題は物自体の一属性が確率にあらわれるメカニズムに関して, 不完全な説明しかできていないことである。これに対して, 頻度説(R.v.ミーゼス)では, 確率は無規則な現象系列の中での特定事象の発現の相対頻度の極限値と定義され, 相対頻度の極限値が出現するメカニズムが客観的である。この頻度説の欠陥は, 経験がすべての大前提におかれ, そのような経験の結果が生ずることを経験以前の「物自体」の属性とされていないことである。

 ミーゼスは物質の一属性が確率として発現するメカニズムを, 同一現象の繰り返し試行, あるいは同種の自然物の集団という二つの類型をもった客観的事実としてのコレクティフの性質に見出した。以上の理解にたって, それでは先に述べた確率論主義はいかに克服されるべきなのだろうか。確率論主義が有している欠陥は, 確率論とその適用の結果が統計値集団にみとめられる安定的規則性の発現の強度を示すにすぎないにもかかわらず(なにゆえにこの集団がこの集団性をこの強度において示すかという原因機構の解明が次の研究段階である), その延長で既存の知識で対象の認識に到達しえないとなると, ただちに対象的真理, 絶対的真理が認識しえないとし(不可知論), 認識の相対性が一面的に強調されることにある(「相対主義」)。この弊を避けるには, 相対的真理の認識を徐々に高め, 全体として一歩一歩, 対象の絶対的真理に接近していく以外に方法はない。

 確率論的認識論における不可知論的相対主義は, 物理学の世界における古典物理学から量子力学への発展についての誤解に根拠があり, それが社会科学にもちこまれたとして, 是永はそうした物理学的世界観を批判的に考察している。物理学でも, 確率概念が物理量のもつ客観的な意味をあきらかにする単なる指標とみなされず, 観測の誤差, 情報の不完全さといった認識の技術的限界が物理的認識の絶対的限界と解釈され, 確率論主義にたよることがあった。ハイゼンベルクの思考実験によって「証明」された「不確定性原理」がその一例であるという。この世界でも重要なのは, 確率概念の公理論的基礎づけや実証主義的道具化ではなく, この概念の客観性の解明である。是永は, 社会科学はこの姿勢と見解に学ぶべきだと説いている。

 関連して,吉田の次の指摘に耳を傾けるべきである。すなわち,ベルヌーイのいわゆる大数法則は,その事象の生起が確率現象であることを前提としてのみ証明される。したがって統計的確率に大数法則を適用するには,そのプロセスが経験的に確かめられなければならない。しかし,これは社会現象に関しては無理な注文である。数学的確率と統計的確率とを直接に大数法則で結びつけるのは誤った試みである。確率は客観的現実のなかに見出されなければならず,ここでは先験的確率という用語自体が無意味であることを確認しなければならない。また,統計的確率は対象となる偶然現象が確率現象でないならば,生起の比率は単に歴史的事実を示すだけで確率とは無縁であるということである。社会的偶然現象の生起の比率を,ただちに確率とみなすことはできない,と 。
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7 産業連関分析とその応用

2016-12-15 20:09:17 | 社会統計学の伝統とその継承
7 産業連関分析とその応用

  戦後,計量経済学を基礎としたモデル分析とともに注目された経済学的手法は,産業連関分析である。この分析手法は,産業連関表という特殊な加工統計をベースに求められた投入係数あるいは逆行列係数を利用し,外生的に与えられた最終需要に対応する産業部門別均衡産出量の導出方法である。その産業連関表は行と列に同じ順序で並ぶ部門で構成された格子の形状をとる表で,行にそって各部門の販路構成を,列にそって投入構成を読み取ることができる。
 産業連関表とその分析手法は,W.レオンチェフ(1906~1999)によって開発された。主要国では定期的に作成され,制度化された統計のひとつである。日本では昭和30年7月に公表された昭和26表(通商産業省・経済企画庁)が最初で,以来,全国表が5年周期で作成されている。現在,同表の作成は全ての都道府県で,またいくつかの都市で実施され定着している。
 産業連関分析の適用はさまざまで,個別的な波及効果分析に多用されるが,経済計画での原型は中期経済モデル(昭和40年1月策定,計画期間[昭和39年~43年])で示されている。すなわち,このモデルでは計量経済モデルと産業連関(モデル)分析とが連動するシステムを構成し,前者のモデルで与えられた最終需要の予測値から産業部門別にブレイクダウンした均衡産出量がもとめられる仕組みをとる。上述の巷間にみられる種々の経済効果分析も大方,このような産業連関分析の利用に準じている。

1 産業連関分析の基本性格
 産業連関分析の推奨は,均衡論的近代経済学者とそれに追随した官庁エコノミストによって行われた。この分析手法の信奉者の対極で,社会統計学の担い手の側から逸早く,その問題点を体系的に明らかにしたのは山田喜志夫である。山田は「産業連関分析の基本性格」(1958年)[1]で,産業連関分析の理論的基礎を解明し,その分析手法の限界を示した。論点は硬直的生産関数の一種である投入係数の問題点(この生産関数の一次性,同次性,固定性)とこの手法の物量的均衡論的性格のそれである。山田の議論の延長線上で,野澤正徳は「静学的産業連関論と再生産表式(1)(2)」(1966-67年)[2]で,また伊藤陽一は「産業連関論と地域産業連関論」(1967年)[3]でこの分析手法の意義と限界について論じた。
 野澤は当該論文で産業連関論に体系的な価値・価格論がないこと,その部門区分の基礎に使用価値的視点,物的・技術的視点が一貫していること,産業連関論とワルラス一般均衡論が親近性をもっていること,ケインズ的経済循環論を拡張した側面をもっていること,社会主義諸国での評価(ランゲ,ネムチーノフ,マイスナーなど)に難点があることを指摘した。伊藤論文では,地域分析の有力な数理的手法として評価された地域産業連関分析の有効性を批判的に検討した。
 社会統計学の内部ではその後も,より論点を絞ってこの分析手法の問題点の解明が持続的に進められた。なかでも長屋政勝「産業連関表における投入係数について」(1973年)[4]は,投入係数の背景にある理論問題を紹介,検討した注すべき論稿である。長屋はこの成果を踏まえ,後に「産業連関論」(1974年)[5]を執筆している。この論稿は産業連関論の理論的脆弱性を明らかにする課題意識のもとに,連関論の骨子を批判的に吟味し,この理論がどのような経過をたどって再生産されたのか,連関論を応用した経済計画がいかに脆弱であるかを検討している。
 わたし自身は上記の山田(喜),長屋の議論を理論的土台として,この分野で一連の研究を行った。「産業連関分析の有効性について」(1979年)[6],「産業連関分析の現在とその展開」(2000年)[7]では,この分析の基本性格を理論的,方法論的観点から論じ,さらに連関表の拡充,その今日的展開を跡づけ,これらを批判的に考察した。また「産業連関表の対象反映性」(1983年)[8]では,産業連関分析のもとになる連関表の統計としての脆弱性を究明し,同時にマルクス再生産表式に準拠してこの表を再構成する試みを行った。さらに,「産業連関分析の有効性に関する一考察-その具体的適用における問題点-」(1982年)[9],「産業連関論的価格論の批判」(1982年)[10],「日本の経済計画と産業連関モデル-モデルの整合性をめぐって-」(1987年)[11]を公にし,前者2者では連関分析の公害問題や価格論への適用における難点について,後者では日本の経済計画への連関モデルの問題点について論じた。これらの研究の目的は,連関分析ないし連関モデルを,ある適用領域に応用すると,そこに経済理論上の欠陥が顕在化することを具体的に指摘することにあった。他に「投入係数の予測」(1980年)[12]があり,この論稿は産業連関分析の要である投入係数の予測の形式性を,RAS方式を事例として検討したものである。

2 産業連関分析の利用をめぐって-泉方式による剰余価値率計算とその批判-
 他方で,産業連関分析の限界の指摘だけに議論を停留させることに飽き足らず,その有効性を実証しようとする試みが70年代に入って登場した。ひとつは産業連関分析を利用して剰余価値率を測定した泉弘志の試みである(「剰余価値率の推計方法と現代日本の剰余価値率」[1976年])[13]。もうひとつは産業連関分析を民主的政治陣営の生活基盤重視の公共投資政策に利用する木下滋,土居英二の試みである。前者に関して上記の論稿で泉は剰余価値率を価値レベルで行うとし,その推計のために, 一方で労働力の価値を, 平均年間賃金(T)×平均労働者家計消費構成比(K)×各商品の単位価値額当りの労働量(W)でもとめ, 他方で剰余価値の大きさを, 労働者の平均年間労働時間(Z)から上記の労働力価値の大きさを控除してもとめ, 剰余価値率の推計式である「剰余価値(不払い労働)÷労働力価値(支払労働)」にそれぞれの値を代入して計算するというものであった。ここで必要となる手続きは,物的財貨生産分野の労働力再生産のために使われた物的財貨の価値の労働時間への還元である。その際,物的生産部門の財貨への投下労働にはこれらの財貨に直接投下された生きた労働の他に,生産手段や原材料に投下された過去労働の支出も含まれる。両者を含めた投下労働量は,産業連関分析の手法の応用によって計算可能である。従来の剰余価値率の推計は,価格レベルで行われていた。これに対し, 泉の方法は価値レベルのそれであるとされた。泉によれば, 剰余価値率の計算では価値レベルで行う方法のほうが概念の内容(物的財貨生産部門の直接的生産過程からの搾取)にそくしているというわけである。

 泉の試算に対する批判は,山田喜志夫,山田貢,岩崎俊夫によって行われた。山田喜志夫は論文「産業連関論の検討」[14]で,レオンチェフ体系が労働価値説を前提としているCameronの見解をただした箇所が,泉の見解と間接的に関わる。山田(喜)はCameron批判のなか産業連関表の投入係数を使った連立方程式を解くことがスミスのドグマに通ずると批判している(野澤正徳「静学的産業連関論と再生産表式(1)『経済論叢』[98巻6号,1966年]にも同様の指摘がある-岩崎)。この指摘は,泉方式の価値計算にも当てはまる。

