社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

濱砂敬郎「統計環境の分析視角-統計調査とプライバシー-」『経済学研究』第55巻第4・5号,1990年 

2016-10-06 11:28:17 | 3.統計調査論
濱砂敬郎「統計環境の分析視角-統計調査とプライバシー-」『経済学研究』第55巻第4・5号,1990年(『統計調査環境の実証的研究』産業統計研究社,1990年) 

本稿は『統計調査環境の実証的研究』(産業統計研究社)の分析視角を示す位置にあるが,内容はほとんど,マーティン・バルマー編『統計調査とプライバシー』(梓出版社,1980年)(原題:Censuses, Surveys and Privacy,1979)所収のいくつかの論文の要約である。しかし,筆者はそこから,統計調査とプライバシー問題を考察する視座を定め,統計環境の分析視角を確定することを意図しているようである。
『統計調査環境の実証的研究』の全体は,4部18章から成る。筆者はそのうちプライバシー問題に関する以下の10本の論文を検討の素材としている。

・「社会調査へのプライバシーの影響」(M.バルマー[ロンドン大学])/・「現代産業社会におけるプライバシー」(E.シルズ[シカゴ大学])/・「人口センサスとプライバシー(序)」(M.バルマー)/・「イギリスにおけるセンサスの秘匿性」(C.ハキム[ロンドン雇用局])/・「1920年以来の議会とイギリスセンサス」(M.バルマー)/・「プライバシーの侵害-合衆国センサスの場合」(C.トイバー[ジョージタウン大学])/・「プライバシー保護と合衆国センサス」(W.ピーターセン[オハイオ州立大学])/・「センサスの実施とプライバシー論議」(D.R.コープ[所属の記載なし])/・「数量的社会調査における公衆の信頼の維持」(M.バルマー)/・「統計・調査データの濫用防止」(連合王国データ保護委員会)

冒頭に1970年頃から顕著になったセンサスとプライバシー保護に関する紛争ないし社会問題化(イギリス1971年,1976年センサス,オランダの1981年国勢調査の中止,西ドイツ1983年国勢調査の中止と87年再調査など)が紹介され,統計調査環境における事態の深刻化の指摘とともに,当該問題の緊急性への言及がある。

筆者はまず,センサス統計の秘密保護問題を最も包括的に論じているC.ハキム論文(「イギリスにおけるセンサスの秘匿性」)に注目している。ハキムはこの論文のなかで,センサス統計の秘密保護問題を「センサスの秘密性:原則と法律」「秘密性:実務的定義と政策」「センサスの秘密性にたいする国民の態度」「当面の課題」に分けて議論を展開している。ハキムは論文のなかで,センサスの秘密性は最初から(1801年)確立されていたのではなく,暗黙の前提として出発していたが,その後,徐々に意識化され,1920年センサス法で調査個票の統計目的利用,行政目的のための秘匿名個人データの譲渡禁止,守秘義務違反に対する細密な罰則規定および申告義務規定が確定した,と述べている。しかし,センサス統計の秘密保護と申告義務とが,プライバシー問題との関連で本格的に社会的論議の的となったのは1970年代に入ってからである。さらにハキムによれば,統計調査の秘密保護措置に関する大きな変化の契機になったのは1961年センサスへの自動データ処理技術の導入からである,と言う。センサスの実査過程の分析では,いわゆる「顔見知り調査員問題」,回収されたセンサス個票の保管問題,コンピュータ化されたセンサス・ファイルの保全とアクセスの管理に関わる問題,統計作成過程の最終局面でのデータの安全性確保の問題状況と国民の間にひろまっているデータ保護に対する不安について,手際よく整理されている。

『統計調査環境の実証的研究』にはまた「統計・調査データの濫用防止」(連合王国データ保護委員会)の章で,『データ保護委員会報告書』から統計および統計と行政に触れた箇所(章)の抜粋がある。また,C.トイバーは「プライバシーの侵害-合衆国センサスの場合」で,プライバシーへの侵害を,センサス記録の秘密性および質問への回答の国民への要請との関連で考察し,合衆国での統計活動に関する基本法規と,人口センサスにおける秘密保護の状況を具体的に紹介している。トイバー論文には,統計調査を存続させるための統計主体の熱意,プライバシー問題に対する危機感,個人のプライバシー権と統計活動の公共性の緊張関係が表出しているが,そこに問題の現代性が確認できても,1970年センサスにおける調査項目の採否が例示されるだけであると,筆者はコメントしている。

 次に筆者は,ハキム,バルマーによって,統計政策の将来の発展に決定的要因になるのが「国民の態度」と指摘されたことに注目している。また,W.ピーターセン論文(「プライバシー保護と合衆国センサス」とR.G.コ―プ論文(「センサスの実施とプライバシー論議」)における統計調査でのプライバシー問題の描写と分析に関心をよせている。なかでもハキムが統計調査におけるプライバシー問題がデータ保護問題だけでなく,統計情報の公共性に関する矛盾と無関係でないと指摘していること,調査個票のために新しい技術的組織的措置(独立の審査機関,情報の独占に対する情報の平等原則実現のための政策)を提唱していることを評価している。
この他,バルマーの調査項目の適切性に関する論議,ピーターセンによるプライバシーへの関心が合衆国センサスの内容に対して与えうる影響の考察(センサスに対する国民の正確な理解と,それにもとづく政府との信頼関係の確立の必要性),コープによるセンサス実施とプライバシー論議の社会学的考察(データ保護装置の考案に集中する技術的研究の限界性)の要約,紹介がある。

 結局,統計調査のプライバシー研究では,プライバシー権と統計調査の必要性の二律背反的問題をどうさばくかが問題となるが,筆者はこの問題に関するE.シルズの論文(「現代産業社会におけるプライバシー」)を要約して本稿を閉じている。シルズの考察は,筆者によれば,プライバシー意識そのものが資本主義社会の歴史的産物であり,近代市民社会の私的意識的形態に他ならず,それが今日の私的所有意識現代社会の市民の基本的権利として法律に結実するとともに,プライバシーそのものも,保護される市民の法律的権利として公認されるという指摘にまで及んでいる。シルズの見解から学ぶことができるのは,プライバシー問題の深層性である。これを指針とすることによって,統計実践に「市民の公共的な存在と私的存在の対立と緊張」という問題が日本では政府の統計活動に対する批判的評価として,西ドイツでは現代的な統計法と統計制度の構築へと総括されていったことを窺い知ることができる。

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