社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

薮内武司「生計問題と家計統計の系譜-事例調査(ミクロ的視点)から統計的観察(マクロ的視点)へ」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎『社会の変化と統計情報』北海道大学出版会,2009年

2016-10-16 11:39:48 | 10.家計調査論
薮内武司「生計問題と家計統計の系譜-事例調査(ミクロ的視点)から統計的観察(マクロ的視点)へ」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎『社会の変化と統計情報』北海道大学出版会,2009年

 家計調査の歴史を史的に考察した論文である。筆者は本稿の冒頭で「家計統計の前史となる,一般民衆なかんずく下層民の実態調査およぶ台頭する労働者たちの生活問題の実状調査から,生計調査活動が最も昂揚を見せる大正期,そして全国統一的『家計調査』が実施された昭和前期に至る過程をたどり,その統計史的特質と意味を探っていきたい」(p.222)と述べている。

 家計統計前史では,細民,貧民救済のための生活調査である農商務大輔品川弥二郎による「士族生計調査」(1883年[明治16年]),農商務省大書記官前田正名による『興行意見』(1884年[明治17年])がとりあげられ,紹介されている。続いて,松原岩五郎の「最暗黒の東京」(1890年[明治23年])の紹介があり,これに先立って『朝野新聞』に連載された「東京府下貧民の真況」(1886年),鈴木梅四郎の「大阪名護町貧民窟視察記」(1888年[明治21年]),桜田文吾の「貧天地飢寒窟探検紀」(1890年[明治23年])があったとし,とくに「貧天地飢寒窟探検紀」が「最暗黒の東京」に強い影響を与えた。筆者は上記のうち「大阪名護町貧民窟視察記」によって,エンゲル係数を試算している。それによると,上級家族で68.7%,中級の上で70.9%,下等で83.3%になったと言う。

 日清戦争後では,横山源之助の「日本の下層社会」(1898年[明治31年])が代表的な調査報告で,横山はここで賃金問題と生計費の問題が表裏一体の関係にあることを自らの調査結果から分析し,説明した。筆者はこの資料からエンゲル係数を試算し,旋盤職が59.4%,仕上職が65.6%,鉄工56.3%,旋盤工57.2%になったと言う。ほぼ同じころ,農商務省工場調査掛の「職工事情」(5巻,1903年[明治36年])が刊行された。本書は工場法立案の基礎資料として1901年(明治34年)に実施された各種工業部門の調査記録で,膨大な労働事情の報告書である。横山の「日本の下層社会」や農商務省工場調査掛の「職工事情」がもととない,日本で初めての「工場法」が1911年(明治44年)に公布された(施行は1916年[大正2年])。

 その後,行政当局は「農業小作人工業労働者生計状態に関する調査」(1909年2月)を行った。筆者は,これを日本で最初の統計的実態調査と書いている。このほか,内務省「細民調査」(「細民戸別調査」「細民長屋調査」「木賃宿調査」「細民金融機関(質屋))」「職業紹介所」「職工家庭調査」)が1911年(明治44年)に実施されたが,これはどちらかというと都市地区に居住する生活困窮集団の精細な社会調査だった。

 近代的家計調査の成立には高野岩三郎が果たした役割が大きかったが,その契機となったのが1912年(明治45年)の社会政策学会第6回大会での岡実(農商務省工務局長)の報告「職工の生計状態」であった。ヨーロッパの家計研究,とくにW.シッフ,E.エンゲルの仕事に関心をもっていた高野は,友愛会の協力を得て,1916年(大正5年)5月,「東京ニ於ケル二十職工家計調査」を実施した。標本数20,調査期間一か月の小規模な調査だったが,その調査方式(家計簿法),手順はその後の家計調査の範となった。高野はこの調査のおりに,家計簿の集計が終了した時点で,被調査者の個人的属性に関する部分は切り取り,破棄することを指示している。高野がこの時点ですでに被調査者のプライバシー保護の視点をもっていたことを伺わせる措置である。

