社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

木村太郎「統計調査論」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

2016-10-06 11:33:24 | 3.統計調査論
木村太郎「統計調査論」『改訂 統計・統計方法・統計学』産業統計研究社,1992年

次の6節構成である。「Ⅰ.統計調査の対象としての社会集団」「Ⅱ.統計調査の二つの課題」「Ⅲ.標識和の統計の生産」「Ⅳ.静態観察法と動態観察法」「Ⅴ.静態統計調査論」「Ⅵ.動態統計調査論」。

 最初の「Ⅰ.統計調査の対象としての社会集団」で,筆者は統計の生産方法である統計調査の対象が社会集団であるとまず規定するが,その集団は存在たる集団一般ではなく,数量的観察を行うことに意味がある社会集団であるとしている。それと同時に,この社会集団は,その構成要素である単位が観察に値する社会的属性を保持していなければならない。なぜなら,統計調査の課題は何よりも,社会集団の構成要素である単位の諸属性を観察し,これらの諸属性が社会集団全体として形成・発展している社会的な大きさや構造を数量的に捕捉,測定することにあるからである。さらに筆者は,統計調査の対象である社会集団は相互に独立した単位からなる,いわゆる数えるべき集団(計数集団)であると,述べている。従来の統計学には,測るべき集団(計量集団:賃金の集団や家計収支の集団),あるいは不連続量の集団を扱うものもあったが,これらは集団概念の混乱した理解である。

 「Ⅱ.統計調査の二つの課題」では,統計調査の課題について論じられている。統計調査は,自明のことであるが,統計の生産方法である。それは対象である社会集団の全数を補足,観察する悉皆大量観察=全数調査が基本形態である。同時に,統計調査は量的な社会経済調査も課題としている。その課題は,これらの社会経済の活動主体が相互にどのように結合し,分解し,全体としての社会集団を構成しているかを数量的に観察することである。統計調査が量的社会経済調査でもあるということは,その対象は社会経済の担い手である人間や家計あるいは事業体という社会経済活動の集団であることを意味する。
 社会統計学の研究者は従来,統計調査のこの二つの課題のうち,社会統計調査的側面を強調しながら,統計生産的側面に言及することが少なかった。統計調査を統計の生産という側面から見ると,社会集団の大きさや性質に関する統計だけでなく,例えば工場の集団の場合,その生産高,在庫高,生産諸設備,雇用労働者数,原料使用高などの統計がある(標識和の統計)。統計調査の重要な統計生産的課題は,こうした多様な諸統計を,統一した総体として生産することにある。

「Ⅲ.標識和の統計の生産」では,上記の標識和の統計の意義が論じられている。この種の統計は量産されている。理由はそれが社会経済の分析に重要だからである。今日の統計調査は社会集団の大きさと構造を計測するというよりむしろ,標識和の統計を生産するために社会集団の単位が設定されるのが普通である。これは統計調査の本来の成り立ちから言えば転倒した関係にあるかのようにみえる。従来の統計学は,標識の問題は分類標識の議論にのみかかわり,標識和の問題を不当に軽視するか,無視してきた。その理由は統計調査の中心的事例として考え,また説明する対象が人口統計調査であったためである。人口統計調査は,標識和の統計と関わらないからである。 

「Ⅳ.静態観察法と動態観察法」「Ⅴ.静態統計調査論」「Ⅵ.動態統計調査論」は,内容的に一括して要約できる。筆者は統計の対象である存在は時点的観察と時間的観察の2つの観察形式をとることをまず確認している。時点的な観察の結果が静態量で,時間的なそれが動態量である(この場合,対象が集団か量かは問わない)。静態統計調査にせよ,動態統計調査にせよその対象が観察単位集団であることに変わりはないが,違いは前者が静態的観察単位集団を,後者が動態的観察集団を扱う点にある。統計調査の結果が,静態量であるか動態量であるかとは別の問題である。
 静態的統計調査の対象である集団は,単位自体が客観的存在であり,これによって構成される社会集団も空間的大きさをもった存在である。これに対し,動態統計調査の対象である社会集団は社会経済過程の現象形態を,現象の発現の契機として観察単位とする一定の期間内でとらえた集団である(後者は客観的存在ではない)。
 静態統計調査法が対象とする観察単位集団は客観的に存在する社会集団であり,それを構成する単位自体が社会的歴史的存在である。それゆえに,このような社会的集団を対象とする統計は,それを総量的に語るだけでは不十分で,社会経済関係を前提とした構造的総量として,あるいは構造と関連性をもった代表値として示されなければならない。この種の問題が動態的集団の観察過程で全くないとは言えないが,動態的集団観察で得られる構造はそれ自体が客観的存在ではないので,そこに示される構造は度数分布以上の意味をもつことはない。
 以上の点を考慮すると,大量観察法が適した社会は資本主義の初期の段階での,多くの分散した小規模工業生産が支配的な経済社会で,独占資本主義段階になるとこの観察法の意義は後退する。大量観察法は観察対象である社会経済過程をただ観察単位の属性として捉えるにとどまり,そのような属性がどのような方法によって生産されたかは問題にならない。しかし,独占段階になると観察単位を漏れなく数え上げることは無意味となり,属性の記録方法を問うことのほうが重要になる。したがって,観察単位の内部における記録方法の問題を抜きにしては,統計の正確性,信頼性の問題は解決されない。
 動態的集団の観察では観察単位そのものは存在でなく事象の発現なので,随時発現する事象をもれなく補足する調査組織の存在が必要となるが,現実的でないので,通常は政府あるいは諸団体の業務を通じて得られる統計が利用される。すなわち,動態統計調査の大部分は,第二義統計調査として実施される。動態統計調査はこのような動態集団を対象とする調査であるにしても,統計調査の四要素の問題が重要であることに変わりはない。ただし,単位にしても標識にしても,それらは行政上,業務上の目的にしたがって規定されているので,統計目的あるいは社会科学的認識目的と整合的であるとは限らないので,注意が必要である。
現行では,動態統計調査は統計調査法の展開に際し,静態統計調査に準ずるものとされ,ただ調査時が時点か時間かという差異だけがクローズアップされるが,そこには静態統計調査の問題点に解消しえない多くの特殊な問題があるので(動態集団の大きさ,構造の内容的意味が静態集団のそれらと大きく異なることが多い),独自の検討が必要である。

コメントを投稿