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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

木村太郎「社会調査と統計調査」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

2016-10-06 11:30:10 | 3.統計調査論
木村太郎「社会調査と統計調査-統計学の側からの社会調査論序説-」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

 社会経済に関する調査の方法を整理し体系化することは,社会経済の科学的研究にとって重要な課題である。この大きな課題と関連する第1の課題は,社会学における社会調査論がそのまま社会科学における調査論たりうるかという点の検討である。第2の課題は,社会の数量的観察結果である統計が社会経済の認識ないし観察全般のなかでいかなる位置をしめうるのか,しめるべきかを明らかにすることである。

 社会調査論は社会学において,重要な学問的テーマのひとつである。そのなかには,文章的記述(モノグラフィー),統計調査法や統計解析法が含まれる。しかし,なかにはこうした社会学における社会調査論を社会科学一般における調査論と拡大解釈するものがある。筆者はこの見解に違和感を示し,この感触を解きほぐすために,まず社会学における社会調査論の発展過程を一瞥する。

 社会学における社会調査には,social survey と social research がある。両者の区別はむずかしいが一般的に,前者は何らかの特定の社会問題について,その解決策をもとめる目的で文章的叙述を含む諸種の方法を混合して行う調査であり,後者は社会全般についてのより客観的かつ一般的知識を獲得することを目的に,方法としての一定の科学的厳密性をもつ調査方法の下に実施される調査である。

社会学における調査は元来,social surveyが主流であった。それらの調査(ル・プレー「ヨーロッパの労働者」[1879年],チャールズ・ブース「ロンドン市民の生活と労働」[1892年],ローントリー「貧困―都市社会の研究」[1899年]など)は調査方法として論理的方法的整合性をもたず,科学性を欠いていた。しかし,当時においても,現在も,それらは生々しい現実を浮き彫りにし,そこにおける問題性を具体的に提起した点で,歴史的調査として評価されている。

 これに対し,social researchはsocial surveyにみられた非科学性について方法論的反省のもとに,1920年代以後,社会調査方法論という独自の形をとって登場する。チュ―ピン「現地作業と社会調査」(1920年),ボガーダス「新社会調査」(1926年),パルマー「社会学における現地研究」(1928年),ランドバーグ「社会調査」(1929年),ヤング「科学的踏査と社会調査」(1939年)などである。social researchは統計的方法を積極的に取り込むことでsocial surveyに欠けていた客観性を確保し,これを事例調査法と峻別して2つの方法的系列として確立した。

当初,統計的方法は全数調査として考えられ,社会の全体的観測こそが観察の客観性と一般的認識を担保するものとみなされたが,しだいにその困難性が現実のものとなると標本調査法が着目され,この標本調査がエクステンシブな方法,事例調査がインテンシブな方法として科学的社会調査の主要な方法的系統となる。

以上の整理を行ったうえで,筆者は科学的調査論が要請するものが調査の客観性であり,諸結果の意味の一般化であるにもかかわらず,その多くの論者が方法(標本調査論など)によって社会的事実を一般化しうるという誤った考え方に立脚していると主張する。くわえて,一部にある調査主義的傾向について,その傾向は調査が客観的,具体的事実認識にとどまるにすぎないものを,そこから一般化や法則認識まで引き出し得るとする誤解が生み出されている。
筆者によれば,こうした誤解は社会学的調査論がよってたつ社会学という学問の性格に由来するとみて,それに関する議論の一部を紹介している。要は社会学が対象とするものは,人間の相互作用と相互関係が織りなす組織としての社会,あるいは個人の行為,意志,習慣などによる個人的契機で結合した集合としての社会である(歴史的,物質的諸関係の総体としての社会ではない)。このように限られた社会的局面が対象である限り,そこから導出される結論は社会の歴史的発展法則の究明とは次元が異なり,そうであるかぎりこの科学の課題は理論的研究の過程を抜きに,社会の直接的観察である社会調査だけで達成されるという結論にならざるをえない。

 それでは統計学の立場から社会調査に言及すると,どのような回答が出てくるのであろうか。この立場で社会調査論を展望した人物に,古くはG.v.マイヤーがいる(マイヤーには,その体系的著作として『統計学と社会学』がある)。マイヤーは社会学が社会に関する客観的観察に立脚しなければならないとし,その役割を担う統計学を「精密社会学」とした。彼は社会を人間の構成体と考え,社会の科学的研究がこの構成体の諸要素の全面的な観察,すなわち悉皆大量観察によって基礎づけられるとした。

筆者によれば,マイヤーにおいて統計調査論は即社会調査論である。社会の観察を社会学における観察体系として定立させようと試みるマイヤーは当然,基礎となる社会集団概念の形成でも社会学のそれを受容する。ただ,マイヤーの社会的集団概念には,既存の社会学的なそれから脱皮している側面がある。それはマイヤーが社会の「分泌物」である人間の行為や事件,そして諸結果を社会集団とみなしていることである(既存の社会学はそれを「集団」とは考えない)。社会的物質的生産物の全てが集団的形態をとる保証はない。それにもかかわらず,マイヤーはこの種の社会的物質的生産物を統計調査の対象として問題としている。彼の統計調査論が社会調査論でありながら,社会学的社会調査論の枠をこえるとする根拠はここにある。

 マイヤーによって体系化された統計調査論,その基礎である社会集団概念はその後のドイツ社会統計学派によって(変質をみせながらも)継承される。変質の内容は,社会的物質的諸部分への傾斜である。この過程は統計学の,そして統計調査の数量的観察法としての自立化の過程であると同時に,統計調査論の社会調査論的視野の後退である。しかし,統計調査が数量的観察法として純化されても,それ自体が一個の独立した社会の直接的観察過程であるかぎり,後者を捉える方法全般の体系と無縁ではない。

この問題を自覚的に調査論のなかに取り上げたのは,蜷川虎三である。その特徴の第一は,筆者の要約によれば,社会調査論の一般的対象であった社会集団概念が,社会学的意味でも,マイヤー的意味でも後退し,専ら統計調査の対象として,数量的観察の対象としてしか現れていない。第二は,社会調査法の系統を量的調査法と質的調査法との2つの系統に分解したことである。社会調査法のこの両極分解は,統計調査の数量的調査としての純化をともなっている。
筆者は最後に「要約」として,社会科学的社会調査論のあるべき体系の基本的方向を示唆している。社会科学的社会調査は,社会全体の悉皆調査によって行われるべきである。社会のこの全体的調査は,数量的観察によって果たされる。ここから脱落する質的側面に関する観察は部分的な観察や調査(実態調査)によって補完されなければならない。この部分調査は一部調査(事例調査)と混同されてはならない。この種の調査は社会の構成要素の個別的な観察にすぎず,本来的意味における社会の部分的調査の代わりにはならない。統計に対する補完的認識資料として必要なのは,本来的部分調査=実態調査である。この部分的実態調査の多くは,個人的研究家や研究者集団の調査能力に依存せざるをえないが,政府行政諸機関が積極的に実施してもよいのではなかろうか。戦前には現にこの種の部分的実態調査が,行政機関によってしばしば行われ,価値ある実績を残したが,戦後その関心は専ら標本調査だけに限られてしまった。アメリカ的社会調査論の悪影響のひとつである。

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