 「東京ニ於ケル二十職工家計調査」とともに知られる戦前の家計調査「月島労働者家計調査」は,1919年(大正8年)に高野の助手権田保之助によって行われた。調査結果は,『東京市京橋区月島に於ける実地調査報告第一輯』(1921年[大正11年])として公刊された。調査の性格は,統計調査と言うよりは,特定地域を対象とした社会調査的,労働調査的実態調査であった。権田はこの「月島調査」のなかから,労働者家計部分あたる報告を「労働者の家計状態」としてまとめた。労働者を対象としたこの調査と並行して,少額所得俸給生活者を対象にした調査が,また東京市内および隣接群部の「小学校教員家計調査」(1919年[大正8年])が実施された。

 このように大正中期になると,生活調査の対象は,明治期の窮民・細民生活者の実態調査から熟練労働者,俸給生活者へと拡大された。調査者の問題意識は,貧民救済の社会政策的視点から国民経済全体にわたる経済政策的視点へ移行した。しかし,調査の内容はいまだ調査技術的面でも,調査対象の選定でも未熟なものにとどまった。

 「東京ニ於ケル二十職工家計調査」「月島調査」の経験を経て,1920年(大正9年)前後から25年(大正14年)ごろにかけ,家計調査が多数実施され,権田はこの事情を指して「家計調査狂時代」と呼んだ。家計簿方式によるもの30余り,アンケートなどの方式によるもの80以上の調査があった,と書かれている。筆者はそのなかから代表的なものとして,農商務省「職工生計費状態調査」(1921年[大正10年]3・4月),民間団体協調会「俸給生活職工生計調査」(1921年)をあげている。これらの調査は,いずれも労働者が主体であり,調査対象も急速に拡大する労働運動への対策,ある種の鎮静剤的役割をもっていた。

 こうした種々の家計調査は1926年(大正15年)に,内閣統計局が全国統一的家計調査を実施するに及び,ブームは消滅した。この調査は,1920年(大正9年)に国勢院第一部によって企画され予算請求があったが認められず,紆余曲折があって1926年(大正15年)に9月に実施をみた。内閣統計局によるこの調査は,その規模,内容の面で,それまでの家計調査を質量とも凌駕し,高い水準で国民生活の実態を浮き彫りにした。

 この第一次家計調査を引き継いで,内閣統計局はその後,1931年(昭和6年)から1941年(昭和16年)8月までに第二次家計調査を(米穀統制の資料を得るのが目的),さらに1942年(昭和17年)から44年(昭和19年)にかけて第三次家計調査が企画されたが,諸事情で中止となった。1945年(昭和20年)調査も中止。続く1946年(昭和21年)調査に関しては実施しないとの閣議決定がなされ,以後国民生活の量的測定の試みは戦時体制の波に飲み込まれ,終焉した。本稿は日本の家計調査の前史と戦前までの歴史を要約したものであるが,原資料に直接あたって執筆したことが推察でき,資料的価値が脚注を含め高い。また,「おわりに」は本論文を執筆した筆者ならではの行き届いたまとめである。

豊田尚「わが国家計調査の源流」江口英一編『日本社会調査の水脈』法律文化社,1990年4月

2016-10-16 11:38:15 | 10.家計調査論
豊田尚「わが国家計調査の源流」江口英一編『日本社会調査の水脈』法律文化社,1990年4月

日本の家計調査の発展にとって高野岩三郎の貢献は,大きかった。現在,総務省統計局は家計調査を毎月実施しているが,その端緒となったのは内閣統計局「大正15年~昭和2年 家計調査」である。その原点は,高野が行った「東京ニ於ケル20職工調査」である。内閣統計局の家計調査は,この高野調査の拡充であった。