 山田(貢)は「剰余価値率・利潤率[コメント]」[15]で「『価値レベルでの剰余価値率』という概念は存在しない」,また「労働力の価値を労働時間で測りうるか」[16]で「不変資本に投下されている労働量は計算できない」として,泉の価値レベルの剰余価値率計算について批判的に論じている。
 山田(貢)の主張は,どのような労働も同等な人間労働として同じ時間には同じ価値を生み出すのが大前提なので,労働力の価値が同じであれば,剰余価値率は社会的平均労働に関してどの産業部門でも,どの企業規模でも同等である,すなわち生産された剰余価値の率は同じであり,その意味で産業部門別や企業規模別の生産された剰余価値率を比較することは意味がない,というものである。さらに国民的剰余価値率について,山田(貢)は労働力の価格と区別した意味で労働力の価値そのものを測定することはできないので,価値レベルの剰余価値率という概念は存在しない,と主張する。
 山田(貢)見解について泉は,①現実には産業部門別にかなりの労働時間の差があり,この労働時間に応じて価値が生産されているはずなので,労働力価値が等しいと仮定すると,産業部門別,企業規模別で剰余価値率に差が出てくる,②現実には労働力価値(労働力の再生産のために使われている生活手段の価値)には産業部門間,企業規模間で大きな差がある,③現実に産業部門間,企業規模間で労働時間と労働力価値との間に比例関係はなく,かえって労働時間が長い部門に低賃金が見られる,と反論している。また,「不変資本に投下されている労働量は計算できない」という山田(貢)の見解について,泉は第一に,自身の方式でのこの部分の労働価値計算は現在の平均的条件で再生産するためにどれだけの労働時間が必要なのかということなので問題にならない,と指摘している。第二に,労働時間と交換価値がイコールなのかという理論問題で,泉は商品の価値は社会的必要労働で決定される,山田のこの問題提起は生産価格や市場価格が価値からどのように乖離するかということで,価値そのものが変化するということではない,と応酬している。第三に,一円当り直接,間接労働時間を計算する方法が
貨幣の本質からいって可能なのかどうか,「結局,1円当り価値(労働時間)の変化というのは金の価値の変化をしめすことになる」のではないかと問うているが,泉によればそうではなく単位当たりの直接,間接労働時間を計算したのであると,言明している。
 わたしは,以下の論稿でこの剰余価値率計算の泉方式が価値レベルの計算ではなく,労働時間に還元した計算であることを中心にその問題点を指摘した。「産業連関表にもとづく剰余価値率計算と社会的必要労働による価値量規定命題」(1989年)[17],「剰余価値率の統計計算と市場価値論次元の社会的必要労働-泉方式の意義と限界-」(1990年)[18],「価値レベル剰余価値率計算の泉方式について」(1990年)[19] 。(泉は「労働価値計算にもとづく剰余価値率推計について-岩崎俊夫の批判に答える-」[20]で,わたしの見解に反論している。)
 泉は近似計算としての価値計算にこだわり,この価値計算を現存の平均的な生産諸条件のもとで決定される社会的必要労働量の測定として行うが,この測定が産業連関表を使うことで可能になるとする。これに対し,わたしは剰余価値率計算の泉方式が労働時間還元法であり,それだけでこの方式の意義が十分に確定できるが,それを価値(レベル)の計算とする経済学的根拠が無いと指摘した。

 なお,泉はわたしの泉方式批判の一部で,連関表を利用して統計の平均計算を積み重ねて剰余価値率計算に取り組むのは,現代資本主義のもとでも長期的にみれば均衡状態を想定できるとの判断にたってのことであると指摘したことに関連して,泉が『資本論』の価値とか社会的必要労働という概念が需給一致の理想的平均を前提するとは考えておらず,わたしのそのような理解こそが『資本論』の均衡論的解釈である,とのべている箇所がある[21]。この議論をし始めると,統計学から離れていくので,ここでは簡単に触れるにとどめるが,資本主義経済が全面的商品交換社会を前提としている限り、そこに価値法則が作用していることは自明であり、価値あるいは社会的必要労働といった概念が意味をもつことも当然である。『資本論』の主要課題は資本制生産の一般法則の解明にあり,「資本主義的生産様式の内的編成を,いわばその理想的平均において示す」ことに限定されているが[22]、現代資本主義経済にも資本制生産の一般法則が働いているかぎりで、その理論的解明には「理想的平均」の論理次元での分析が意味をもつからである。しかし、それだけでは、現代資本主義の実際の分析には不十分であり、経済が現実の不均衡にさらされ、動態化の局面での分析が必要になる。現代資本主義経済においては、こうした不均衡がむしろ常態化していることにその原理的特徴がある。連関表はそれが統計であるかぎり、現実経済を表象で捉えるものである。したがって、そこには資本制生産の一般法則が「理想的平均」のもとで示された法則や概念がそのままでは妥当せず(上記のようにそれらが無くなったわけではない)、むしろ偏倚をともない歪んで表出している。それゆえ、資本主義経済の基本概念の扱いには、この論理次元に相応しい、それなりの注意が肝要である。『資本論』の市場価値論、市場価格論では、そうした接近に必要な方法論的示唆が与えられている。マルクスはまた次のようにも書いている。「このような一般的剰余価値率-すべての経済法則がそうであるように傾向から見ての-をわれわれは理論的簡単化として前提している。・・理論では,資本主義的生産様式の諸法則が純粋に展開されるということが前提されるのである。現実にあるものは、いつでもただ近似だけである」[23]。わたしは理想的平均という用語をこの意味で使ったのであり,このことをもってわたしが『資本論』の均衡論的解釈におちいっていると指摘するのは無理であろう。

 また、剰余価値率が近似計算であることに関連して、わたしが泉による試算を価値レベルの近似計算としたことについて疑問を呈したことをとらえて、それでは上杉正一郎、山田喜志夫、広田純の剰余価値・剰余価値率計算に関してもわたしが同じレベルで疑問をもっているかをただしている[24]。結論だけ示すと、これら3者の試算は価値レベルのそれであるとは規定していない。わたしは泉の方式が労働時間還元法である限りで評価をしている(それでも上記の3者の試算と同じように近似計算であるが)。価値レベルの近似計算、と規定するので問題がこじれたのであり、そのレベルでの試算は不可能であると言っているだけである。

3 産業連関分析の利用をめぐって-生活基盤型公共投資の波及効果分析-
 以上の剰余価値率計算への産業連関表(分析)の利用とは別に,1970年代後半に,この分析手法を用いて,大阪都市圏の再生を関西空港中心の大型プロジェクトで牽引すべきか,それとも生活環境・防災型で行うべきかを分析し,両パターンの比較から後者を推奨する研究が試みられた。発端となった論稿は,宮本憲一・木下滋・土居英二・保母武彦「公共投資はこれでよいのか」(1979年)[25]である。この研究は1979年に行われた大阪府知事選挙で保守陣営が政策目標として掲げた産業基盤重視型の公共投資と比較して,革新陣営の生活基盤重視型の公共投資政策が景気浮揚効果や雇用効果で劣るとされた巷間での議論に対する反証を意図したものであった。同じ趣旨で,引き続き木下は「地域における公共投資の波及効果-地域産業連関表による-」(1980年)[26],「実証的経済分析と産業連関論」(1982年),「産業連関分析による公共投資の効果測定の意義と限界」(1984年)を,土居は「公共投資の二類型と波及効果の比較-産業連関表の利用をつうじて-」(1981年)を発表した。木下の「実証的経済分析と産業連関論」は,実証的経済分析における産業連関分析の有用性の主張に対する社会統計学内部からの批判に応えたものであり,「産業連関分析による公共投資の効果測定の意義と限界」は,上記の宮本論文に対する批判(この計算が公共投資を有効需要創出という狭い視点からのみ評価している,この計算の限定的前提を容認してもなお用地費を考慮していない点で欠陥がある,さらにこの計算を産業の生産額の配分や雇用について検討するのは良いが,全産業を括って生産誘発効果を云々するのは意味がないとの批判)に応えたものである。土居の論稿は,「公共投資の有効性というとき,用地費が欠落していることは致命的」という神戸市都市問題研究所の指摘を受け,その指摘を真摯に受け止めた反論したもので,「生活基盤型公共投資は,産業基盤型のそれに比べ,優るとも劣らない効果をもつ」という主張が,用地費を考慮した全国対象の分析の結果から現実妥当性をもつと実証できると結論づけている。
 一連のこれらの研究は,公共投資の波及効果を産業基盤型と生活基盤型で産業連関分析を利用して推計し,公共投資の方向を大型産業基盤整備型投資から生活基盤整備型投資への切り替えを主張するものであった。いずれも産業連関分析の意義と限界を承認しながらも,その意義と有効性を重視し,それらを積極的に引き出し,活用する試みであった。

 木下はその後,「実証的経済分析と産業連関論」(1982年),「産業連関論分析による公共投資の効果測定の意義と限界」(1984年)を執筆し,連関分析の実証分析への積極的応用に対する自身の試みに対する批判に反論し自説を擁護した。また泉は剰余価値率推計,労働生産性の計算を続け,公表した多くの論稿を『剰余価値率の実証研究』(1992年),『投下労働量計算と基本統計指標-新しい経済統計学の探求-』(2014年)に収め,出版した。 
泉の研究と木下,土居の研究とは,その対象領域が異なるものの,共通しているのは利用される産業連関分析がその初発(レオンチェフ段階)で有した理論的基礎を問わず,分析手法の性格を技術的形式的に解釈し,マルクス経済学や民主的計画論でそれを基礎づけることができると理解していることである。すなわち,泉による剰余価値の測定は,自身の言明によれば,価値論に立脚するそれであると強調された。また木下・土居の公共投資測定論は必ずしもマルクス経済理論に依るとの明示的表明はないが,民主的行政主体がそれ自らの政策を提示する必要性に応える形で提案され,この場合,民主的行政主体の立場にたつ経済理論である,とされた。連関論がもともと前提としていた部分的均衡論に代わる別の階級的視点にたつ経済理論でこの分析手法を基礎づけることができるがゆえに,この手法をその観点から積極的に利用すべきであるというのが主張の要である。
 以上に紹介した論点以外の業績(1990年前後以降)については,朝倉啓一郎「産業連関表と分析」に詳しいので参照されたい[27]。
 また旧ソ連では産業連関分析にその形式と内容と類似した部門連関分析が1960年前後から登場したが,これについての批判的研究がいくつかあるので以下に掲げる。野澤正徳「部門連関バランスと社会的生産物」(1967年)[28],野澤正徳「部門連関バランスの諸形態と固定フォンド(1)(2)(3)」(1968年)[29],芳賀寛「部門連関バランス研究に関する一考察」(1986年)[30],岩崎俊夫「国民経済バランス体系と部門連関バランス-歴史的位置と理論的基礎-」(2011年)[31]