 その高野は,オーストリアのW.Schiffの論文(W.Schiff "Zur Methode und Technik der Haushaltungsstatistik”1914)から大きな影響を受けていた。すなわち,高野はこの論文を「シッフ氏家計調査方法論」『統計集志』で紹介し,その著作『統計学研究』(1915年)に収めた。しかし,従来の日本の統計調査史では,高野家計調査論とSchiff論文との関係は,触れられていない。本稿は研究史上におけるこの空隙を埋めることを意図したものである。

筆者はシッフ論文と高野論文との関係を,第1節「『シッフ論文』と高野の家計調査論」で追跡する。内容は次の3点にわたる。(1)家計調査の位置づけについて,(2)調査方法について,(3)統計編成について。

 シッフ論文は,「序論:家計調査の発展」(14頁)と「A.調査」(29頁),「B.編成」(32頁)から成る。「序論」では家計調査の歴史を回顧し,彼自身の家計調査に関する考え方を展開している。論点は,筆者によれば,2点あり,第一に家計調査の対象となる家計は労働者のそれでならなければならないこと,第二に家計調査は統計調査(統計的大量観察法)でなければならないこと,であった(ル・プレのようなモノグラフィ的方法では不適とされた)。彼の関心は,ドイツで1907年に実施されたドイツ帝国統計局による「低所得層の家計調査」にあった。高野の論文では,シェフのこの「序論」には言及が少ないが,筆者はそのことは彼がこの部分に興味がなかったのではなく,自明としたのであろう,と推測している。

 高野論文では,シェフ論文の紹介は「A.調査」の紹介に集中している。シェフは「A.調査」で,家計調査における実施上の諸問題を,次の順で羅列的に論じている。①調査世帯の選定に関する問題,②調査期間の問題,③家計簿方式の問題,関連して調査項目およびそれらの定義の問題,④調査組織の問題。

 シッフはドイツ社会統計学の伝統にそい,統計調査とは大量観察法であり,全数調査を基本とした。しかし,家計調査を全数調査で行うことは不可能であり,調査対象を限定するとするならば下層労働者の家計にならざるをえない。この限定のなかで,調査対象の客観性,一般性を確保するならば「典型的」世帯が選定されるべきであるが,それにも困難がつきまとう。シェフは,この実務上の困難を,家計調査の対象に含めない方がよい世帯の種類を列挙し,それらを排除することで解決しようとした。その第一は生産経済と消費経済が分離していない世帯,第二は同居人のいる世帯とした(しかし,後者でさえ困難を極めたようで,種々の工夫をした形跡がある)。高野も,統計調査の世帯選定に関してはシェフによった。内閣府統計局の「家計調査」も同様である。

 家計調査の内実は,結局どのような家計簿が使用されるかによる。シェフ論文では,この点に関する記述の比重が高い。シッフの方法の大きな特徴は,家計簿の基本的な部分が家計への現金,財貨の出入りを日々記録し,コントロールする形式になっていることである。このような記帳の方式は,家計という単位に簿記体系を設定する端緒となった。問題はそこに不可避的要素として資産の変化が出てくることである。結局は,各世帯の期末,期首における資産の記録如何ということになるが,シッフ自身は後者の記録の必要性を認めながらも,全面的な資産台帳の作成には否定的であった。

シッフは,論文の「B.編成」で収支項目の分類で,経済勘定(家計にとっての所得と費消の部分),財産勘定(それ以外の収入と支出),貨幣勘定(全ての現金の出入り)という基本概念を設定している。家計調査の本来の目的は,経済勘定の確立である。なお,高野は,シッフ論文における「B.編成」部分が全体の半ばをしめる分量があるのに,この部分の紹介を全くしていない。筆者はその理由として,高野にとっては家計調査の実査方法が当面の課題であったこと,家計調査の要が経済勘定にあるというシッフの見解に賛同しつつ,それに関連した煩雑な議論をさけたこと,当面していた下層労働者の家計では財産勘定部分の比重は小さく,議論が不要と考えたからではなかろうか,と推測している。

 第2節「1912-14年ウィーン市家計調査報告書について」(筆者はこれを1984年の在外研究中,オーストリア中央統計局図書館で閲覧,複写した)では,シッフが取りまとめた同報告書(1916年刊)に彼の家計調査結果の編成に関する論点がいかに実現されているかが考察されている。「ウィーン市家計調査報告書」(調査世帯119)での家計収支の基本的枠組みは,家計をまかなった収入と支出と資産の増加,減少をもたらした受取り額と支払い額が記録されている。シェフ論文では家計調査では家計の保有する資産を全体的に調査できないとしたが,「ウィーン市家計調査報告書」には金融資産に限定した表示がある。

 筆者によれば,高野はこの「ウィーン市家計調査報告書」を見ることがなかったようである。なぜなら,高野は自らが先頭にたって調査した「東京ニ於ケル20職工調査」(1916年),「月島調査」(1919年)では,その結果の取りまとめの項目分類を,「ウィーン市家計調査報告書」を参考にすることなく,自身の手で苦心して行ったようだからである。すなわち,「東京ニ於ケル20職工調査」の調査結果は収入項目と支出項目とが2大別されているだけで,シェフ論文で言及のあった経済勘定を確定できる体系になっていない。それでも,「月島調査」になると,収入を純収入と消極的収入に,支出を純支出と貯蓄的支出に2大区分する枠組みになっている。

 高野が苦心した家計調査項目のこの分類方法は,内閣統計局「大正15年~昭和2年 家計調査」では経済収支に属さない収支の部分が「実収入以外の収入」「実支出以外の支出」とされ,高野の考え方が明確化された。これらの用語,収支の体系は,その後,日本の家計調査に定着した。なお,1959年からは,「家計調査」とともに「貯蓄動向調査」が実施されているが,これは「ウィーン市家計調査」における資産,負債の表に対応する。

玉木義男「生計費指数」『物価指数の理論と実際』ダイヤモンド社, 1988年

2016-10-16 11:36:48 | 10.家計調査論
玉木義男「生計費指数(第5章)」『物価指数の理論と実際』ダイヤモンド社, 1988年

 物価指数と生計費指数とは兄弟のようでもあり, 後者が前者の前身のようでもあり, 関連がある。本稿は, とかく曖昧になりがちな両者の相違を概念的に確認したものである。

 最初に予備的考察として, 日本での物価指数作成の沿革を整理している。次いで, 戦前の「内閣府統計局の生計費指数」と現行の(執筆当時の)「総務庁の消費者物価指数」について, それらの性格, 対象とする世帯(費目), ウェイト, 算式, 利用の形態で, 比較し, 最後に「生計費指数」の名のもとにどのようなものがこれまでに考えられてきたかが, 検討されている。

 重要なのは, 戦前の「生計費指数」と戦後の「消費者物価指数」との比較であり, 筆者は両者が対象となる品目で基本的な差がないこと, しかし大きな差として, 前者が労働者世帯を対象としていたのに対し, 後者が一般消費世帯であること, であることと確認している。

 問題なのは, 「生計費指数」といってもさまざまな内容のものが, 正確な定義づけもなく, その名称を冠して使われてきたこと, 「生計費指数」といわれてきたものも実際には対象項目を「消費支出」に限定され, 「非消費費支出」「実支出以外の支出」は考慮されていないので, 本来の生計費指数とは程遠い内容の指数であった指数が, これまでの「生計費指数」だったこと, である。近時, 消費者物価指数は国民経済計算体系との整合性が問われており, そのような現状に鑑みると, 消費者物価指数には経済的弱者のための生計費指数という意味合いはますます薄れているくらいである。論者によっては, したがって, 「生計費指数」という名称は使うべきでないというものもいるくらいである。

 予備的考察として書かれている「物価指数の沿革」は, 戦前の「生計費指数」と戦後の「消費者物価指数」の位置を確認できる。ここではまた, 文字通り, この分野でのいろいろな試みの来歴を知ることができる。それによると日本の物価指数は, 明治28年の『貨幣制度調査会』に掲載された明治6年基準の同27年までの各年の指数がもっとも古い。その後, この種の指数は続々と登場する。消費者サイドに近いところで測定した指数としては, 日本銀行の行内資料として明治37年1月基準の小売物価指数が, 公表されたものとしては大正3年基準の「日銀調東京小売物価指数」が最初である。