[1] 山田喜志夫「産業連関分析の基本性格」『統計学』第7号,1958年(『再生産と国民所得の理論』評論社,1968年,所収)。
[2] 伊藤陽一「産業連関論と地域産業連関論」『開発論集』(北海学園大学開発研究所)第1巻第3号,1967年3月。
[3] 野澤正徳「静学的産業連関論と再生産表式(1)(2)」『経済論叢』第98巻第6号,1966年;第99巻第4号,1967年。
[4] 長屋政勝「産業連関表における投入係数について」内海庫一郎編『社会科学のための統計学』評論社,1973年。
[5] 長屋政勝「産業連関論」山田喜志夫編『現代経済学と現代(講座 現代経済学批判Ⅲ)』日本評論社,1974年。
[6] 岩崎俊夫「産業連関分析の有効性について」『経済学研究』(北海道大学経済学部)第29巻第3号,1979年。
[7] 岩崎俊夫「産業連関分析の現在とその展開」『統計的経済分析・経済計算の方法と課題』八朔社,2003年。(「産業連関的経済分析の方法と課題」として『統計学の思想と方法』北海道大学図書刊行会,2000年,所収)。
[8] 岩崎俊夫「産業連関表の対象反映性」『経済論集』(北海学園大学経済学部)第30巻第4号。
[9] 岩崎俊夫「産業連関分析の有効性に関する一考察-その具体的適用における問題点-」『研究所報』(法政大学・日本統計研究所)第7号。
[10] 岩崎俊夫「産業連関論的価格論の批判」『経済分析と統計的方法』産業統計研究社,1982年。
[11] 岩崎俊夫「日本の経済計画と産業連関モデル-モデルの整合性をめぐって-」『経済論集』(北海学園大学経済学部)第35巻第2号。
[12] 岩崎俊夫「投入係数の予測」『統計的経済分析・経済計算の方法と課題』八朔社,2003年。初出は「産業連関分析と経済予測-RAS方式による投入係数修正の妥当性について-」『経済学研究』(北海道大学経済学部)第30巻第1号,1980年。
[13] 泉弘志「剰余価値率の推計方法と現代日本の剰余価値率」『剰余価値率の実証研究』法律文化社,1992年。初出は『大阪経大論集』(大阪経大学会)109/110号,1976年。
[14] 山田喜志夫「産業連関論の検討」『統計学』第7号,1958年。
[15] 山田貢「剰余価値率・利潤率」『統計学』第30号,1976年。
[16] 同「労働力の価値を労働時間で測りうるか-泉氏への回答-」『統計学』第34号,1983年。山田には他に,「労働時間による剰余価値率の推計についての若干の問題」『統計学』第44号,1986年がある。
[17] 岩崎俊夫「産業連関表にもとづく剰余価値率計算と社会的必要労働による価値量規定命題」『経済論集』(北海学園大学経済学部)第36巻第4号,1989年1月。
[18] 岩崎俊夫「剰余価値率の統計計算と市場価値論次元の社会的必要労働-泉方式の意義と限界-」『経済論集』(北海学園大学経済部)第37巻第4号,1990年3月。
[19] 岩崎俊夫「価値レベル剰余価値率計算の泉方式について」『統計学』(経済統計学会)第59号,1990年9月。
[20] 泉弘志「労働価値計算にもとづく剰余価値率推計について-岩崎俊夫の批判に答える-」『剰余価値率の実証研究』『剰余価値率の実証研究』法律文化社,1992年。
[21] 泉,同書,163頁。
[22] マルクス『資本論』第Ⅲ巻(第2分冊),大月書店,1064頁。
[23] マルクス『資本論』第Ⅲ巻(第1分冊),大月書店,221頁。
[24] 泉,同書,153頁。
[25] 宮本憲一・木下滋・土居英二・保母武彦「公共投資はこれでよいのか」『エコノミスト』1979年1月30日号。
[26] 木下滋「地域における公共投資の波及効果-地域産業連関表による-」『岐阜経済大学論集』第14巻第3号,1980年。
[27] 朝倉啓一郎「産業連関表と分析」『統計学(社会科学としての統計学[第3集])』第69・70合併号,1996年3月。
[28] 野澤正徳「部門連関バランスと社会的生産物」『経済論叢』第100巻第4号,1967年10月
[29] 野澤正徳「部門連関バランスの諸形態と固定フォンド(1)(2)(3)」(1968年)『経済論叢』第101巻第2,3,4号,1968年2月
[30] 芳賀寛「部門連関バランス研究に関する一考察」『経済学年誌』第23号,1986年(「国民経済バランス論における部門連関バランス研究」として『経済分析と統計利用-産業連関論および所得分布論とその適用をめぐって-』梓出版社,1995年,所収)
[31] 岩崎俊夫「国民経済バランス体系と部門連関バランス-歴史的位置と理論的基礎-」『立教経済学研究』第65巻第2号。(「国民経済バランス体系の確立と部門連関バランス-歴史的位置と理論的基礎-」として『経済計算のための統計-バランス論と最適計画論』日本経済評論社,2012年,所収)
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6 ソ連統計学論争

2016-12-10 21:55:50 | 社会統計学の伝統とその継承
6 ソ連統計学論争

ソ連では戦後,数度,統計学の学問的性格をめぐって論争が繰り広げられた。日本の社会統計学者は、逸早く、その内容と動向を紹介した。基本的文献は、統計研究会訳編『ソヴエトの統計理論(Ⅰ,Ⅱ)』(1952,53年) ,有澤広巳編『統計学の対象と方法-ソヴェト統計学論争の紹介と検討-』(1956年) である。
 
 重要なのは,1954年に開催された「統計学の諸問題に関する科学会議」(ソ連科学アカデミー,中央統計局,高等教育省共同主催)である。この会議は同年3月16日から26日までの11日間にわたって開かれた。全ソからの760人におよぶ研究者(統計学,経済学,数学者,哲学,医学などの諸分野),統計実務家が参加した。報告は文書によるもの20件を含め80件に及んだ。

 この会議に先駆け,2度の統計学論争が『計画経済』『経済学の諸問題』『統計通報』の誌上で繰り広げられた。第1期は1948-9年で,発端となったのは『計画経済』(1948年3月号)に掲載された無署名論文「統計の分野における理論活動を高めよ」である。この論文が契機となって,3つの学術会議が開催された(1949年5月の科学アカデミー経済学研究所で開催された「統計の分野における理論活動の不足とその改善策」,同年8月の農業科学アカデミーでのネムチーノフとルイセンコとの論争 ,同年10月に科学アカデミー経済学研究所で開かれた「経済学の分野における科学=研究活動の欠陥と任務」に関する拡大学術会議)。一連の討論で,統計学を普遍的科学であるとする立場とその形式主義的・数学的偏向に批判的な立場との間で見解の相違が明確になり,討論のなかで統計学の社会的実践活動からの立ち遅れが指摘された。コズロフの論文「統計学におけるブルジョア的客観主義と形式主義に反対して」(『経済学の諸問題』1949年4月)は,この当時のソ連統計学界の主流を代表する見解で,そこではロシアの伝統的統計学の擁護,統計学における形式主義的・数学的偏向に対する批判,社会統計学の「数学化」に対する批判,形式主義的な統計的分析の誤謬が批判された。

 第2期は1950­-54年で,中央統計局の機関誌『統計通報』に掲載された諸論文による議論の応酬である。議論の対象は,統計学の対象と方法をめぐる諸問題であった。その内容は,中央統計局の機関誌「統計通報」創刊号(1950年)掲載の「中央統計局における統計学の理論的基礎に関する討論会の摘要」から知ることができる 。討論では,統計学を普遍的科学であるとする立場からの主張も少なくなかったが,多くの論者は統計学が社会科学であり,普遍的科学とはいえないとするВ.ソーボリ(В.Соболъ)の見解に集約される立場をとった。統計学の対象と方法をどのように定義づけるかが主要な論点であったが,関連して統計学と数学,数理統計学,経済学,他の社会諸科学との関係,大数法則の理解と位置づけ,確率論の評価,統計学の教科書の構成,など多岐にわたった。

 「統計学の諸問題に関する科学会議」は,以上の議論を受けて開催された。会議での議論をとおして,統計学の学問的性格は大きく3つの学説に収斂したとされる。普遍科学方法論説(В.С.ネムチーノフなど),社会科学方法論説(H.K.ドルジーニンなど),実質科学説(T.カズロフ, И.マールイ, B.A.ソーボリなど)である。後者が統計学を実質科学であると定義するのに対し,前二者は統計学を方法科学であるとする立場である。

 これらのうち普遍科学方法論説は,統計学が自然現象,社会現象を問わず対象の量的側面を研究する方法を開発し,豊富化する科学であるとする学説である。社会科学方法論説は,統計学が社会現象の量的側面を究明する方法をその研究対象とする科学であるとする説である。実質科学説は,統計学が社会現象の数量的規則,法則を解明することを任務とする科学であるとする立場である。統計学がどのような学問であるか,科学としての統計学をいかに定義するかについては,従来,数えきれないほどの諸説があるが,それらを大括りするとこの3つの説のどれかに属するという観念が定着したのは,ソ連統計学論争以降ではなかろうか。

 この会議の特徴はまた,科学としての統計学の定義に諸説あることをふまえつつ,あるべき統計学の発展の方向性を実質科学説の立場(コズロフ的見地)から次のように示したことである。それらはオストロヴィチャノフによる会議の下記の総括として知られる。

統計学は, 独立の社会科学である。統計学は, 社会的大量現象の量的側面を, その質的側面と不可分の関係において研究し, 時間と場所の具体的条件のもとで, 社会発展の法則性が量的にどのようにあらわれているかを研究する。統計学は, 社会的生産の量的側面を, 生産力と生産関係の統一において研究し, 社会の文化生活や政治生活の現象を研究する。さらに統計学は, 自然的要因や技術的要因の影響と社会生活の自然的条件におよぼす社会的生産の発展とが, 社会生活の量的な変化におよぼす影響を研究する。統計学の理論的基礎は, 史的唯物論とマルクス・レーニン主義経済学である。これらの科学の原理と法則をよりどころにして, 統計学は, 社会の具体的な大量現象の量的な変化を明るみにだし, その法則性を明らかにする。

 会議では,以上の結論とともに数理的,形式主義的偏向が厳しく批判され,普遍科学方法論説は否定された。論点は,普遍科学方法論説にたつ論客が統計学の対象として社会現象の数量的把握と解析を自然現象のそれらとを同一視する方法論(トゥールとしての統計的方法が社会現象にも自然現象にも等しく適用可能とする考え方)に依拠することに対する批判であり,統計学が社会現象を観察し,数量的に分析する独自の課題を担うことへの無理解に対する批判である。普遍科学方法論説はまた,大数法則が社会現象にも自然現象にも同じように作用するとの理解に立脚していたが,この説が大数法則を導出する数理的手法に過大な期待をかけたことにも批判の矛先が向けられた。

 しかし,その対極でかなりの統計家が大数法則の過小評価,サンプリング理論を無視する討論の空気に抗議したのも事実である」。オストロヴィチャノフ自身も次のように述べた,「統計学は場合によっては,確率論をふくめて数理統計学の方法を首尾よく利用する。数理統計学は,社会経済関係の研究領域においては,応用範囲が限定されている。すなわち,技術的計算法,抽出法,大数法則,確率論といったものだけである」と 。サンプリングの理論の評価を含め,数理統計学の位置づけが明確でないことへの不満を背景に,数理的手法の評価をめぐる諸見解がくすぶっていた。

 現在の時点から振り返ると,討論の主流となった論者の議論の仕方には,マルクス,レーニンの古典からの引用によって自説を権威づける傾向があり,批判の仕方が哲学的命題にもとづいて大上段からなされ,政治色が前面に出ている部分がある。数理派を批判する側にも,理論的裏付けの弱さは否定できなかった。このため,議論が統計学という科学の性格づけの深化,その認識論的位置づけの深化につながらない傾向があった。しかし他方でおさえておかなければならないのは,この論争が始まるまでのソ連の統計界は欧米の数理統計学一色であり,統計学の教科書も数理統計学の内容で占められ,統計学は現実の経済運営からかけ離れた存在であったことである。非現実的で抽象的手法から一歩もでない数理統計学が跋扈している状況をみて,「統計学死滅論」も唱えられたほどである。数理統計学への批判の論調は,そうした統計学の存立基盤にかかわる危機的状況の反映という側面がある 。

 概略,以上の統計学論争の内容とその結論は,日本の統計学界に少なからぬ影響を及ぼした。とくに,蜷川統計学をバックバーンとする日本の社会統計学は,一連の論争に参加した論者の見解を即座に訳出し,議論の中身を検討し,自らの理論と方法の発展の素材とした。以下に掲げる内海庫一郎「ソヴェト統計理論の現段階」(1952年) ,山田耕之介「『統計学の諸問題に関する科学会議』の検討-その1 議事録を中心に-」(1956年) ,広田純「『統計学の諸問題に関する科学会議』の検討-その2 決議を中心に-」 は,代表的な論文である。統計学論争に関しては他に,山田耕之介「標本調査とソヴェト統計論争-最近の統計学書紹介-」(1952年) ,内海庫一郎「統計学の対象と方法に関するソヴェト学界の論争について」(1953年) ,広田純「統計論争によせて」(1955年) ,山田耕之介「ソヴェト経済学における最近の数理形式主義について」(1960年) がある。また,是永純弘「統計的合法則性についての一考察-H.K.ドゥルジーニンの見解について-」(1662年) は論争に参加した重鎮ドルジーニンの見解を統計的合法則性の理解における難点に絞って検討したものである。さらに,濱砂敬郎「現代ソビエト数理統計方法論の一形態-H.K.ドゥルジーニンの統計的方法論について-」(1978年)は論争後,数理統計学に傾斜したドルジーニンの理論展開を伝えている。是永論文、濱砂論文は、論争後のドゥルジーニンの見解の変遷を追ったものである。