 家賃, 光熱費, 娯楽費, 教育費, 衛生費, 通信交通費など物的形態をとらない品目を含めて, 生計費指数として自覚的に作成されるようになったのは, 昭和12年(1937年)からである。

 戦後(昭和21年), この指数は, 消費者物価指数と名称を変更した。背景には, アメリカでの指数論争, ILO第6回国際労働統計家会議での議論があったようである。筆者のこの物価指数の沿革を読むことによって, わたしたちは戦前の内閣統計局生計費指数と総務庁統計局消費者物価指数への変遷をたどることができる。

 筆者は末尾で, 指数利用の範囲の拡大, 利用目的の多様化に鑑みて, 目的にあった指数の作成を提唱している。例として, 物価水準の変動を測定するための指数と賃金や年金のスライディング・スケールとしての指数, 国民経済計算の実質化のためのデフレータとしての指数などである。

横本宏「生計費研究における現代的課題-家計調査の問題を中心に-」『研究所報』第6号,1986年3月

2016-10-16 11:34:57 | 10.家計調査論
横本宏「生計費研究における現代的課題-家計調査の問題を中心に-」『研究所報』(法政大学日本統計研究所)第6号,1986年3月(「家計研究における現代的諸問題」『現代家計論』産業統計研究社,2001年)

 本稿の課題は,第一に生計費の今日的研究にとって何が固有の問題であるか,どのような研究が必要とされているかを示すこと,第二にエンゲルの生計費研究の遺産について継承されるべきものは何か,克服されるべきものは何かを検討すること,としている。筆者は,この稿で,2つの課題を試論の形で解明している。

 生計費研究の画期的業績として知られているのは,エンゲルによる家計簿にもとづく家計調査である。エンゲルは,それ以前のル・プレなどにみられた個別世帯の単なるモノグラフ的な調査(インテンシブな調査)では労働者階級の生活実態を把握できないとして,家計簿によるエクステンシブな調査によってこそ,それが可能であるとした。労働者家計の調査方法に家計簿を位置づけることは家計簿法と呼ばれ,それまでの財政的方法(消費に関するデータを国家とか地方自治体の租税報告から得る方法),行政的方法(公共造営物などの事務記録から得る方法)あるいは家計的方法(消費の主体から消費に関するデータを得る方法)と異なり,客観的で正確な実態を取得する画期的手続きと評価され,現在に至っている。

 しかし,このエンゲルの家計簿法は,ある種の矛盾を抱えている。家計簿はもともと私的なもので,他人に見せることを前提としない。とは言え,ひとたび統計調査のなかにそれが位置づけられるとなると,家計簿記入の形式,その精粗がバラバラでは調査として成立せず,しかもある程度の家計簿を集めるとなると形式や基準の統一性がはかられざるをえない。現に家計調査は,形式と記入方法を統一した統計調査になっている。これではエンゲルが当初意図した私的性格をもった家計簿を重視するという点が曖昧になってしまう。生計費の問題は個別・具体的にみてこそ,所在がわかるのであり,多数の家計の平均をとっても問題の所在はむしろ隠蔽されてしまう。筆者は現在,改めて必要なのは家計のインテンシブな調査ではないか,と問題提起している。(関連して階層別家計調査の意味を示している)

 生計費の実態把握と言う面から見ると,現在の家計調査にはエンゲルの時代にはなかった大きな問題を抱えている。それは家計がいわば3つの財布(岩田正美の表現)をもっており,一つは世帯単位の財布,二つは他の世帯や個人と共同の大きな財布,三つは世帯の個々人用の小さな財布である。エンゲルの時代には最初の財布を調査することで十分であった。二つ目の財布はいわゆる「こづかい」である。使途不明とされるこの部分は絶対額でも比率でも家計の主要支出項目のなかで大きなウェイトを占めているのが現代である。国民生活センターは,この部分にメスを入れた研究を公にしたが(『サラリーマンのこづかいと生活』光生館,1980年),現代の労働者階級の生計費調査は,単一の家計簿に基づいた家計調査では,すでにたちゆかなくなっている。