 日本の社会統計学者によるソ連統計学論争の受け止め方は,「統計学の諸問題に関する科学会議」の実質科学説的結論に対して懐疑的であり,大橋隆憲など多くの社会統計学者は社会科学方法論説を支持した。疑問視されたのは実質科学説が経済学の内容と統計学のそれとの関係が曖昧である他,社会現象を質的側面と量的側面とにわけ前者を研究の対象とするのが経済学,後者の分析を担うのが統計学とする形式的な主張に終始した点である。

 ソ連統計学論争の内容を紹介しながら,それが日本の社会統計学にどのように受け入れられたかを簡潔明瞭に解説した論稿に伊藤「統計学の学問的性格」がある 。伊藤はこの中で戦後の社会統計学の成果として,推計学の過大評価の批判, ソ連の統計学論争の紹介・検討, 政府統計の批判があったと述べ, とくにソ連統計学論争が与えた影響の大きさを指摘している。伊藤によれば論争を経て,統計学の学問的性格に関わる到達点が推計学批判を含めた普遍科学方法論説批判にあること, ソ連統計学論争の帰結であった「統計学=実質科学説」に批判的姿勢が示されたこと, 社会科学方法論説の立場から構築された自立的社会科学としての統計学が受け入れられたことをあげている。

 伊藤によれば普遍科学方法論説は, 数理統計学をもって統計学の全内容とする立場であるが, これは日本では, 確率標本にもとづいて母集団を推論する数理的方法を骨子とした推計学, それを経済学へ適用した計量経済学に顕著であった。しかし, 数理的手法は諸科学の多くの分野で, 当該科学の分析手法の補助にとどまる。質的多様性, 変化性を特徴とする社会現象の研究では, 数理的手法の有効性は, 狭い。社会科学に即した統計学を否定し過小評価する見解, 統計学を数理統計学で代替する見解が, 批判の対象になるのは自明である。日本の社会統計学は, この限りで, 数理統計学を一貫して批判し, ソ連の統計学論争における普遍科学方法論説批判を支持した。

 ソ連統計学論争の結論として収束した実質科学説の主張は, 統計学の対象が社会的大量現象の量的側面の検討, 社会発展の量的法則性の解明であるとする。この見解に対し, 日本の社会統計学は, 質と量との区別にもとづいて科学の対象を規定できない, 対象の量的側面だけを扱う独立の実質科学はない, また統計学と経済学との区別が曖昧であるとして, これを批判した。

 以上の普遍科学方法論説批判, 実質科学説批判は, その対極で社会科学方法論説の基盤を強め, 後者はその帰結として社会統計学の主流となった。もっとも, 伊藤は主流をなしたこの社会科学方法論説が1970年代半ばには反省を迫られるにいたったとの認識を示した。

 他に留意すべきは大橋隆憲がドルジーニンの見解(この時点での),すなわち社会科学方法論説を支持しながらも,その統計学が対象規定に難点があるとみたことである。大橋の要約によると,ドルジーニン説は次のようである 。(1)統計学は社会科学である。(2)統計学の基礎は史的唯物論と経済学にある。(ここまでは実質科学説と同じである)。両者の違いは,対象の質と量との関係の見方である。ドルジーニンは,理論的・経済学的一般化と具体的統計資料研究の有機的結合=統一を主張する。質と量とを区分することはできない。また,他の科学によって確定された法則の「描写」=記述だけを目的とする独立の科学の存在は認められない。統計学は独立の科学ではなく,方法科学であるというのがドルジーニンの主張である。

 大橋はこのドルジーニンの見解を紹介した後,それに対する批判,そしてドルジーニンの反批判を詳細に検討している。ドルジーニン見解を批判する者の論点は,(1)統計学=社会科学方法論説が普遍科学方法論説の変形にすぎない,(2) 統計学=社会科学方法論説は具体的な社会経済的内容を抹消している,(3) 統計学=社会科学方法論説は統計方法を唯物弁証法に置きかえている。これらに対し,ドルジーニンは逐一反批判をし,大橋はそれを丁寧に解説するとともに,反論している 。

 大橋はさらに,B.Д.チェルメンスキーによるドルジーニン見解批判に,社会科学方法論説に対する指摘に耳を傾ける。すなわち,チェルメンスキーによれば,ドルジーニン説には統計資料の位置付けを過小評価がある。統計結果である統計資料が統計学の中核に据えられるべきである。統計学は,統計資料によって社会現象を研究する学問である。チェルメンスキーは,次のように統計学の特質を列挙している。事実分析への関与,現象の標識の決定と研究,経済的諸現象の型への表現付与などである。大橋はチェルメンスキーのこれらの指摘を評価し,統計学=社会科学方法論説が受け入れなければならない問題提起と指摘している。しかし,だからと言って,方法の成立基盤=適用対象(社会集団)を重視することは,統計学を実質社会科学に昇格させねばならないことを意味しない,と急いで付けくわえているのであるが。

 この統計学論争とは別であるが、わたしは『ロシア統計論史序説―社会統計学・数理統計学・人口調査[女性就業分析]―』(2015年) で,1974-77年に中央統計局の機関誌『統計通報』誌上で行われた統計学に関する討論,またペレストロイカの最中に同誌上で繰り広がられた応用統計学をめぐる統計研究者間の見解の応酬を紹介,検討した。

 1970年代の論争は規模こそ小さかったものの,統計学の学問的性格,体系構成などをめぐる議論がなされた。当然,1950年代の論争とその結論に対するさまざまな言及があった。70年代のこの論争を紹介した日本の文献は他にない。

 この著作ではメレステの議論に端を発した,統計学の対象,体系構成など,この科学の学問的性格についての論議をとりあげ,また数理統計学を統計学体系にどのように位置づけるかに関わる論議を紹介した。

 「討論」の内容は,統計学の体系構成,その対象であり,社会認識の方法としてのその役割であった。「討論」参加者の多くは,統計学の対象が社会的認識の集団であることを承認している。しかし,ここで承認される統計学は,厳密には統計学体系である。政策当事者,研究者は,この統計学体系(あるいは統計の指標体系)を活用して,社会現象と過程を,ひいてはそれ自体,歴史的存在である社会集団を認識するのである。統計学体系に一般統計理論を,あるいは数理統計学をどのように位置づけるのか,両者を社会統計学といかに関連付けるのか,見解はここで分かれる。

 一般統計理論を社会統計学と同じ次元でとらえる論者もいれば,それを体系の核と考え,社会統計学と数理統計学をその核から分岐する分野ととらえる論者もいる。数理統計学は数学の一分野であるとして,そもそも統計学体系に存在場所を認めない論者もいる。こうした見解を主張する論者には,当然ながら,一般統計理論の内容と構成が問われることになる。

 重要なのは,こうした討論が国民経済運営のための統計業務の飛躍的機械化のなかで行われたことである。「討論」そのものが経済生活と統計実践から生じたことまでも否定することはできず,このことは十分に了解されなければならない。
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5 統計調査論

2016-12-09 22:19:32 | 社会統計学の伝統とその継承
5 統計調査論

 社会統計学による調査論の展開は,調査論は統計利用者が統計を読み,分析するさいに点検しなければならない統計の真実性(正確性,信頼性)の検証に必要なかぎりで論じられ,その手続きは蜷川統計学によって提示された 。また,ドイツ社会統計学の系譜にあるG. v. マイヤー,F.チチェック(=F.ジージェク)のそれの紹介と検討という形で,高岡周夫 ,有田正三 ,大屋祐雪 によって行われた。

 統計調査論に関する議論は,次の主要な6点に集約できる。 (1)標本調査論(ランダム・サンプリング)批判,(2)社会統計学における調査論の展開,(3)典型調査論,(4)大屋統計論による調査論の発展的展開,(5)種々の社会調査と統計調査との関連,以上である 。
 
(1)標本調査論(ランダム・サンプリング)批判
 最初に標本調査論(無作為抽出調査)をめぐる議論をとりあげる。標本調査そのものは17世紀以来, 個別的分野で多用されていた。最初の実際の標本調査は、ボーレーが1912年に行ったレディング市労働者調査と言われている 。アメリカで本格的な「近代的な標本調査=任意抽出法」が用いられるようになるのは, 1930年代である。1930年に前後しアメリカで, 選挙前の世論調査に任意抽出調査が活用され、雇用・失業調査, 都市居住者家計調査, 消費者購買力調査, 多くの社会調査にこの方法が適用された 。

 社会統計学の大きな成果は,標本調査法をめぐる戦後の論争を経て構築された標本調査論批判として紹介できる。この論争は推計学に関する部分と,調査技術に関する部分とに大別できる。両者は密接に関係するが,ここでは主として後者に重点をおいて解説する。前者については別稿を用意する。

 戦後の標本調査法をめぐる論争は規模が大きく,論点は多岐にわたった 。推計学内部でも推計派と技術派との見解の相違があり,議論は錯綜の様相を示した 。論争の基調は推計学の理論に関わるものと,調査技術に関わるものとに大別できる 。
この論争は増山元三郎,北川敏男が主導した推測統計学(推計派)に対する大橋隆憲の批判を契機とする。この論点に直接関係する大橋「近代統計学の社会的性格」(1949年) の意義は,推測統計学の対象が何かを,原理的に考察したこと,社会統計学が対象とする集団が「存在たる集団」で有限であり,推測統計学のいわゆる「純解析的集団」が無限母集団であると指摘したことである。

 次いで森下二次也は「統計調査論序説」(1951年) で,社会現象には推計学的母集団の想定も,母集団と標本との関係における確率論的図式の想定も是認しえないとして,推計学的方法の一部分としての標本理論を批判した。森下がその論拠として第1にあげたのは,母集団は特定の標識に関してのみ想定できるが(標識が特定されなければ当該の集団がストカスティックになり得ない),社会現象は種々の諸現象と不可分に構成された存在なので一つの標識を随意に切り離すことはできないという点であった。第2の論拠は,母集団を想定し,現実の資料をそこから取り出された標本とみなすことはもとの母集団を確率変数と考えることであり,推測統計学は実際に起こっている事柄を無数に可能なもののひとつとみなすが,統計調査の対象である社会的集団は歴史的に限定された具体的集団であり,そのような限定のない社会的集団(推測統計学の言うような)はそもそも存在しないという点であった。これに続いて、広田純「統計論争によせて」(1955年) ,内海庫一郎「ランダム・サンプリングに関する疑問」(1959年)も、標本調査論の若干の問題点を列挙し、批判的考察を行った 。

 社会統計学からの以上の批判を受け,坂元平八,津村善郎が「標本調査=技術論」を展開した(技術派)。坂元はストカスティック成立の場を,無作為抽出法における有限母集団と標本との間に成立する場合と,標本と無限母集団をつないで成立する場合とに分けられるとし,分析の出発点が有限母集団にあると主張した。津村は現実に実施されている標本調査にのっとって,標本調査における確率の場が抽出操作にあること,標本調査の目的は有意差検定にあるのではないこと,標本調査の母集団は調査対象として定義されたもの全部の集まりのことであると指摘した。津村は標本調査法を一つの調査技術であると性格づけた。

 「技術派」への反論は,上杉正一郎「統計調査の社会性」(1957年) によって代表される。上杉はこの論文で標本調査の論理と統計調査の社会性の対立・矛盾という面から母集団概念,回答誤差,統計の平板さの3点にわたって批判を加えている。批判のポイントは,津村が統計調査を集団測定(実測調査)と定義し,自然現象の実測で有効とされる標本調査を社会現象の認識のためにも活用できるとした点についてである。津村の認識は,統計調査・集団測定は社会の調査・測定にも,自然のそれにも共通に利用可能とする。上杉はこの見解に対し,実測調査(実測主義がとられている調査)は,自然を測定する自然科学的方法であるとした。実測と調査は,異なる。違いはデータを獲得する手段の相違(実測器具と調査票),また実測による誤差(測定誤差)と調査における誤差(回答誤差)の性質の差にあらわれる。津村調査論には,以上の認識が不足している。調査対象の社会性が問題とされれば,標本調査の適用に制約条件が加わるのは当然である。標本調査はこの制約に対応する形で,その数学的条件を後景におしやり,現実主義的観点から対象の社会性に適合しようとした。いわゆるサンプル・センサスは,標本調査の数学的条件と対象の社会性との妥協の一形態として,社会認識上一定の役割を果たしたが,難点を完全に払拭したわけではないと,上杉は結論づけている