 岩田のいわゆる3つ目の財布からなされる消費は,未開拓分野である。この部分は,税収を財源とした,生活の社会化を前提とした共同的消費である。人間は社会的存在であり,いかなる個別的家計も社会とのかかわりを抜きに語れない。その意味で生活の社会化は古来,存在する。しかし,現代のそれは資本主義的に再編されたそれであり,ここから種々の問題が派生する(生活の不安定性の累積,生活破壊)。筆者は例として,水道利用,森永ヒ素ミルク事件を挙げている。

 共同消費が共同の大きな財布からの支出によることと関連したもう一つの大きな問題は,国民は本来,納税による財政運営について,その仔細を容易に知る権利をもつが,実際の予算配分は大蔵省(当時)と各省とのいわば密室的な交渉で実施されているということである。あるいはもっと直截に,大蔵原案(予算)は大蔵省が主導し,要求限度に縛られた各省庁別の要求額の交渉で決まるのである。そこでは,大蔵省と議会との関係は完全に反故になっている。

 以上は,生計費調査の面からみた生計費研究の現代的課題である。それでは,これを生計費分析の面からみたとしたら,どのような課題が浮かびあがってくるだろうか。
エンゲルの大きな功績はエンゲルの法則,具体的には貧富の差,生活水準を測る指標としてのエンゲル係数(生活費全体にしめる食費の割合)の提示である。とはいえ,この法則は絶対的なものではないことが,エンゲル以降,縷々指摘されるようになった。

 筆者があげるのは5点である。第一に,食料品と他の生活手段の相対価格が変化すると,この法則は成立しない。第二に,基本的な生活様式,生活条件が変わるか,あるいは相互に異なれば,この法則は成り立たない。第三に,実際に戦後の一時期,生活が悪化しているのに,エンゲル係数が低下するというエンゲル係数の逆転現象があった。第四に,人間は消費に対する裁量に自由度があり,食費を切り詰めても文化的欲求とか,他の費目を優先させる行動をとるケースがあり,これをエンゲル係数で一義的に測れない。第五に,エンゲル法則それ自体は社会的原因の解明に意義をもつわけではなく,元来,貧困問題とか生活水準の問題は単に生計費に,ましてやその構成比に還元できない。エンゲル法則の意義そのものは,エンゲルの時代と今日とでは大きく異なっている。今日の生計費分析では,家計収支項目の仔細かつ具体的な分析が必要であり,その際,拡大する「雑費」の中身を問うこと,中身のひとつひとつを現代的生活の諸条件にてらして理解することが重要である。

 生計費分析の歴史のなかで,必需的支出と奢侈的支出との区分けの問題に,問題提起をしたのはアレンとボーレーである。筆者はここで彼らによる生計費における支出の緊急度の研究(弾性値による家計費目の試算と分類)の概要を解説し,その延長線上で昭和54年版『労働白書』が年功賃金体系の再検討のために,費目の弾性値をはじき出し,支出項目を分類した事例を引き合いにだし,次のような評価を与えている。すなわち,そのような数量的指標は,一つの目安にすぎず,必需的とか,奢侈的とかの問題は,さまざまな社会的条件との関係で規定される場合もあるから,そうした条件の差違を無視した平均値の数量的解析では役に立たない,重要なのは歴史的・社会的諸条件との関連から生計費支出項目について理論的な再検討を加えることである,と。