 これらの議論を一歩進めた注目すべき論文は,吉田忠「標本調査による構造的変化の把握」(1962年) である。この論文は標本調査論の意義と限界を現実的な視点で,批判的に考察している。その視点とは社会統計学の側から標本論批判の上記の到達点を確認しつつ,しかし現実の各種の社会調査に適用された標本調査の結果からその有効性を一概に否定できない事実をおさえた議論展開になっていることである。
𠮷田による標本調査の評価は,以下のとおりである 。
 (イ)実在の社会集団に関して,全数調査をもとにした母集団リストがあるとき,ランダムに抽出されたサンプルの標本平均値で構成される純解析的集団の確率的安定性を利用して,その社会集団の特性値の平均を推定することは可能である。
 (ロ)しかし,それは確率的操作にもとづいてくみ立てた純解析的集団を媒介するという迂回的把握であるから,直接的把握である全数調査に比して種々の制約があり,その制約が社会集団の認識には致命的な場合もある。

 𠮷田が当該論文の第一の課題としたのは,(ロ)でいう制約を明確にすることである。従来その論点はほぼ出尽くしていたが,(イ)の否定と連動させた議論が多く,混乱した状況があるので,整理が必要という。第二の課題は,この整理を踏まえ,農林省農家経済調査を例に標本調査の問題点を検討することである。論文のなかで吉田は標本調査のメリットについて,その技術的なメリット(迅速性,経済性,誤差の縮小)とともに,本質的メリットとして(1)標本誤差を確率的にではあるが,定量的に定めうること,(2)標本誤差をある範囲内に確率的におさめるのに必要な標本数を前もって定めることができることにみている 。詳しくは,この論文を直接参照されたい。

(2)社会統計学における調査論の展開
 統計調査論のもうひとつの成果として見逃せないのは,木村太郎の一連の論文,すなわち「一部調査論考」(1981年) ,「統計調査法の諸概念について」(1985年) 。「社会調査と統計調査」(1992年) ,「統計調査論」(1992年) をあげることができる。その意図は完全に成功したかどうかは別として,蜷川虎三以来の社会統計学の伝統的統計調査論を具体的に展開しようとしたことにある 。

 木村(太)は論文「統計調査論」で統計の生産方法である統計調査の対象を社会集団(数量的観察を行うことに意味がある社会集団)であると規定し,次いでその構成要素である単位が観察に値する社会的属性を保持していなければならないとする。さらに木村は統計調査の対象である社会集団は相互に独立した単位からなる,いわゆる数えるべき集団(計数集団)であると,述べている。

 統計調査は,自明のことであるが,統計の生産方法である。それは対象である社会集団の全数を補足,観察する悉皆大量観察=全数調査が基本形態である。同時に,統計調査は量的社会経済調査をも課題としている。その課題は,これらの社会経済の活動主体が相互にどのように結合し,分解し,全体としての社会集団を構成しているかを数量的に観察することである。統計調査が量的社会経済調査でもあるということの意味は,その対象が社会経済の担い手である人間や家計あるいは事業体という社会経済活動の集団であることにある。

 社会統計学の研究者は従来,統計調査のこの二つの課題のうち,社会統計調査的側面を強調しながら,統計生産的側面に言及することが少なかった。統計調査を統計の生産という側面から見ると,社会集団の大きさや性質に関する統計だけでなく,例えば工場の集団の場合,その生産高,在庫高,生産諸設備,雇用労働者数,原料使用高などの統計がある(標識和の統計)。統計調査の重要な統計生産的課題は,こうした多様な諸統計を,統一した総体として生産することにある。

 木村(太)はさらに,統計の対象である存在は時点的観察と時間的観察の2つの観察形式をとることを確認している。時点的な観察の結果が静態量で,時間的なそれが動態量である(この場合,対象が集団か量かは問わない)。静態統計調査にせよ,動態統計調査にせよその対象が観察単位集団であることに変わりはないが,違いは前者が静態的観察単位集団を,後者が動態的観察集団を扱う点にある。統計調査の結果が,静態量であるか動態量であるかとは別の問題である。静態的統計調査の対象である集団は,単位自体が客観的存在であり,これによって構成される社会集団も空間的大きさをもった存在である。これに対し,動態統計調査の対象である社会集団は社会経済過程の現象形態を,現象の発現の契機として観察単位とする一定の期間内でとらえた集団である(後者は客観的存在ではない)。

(3)典型調査論
 社会統計学による統計調査論の論点のなかに,典型調査論がある。佐藤博「典型調査の意義について」(1967年) ,木村太郎「一部調査論考」「典型調査論考」 が,典型調査を論じた論文である。
佐藤論文は,戦後,標本調査論(任意標本抽出調査法)がはなやかだった頃,むしろ典型調査にこそ社会学的統計調査の意義があることを主張したものである。この論文のなかで,佐藤は当時,標本調査の推奨者だった津村善郎が典型調査を質的調査であるとして,統計調査から除外する考え方をもっていたことを紹介し,この見解に批判をくわえている。論文の課題として設定されているのは,社会科学における典型認識の意義を明らかにし,これを受けて調査論における典型調査の役割を規定し,さらに典型調査と統計調査の関連を明らかにすることである。全体をとおして,統計学における典型調査の意義を明らかにする内容である。
 佐藤によれば,典型調査は大量観察代用法のひとつである。大量観察代用法は,大量観察の実施が困難か不可能な場合,また必要でない場合に実施される一部調査で,そのなかのひとつの形態が典型調査というわけであう。典型調査がそのように規定されるのは,調査が社会科学の理論によって典型的とみなされた集団を調査するからである。典型を選択し,その一般性を保証するのは,大数法則や確率論ではなく,社会科学の理論である。したがって,典型調査の信頼性を保証するものは,理論規定の正当性である。
 木村(太)は,一部調査には(1)直接的一部調査,(2)間接的一部調査,(3)地域的一部調査(間接的一部調査であるが複雑な集団性そのものが観察課題となる場合),(4)典型調査,があるという 。このうち,典型調査でいうところの「典型」という概念は諸種の型(類型)の存在を前提とし,この型として模範的なもの,代表的なものを指す。したがって,典型という概念は,社会現象にも自然現象にも存在する。典型が特定の類型について模範的か代表的であるかどうかはその単位の類型としてもつべき特定の諸性質あるいは代表的に備えているかどうかにかかっている。統計生産において典型的な単位を抽出するのは抽出される単位が類型を代表する単位すなわち典型であるからであるが,この単位について観察・測定すべき具体的な対象は基本的にこの単位を典型的なものたらしめている諸属性ではなく,それ以外の特定の諸性質である。木村によれば,重要なのはこの点の了解である 。

(4)大屋統計論による調査論の発展的展開
 社会統計学の系譜で,調査論の新たな展開は大屋佑雪の反映=模写論によって示唆された。大屋理論の内容の紹介は別途行う予定であるが,調査論に限って一言述べると,この理論は統計の作成と利用のプロセスを客観的に遂行される対象とし,その視点から統計調査論の構築が試みられた。その要点は、大屋祐雪「統計調査論における蜷川虎三」(1967年) に示されている。大屋が提起した視点は,従来の蜷川理論の統計利用者の立場からの,あるいはその系譜上にあった社会科学方法論説に立脚した調査論の方法と異なる。
大屋のこの議論は方法論の提示に留まらず,自身による戦後日本の統計制度の確立過程をあとづける実証研究と並行して行われたところに特徴がある。なお濱砂敬郎の一連の研究、すなわち調査員問題(濱砂敬郎「統計調査の現状」,1980年) ,統計環境の悪化に関する研究(濱砂敬郎「統計環境の地域分析」,1979,1981年) ,プライバシー問題(濱砂敬郎「統計調査におけるプライバシー問題の新局面」,1984年) は,大屋理論による方法論的な後押しがあって取り組まれ,有益な成果を生んだ。
 蜷川統計学に始まる「統計学=社会科学方法論説」に比較的早い時期から異を唱えたのは,大屋祐雪である 。大屋理論に関しては節を改めてとりあげるが,この理論は,要約すれば,統計実践(統計調査と統計利用)を社会現象ととらえ, これを「客観の視座」から研究対象とするのが社会科学としての統計学の使命とする見地である。社会現象としての統計調査, 統計利用は, 一般的には調査主体, 利用主体の主観のもとに統計方法を使って実践されるが, 社会科学としての統計学はこの調査, 利用のプロセスを客観的に遂行されるプロセスと捉え, 統計学の研究対象はここにもとめられる(反映=模写論),とする。大屋による蜷川統計学の評価は下記のようである 。
 蜷川は基本概念としての「大量」を統計調査論の基礎にすえ,その大量の観察に「理論的過程」と「技術的過程」とがあるとした。また,この大量観察が一定の社会関係(調査者と被調査者)のもとで成立することを強調すると同時に,大量観察の両過程が統計の「信頼性」と「正確性」に関わるものとされる。
大量観察の「理論的過程」は大量の4要素(時,場所,単位,標識)が大量観察の4要素として規定されるところまで,この過程で統計の信頼性の検討が行われる。大量観察の理論的過程に続く技術的過程の考察は,調査票自体の問題と調査票の運用の問題として取り上げられる。特徴的なのは,蜷川にあっては以上の問題意識から調査票の考察が実体論と形式論に分けて考察されていることである。実体論とは,調査票の構成に関わる問題であり,形式論は調査者関係事項と被調査者関係事項とを峻別した問題である。
 大屋の蜷川統計学の評価は、次のようである。蜷川統計調査論では、目標定立の過程が歴史的側面からのみ特徴づけられ,もう一つの側面,すなわち統計調査における抽象的一般的方法行程としての特徴づけがなされていない。すなわち,蜷川理論では統計が必然的におびる事物認識の経験批判論的性格が統計の一般的な論理として定式化されていない。また,蜷川理論では大量観察の理論的過程では,部分集団の構成に関係する「群」および「統計の表示形態」に関する「決定」がその過程の基本要素として論じられていない。実際の作業行程を考えれば明らかなように,「群の確定」は「分類」と「集計」のための論理的決定であり,その組織的・技術的決定とともに「整理計画」の骨子なので,統計調査論における「理論的過程」の問題として定式化されてしかるべき性質をもつ要素であるが,それがない。「統計の表示形態」にも同様のことが言える。そうなってしまったのは,蜷川理論が統計から大量を追及するという統計利用者の立場にたっているので,「群」は部分集団として,「統計の表示形態」は統計値として統計表そのもののなかに具現し,それらは吟味・批判の素材となっても,4要素に加えられる性質のものとならないからである。
 蜷川理論は調査手続きとしての反映=模写の過程が,反映=模写の世界観(認識論)にもとづいて理論構成されている。大屋は蜷川の大量観察法が統計的反映=模写論であると特徴づける(p.178)が,それは蜷川が世界観としての反映=模写論を統計方法そのもののなかにもちこんで統計調査法を構想したからである。大屋はこのような一面的な反映=模写論の統計学への適用に疑問を呈している。要するに蜷川にあっては,統計の吟味・批判の見地に対応する側面,すなわち統計調査の歴史的社会的側面の少なからぬ部分の考察が成功的に理論化されているが,一般的方法行程論の側面の考察は軽視されている。両者が統一され,相互に補完されてこそ,正しい統計調査論になる。
先の論点である標本調査論の理解で,大屋は技術派の見解をとる(大屋祐雪「標本調査法の技術性について」1957年 ;同「大屋祐雪「標本調査の論理」1964年 ) 。大屋によれば,標本調査法は応用数学であり,その数理の組み立ては「出現の確からしさ」という確率の判断形式がそこに含まれていることを容認するならば,問題となる論点は全くない。問題は標本調査法の適用をめぐる理解の仕方である。この点での検討課題が3点示されている。第1は,標本調査法の論理は社会調査に適用できるかである。第2は,それが適用された場合,統計活動の過程でいかなる役割を果たすか,である。第3は,その役割が自然科学的に合理的なものか,それとも社会的適合性か,である。第1の設問に関する筆者の回答は,標本調査の論理は抽出集計の論理と原理的に同じだが,標本設計の実際には固有の制約があるということ。第2の設問に関しては,技術派は標本調査法をもって社会調査の技術と規定している。第3の設問に関しては2つの解釈があり,一つは標本調査法の役割を物質的生産における労働手段の役割に擬して理解する数理統計学者の間に一般的に見られる見解であり,他の一つは津村善郎に代表される指導的地位にある統計の専門家の考え方である。

(5)種々の社会調査と統計調査との関連
 社会経済現象の量的側面を計測する調査には,統計調査(全数調査),標本調査,事例調査,実態調査,などがある。これらの関係をどのように理解するかという問題を,直接に取り扱った論文に,吉田忠「統計調査論ノート」(1977年) ,木村太郎「社会調査と統計調査」(1992年) がある。
 吉田はこの論文の最後の節「事実資料の利用過程における統計資料と実態調査」で,非統計的資料としての実態調査(事例的ないし典型的実態調査)の問題を,統計資料を含む事実資料の社会的組織的な利用形態との関連で検討している。𠮷田の主張は,社会科学研究で統計資料が一定の意義をもつとはいえ,それだけでは十分でなく,この限界を克服するには種々の事実資料と結合させて統計資料を整理加工しなければならないこと,そのことによって統計の正確性,信頼性をたかめうること,ときには事例的典型調査の結果を尊重しなければならないことが必要である,と述べている。𠮷田には実際に農業分野でのこれらの諸資料の使い方を論じた「農業統計資料と農業・農村の実態調査」(1987年) があり,非常に参考になる。
他方,木村(太)は上掲論文の末尾で,このテーマの結論を次のように要約し,社会科学的社会調査論体系のあるべき基本的方向を示唆している。すなわち,社会科学的社会調査は,社会全体の全数(悉皆)調査によって行われるべきである。社会のこの全体的調査は,数量的観察によって果たされる。ここから脱落する質的側面に関する観察は部分的な観察や調査(実態調査)によって補完されなければならない。この部分調査は一部調査(事例調査)と混同されてはならない。この種の調査は社会の構成要素の個別的な観察にすぎず,本来的意味における社会の部分的調査の代わりにはならない。統計に対する補完的認識資料として必要なのは,本来的部分調査=実態調査である。この部分的実態調査の多くは,個人的研究家や研究者集団の調査能力に依存せざるをえないが,政府行政諸機関が積極的に実施してもよい。戦前には現にこの種の部分的実態調査が,行政機関によってしばしば行われ,価値ある実績を残したが,戦後その関心は専ら標本調査だけに限られてしまった。アメリカ的社会調査論の悪影響のひとつである,と。

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4 推計学批判

2016-12-08 21:35:19 | 社会統計学の伝統とその継承
 
社会統計学は数理統計的手法を社会経済現象の認識に適用することに,慎重である。それは社会経済現象そのものの多様性,複雑さを考慮にいれれば当然のことである。少なくとも,この手法の無批判的な活用は行わない。本章では,数理統計的手法に対する過大評価をいさめた社会統計学の領域での批判的研究について,その成果を紹介し,その意義を確認する。とはいえ,数理統計的手法の全般を検討の対象とするのではなく,ここでは推測統計学に関わる部分に限定する。その主な中身は統計的仮説検定論と標本調査論(「母集団―標本」理論)である。ただし,標本調査論に直接かかわる議論は「調査論」の章にゆずる。

7-1 フィッシャーとネイマン・ピアソンの統計理論
(1)フィッシャーの統計理論
 数理統計学の分野では,一方で記述統計学の淵源をイギリスの政治算術にもとめ,その完成をピアソンの統計学でとらえ,他方で推計学の淵源をR.フィッシャーにもとめ,ネイマン,ピアソンにその後の展開を見るのが通説である。R.A.フィッシャーの推計理論に関する著作として,芝村良『R.A.フィッシャーの統計理論』 がある。この著作は,フィッシャーの統計理論を主として農事試験での圃場実践(実験計画法)と関連づけて考察し,その歴史的・学問的意義を跡づけたものである。全体的構成は,「序論」でフィッシャーの内外での評価,現代の数理統計学との関連でのフィッシャー理論の位置づけがなされ,以下「第1章:フィッシャーの実験計画法」「第2章:フィッシャーの有意性検定論の成立過程」「第3章:フィッシャーの統計理論とK.ピアソンの統計理論」「第4章:フィッシャーの有意性検定論とネイマン-ピアソンの統計的仮説検定論」となっている。

 芝村の著作は比較的入手しやすいものであり,ここでは社会統計学分野での黎明期の業績に重きをおいてその伝統を確認することを課題としているので,以下では是永純弘,杉森滉一の業績に依拠して論点の考察を進めたい。取り上げる論文は,是永純弘「R.A.フィッシャーの『帰納推理論』について」 ,是永純弘「R.A.フィッシャーの『帰納推理論』と統計的仮説検定論ついて」 ,杉森滉一「R.A.フィッシャーの統計的推論」 である。

 フィッシャーの学説は記述統計学から推測統計学への転換点に立つ統計学者として知られる。その理由としてあげられるのは,フィッシャーが(1)標本分布論を精密化したこと,(2)標本と母集団とを概念的に区別し,後者から前者を求める方法として統計的方法を体系化したこと,(3)記述を目的とする観察の論理から,仮説の検証を目的とする実験の論理に向かったこと,(4)現象の記述から,その分析と本質の把握に進んだこと,である。   
フィッシャーの業績を詳細に研究した杉森によれば,フィッシャーの業績は従来の標本分布論に正確化と一般化を行ったこと,そして統計量の分布を正確にもとめるというその後の研究の方向を示したことである。上記の表かは疑問の余地のないようにみえるが,(2)の指摘は,フィッシャー以前に,母集団・標本を問う概念がなかったか,あっても混同されていたかのような印象を与えると言う。むしろ,その認識は誤りで,エッジワースやピアソンの推論は,母集団・標本図式の上に成立していた。もっともフィッシャー以前には大標本が前提とされていたので,その意味では標本と母数を区別する必要性が弱かった。大標本という前提のゆえに,標本・母集団という図式は潜在化していた。フィッシャーは標本分布論の正確化と一般化により,小標本の場合の推理を可能にし,大標本の場合の推理も正確化をはかった。フィッシャー理論の意義は,統計的推論の緻密化にある。

 フィッシャーの統計的推論の意義は,従来の漠然としていた統計的推論の原理を明らかにし,それを推定量選択の諸基準や最尤法として示したことである。フィッシャーは最尤法の考え方を強調したが,獲得された最尤推定量がその分布からみて適切であることを証明し,この方法を正当化した。この意味でフィッシャーの推定論の意義は,正確な分布論にもとづいて推定法を比較する一般理論の構築である。このことは区間推定論また検定論にも言える。さらにフィッシャーは尤度的な考え方や確率概念を再解釈することによって,それまでのいくつかの推理法の論理構成を明確にし,それらを帰納推理として統一的に展開した。その直接的手続きとしては,統計的推論の論議を統計量の正確な分布の議論に帰着させ,方法論としては統計的推論を帰納法的に理解する立場から統一した。

 帰納法的理解そのものは,イギリスの統計学や論理学の世界に伝統的である。フィッシャーはそれを継承しただけでなく,特殊な方向に先鋭化させた。フィッシャーが主張したことは統計的推論を,帰納推理の一部分(一形態)ととらえ,帰納推理それ自体の具体的精密化であるとしたことである。

 フィッシャーを境に統計学が記述的なものから推測的なものへと変わったという評価に,杉森は一言している。記述統計学は標本・母集団を前提せず,データを単なる変数の度数関数と見做しその特性量を表す尺度を工夫する。推測統計学はこの図式を前提とし,データを標本とみなし,その分布の特性量から母集団の特性値をもとめる。このような理解にたてば,フィッシャー理論が記述統計学から推測統計学への移行の契機となったとは言えない。フィッシャーは彼以前の記述統計学にあった推測という契機(モーメント法,確率誤差による誤差の評価,仮説性検定など)を継承し,その発展をはかったにすぎない 。
杉森によると統計学はフィッシャー以前も以後も,手続き的には推測,認識論的には記述を行っている点で変りはないと言う。彼を境に記述統計学が推測統計学に転化したとする通説は誤解である,と断定している 。彼の学説の歴史的意義は,推測という記述の手段を精密化し,体系化したことである。

(2)ネイマン=ピアソンの仮説検定論
 以下のネイマン=ピアソンの統計的仮説検定論の内容は,木村和範「ネイマン=ピアソンの統計理論」による 。木村によれば,ネイマン=ピアソンの仮説検定論の特徴として, 母集団特性値を限定する二種類の仮説(「検定仮説」と「対立仮説」)が設定されること, 標本の大きさが決められること, 第一種過誤の確率が事前に定められること, 行動の規則があらかじめ作成され, それに従って検定仮説の採択・棄却が行われること(一回ごとの判定を確率付きで評価しない)にある。これらのことを確認しながら, 仮説検定で対立仮説が「単純仮説」の場合(母集団特性値を数直線上の一点で特定する場合)と, 「複合仮説」(母集団特性値を数直線上の任意の領域で特定する場合)の場合とに分けて例解が進められている。例解の最後に, 種々の標本の大きさに対応する検出力関数が図示されている。

 木村はネイマン=ピアソンの仮説検定論とフィッシャーの仮説検定論との相違を検討している(両者の相違は当初は目立たなかったが, 1941年以降, 対立が鮮明になる)。相違が6点に要約されている 。①ネイマン=ピアソンは検定仮説と対立仮説を設定するが, フィッシャーは検定仮説のみを設定する。②ネイマン=ピアソンにあっては標本の大きさは事前に定められるが, フィッシャーにとってそれは重要でない。③ネイマン=ピアソンは仮説の採択・棄却の判定を機械的に反復せよとなっているが, フィッシャーでは一回限りの判定でよしとされる。④ネイマン=ピアソンでは判定の基準としての第一種の過誤があらかじめ決めることになっているが, フィッシャーでは有意水準を決めておく必要はないことになっている。⑤最終判定はネイマン=ピアソンでは検定仮説の採択か棄却であるが, フィッシャーでは検定仮説の棄却か判断の留保である。⑥ネイマン=ピアソンでは過誤の確率を頻度の意味で使うが, フィッシャーの有意水準は「確信確率」である。ネイマン=ピアソンの仮説検定論とフィッシャーのそれとでは, 仮説検定論という名称は同じでも, 内容が全く異なる。
そうなった理由を木村は, ネイマン=ピアソンの仮説検定論が品質管理を前提していたのに対し, フィッシャーは圃場試験が基礎にあったことに, みている 。関連して, 木村はネイマン=ピアソンの仮説検定論が統計的品質管理の領域と密接に結びついていることを, 検定の目的, 過誤の概念, 過誤の確率, 検出力の4点にわたって確認し, その理論が統計的品質管理の領域を前提に定式化されたと結論付けている。