 最後に筆者は,エンゲルの残した遺産のなかから「限界数字」と「消費単位」をあげ,前者はこの当時の人事院標準生計費の算定に使われているとしたうえで,後者は積極的に継承すべきなのに忘れられているとして,その意義を述べている。消費単位とは,簡単に言えば,生計費を比較する際に,家族の人数が同じでも家族構成,家族の発達段階の違いを無視するのはおかしいので,このような要因を共通の単位に還元し,相互比較可能になるようにエンゲルによって考案されたものである。日本ではこの考え方は,労働科学研究所による1950年のデータを使った試算,女子栄養大学が食料費の消費単位について行った試算があるくらいである。筆者は,生計費研究の現代的課題のひとつに消費単位の復権とその再研究があるとして,この消費単位作成の方法上の問題に言及している。

横本宏「生計費研究における現代的課題-家計調査の問題を中心に-」『研究所報』第6号,1986年3月

2016-10-16 11:34:57 | 10.家計調査論
横本宏「生計費研究における現代的課題-家計調査の問題を中心に-」『研究所報』(法政大学日本統計研究所)第6号,1986年3月(「家計研究における現代的諸問題」『現代家計論』産業統計研究社,2001年)

 本稿の課題は,第一に生計費の今日的研究にとって何が固有の問題であるか,どのような研究が必要とされているかを示すこと,第二にエンゲルの生計費研究の遺産について継承されるべきものは何か,克服されるべきものは何かを検討すること,としている。筆者は,この稿で,2つの課題を試論の形で解明している。

 生計費研究の画期的業績として知られているのは,エンゲルによる家計簿にもとづく家計調査である。エンゲルは,それ以前のル・プレなどにみられた個別世帯の単なるモノグラフ的な調査(インテンシブな調査)では労働者階級の生活実態を把握できないとして,家計簿によるエクステンシブな調査によってこそ,それが可能であるとした。労働者家計の調査方法に家計簿を位置づけることは家計簿法と呼ばれ,それまでの財政的方法(消費に関するデータを国家とか地方自治体の租税報告から得る方法),行政的方法(公共造営物などの事務記録から得る方法)あるいは家計的方法(消費の主体から消費に関するデータを得る方法)と異なり,客観的で正確な実態を取得する画期的手続きと評価され,現在に至っている。

 しかし,このエンゲルの家計簿法は,ある種の矛盾を抱えている。家計簿はもともと私的なもので,他人に見せることを前提としない。とは言え,ひとたび統計調査のなかにそれが位置づけられるとなると,家計簿記入の形式,その精粗がバラバラでは調査として成立せず,しかもある程度の家計簿を集めるとなると形式や基準の統一性がはかられざるをえない。現に家計調査は,形式と記入方法を統一した統計調査になっている。これではエンゲルが当初意図した私的性格をもった家計簿を重視するという点が曖昧になってしまう。生計費の問題は個別・具体的にみてこそ,所在がわかるのであり,多数の家計の平均をとっても問題の所在はむしろ隠蔽されてしまう。筆者は現在,改めて必要なのは家計のインテンシブな調査ではないか,と問題提起している。(関連して階層別家計調査の意味を示している)

 生計費の実態把握と言う面から見ると,現在の家計調査にはエンゲルの時代にはなかった大きな問題を抱えている。それは家計がいわば3つの財布(岩田正美の表現)をもっており,一つは世帯単位の財布,二つは他の世帯や個人と共同の大きな財布,三つは世帯の個々人用の小さな財布である。エンゲルの時代には最初の財布を調査することで十分であった。二つ目の財布はいわゆる「こづかい」である。使途不明とされるこの部分は絶対額でも比率でも家計の主要支出項目のなかで大きなウェイトを占めているのが現代である。国民生活センターは,この部分にメスを入れた研究を公にしたが(『サラリーマンのこづかいと生活』光生館,1980年),現代の労働者階級の生計費調査は,単一の家計簿に基づいた家計調査では,すでにたちゆかなくなっている。

 岩田のいわゆる3つ目の財布からなされる消費は,未開拓分野である。この部分は,税収を財源とした,生活の社会化を前提とした共同的消費である。人間は社会的存在であり,いかなる個別的家計も社会とのかかわりを抜きに語れない。その意味で生活の社会化は古来,存在する。しかし,現代のそれは資本主義的に再編されたそれであり,ここから種々の問題が派生する(生活の不安定性の累積,生活破壊)。筆者は例として,水道利用,森永ヒ素ミルク事件を挙げている。

 共同消費が共同の大きな財布からの支出によることと関連したもう一つの大きな問題は,国民は本来,納税による財政運営について,その仔細を容易に知る権利をもつが,実際の予算配分は大蔵省(当時)と各省とのいわば密室的な交渉で実施されているということである。あるいはもっと直截に,大蔵原案(予算)は大蔵省が主導し,要求限度に縛られた各省庁別の要求額の交渉で決まるのである。そこでは,大蔵省と議会との関係は完全に反故になっている。

 以上は,生計費調査の面からみた生計費研究の現代的課題である。それでは,これを生計費分析の面からみたとしたら,どのような課題が浮かびあがってくるだろうか。
エンゲルの大きな功績はエンゲルの法則,具体的には貧富の差,生活水準を測る指標としてのエンゲル係数(生活費全体にしめる食費の割合)の提示である。とはいえ,この法則は絶対的なものではないことが,エンゲル以降,縷々指摘されるようになった。

 筆者があげるのは5点である。第一に,食料品と他の生活手段の相対価格が変化すると,この法則は成立しない。第二に,基本的な生活様式,生活条件が変わるか,あるいは相互に異なれば,この法則は成り立たない。第三に,実際に戦後の一時期,生活が悪化しているのに,エンゲル係数が低下するというエンゲル係数の逆転現象があった。第四に,人間は消費に対する裁量に自由度があり,食費を切り詰めても文化的欲求とか,他の費目を優先させる行動をとるケースがあり,これをエンゲル係数で一義的に測れない。第五に,エンゲル法則それ自体は社会的原因の解明に意義をもつわけではなく,元来,貧困問題とか生活水準の問題は単に生計費に,ましてやその構成比に還元できない。エンゲル法則の意義そのものは,エンゲルの時代と今日とでは大きく異なっている。今日の生計費分析では,家計収支項目の仔細かつ具体的な分析が必要であり,その際,拡大する「雑費」の中身を問うこと,中身のひとつひとつを現代的生活の諸条件にてらして理解することが重要である。

 生計費分析の歴史のなかで,必需的支出と奢侈的支出との区分けの問題に,問題提起をしたのはアレンとボーレーである。筆者はここで彼らによる生計費における支出の緊急度の研究(弾性値による家計費目の試算と分類)の概要を解説し,その延長線上で昭和54年版『労働白書』が年功賃金体系の再検討のために,費目の弾性値をはじき出し,支出項目を分類した事例を引き合いにだし,次のような評価を与えている。すなわち,そのような数量的指標は,一つの目安にすぎず,必需的とか,奢侈的とかの問題は,さまざまな社会的条件との関係で規定される場合もあるから,そうした条件の差違を無視した平均値の数量的解析では役に立たない,重要なのは歴史的・社会的諸条件との関連から生計費支出項目について理論的な再検討を加えることである,と。

 最後に筆者は,エンゲルの残した遺産のなかから「限界数字」と「消費単位」をあげ,前者はこの当時の人事院標準生計費の算定に使われているとしたうえで,後者は積極的に継承すべきなのに忘れられているとして,その意義を述べている。消費単位とは,簡単に言えば,生計費を比較する際に,家族の人数が同じでも家族構成,家族の発達段階の違いを無視するのはおかしいので,このような要因を共通の単位に還元し,相互比較可能になるようにエンゲルによって考案されたものである。日本ではこの考え方は,労働科学研究所による1950年のデータを使った試算,女子栄養大学が食料費の消費単位について行った試算があるくらいである。筆者は,生計費研究の現代的課題のひとつに消費単位の復権とその再研究があるとして,この消費単位作成の方法上の問題に言及している。