 最後に木村は, ネイマン=ピアソンの仮説検定の合理的核心について述べている。「そもそも確信確率(フィッシャーのいわゆる-引用者)では, 当るという判断が正しいということは当りクジが抽出されるという事象の生起と同意味であるとは考えられていない。この結果, 判断の確率が事象の確率を基礎とするが, 判断の確率は事象の確率とは相対的に独自の地位を得ている。・・・この困難性を立論のなかで回避し, 判断の確率と事象の確率を統一的に理解した点において, ネイマン=ピアソンの仮説検定論の合理的核心がある」 。「ネイマン=ピアソンの仮説検定論が教えるところによれば,仮説検定論は統計的仮説を機械的に採択か棄却にふるいわける方法にすぎない。そこに仮説検定論の意義を見たことは,ネイマン=ピアソンの功績である。仮説検定論の役割がそのようであれば,おのずと,その実践的指導性に限界がある」 。

(3)フィッシャー VS. ネイマン・ピアソン
 フィッシャーとピアソンとの対立を扱った論稿に,是永純弘「R.A.フィッシャーの『帰納推理論』と統計的仮説検定論ついて」がある 。以下は是永によるこの論点の検討である。是永はこの論文で,仮説検定論の理解をめぐって戦わされたフィッシャーとネイマン=ピアソンとの議論の相違を検討している 。

 フィッシャーは,「帰納推理(=最尤法)」を「採択手続き」と呼んでいる。「採択手続き」とは,品質管理の過程で一定の仕切り(lot)の母集団が合格品として採択される場合のような「非可逆的」手続きを指す。

 フィッシャーはこの手続を科学的研究一般における作業仮説の採択の場合にも類推適用可能なものとし,「統計的仮説検定」と明確に区別する。すなわち,「統計的仮説検定」には,(i)「同一母集団からの反復抽出」の場合の有意性検定,(ii)「『第二種』過誤」を含む有意性検定,(iii)ネイマンのいわゆる「帰納行動」という3つの手続きが含まれるが,「採択手続き」はこれらと論理的に区別される,という。

 その含意は次のようである。フッシャーによれば,ネイマン・ピアソンの「統計的仮説検定論では,通常の有意性検定が有効な場合と,それが役にたたない「採択手続き」の場合とが区別されていない。すなわち「帰納推理」としての「採択手続き」はネイマン・ピアソンの統計的仮説検定と区別され,有意性検定で問題とされるのは「統計家の想像の産物」であり,そこでは第二種過誤の度数が決定されえないのに対し(有意性検定が有効な場合),「採択手続き」は客観的に実在する母集団と関連づけられ,ここでは第二種過誤の度数が決定されうるものとする(「採択手続き」の場合)。ネイマンの「帰納行動」はこの区別を理解せず,有意性検定にのみたより,「演繹推理」によって純粋に数理的な統計的仮説検定の一般化につとめる。この限りでは,フィッシャーの見解のほうが,自然科学的研究の実際の問題を正しく考慮していると言える。

 それではフィッシャー自身の「採択手続き」という「帰納推理」の論理的性格はどうであろうか。是永によれば,フィッシャーが「帰納推理」の特徴としたもののうち,主要なものは次の3つである 。

 (i)「帰納推理」のなかにはその精度が「基準確率」で表現されるものがある。(「基準確率」は最尤法における「尤度」である。それは観測値からその仮説的諸要因を,標本から母集団を,特殊から一般を推論するための数学的用具で,「不確実性の性質と程度を秤量する」ための尺度,確率言明の確率精度を示す合理的「信頼度」である。)
 (ii)「帰納推理」はデータを解説するために一定の仮説(作業仮説)を必要とする。(このような「帰納推理」を可能ならしめるには研究における作業仮説が仮説を「枠づける」諸条件[(イ)自然の諸事実と一致し,(ロ)資料が含む観測可能な全事実の度数分布を規定し,(ハ)自然常数を母数として含み,(ニ)現実の資料と矛盾しない]に従わなければならない。)
(iii)「帰納推理」は,演繹推理よりもはるかに厳密である。(演繹推理では資料のなかのある項が無視され,公理群中の一部分から推理が行われるのに反し,帰納推理は資料の全体を考慮するからである。)

 是永は「採択手続き」と統計的仮説検定の論理的差異に関する,フィッシャーの次の結論を引用している。「連続変量の基準確率についての言明があてはまるのは情報が全部利用されている場合に限る。けだしこの言明は充足推定値を利用するのに対して,有意性検定では,常に,検定力がいかに低くても,一定の有意性水準における資料との不一致を生ずるような母数の値を含まないように,限界をきめることができるからである」と 。

 以上のフィッシャーの主張に対し,ピアソンの反論は次のようなものである。すなわち,ピアソンの見解は,フィッシャーが主張した「採択手続き」よりもはるかに一般的な検定方式を数学的に展開したということに,すなわち「統計家がそのデータを統計的に検定する場合に必要なことをできるだけ数学的に表現する方法」として「検定力関数」を展開した点にある。フィッシャーの「採択手続き」すなわち「帰納推理」は,客観的に実在する母集団(観測値の一団)以外のいかなるものをも先験的に想定しない。これに対して,ネイマン・ピアソンの統計的仮説検定(有意性検定)は「統計家の想像の産物」の想定を容認し,フィッシャー(イェーツ)の推定方式を含む一般的な仮説検定論を数学的に展開することが可能であると反論する。「帰納推理」と統計的仮説検定の論理的差異のポイントは,ここにある。

 是永はこの点に関して,次のような判断を下している。フィッシャーは「採択手続き」における母集団の客観的実在性を要求するが,この限りではフィッシャーの見解の方がピアソンのそれよりも正しい。ピアソンは仮説検定の数理的に一般化された方式の展開に対して何の疑いももたないが,こうした展開がいかに数理的に一貫しているにしても,その結果を自然科学における実験結果としての測定値の集団に,無条件に応用し得るものとは考えられない。この意味でピアソンには,誤解がある。

 それではフィッシャーの「採択手続き」の論理的性格は,彼が言明するように,帰納法一般とみなすことができるかというと,それは誤りである。すなわち,フィッシャーによる「採択手続き」は,「帰納推理」の一つにすぎず,その「帰納推理」は小標本理論における推定論上の数理手続である最尤法であり,これを「標本→母集団」推理=「個別→普遍」推理=帰納法とみなすことはできない 。

 フィッシャーの「採択手続き」の3つの論理的特徴に対しては,是永は以下の難点を指摘する 。第1に,統計的推論の確率を「基準確率」によってあらわすことは,主観的な確率概念を「信頼度」の数量的表現であるとする仮定,また客観的実在である母集団を数学的に規定された確率過程におきかえるとする仮定が成り立たない限り不可能なことで,その限りでその意図は帰納法と関係のない数理手続にすぎない。

 第2に,フィッシャーの帰納推理はその「採択手続き」における仮説に一定の枠をはめているが,その限定が意味することは,たとえこの手続が自然科学における統計的研究において利用されるとしても,社会科学の研究方法としてはほとんど無意味であるということである。すなわち社会科学では,こうした「仮説の枠づけ」は不可能であるからである。

 第3に,フィッシャーの「帰納推理」は,対象の厳しい限定の上に成り立つもので,「資料の全体を考慮する」といっても,決してこのような限定を取り除いて,資料を全体として,その質的規定性をも全面的に考慮することを意味しない。したがって,この「帰納推理」に演繹推理以上の厳密性を見いだすことは困難である。
以上,是永によるフィッシャーとネイマン=ピアソンの考え方の対立の解明は,1950年代半ばという推計学が日本に流入してきた直後の業績であり,先駆的な成果であった。

7-2 推計学の展開とその批判
(1)推計学の展開と蜷川虎三
 日本での数理的形式主義に対する批判的研究は,1940年代後半に登場した。社会科学研究に広く浸透した統計的推論(「母集団-標本」図式による確率論的な算法)を過大評価する議論に,社会統計学者は機敏に対応した。

 背景にあったのは,推計学のアメリカから日本への流入である。統計的推論そのものは欧米で1920年代から30年代にかけ,医療や統計調査の分野で急速に普及した理論である。日本へのその流入は, 戦後におけるアメリカ占領軍の要請・指導によった 。米軍によって実施された原子爆弾被害調査(広島)に参加した増山元三郎の解析作業は,W.Eデミングによって高く評価された(1945年)。

 推計学を推奨する論者が振りかざした手法は,各種の官庁統計における標本調査(農林省の作物報告調査,労働省の毎月勤労統計調査,総理府の労働力調査など)に, また市場調査, 世論調査, 品質管理に適用された。この理論はその後も勢いを失わず,形を変えて日本の統計学分野で跋扈した。

 蜷川虎三は戦後の推計学論争に直接加わることはなかったが,1947年の時点で推計学にかんして次のような見解を表明していたと内海庫一郎が伝えている 。

 「フィッシャーは,私のいう“作った集団”すなわち解析的集団のうち,特に純解析的集団をpopulationとよび,このポピュレーションを語る測度をパラメータと名付けている。このパラメータを知れば,問題の解析的集団の性質を数量的に明らかにしうる訳だが,それを満足するだけの集団の構成因子を測定することはまづ不可能である。そこで構成因子の一部を何ら作意なく選び出し(random sample),この小集団の測度を求める。たとえば平均とか,比率とか,相関家数などであるが,フィッシャーはこれをstatistic と呼んでいる。しかして,statisticを求めるのは,それ自体が目的でなく,これによって先の“もとになっている集団”(母集団といわれている)のパラメータを推算することが目的である。だから,statisticのparameter の推算値としての信頼の程度が測られなければ,科学的意味をもちえない。/スモール・サンプリングの理論,すなわち小標本の理論は選び出した構成因子すなわち標本の数が必ずしも多きを要せぬこと,この小集団の測度すなわちスタティスティックがパラメータとして,どの程度に信頼し得るか,これを測る方法とその根拠とを数学的に規定したものである。その限りにおいて従来の用語法をとれば,数理統計学に属する一課題である」と 。

(2)日本における推計学の展開
 日本での推計学の普及と展開の経緯に関しては,広田純の行き届いた整理がある 。広田はその推計学の展開を二期にわけて考察している。第一期は, 1948年頃から52・3年頃までで, 推計学の方法論に対する社会統計学からの批判と, それをめぐる論争が行われた時期である。第二期は, それ以降の, 標本調査そのものの評価をめぐる論争の時期である。

第一期の論争で論陣を張った増山元三郎 ,北川敏男 らの主張を3点に要約すると, ①従来の社会統計学は統計調査の基本は全数調査だとしていたが, これは科学的認識の段階としては現象記述的な低い次元の話であって, 科学としての統計学はこうした段階から法則定立という高次の段階へと進まなければならない, ②全数調査の結果もその背後に仮説的無限母集団を考えれば無作為標本とみなすこともできる, 標本調査はそういう観点からとらえるべきものであり, 単に推定の技術, 全数調査の代用品なのではない, ③そのようにとらえられた標本調査は記述目的で実施される全数調査より優れたより科学的な方法である, というものだった。

 広田によれば,こうした推計派の主張に対し, 社会統計学の立場にたつ論者は, おおむね次のような反論を行った。観察資料の背後に想定される仮説的無限母集団が非現実的であること, 法則定立を予定した推計学が科学的認識の理論として高次のものと考えるのは間違いで, 社会統計学にとっては記述こそ基本的であり, しかも記述には理論がそれに先立って存在し, 統計による記述は一定の理論を前提とし, この理論を原理としてなりたっている, 観察される事実を総括する原理も, またその結果を説明する原理もすべて理論によってあたえられる, 統計調査には社会的役割があり, 歴史的・社会的過程であるから, そこで生産された統計が限界をもち, 階級制をもつことは自明で, 社会的認識の材料として制約がある, したがってその批判的利用が重要である, と。

 第二期の論争は, 標本調査が「超母集団」に関する仮説検定の一環とは考えないで, 実在する集団について推定する技術とみなす技術論者の見解に端を発した(津村善郎 など)。この見解を契機に, 標本調査を統計調査としてどう位置付け, どう評価するか, さらに統計調査をどう考えるか, がこの時期の論争の主要な内容であった。広田純はここで3つの論点にしぼり, 論争を整理している。第一は全数調査と標本調査との関係で, 技術論者は統計調査の原則が全数調査であるという考え方を否定し, 調査技術的な観点からどの調査がすぐれているかは調査目的によることであるとした。この見解に対し, 広田は全数調査が統計調査の原則で, 標本調査はその代用法であると位置付けている。第二は標本誤差の考え方で, 技術論者は標本調査でランダムサンプリングにより誤差をコントロールできると主張した。これに対して,広田はサンプリングエラーの大きさを標準誤差で計算するということは, 繰り返しの抽出を前提とした理論であり,個々の抽出誤差の判断に基準を与えるものではない, また標本調査だけに現れるノン・サンプリングエラーを考慮しないわけにはいかないと,述べている。第三は典型調査をどう評価するのかという問題である。広田は統計調査といえばすべてランダムサンプリングでなければならないという主張が通念になっているが,典型調査の固有の意義をもっと考えるべきである,と主張した。

7-3 大橋隆憲の推計学批判
 体系的な推計学批判を行った論文の嚆矢は,大橋隆憲「近代統計学の社会的性格-その歴史的地位とイデオロギーの系譜-」(1949年)である 。中村隆英は,大橋のこの論文を,当時の無反省な推計学ブームにたいする警鐘として,大きな意義をもつ最初の体系的批判と評価している 。大橋はこの論文で社会統計学が対象とする集団は「存在たる集団」で有限であり,推測統計学のいわゆる集団が「純解析的集団」で,無限母集団を想定していると指摘し,「仮説検定」をそのうちに組み込まない調査を無意味とした推測統計学の主張に対して批判を加えた。

 大橋が立脚する統計学派,蜷川統計学のそれである。したがって,本稿は社会統計学を擁護する視点から書かれ,その視点からの推測統計学批判の展開である。論点はいくつかある。まず社会統計の対象は「存在たる集団」である(純解析的集団ではない)。次に科学の方法は対象に規定され,対象的内容の契機を重んじなければならない(方法が主体の観念物として客体に先立ってあるのではない)。さらに統計的方法は社会集団の合法則性を捉える社会科学の方法・理論を前提とし,この集団を数量的に研究する手段である。

 本稿の意義をここでは5点,要約したい。第1の意義は,推測統計学がどのような性格の科学であるかを論じるにあたって,この科学の対象が何かを,原理的に考察していることである。この議論を行うのは,統計に関する知識の総体である統計学が対象としている数字的「事実」とは何かを考えることが大事であるからである。いくつかの所説を整理すると,3つの分岐点がある。その一つは,集団についての事実を語る数字を「統計値」,個体についての事実を語るのが「測定値」であること。二つ目は,集団には対象的な集団(存在たる集団とも呼ぶ)と方法的な構成物としての集団があること。前者は集団の大きさが不明で,集団性の方向が多岐である。後者は集団性の方向が一つで,その安定的な強度を求めることが目的として定立される。三つ目は前者の集団には「自然集団」と「社会集団」があること。ドイツ社会統計学は「社会集団」を問題とし,「方法的な集団」への道を歩む英米数理統計学は個体(測定値)なり集団(統計値)が自然に関するものか社会に関するものかを問わない,経験的性質を除去した「純解析的集団」あるいは「純解析的集団」をその対象とする。

 第2の意義は,推測統計学の理論構造を,その科学の視点にたちかえって捉えたことである。推測統計学は「蓋然性の哲学」(=確率論的法則の世界に関する思惟)に依拠する。この科学は客観的存在を単純な直接的方法ではとらえられない,客観的存在として追及するのは本質的存在であり,それと関わる「法則」であると主張する。この客観的存在は,推測統計学にとっては,ありとあらゆる偶然さを考慮した純粋に客観的な法則である。このような対象を把握するには,変化を含み混沌としたカオスである対象を整序する独自の方法が必要である。方法の基礎は主観の側の対象構成作用にもとめられ,主観と客観の乖離を縮めるために方法をもって現実に逐次近似しなければならず,理論模型はそのために必要とされる。模型概念の適用は説明を可能な限り直感的に知るための努力の結果である。数理統計学の理論構造において,その基本になるのは母集団と試料である。経験的所与として与えられた資料は仮の現実,仮象の記述である。これに対し,母集団は数学的なケースにストックされている純解析的構成物(その限りで観念的母集団)であり,試料は母集団の一つの現実化に他ならない。母集団も試料もこの方法全体の機構のなかで解釈されるわけである。(本稿以降の研究では,推測統計学派の行っていることは法則の解明ではなく,パラメータの推計であるとされた)。

 第3の意義は,上記の推測統計学の理論構造を受けて,その技術構造を解明したことである。試料からの母集団の認識,この点がここでの問題である。具体的には確率原理,母集団仮説,仮説検定,任意抽出について,試料からの母集団推定の技法が解説されている。もちろん,その技法はすでに対象の内容と決別し,純形式的確率論的操作によって演繹されるもので,抽象的な数学的構成物にもとづく。当面の試料がある母集団と結びついているという想定から出発し(仮説母集団),この仮説の設定をふまえて仮説検定にかけるという一連の循環的操作が推測統計学の中身であるが,その試料のとりかたは任意抽出という手だてによる。任意抽出は仮説をたて,その仮説を検定する逐次近似の循環のなかで意味をもつ。(本稿以降の研究では,推計学が必ずしも仮説検定論の構成要素とみなされないことが明らかにされた)。

 第4の意義は,推測統計学が成立した背景を列挙していることである。1930年代以降のアメリカにおけるテーラー・システム,フォード・システムにおける科学的管理法,そこにおける品質管理と抜き取り検査の利用,生産資本と流通資本の関係における「生産者危険」と「消費者危険」の回避がこれである。大橋は,これらの応用の基本にある規格⇒生産⇒検査のプロセスは,仮説の設定⇒実験の遂行⇒仮説の検定のそれに符合すると指摘している。

 第5の意義は,推測統計学のイデオロギー的危うさを指摘していることである。この論文が書かれた戦後の科学界では弁証法に脚光があたっていたので,推測統計学論者もそれを援用した。しかし,多くは弁証法の勝手な解釈であった。推測統計学が唯物弁証法の利用と考えられたり,「帰無仮説」が弁証法の「否定の否定」の法則と結び付けられたりした(増山元三郎)。笑い話のようではあるが,ある意味,まじめに語られていたのである。(その後の研究では,推測統計学派の哲学的基礎は,プラグマティズムないし論理実証主義であることが明らかにされた)

7-4 その後の推計学批判
 日本での推計学の浸透は,フィシャー,ネイマン-ピアソンの統計理論の学問的輸入に他ならない。それは一方で統計学の分野で主として,標本調査論の移植と展開としてあらわれ,他方では統計学以外の分野(医学,心理学,行動科学など)での統計的仮説検定法の定着として特徴づけられる。前者の指摘そのものに関しては以下に掲げる木村の論稿に接すると,その実情をよく理解できる。この分野での議論は,「調査論」の章でより詳しく紹介する。後者に関しては,社会統計学の分野から離れるので省略するが,参考までに統計的仮説検定論がいかに誤解され,弊害をもたらしちいるかを論じた,橘敏明『医学・教育学・心理学にみられる統計的検定の誤用と弊害』(1986年)をあげたい 。木村はこの著作の書評の末尾に,(1)現在の知的難局を「有意性検定症候群」ととらえ,これから抜け出て反省的思索の復位を提起する本書の論旨には共感できる,(2)有意性検定の誤用・乱用を包括的に,しかも一人で論じた書物として初めての試みであり,当該テーマを検討しようとする人が真っ先に読まなければならない重要文献である,と書いている 。

 その木村による推計学批判の系譜の整理を以下に示す 。推計学は偶然変量に関する算法の体系であり,推計派の主張の背後にある確率論的世界観は社会が偶然性のみに支配されるとする非合理的なそれである。この世界観は推計派が主張する唯物弁証法とは関係がなく,その哲学的基礎はプラグマティズムあるいは論理実証主義である。推計学の中心にある仮説検定論(推定論)は仮説検定の体系に包摂され,留保付きパラメータの数値の推測は記述=事実の確認である。仮説検定論そのものはある種のパラメータの推計法にすぎず,普遍的科学方法論といえる代物ではない 。

 任意抽出標本理論に意義を認める論者は,標本調査による全体の推計値とセンサス結果との符号をその論拠とする。抽出の任意性がその一致の根拠とされる。木村はこの立場に対し,抽出の任意性と数値上の符号との間に必然的関係を認めない。なぜなら,任意抽出標本理論が社会統計調査に果たす役割はクジ引き式の統計調査と調査票の配布・回収の算定に限られるが(後者は社会現象が確率論の対象ではないので虚構の計算である),結局のところ任意抽出標本理論はクジ引き式の統計調査を強制することに関してのみ指導するにすぎない。この際,調査対象は任意に(無作為に,デタラメに)規定されるので,標本の代表性は保証されない。それゆえ,標本統計における推算値がセンサス結果と符合することの根拠を抽出の任意性に求めることはできない。符号の根拠は,①社会構成の変化が小さいこと,②標本数が大きいこと,③偶然的符号,にある。

 木村はここで関弥三郎の議論をとりあげている 。関の議論は母集団概念を無限母集団と有限母集団とに二分する。後者は対象集団の構成単位の全部の集合を,一つの集団性について観察した時の単位をもつ数値(統計標識の集合)である。ここでは確率的性質が仮定されないが,任意抽出という人為的操作で確率の場が創出されるとする。関はこのことによって,推計学の社会認識上の構造分析が任意抽出標本理論によって可能になるという。木村は関の目標が統計集団の構造分析(法則性の認識)にある点を評価しているが,抽出の無作為化をもって推計学的手法の統計調査への適用根拠とみなすことに疑問を呈している 。

 木村はこの他,標本統計の利用基準,判断の確率の実質的意義という重要論点を解説している 。利用基準が推定値に付された数学的条件であるとする見解によると,基準は精度あるいは信頼度であるとされる。木村はこの見解に対し,統計対象は確率論的処理を許さず,したがって推定値に付された数学的条件は実質的意味をもたないと主張する。この主張は①統計の現実歪曲性の検討と,②数学的条件の実質的意味の検討の考察によって根拠づけられる。前者では統計における誤差の原因の究明が要となる。後者に関しては,精度(precision)がとりあがられ,この概念は多数値の測定を前提とするが,単一の標本ではこの概念が成立しないと述べている。また数理派は精度の概念を単一の個別値と真値との接近度の尺度と考えるが(正確さ),この意味での精度が明確になるのは真値がわかっている場合に限られるが,社会統計調査でこれが分かるのはセンサスと標本調査がともに行われる場合である(事後的に)。したがって一般に,標本統計調査だけでは精度はわからない。
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